1話 呪読
少年の視界が狭まる。外側から、墨を垂らすようにじわりと、暗く、くらく。
「あなた、あなたが、やったの、私に、こんな呪いをかけて、許せない、許すものですか!!」
「ぅ゛、く、ちが、俺じゃな、」
少年は、華奢な少女が自分の腹の上に跨がり、両手で首をぎゅうと締めてくるのを見つめる。
テントの中へと、濃い藍色を溶かした布が揺れ、青い風を迎え入れる。が、到底そんな爽やかさに相応しい状況でなかった。
窮策する視界。絞められているのは首なのに眼球に圧力がかかるのが解る。抵抗するが、逃げ出せない。
普段なら健全な男子高校生として心臓ドキドキ、テンションぶち上がりのまるで天国のようなシチュエーションだが、それどころでない。そのドキドキする心臓を止められかけてるのだ。冗談じゃない。本物の天国にのぼりかけてて笑えるか。
少女の薄い桃色の髪がはらり、と一房、頬に垂れる。その柔らかい感触と首を強く強く絞められる感触。それは酷く乖離しており、まるで別人のようだった。
そして血液のまわらない頭で必死に考えた。死んだばっかなのに、何故また死にかけているのだろうか。
そうして思考は数時間前へと遡る。
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うわ、まさか、俺の人生最寄駅で終了―
なんて言葉がエコーをかけながら頭の中で響く。
駅の階段から落ちた。一瞬だった。
鈴葉 律。高校2年生。彼女は居らず、友達を数えるのは手の指のみで事足りるような、良くも悪くも特に注目を浴びることもなく生きてきた17歳。
ぼんやりと生きてきたが、ここで終わるならもっと何かしとけば良かった、なんてありきたりの後悔をする。
せめて痛くなく、即死であれ、と最期の願いをかけてから目をつぶる。
最後に聞いた音が、自分の頭とコンクリートがぶつかる鈍い音だなんて、そんな嫌な結末、普通の高校生が想定できる訳が無かった。
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リツの鼓膜にガヤガヤとした騒がしい声が届き、反射的に顔をしかめる。
起きたくて起きた訳ではない。昼寝中に無理やり母親に起こされたときのような感情を抱きながら、寝返りをうつと、固い地面と背骨が擦れ、ゴリゴリ、と嫌な音がなった。その鈍い痛みに再び顔をしかめる。
――こんな固い床で寝た記憶はない。
いつの間に俺はこんなとこに、そもそもここはいったい、
目が醒めてきたリツの脳は、先程まで気付かなかった周りの情報を、処理し始めた。
強く鼻の奥をつくアルコールの刺激的な匂い、それに劣らぬ鉄の匂い、薄暗い中に見える多くの横たわった人影、耳に届くのは慌ただしくリズムを刻む軽い足音とうめき声、カチャカチャという何かの金属が擦れる音。
上に有るぼやけた橙の光が皺のよった天井を淡く照らす。室内、というよりはテントのような場所だと理解する。
そんな中、凛とした声が空を切った。
「黄金の樹液は!?」
「だめです!もう在庫が、あと1瓶しかありません!」
「最近仕入れたばっかでしょう!?
…仕方ないわ、比較的怪我の軽いものには星海月の液で代用しても良いから!」
「はい!伝達!伝達です!黄金の樹液は―」
水色のワンピースに白いエプロンをつけた少女がベルを鳴らしながら叫び、横たわる人々の合間を縫って駆けていく。
看護師?それにしては幼いか?服も見慣れない。
リツはそう思いながら、自分に背を向け、隣の男のカルテのようなものを書いている看護師に目を向ける。
そのカルテを見て、リツは自らの筋肉が硬直したのを感じた。
読めないのだ。一文字も。文字がぐちゃりと潰れ、歪んでいる。
みみずが這ったような形をしていた。何の法則もない、ただ複雑に歪んだ線。
その看護師の文字が絶望的に汚いだけかとも考えた。が、明らかにペンの運びが違う。
何だ、これ。やはりおかしい、此処は何処で、いや、そもそも俺は死んだはずじゃ、
頭の中を情報が駆け巡る。オーバーヒートしてしまいそうだ。
いつもはあまり使わない頭に手を当て、ため息をつく。
第一俺は頭ぶつけたんだからそんなに脳を酷使すべきでな―
そうだ!俺の頭!
リツはがばりと上体を起こし、冷や汗の滲む手で、頭に手をやる。が、そこには傷一つ無かった。
死んだはず、なのに傷一つ無い。そして此処は、明らかにリツが住んでいた日本ではない。
そこから導き出せる答え。それは―
「―転生、?」
そしてリツの頭の中には数多の言葉が溢れる。
いや、転生はちょっと、てかかなり嬉しいけど!
でもこんな野戦病院みたいなとこに来るなんて、いや、俺なんもできねー!保健委員やってたくらいだぞ!医療に関する知識なんて!それか何?チートスキルとかあるのか!?
脳内で一通りそう捲し立てて、切り替えるためにバチンと両頬を叩く。
きっと俺がここに転生したのは、きっと何かやるべき事があるからだ。とりあえずここの人たちの治療をし、救うべきなのだろう!と目覚めたての頭で結論を出す。
「そこの看護師さん!何か俺に出来ること無いですか!」
勢いよく立ち上がりそう叫ぶと、先程、指示を出していた看護師の少女がリツに目を向けた。
「?私の事ですか」
勢いよく頷き返すリツを見て、看護師が口を開く。そんな彼の脳は期待で満たされていた。
何を任されるだろうか。
先程話していた黄金のなんちゃら?クラゲのなんちゃら?それとも縫合とか、家庭科の成績はそこまで悪くなかったから何とか…
「怪我人は黙ってなさい!」
大声で、口上をあげる武士のように空気を振るわせる彼女に、リツも負けじと大声で返す。
「ところがどっこい!俺は怪我してません!」
「なら出ていきなさい!外で待機している怪我人がいるんですよ!ほら!!はやく!!!」
「でも、」
食い下がると、その目がさらに鋭くなり射貫かれる。
「そもそも、そんな見たこともない服を着ている、変な見た目の怪しい者に患者の命を任せるとお思いですか!まったく誰が運び込んだのか!
ほら!出ていきなさい!!」
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星空が綺麗に見える。結局あのまま何の助けにもなれず、駆け足で惨めにテントを出てきた。
やっぱね、専門職の人がやるもんなんだね。命に関わることだし。だから、うん、力になれなかったのも仕方がない。
学ランももこの世界の人には見慣れないのだろう。ちょっと調子に乗ってでしゃばりすぎたかもだけど、善意だったし。これから気を付ければ良いだけだし。
そう考えることで、恥ずかしさを少しでも薄めようとしたが、余計惨めになるだけだった。
しかし、そうしたところで事態は良くならない。今のところリツは、チート能力も金も今夜の宿だって無い。
…いい。考えるだけ無駄だ。悲しくなるだけだし。
リツは瞼を落とし考えを切り替えてから、この世界について、思考を巡らす。
あそこは明らかに野戦病院。戦いがあるような場所かつ、俺が来る直前まで戦いがあったのだろう。規模的には国や街でなく、村が妥当?
でも敵は見られなかった。決着がついたのか。空気が全体的に重かった気がする。負けたのか?勝ってたらもっと喜ぶ感じだろうし。
そう考えながら歩いていると、遠くに柔らかく月明かりを反射する、星空をそのまま布へと変化させたような、美しいテントがリツの黒い瞳に映る。
誰か居るのか?せめて一晩だけでも泊まらせてもらいたい。この世界のことも聞けるとなお嬉しい。
そんな淡い期待を抱きつつテントへ歩みより、すみません、と何度か繰り返す。が、返事は無かった。
無人なのか?と思い、リツはその明らかに高級な、流れる水のような手触りの布に指を掛けて中を覗き見た。
落ち着く香りの香、柔らかな光を瞬かせる光。置かれている小さめのランプは夕日のような橙にや朝日のような白、太陽を閉じ込めたような赤が水と油のように互いに押し合いながら輝いている。
明らかに普通の火ではないから、魔法なのだろうか。まぁ、異世界なのだから魔法が有ってもおかしくはない。
そして、そのランプのすぐ隣。清潔でシンプルな、簡易的なベッドの上に横たわる人影に気づいた。
寝ているのだろうか。さすがに寝ている人の家に無断で入るのは忍びない。
異世界に来て早々に不審者になるなんて勘弁だ。
そう考え、そっと、テントの戸の役割を果たす布を戻そうとした、が止まる。
例のランプが揺れ、一瞬だけ照らされたのは、その横たわる人物の顔。
薄い桃色の長い髪、白魚の手を重力のまま垂らし、長い睫を震わせながら、血色の悪い唇で荒く呼吸をする姿。
人間は本能的に健康的な者に惹かれると言うが、そうでないのに見るものの目を釘付けにするほど美しい、あどけなさの残る少女の顔。
美術館に来たようだ、そう思うほど繊細な美しさをしていた。
彼女が身に纏う、シンプルな純白のケープは所々赤く染まっていたが、それすら差し色のようで、彼女をより引き立てていた。
それに見とれたのはもちろんだが、リツが驚いた理由はもう一つあった。
彼女の首筋に刻まれている、血液と熟れて地に落ちた果実を混ぜたような禍々しさを持つ円形の模様。それをかすれた声で読む。
「『火、炎、熱、苦、貴女が苦しむことを望む』――なんだこれ」
そこには、リツが生まれてからずっと親しんできた文字――日本語が刻まれていた。
もっと詳しく見たい、そう思うが、ランプの灯りが揺れ動いて定まらず、よく見えない。
くそ、元の世界の揺れない電気が恋しい。
「不法侵入…通報とか、捕まったりとかしないよな、」
リツは不法侵入という悪事を和らげるため、せめて礼儀はちゃんとしよう、と考え、靴を脱いで揃え、おじゃまします、と小声で呟き足を踏み入れる。
それでも景色は影のようであるので、更に近づこうと足を踏み出し、
「っは、!?」
何者かに肩を押され、後頭部が地面に打ち付けられる。
その痛みと衝撃にリツは細く息をもらす。が、まるで風船に空いた小さい穴を指でふさいだ時のように、その息が止まった。喉がきゅうと音をたてる。
首を、絞められている。一拍遅れてその事実に気付いた。
いったい誰が、薄く目を開き、憎しみを溶かした金色の瞳と視線がばちりと合った。




