有名人たち
超高級ビルの最上階には、選ばれた者だけが踏み入ることを許された舞台のように、赤い絨毯が静かに敷かれていた。
二百坪ほどの広いフロアの中央には黒いバーカウンターが据えられ、背後の白い棚には年代物のウイスキーが整然と並んでいる。照明は控えめだった。強すぎない琥珀色の光が室内に薄い陰影を落とし、クリスタルの酒瓶やグラスを宝石のように浮かび上がらせていた。
壁の一面は黒いタイルで覆われ、その周囲を細い金色の縁取りが走っている。天井から落ちる朱色の間接照明が、その黒をさらに深く見せていた。足元にはL字型の黒革ソファが沈黙を抱え込むように置かれている。
「いやあ、代表方。本当にお久しぶりですな」
チョン社長が笑みを浮かべた。
中央の席にはすでに四人の男が腰を下ろしていた。彼らはくつろいだ表情でグラスを傾けている。中身はシーバスリーガル二十一年。磨き上げられた革靴の下で赤い絨毯が柔らかく沈み込み、その仕草には自分たちが特別な場所にいるという疑いすらなかった。
「結局は“水”ですよ。質のいい女を揃えないと商売は回りません。そうでしょう、ユ代表?」
黄色く染めた髪に青いネクタイを締めた三十代前半の男――チョン社長は、この場で最も強い発言力を持っていた。名目上の持株はわずかだが、背後に巨大な存在がいることを誰も疑っていない。
「はは、相変わらずだな。お前は人を見る目が顔に偏りすぎてる」
ユ代表が笑った。短く刈り込んだ髪、灰色のスラックス、淡い青のシャツに黒いニット。二人のやり取りには長年の馴れ合いが滲んでいた。
「でもね、ユ代表。男が綺麗な女を好いて何が悪いんです? 韓国の美容業界なんて、ああいう子たちのおかげで成り立ってるようなもんでしょう。そう思いませんか、総長さん?」
“総長”と呼ばれた男の肩がぴくりと震えた。
「チョン社長、その呼び方はやめたまえ。誰かに聞かれたら困る」
四十代後半の男だった。細い金縁眼鏡に端正なスーツ姿。警察総警である彼は、言葉を発するたびに無意識に周囲へ視線を走らせていた。
「いやいや、そんなに警戒しなくても。まさか盗聴器でも仕掛けられてると思ってます?」
チョン社長は肩をすくめた。
「今朝、警備会社を呼んで全部チェック済みです。盗聴器も隠しカメラもありません。今日ここに入るのは我々だけですから」
彼はウイスキーを注ぎ足し、総警の前にグラスを滑らせた。総警は苦笑しながら受け取る。
「朝から大騒ぎだったな。バーテンダーまで入れるなと言うし」
ユ代表がグラスを回した。
「本当なら、こういう席には綺麗な女が一人くらいいてくれた方が酒も旨いんだが」
「ははは、もうその辺で。グラスが溢れますよ。まったく、愛情が深いことで」
総警の言葉に四人は声を上げて笑った。
笑い声は高い天井に反響し、ゆっくりと消えていく。
だが、その笑いの奥に愉快さはなかった。
そこにあるのは、互いの秘密を知る者だけが共有できる安堵だった。
外では正義を語る男たちが、この密室では同じ酒を酌み交わしながら沈黙の契約を結んでいる。
そして部屋の隅では、誰にも気づかれないまま、壁の黒いタイルが彼らの会話を静かに飲み込んでいた。
「それにしてもさ」
赤と黄の派手な色彩が混ざり合ったシルクシャツを揺らしながら、イ代表がグラスを傾けた。三十代半ば。チョン社長とは長年の共同事業者だった。
「チョン社長が“盗撮”とか“盗聴器”を“不法な装置”なんて言うと、妙に笑えるんだよな。“不法”って言葉をお前が使うのがさ。そう思わないか、ユ代表?」
「確かに」
ユ代表が鼻で笑った。
「チョン社長と“不法”か。今夜一番面白い冗談だな」
四人の間に乾いた笑いが広がった。
チョン社長は肩をすくめ、わざとらしく顔をしかめる。
「やめてくださいよ。本当に失礼だな。そんなことより飲みましょう、飲みましょう」
彼はボトルを持ち上げ、イ代表のグラスに酒を注ぎ足した。
「それに、ユ代表。イ代表がロードキル・クラブに大きく投資してくれたから、今の我々があるんです。もしあの資金がなかったら、この部屋に集まることもなかったでしょう」
ロードキル・クラブ。
その名が出た瞬間、総警の指先がわずかに止まった。だが誰も説明しようとはしない。その沈黙自体が、その事業の性質を物語っていた。
「急に持ち上げるなよ、チョン社長」
イ代表は苦笑した。
「ここにいる皆さんのおかげさ。俺の仕事がうまく回ってるのも、面倒なことを綺麗に片づけてくれる人たちがいるからだ」
「そうそう。経営承継なんて当たり前のことなのに、この国の連中は何も知らずに吠える。親を持って生まれるのも才能だってのにな。ははは」
ユ代表が大声で笑った。
総警は笑わなかった。グラスの縁を親指でなぞりながら、低い声で割って入る。
「その話はもういいでしょう。さあ、乾杯にしましょう」
話がこれ以上続けば、自分自身の罪まで引きずり出される気がした。
「もちろんです、総長さん!」
チョン社長が勢いよく立ち上がった。
「合法でも違法でも、儲かれば勝ちです。権限なんて金で買えばいい。明るい未来のために――乾杯!」
「乾杯」
四つのグラスがぶつかり合った。
澄んだ音が静かな部屋に短く響き、すぐに吸い込まれていった。
ユ代表は総警を見た。
「今回もありがとうございました、総長さん。お帰りの際に、ほんの気持ちですがお土産を用意してあります」
総警は何も答えなかった。
だが二人の視線が交わった瞬間、言葉にされなかった意味だけが静かに行き来した。互いに笑みを浮かべながら、相手を完全には信用していない――蛇同士が距離を測るような目だった。
総警はゆっくりと口角を上げた。
その笑みには礼儀も感謝もなく、ただ取引を受け入れた者の冷たさだけがあった。
沈黙を破ったのはチョン社長だった。
「ところでイ代表。今度出す“あれ”、値段が高すぎません?」
わざとらしく目を丸くする。
イ代表の眉がぴくりと動いた。
「高い? あれが高いだと?」
声が一段低くなる。
「だから素人は困るんだ。価値が分からない奴ほど値段だけ見る」
チョン社長は声を立てて笑った。
イ代表が苛立ちを隠さないほど、彼にはそれが面白かった。
その笑い声を聞きながら、総警はグラスの中の琥珀色を見つめていた。
液面に映る四人の顔は、どれも歪んで見えた。
「ロビー資金に広告費、それに人件費、材料費、研究費まで払ったら、手元に残るものなんてほとんどないんだよ。下の連中は毎日“給料を上げろ”って騒ぐばかりだし。世間を知らない連中は本当に困る」
舌打ちをしながらウイスキーを口に含む。
チョン社長がくすりと笑った。
「世間を知らない、ですか。イ代表、年齢のわりにずいぶん長生きされたんですね」
わざと感心したような口調だった。
「それに“残るものがない”って言いながら、ニュースでは営業利益が何百億だとか景気のいい数字ばかりじゃないですか」
イ代表は鼻を鳴らした。
「それが経営のノウハウってやつだよ。チョン社長。個人投資家なんて少し夢を見せれば、蜂みたいに群がってくる。昔から変わらない習性さ」
ユ代表がグラスをテーブルに置いた。
「それで、イ代表はどれくらい手元に残ったんです?」
何気ない口調だったが、視線だけは鋭かった。ここが探りを入れる好機だと判断したのだ。
「俺か?」
イ代表は口元を緩めた。
「ちょうど金の話が出たから言うけど、社員がうるさくてね。今回は自分の給料を一億ウォンしか上げられなかった」
「しか、ですか?」
チョン社長が眉を上げる。
「年俸じゃなくて月給ですよね? 一億も上げたら十分すぎるでしょう。他の社員はどうしたんです?」
声には露骨な皮肉が混じっていた。
イ代表は肩をすくめる。
「他の社員? 嫌なら辞めればいいだけだ。人間なんてまた採れば済む話だろう。なあ、ユ代表。そんな細かいことまで社長が気にしていたら会社なんてやってられないよ」
言い終えると、彼は再びグラスを口元へ運んだ。
琥珀色の液体がゆっくりと揺れる。
ユ代表は黙ったままイ代表を見つめていた。先ほどから胸の奥に引っかかっていた疑問が、ようやく形になり始めていた。彼は指先でグラスを回しながら、次の質問を口にするタイミングを測っていた。
ユ代表はグラスをテーブルに置き、わずかに身を乗り出した。
「それはそうでしょうね。今の給料だって相当な額だと聞いていますし、保有株式もかなりお持ちだとか」
そこで一度言葉を切り、イ代表の表情を窺う。
「ですが、私が本当に聞きたいのは給料の話じゃありません。裏では、どれくらい懐に入れたんです?」
イ代表の眉がぴくりと動いた。
「どれくらい、だって?」
ユ代表は薄く笑った。その笑みには好奇心よりも欲望の色が濃く滲んでいた。彼はまだイ代表ほど老獪ではない。金をどう動かし、どこから痕跡を残さず抜き取るのか、その手口を知りたかった。自分もいつか使うために。
イ代表はグラスを揺らしながら、まるで些細なことを口にするように言った。
「二十億ウォンくらいは抜いたかな」
言葉が終わるより早く、チョン社長が声を上げた。
「二十億? 本当に二十億ですか?」
わざと大げさに目を見開く。
「町の雑貨屋の売上じゃあるまいし。そんなに抜いてるなら、社員の給料を少しは上げて、商品の値段も下げてやってくださいよ。経営者ってどうして皆そうなんですかね。まるで泥棒の根性だ」
口では非難していたが、唇の端は笑っていた。
イ代表も笑った。
「チョン社長、もう酔ってるな。たかが二十億で騒ぐなよ。ほら、一杯やれ」
ユ代表は二人のやり取りを聞きながらも、別のことを考えていた。視線が天井を彷徨い、再びグラスの中へ落ちる。頭の中で数字が静かに並び替えられていた。
「これはいけないな」
彼が独り言のように呟く。
「私もホテルの従業員を何人か整理して、自分の給料を上げようかな」
チョン社長が腹を抱えて笑った。
「おやおや、私より悪魔じゃないですか。私は人を切ったことはありませんよ。切られた人たちはどうするんです?」
ユ代表は肩をすくめた。
「それは彼らの運ですよ。社長が社員の人生まで面倒を見る必要がありますか? 経営が厳しいとでも発表すれば、みんな納得するでしょう。世の中なんてそんなものです。まず自分が豊かにならなければ、他人を助ける余裕なんてありませんからね」
「ははは、十分豊かな人がどこまで豊かになるつもりなんですか。顔に塗る油でも足りないんですかね」
チョン社長がまた笑った。
三人の笑い声が重なる。
だが、一人だけ笑っていない男がいた。
総警は静かにグラスを置いていた。笑い声が大きくなるほど、彼の表情はかえって硬くなっていく。この部屋で交わされている言葉が冗談ではないことを、誰より知っているのは彼自身だった。
イ代表がふと総警に視線を向けた。
「そうだ、総長さん」
声が一段低くなる。
「来週あたり、一度お食事でもいかがですか?」
総警はすぐには答えなかった。
その短い沈黙の中で、“食事”という言葉が意味するものを、この部屋の四人全員がすでに理解していた。
「食事か。いいじゃないか。誘われて断る理由もない」
総警はようやく口を開いた。
「ところで、何を食べるつもりなんだ? どうだ、寿司でも。日本の寿司なんて悪くないだろう。新鮮なやつをな」
「日本の寿司、ですか……」
イ代表が意味ありげに言葉を濁す。
チョン社長が吹き出した。
「おやおや、総長さん。まさか別の“日本産”を想像したんじゃないでしょうね?」
その笑いには品がなかった。頭の中では、すでに別の光景が出来上がっているようだった。
総警は咳払いをした。
「和食の話だよ。和食はいい。日本ほど食文化のしっかりした国も珍しい」
「さすが総長さん。では日本料理店を予約しておきますよ」
イ代表がグラスを掲げる。
「いっそ日本まで行ってしまうのも悪くないな」
総警が冗談めかして言うと、残りの三人も声を上げて笑った。
「今どきそんなこと言ったら、不買運動だなんだって騒がれますよ。気をつけないと」
チョン社長が肩を震わせる。
「だったら次の集まりは日本にしましょうか。温泉に浸かってゆっくり休めば、心まで洗われる。向こうはサービスも丁寧ですからね」
彼の口調には妙な実感があった。冗談というより、以前から温めていた願望を口にしているようだった。
「じゃあ俺は明日にでも日本へ行こうかな。ラーメンでも食べに」
チョン社長が言った。
「ちょうど新しい商売を考えていたところなんだ」
「新しい商売?」
ユ代表が身を乗り出した。友人であるチョン社長が何を企んでいるのか、純粋に興味が湧いたのだ。
「しっ、秘密だよ」
チョン社長は唇に指を当てた。
四人の笑い声が重なり、部屋の空気は酒の熱気でゆるみ切っていた。
その時だった。
コン、コン。
不意にドアを叩く音がした。
笑い声が止まる。
もう一度、静かなノック。
チョン社長が眉をひそめる。
ドアの向こうに立っていたのは、黒いマスクをつけた男だった。スーツではなく色褪せたデニムジャケットにジーンズ。足元もありふれた黒いスニーカー。街ですれ違っても二度と顔を思い出せないような、ごく平凡な格好だった。
「誰だ?」
チョン社長がドアへ歩きながら声を張る。
途中で小さく舌打ちした。
「ウイスキーをストレートで飲みすぎたか……。なんだか頭がふわふわするな。俺、酒には強いはずなんだけど」
彼の足取りは四杯目とは思えないほどわずかに揺れていた。
総警が低い声で尋ねる。
「……誰か来る予定だったのか?」
その声には、最初から消えなかった不安が滲んでいた。
部屋の空調音だけが静かに響く。
誰もすぐには答えなかった。




