第十六章
我に返ったルナは決意していた。
急いでアイリス姫の寝室を出ると、途中でトレイを置き、侍女オドレイが寝る使用人の寝室へと向かう。
「オドレイさん。オドレイさん。至急お話があります」
とドアを叩いた。
オドレイはすぐに出てきてくれた。
彼女はルナやマリアよりも侍女歴は長い、緊急時を考慮して、すぐに飛び起きれるようになっているのだろう。
「あら、ルナ? どうしたの? こんな朝早く」
背が高く髪が短く、ボーイッシュなイメージのあるオドレイが眉根を寄せた。
彼女はそんなに早起きしなくても良い日なのだ。
「申し訳ありません」とルナはそのことについて謝罪しながらも、彼女に尋ねる。
「昨日の縫いぐるみ、アイリス様の縫いぐるみはどうしました?」
「ああ、あれ」オドレイは戸惑いながらも、教えてくれる。
「言われたとおりすぐに捨てたわ。ブッフバルト夫人にきつく指示されて」
それつにいてオドレイも不本意だったらしく、少し彼女の目元が翳る。
「あの縫いぐるみは特別なものだったのに。アイリス姫の一二歳の誕生日に、プレゼントとしていただいたものらしいわ」
オドレイの眉間には皺が寄っている。
ブッフバルト夫人には、彼女も何か意見があるようだ。
「分かりました。朝早く申し訳ありませんでした」
ルナは丁寧に謝罪すると踵を返した。
ゴミはエンディミオン宮殿の離れにある、木製の小屋に集めれる。
そこにアイリス姫の縫いぐるみも、あるのだろう。
だが離れのゴミ置き場の、開けっ放しの扉をくぐった彼女は、呆然と足を止めてしまった。
もうそこにはゴミが無かったのだ。
ただ汚れた木の板の仕切りが、薄暗闇に並んでいるだけだ。
ルナが土の地面に立ちつくしていると、
「おや、お嬢さん、アイリス姫の侍女さん、どうしたんだね?」
と老使用人で顔見知りのハーマンが、彼女の背中に語りかけた。
「ハーマンさん、ごみは、こにあったごみはどうしました?」
「ああ、それならつい今しがた回収していったよ。何か間違えて捨ててしまったのかい?」
ルナは素早く頭を巡らせた。
ごみ運搬人の荷馬車にはもう足では追いつけない。アイリス姫の縫いぐるみは、ロドリン地区のゴミ集積所に運ばれてしまった。
後は数日後に、その場でそれら全てに火がかけられて処理される。
「だとしたら残念だったね。一足遅かった」
気の毒そうなハーマンに一礼したルナは、自分の仕事に戻った。
ならばもうこの話は終わりだ。
そもそもルナにアイリス姫を助けるいわれはない。
彼女は仇の一人であり、ルナが殺さなくてはならない目標でもある。
今は身分を偽って、彼女の傍らにいるだけなのだ。
「今日はどうしたの? 随分早起きね」
ようやく目覚めたマリアに尋ねられたが、何となく誤魔化して、ルナはアイリス姫の侍女として彼女の傍らにいた。
何だかアイリス姫は元気がなかった。
いつもの溌剌とした空気が無く、しゅんと頭を下げている。
相変わらずブッフバルト夫人とは口論するが、したり顔の彼女に押し返され、喉をつまらせる場面が何度もある。
侍女たちに隠れて涙を拭っている場面にも、出くわしていた。
ブッフバルト夫人は勝者の笑みに唇を歪め、容赦なくアイリス姫に勉強の課題を出した。
アイリス姫は、白い顔色でそれに取り組むでもなく、破棄するでもなく、茫としている。
そうこうしている内に一日が終わった。
結局その日、アイリス姫の笑顔は見られなかった。
ルナはベッドに横になりながら、苦しげなアイリス姫を思い出す。
ざまあみろだ。
エリディス王家は彼女の兄を徹底的に貶めて、処刑した。
その復讐のために、ルナは針を携えて来たのだ。
隣のベッドから、マリアの寝息が聞こえ出した。
ルナはそっと手を出して、見つめた。
いつだったか、アレクシスに握られていた手。
それで彼女は、一日のどんなつらい出来事でも忘れられた。
恐らくアイリス姫にとって、それがあの縫いぐるみなのだろう。
はあ、ルナは一つ大きく息を吐き、ベッドから起き上がった。
眼鏡をかけ簪を持ち、彼女は寝室から出る。




