4.
雨が降ってきた。自分の涙なのか雨なのか分からないほどに濡れていく。男爵が後ろに話しかける声が聞こえ、顔を上げた。気づいていなかったが、男爵の後ろには従者が数人控えており、男爵が顎をクイッと母に向けたのを合図に、僕の抵抗虚しく母はまた連れていかれてしまった。
「明日の朝一番に葬儀をする。迎えに来るので準備しておけ。」
母を殺したことへの償いなのか、ただの気まぐれか。恐らく後者だろう。男爵は僕にも葬儀に参加するように言って去っていった。
その日も眠れずに、そのまま朝を迎えた。朝むかえにきた男爵は、あまりにも泣き腫らしボロボロになった僕を見て顔を顰めたがぐいっと手を引き馬車に乗せた。男爵家の馬車に乗るのは久しぶりだ。幼い頃に、母と男爵と3人で出掛ける事があった。その時を思い出しながらまた涙が流れた。
ふと前を見ると男爵と目が合った。昨日は殺してやろうかと思っていたのに、もうそんな気力もなくなっていた。ぽっかりと穴が空いてしまったようだった。その時、男爵は何かに気がついたような、そして僕を品定めするような目で見ていた。
「ほう。お前は母親に似ているのだな。」
その気色の悪い視線と声に悪寒が走りすぐに目をそらす。会話など一切ないが、気にせずに気配を消すようにただ時間が過ぎるのを待った。
馬車で山道を数十分走った頃に、ボロボロの教会に到着した。正妻に気を使ったのか、廃墟のような粗末な教会の祭壇に母は眠っていた。止まっていた涙は再び流れ始めた。
嫌だ。1人は嫌だ。行かないで。僕も連れて行って。嫌だ。
「ッ、ハッ、母様、。うっ、ぅぐっ。母様!!嫌だっ、。お願い。1人にしないでっ。か、ぁさま、ぁあっ、、。」
司祭が祈りを捧げているが、1度言葉に出すと、もう止まらなかった。幼子のように大声で泣きながら、母が眠る棺の上に覆いかぶさっていた。男爵はなんてことは無いという顔をして、祈りが終わると、僕をどかし棺を動かすように司祭に告げた。僕にとっては、死刑宣告だと思わせる程に恐ろしい言葉だった。動かなくてもいい、息をしてなくてもいい、ただずっと傍に母にいて欲しかった。1人にしないで欲しかった。そんな願い虚しく、母は、教会の裏の墓地へと埋められた。
埋められた棺の上から動けないでいると、一緒に来ていた侍従に腕を引かれ、馬車へと押し込まれた。ガタガタと揺れる馬車で、僕はどこに連れていかれるのだろうかと考えた。母がいなくなって、教養も無いスペアとしての価値も無くなっている僕はきっと男爵家には居られないだろう。今後はどうやって生きていこうと、さっきまで母の葬儀であんなにも泣いて絶望していたのに、もう今後の自分のことを考えてしまっている自分の薄情さを感じ、呆れて笑ってしまう。
フッと漏れた声に気がついた男爵が僕の頬に触れ、あの気色の悪い目を向ける。
「笑えるんじゃないか。母のことは忘れ、私に愛想を振りまくと言うなら可愛がってやるぞ?」
まだ10に満たない僕にでも言っている意味はわかった。母のかわりになれということなのだと。吐き気がした。母親の葬儀が終わったばかりの血の繋がった息子に対して、その発言をした男爵にも、まだ生きる道があると一瞬でも思ってしまった自分に。こんなにも惨めな思いをしているのに、生まれない方が良かった存在だと思われているのに、なぜ僕は、まだ生きたいと思ってしまうのだろうか。いっそのこと潔く死を選べばいいものを。
口を噤んで黙っている僕を見て、肯定と捉えたおめでたい頭の男爵は、そのまま館に僕を連れていき、
「母を亡くした可哀想な子だ。私の子でもある。これからはしっかりと屋敷で育てて行こうと思う。」
と正妻に宣言した。その時の正妻の顔は、忘れられないほど恐ろしく歪んでいた。適当な口実を作って、男爵は毎晩僕を寝室に呼んだ。ここで初めて知ったのだが、僕以降に男爵夫妻が子どもを作らなかった理由。男爵は、数年前から不能になっていたのだ。正妻は、跡継ぎが作れないのなら、迎えれば良いと、今は娘の教養を身につけさせ、良い婚約者を見つけようと励んでいるようだった。酒に酔った男爵は、饒舌に喋る男だった。気色の悪い声で喋りながら、酒のつまみと言わんばかりに僕の体を隅々まで味見するのだった。
母の件といい、加虐趣味がある男爵は、痛めつけることも多く、泣く僕を見ては、大層喜んでいた。傷が増える毎に、心は死んでいき、最初は辛いと思っていたことも、段々と感じなくなっていった。辛さだけでなく、嬉しさや幸せと感じることもなくなっていった。それでも、捨てられてはいけないと、男爵を喜ばせようと必死だった。何も願ってはいけない僕の、唯一の願いは生きることだった。
そんな生活が数年前続いたある日、これ以上の底はないと思っていた僕の人生がさらにどん底に落ちることになった。




