EP 8
禁忌の代償。魔神王の降臨
「力が……! 古代の悪魔よ、我が魂と引き換えに、この憎き小童どもを、私を裏切った世界を滅ぼす力をォォォォォッ!!」
玉座の間を埋め尽くすほどの、ドロドロとした漆黒の瘴気。
その中心で、皇帝の体が風船のように異常な膨張を始めた。豪華な王衣が引き裂かれ、皮膚の下で何かが蠢き、骨の形がメキメキと変わっていく。
「ギャ……アアアアアアアアアッ!?」
皇帝の口から、もはや人間のものとは思えない絶叫が迸った。
自らの魂を対価に絶対的な力を求めた代償。古代の悪魔は、愚かな王の願いを聞き入れると同時に、その自我すらも完全に喰い破っていたのだ。
『……ク、ククククク。数千年ぶりの、肉だ』
皇帝だった肉塊の口が、三日月のように耳まで裂け、地獄の底から響くような重低音が漏れ出した。
「タロウさん、逃げてください! あれは……あれはダメです! 私たちの魔力じゃ、どうにもならないほどの……純粋な『死』の塊ですぅっ!!」
サリーが悲鳴を上げ、僕の腕を強く引っ張った。彼女の持つ聖女としての本能が、最大級の警鐘を鳴らしているのだ。
「脱出するぞ! ライザ、セバスさん、走れ!!」
僕たちが踵を返して大扉へ駆け出した、その瞬間。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォンッッッ!!!!
背後で、凄まじい爆発が起きた。
いや、爆発ではない。漆黒の瘴気を纏って数十メートル、数百メートルと巨大化した『それ』が、立ち上がっただけで、強固な白亜の宮殿の天井と壁を、紙切れのように内側から粉砕したのだ。
ガラガラと崩れ落ちる瓦礫の雨を、サリーの『ロックシールド』とライザの剣撃で弾き飛ばしながら、僕たちは宮殿の外へと転がり出た。
「ゲホッ、ゴホッ……! 間に合ったか……」
土煙まみれになって広場に出た僕たちが、後ろを振り返って見上げたもの。
それは、空を覆い隠すほどの『絶望』だった。
帝都の中央、崩壊した宮殿の跡地にそびえ立っていたのは、山のように巨大な、漆黒の悪魔。
背中には天を衝くような三対の黒い翼。全身から吹き出す瘴気は周囲の草木を一瞬で枯死させ、その赤く輝く三つの眼球が、虫ケラを見るような冷たさで下界を見下ろしていた。
『我は魔神王。この忌まわしき世界を、再び虚無に還す者なり』
空気を震わせる声。
その存在感だけで、肺の空気が強制的に絞り出され、膝が震える。ベヒーモスすら可愛く思えるほどの、文字通りの『規格外』。
「な、なんだありゃあ!?」
「皇帝の城が、化け物になっちまったぞぉぉっ!」
宮殿の外で、平和に『豚汁の炊き出し』を楽しんでいたアルクス・ビルダーズ(筋肉自警団)や、寝返った帝都の市民たちが、手にしたお椀を落としてパニックに陥っていた。
「あわわわわ……太郎! ちょっと、ストゼロの酔いが一瞬で覚めたんだけど!? なにあれ、神界のデータバンクにもないくらいヤバい奴よ!!」
ルチアナが芋ジャージを震わせながら、僕たちの元へすっ飛んできた。
『まずは……目障りな羽虫どもから、消し去ってくれよう』
魔神王が、ゆっくりと巨大な右腕を振り上げた。
ただそれだけ。魔法の詠唱すらなく、ただ腕を薙ぎ払っただけ。
ズシャァァァァァァァァァァァァァァァァァァンッッッ!!!
腕の振りから生み出された『不可視の真空刃』が、帝都を囲む分厚い城壁の半分を、豆腐のように一瞬で斜めに切り裂き、そのままはるか彼方の山を一つ消し飛ばした。
「……嘘、でしょ……」
ライザが、絶望に剣を取り落としそうになる。
数万の筋肉兵士たちも、この次元の違う破壊力を前に、言葉を失い立ち尽くしていた。
「100均の大砲じゃ、傷一つつけられないわね……」
僕の背中には、冷たい汗が滝のように流れていた。
防御力、攻撃力、スケール。すべてにおいて、僕たちがこれまで積み上げてきたものを軽く凌駕している。
『さぁ、滅びよ。我への手向けとして、まずはこの都を灰燼に帰してくれるわ!』
魔神王の口元に、太陽のように巨大な、漆黒のエネルギー球が収束し始めた。
あれが撃ち下ろされれば、帝都の市民も、マッスルたちも、ルチアナも、そしてライザとサリーも、僕たちの箱庭の『リトル東京』すらも、全てが消滅する。
「……ふざけんな。せっかく完全食料自給率を達成して、これからって時になんだよ」
僕はギリッと奥歯を噛み締め、背中から漆黒の弓身――神殺しの弓『雷霆』を引き抜いた。
僕の焦りと怒りに呼応し、雷霆がバチバチと激しい紫電を散らし始める。
『クハハハハッ! そうだ主よ! 相手が神だろうと悪魔だろうと関係ない! 汝のその怒りを、我に注ぎ込め!』
「みんなの平和なスローライフを、こんな意味不明なラスボスに壊されてたまるか……ッ!」
絶対的な絶望を前に。
僕は、ただ一人、世界を滅ぼす魔神王に向かって『雷霆』を構えた。




