第二十四話 ギルド職員は灰色を仕立てる
その日の夕方。
ルネリア冒険者ギルドの受付奥には、また紙の山があった。
事故報告書。
救助記録。
負傷者一覧。
旧水路の損傷確認。
捕縛された細工師の身元調査。
そして、目撃証言。
リオは、その一枚を見て固まっていた。
『灰色の男が梁を支えた』
『黒蝶ではない』
『作業員のような格好。顔は防塵布とゴーグルで見えず』
『地面に手をつくと、崩れかけた石が止まったように見えた』
『犯人を壁際で取り押さえた。かなり乱暴だった』
「……かなり乱暴」
リオは小さく呟いた。
マーレが横から覗き込む。
「そこが気になるのか」
「いえ。助けたのに乱暴扱いされるんだなと」
「犯人を壁に叩きつけたらしいからな」
「犯人ですし」
「お前が弁護するのも変な話だ」
「一般論です」
リオは真顔で答えた。
真顔は便利だ。
便利だが、そろそろ限界かもしれない。
オルドが奥から出てきた。
「旧水路の件だが、細工師はグレイヴファミリーの下働きと見ていい。本人は否認しているが、持っていた札と道具が一致した」
「グレイヴ側の指示ですか」
マーレが聞く。
「そこまではまだ分からん。上が命じたのか、現場の連中が勝手にやったのか。だが、ギダン一家の現場を潰す狙いはあったようだ」
「修復利権ですか」
「そうだ」
オルドは、もう一枚の報告書を机に置いた。
「ただし、今回の崩落は細工だけでは説明しきれない」
リオの手が止まる。
「地下の支柱が折れたのは細工のせいだ。だが、石畳の沈み方と水路壁の割れ方が妙だ。古い魔力灯の導線も、一部が焼けていた」
「魔脈ですか」
「可能性はある」
オルドは低く言った。
「修復と封鎖で、あちこち掘り返している。旧水路、埋められた荷道、古い基礎。街の下を触りすぎているのかもしれん」
ルネリアの下を流れる魔力。
街の骨。
昨日まで、リオにとってそれは地図の上の話だった。
だが今は違う。
あの灰色の影は、確かに地面から何かを受け取っていた。
重さ。
ひび。
空洞。
足音。
そして、土属性。
黒蝶ではない。
風ではない。
別の影。
「リオ」
「はい」
「顔が暗いぞ」
マーレが言う。
「紙に負けています」
「今日は紙以外にも負けている顔だ」
「いろいろ強敵が多くて」
「休め」
オルドが言った。
「今日はもう帰れ。旧水路の報告は明日でいい」
「ですが」
「帰れ」
「はい」
即答した。
最近、この返事が上達している気がする。
◇
リオが向かったのは、自室ではなかった。
ミラ工房である。
戸を開けると、金属を磨く音が止まった。
「……リオ?」
ミラが顔を上げる。
机の上には、修理中のドリームガンと、焦げ跡の残る黒い外套が置かれていた。
まだ黒蝶装備の修理も終わっていない。
なのに。
「すみません」
「その顔は、また何か壊した顔だね」
「壊したというか」
「じゃあ何」
「実は、協力者が増えました」
ミラは工具を置いた。
「増えた? 誰?」
「言えません」
「……でしょうね」
「ですが、土属性の魔法を使うようです」
「ようです?」
「そこも、詳しくは」
ミラは目を細めた。
「リオ」
「はい」
「聞かない方がいいことは聞かない。でも、装備を作るなら必要なことは聞く」
「分かっています」
「その協力者は、何をする人?」
「救助です」
リオはメモを広げた。
「地面に魔力を流して、事故現場の配置を読む。救助を待つ人、崩れそうな場所、空洞、支柱の位置を把握する。崩れそうな場所には魔力を流して、一時的に補修する。逆に、壊した方が安全な場所は掌底で砕く」
「……黒蝶とは真逆だね」
「はい。追う黒蝶ではなく、支える人です」
「犯人相手には?」
「逃げ道を地面から読んで塞ぎます。戦い方は、たぶん泥臭いです。掴む、押さえる、壁に叩きつける」
「人を助ける役なのに、ずいぶん荒っぽいね」
「逃がすと、また事故が起きるので」
「なるほど。人を助けるために、悪党も逃がさない役か」
ミラは少し考え、机の上の紙を引き寄せた。
「じゃあ、黒蝶とは作り方を変える」
「変える?」
「黒蝶の装備は、動くための装備。軽く、速く、引っかけて、逃げる。灰色の方は逆。止まるための装備だね」
ミラは紙に線を引く。
「まず、負荷がかかる場所には緩衝材。腕、肩、背中、膝、腰。瓦礫を受けるなら、全部そこに来る」
「硬い鎧ですか?」
「違う。普段から硬いと動けない。普段は曲がる。でも強い衝撃が来た瞬間だけ、ぎゅっと詰まって受け止める素材にする」
「そんな素材があるんですか」
「作る。近い素材なら心当たりがある」
「作るんですね」
「作らないと始まらないでしょ」
ミラは次に、丸い面の絵を描いた。
「目元だけじゃなく、顔全体を守る防塵面にする」
「全部隠すんですか」
「粉塵、煙、石の破片、古い水路の臭気。救助現場は、相手が悪党だけとは限らない。現場そのものが敵になる」
「なるほど」
「目には魔力灯を仕込む」
「目が光るんですか」
「暗い地下で見えないと困る。助けを待つ人にも位置が分かる。あと、悪党は怖がる」
「最後の理由、必要ですか」
「必要。逃げる相手の足が止まる」
リオは少しだけ納得してしまった。
「靴は二つの形にする」
「二つ?」
「現場へ駆けつける時は、靴底から滑走輪を出す。地面を滑るように走るための形だね」
「車輪ですか」
「そう。飛ぶんじゃない。地面の上を走る。土属性なら、地面への魔力の通りもいいはずだから、接地の抵抗をうまく逃がせるかもしれない」
「黒蝶とは違いますね」
「黒蝶は壁を走る。灰色の方は、地面を読む。なら、地面を最短で走った方がいい」
ミラは、次に靴底の絵を描き足した。
「ただし、救助や戦う時に車輪のままじゃ駄目。滑るからね」
「はい」
「だから、戦う時は車輪をしまって、靴底から爪を出す。石畳や土を噛ませて、しっかり踏ん張る」
「支える時に足が流れないように」
「そう。それに、犯人を押さえる時にも使える。踏み込みが逃げなければ、蹴りも体当たりも重くなる」
「蹴りもですか」
「悪党を止める時には力がいるでしょ」
「そうですね」
「黒蝶は軽く舞う。灰色の方は、地面を噛んで止まる。そこを間違えると、装備が全部ずれる」
ミラは、さらに横へ細い杭の絵を描いた。
「あと、固定杭がいる」
「固定杭?」
「地面に打ち込んで、縄や支柱や自分の体を固定する杭。救助縄の支点にもなるし、仮補修した場所を押さえることもできる」
「アンカーステーク、みたいなものですね」
「いい名前だね。それ採用」
「今ので採用なんですか」
「分かりやすい名前は強い」
ミラは紙を指で叩いた。
「まとめるよ。顔全体を守る防塵面。光る目。負荷がかかる場所の緩衝材。滑走輪と爪を切り替える靴。固定杭。それから、荷重を肩、背中、腰、足に逃がすベルト」
「かなり大がかりですね」
「だから黒蝶の予備装備では無理。別物として作る」
「お願いします」
「その前に」
ミラは、リオをじっと見た。
「今回、その協力者が使った装備。夜鴉の押収品だったんだよね」
「はい。紋章を剥がした作業外套、防塵布、ゴーグル、革手袋です」
「持ってこられる?」
「たぶん、ギルド経由で確認すれば」
「持ってきて。型取りに使う」
「夜鴉の道具を、救助装備にするんですか」
「悪くないでしょ」
ミラは、少しだけ笑った。
「悪事の後始末から生まれたなら、ちょうどいい」
リオは少しだけ黙った。
夜鴉が人と荷を隠すために使っていた道具。
それを、人を救うための装備に作り替える。
たしかに。
悪くない。
◇
その夜。
ガロは廃材置き場の小屋で、拾った紙片を仕分けていた。
売れるもの。
燃やす前に売れるもの。
まだ値がつくまで隠すもの。
見せたら殺されそうなもの。
新しくついた三人のごろつきは、ガロの顔色を見ながら黙々と働いている。
悪くない。
かなり悪くない。
「灰色のやつ、見たか?」
一人が言った。
「旧水路で梁を支えたってやつだろ」
「黒蝶の仲間か?」
「知らねえよ」
ガロは紙片から目を離さずに答えた。
だが、耳は拾っている。
地面を触って崩れる場所を当てた。
逃げた細工師を壁に押しつけた。
黒蝶とは違う。
速くない。
でも、逃げ道を潰す。
「……面倒なのが増えたな」
梁の上から声がした。
「黒蝶の次は灰色だね」
スネアだった。
「毎回上から出るな」
「下は君たちが散らかしてるから」
「うるせえ」
ガロは舌打ちした。
「黒蝶は追ってくる。灰色のやつは逃げ道を潰す。掴まれたら終わりだ」
「よく見てる」
「褒めんな」
「褒めてるよ」
ガロは、拾った紙片を一枚つまみ上げた。
旧水路の補修予定。
魔力灯導線の位置。
地下荷道の古い略図。
誰かが価値を知らずに捨てたものだ。
「まあ、増えたなら増えたで使い道はある」
「懲りないね」
「俺は……しぶてえ野良犬みてえなもんだろ」
スネアが笑う。
ガロも鼻を鳴らした。
拾ったものは使う。
黒蝶も、灰色も、グレイヴも、ギダンも。
最後に上にいれば、それで勝ちだ。
◇
深夜。
リオは自室に戻り、机にメモを広げた。
黒蝶。
風。
追跡。
制圧。
眠り弾。
灰色の協力者。
土。
救助。
補修。
掌底。
現場把握。
それぞれの違いを書き出す。
黒蝶を出している間、灰色を出せるのか。
灰色を出した後、黒蝶はどうなるのか。
同時に出せるのか。
経験は本体へ戻るのか。
消耗は同じか。
分からないことばかりだった。
そして、その下に、もう一つ書く。
ルネリアの魔脈。
影が触れた。
土属性の発現に関係あり。
リオはペンを止めた。
街の下で、何かが動いている。
その流れは、事故を大きくした。
そして、自分の影にも触れた。
怖い。
だが、同時に思う。
もし、あの灰色の影がいなければ。
旧水路の下にいた子どもたちは、助からなかったかもしれない。
リオは、最後に一行だけ書き足した。
黒蝶は、夜を走る。
灰色は、街を支える。
名前は、まだない。
けれど、その役目だけは、もう決まっている気がした。
本日より更新再開いたします。




