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第47話:(後編) 広すぎる助手席、職人の孤独な帰路

 エルフの里を包んでいた祝祭の篝火が、朝露に濡れた白い灰へと姿を変える頃。リアムは世界樹の入り口に停泊させていた次元跳躍馬車のエンジンに、最後の手入れを施していた。魔導回路の接合部に指先を触れ、一晩中回し続けた冷却系が正常なリズムで熱を逃がしているのを確認する。


 周囲には、朝霧を切り裂いて集まった里の若き職人たちが、憧憬と寂しさが入り混じった眼差しで整列していた。その中心で、エルナはリアムがリフォームした白いドレスの裾を揺らし、凛とした佇まいで杖を握りしめている。彼女の瞳には、昨夜流した涙の痕跡はなく、代わりにこの広大な森を背負って立つ「主」としての、揺るぎない覚悟が宿っていた。


「……じゃあ、行くよ。エルナさん。君がこの里の建付けを死守してくれているなら、僕は世界のどこにいても、安心してハンマーを振るえる。……管理、頼んだよ」


 リアムは御者席に腰を下ろし、短く、けれど職人としての最大級の信頼を込めて別れの言葉を告げた。エルナは小さく、けれど力強く頷き、リアムが杖の石突きに刻んだ職人刻印を、自らの魔力で優しく明滅させた。


「ええ、任せて。貴方が直してくれたこの景色、一ミリも汚させないわ。……さあ、行きなさい、リアム。貴方の帰るべき場所で、騒がしい家族たちが、貴方の新しい仕事リフォームを待っているわよ」


 リアムが手綱を引くと、馬車は次元の霧を滑らかに切り裂き、ゆっくりと動き出した。バックミラーに映るエルナの白い姿と、世界樹の壮大な新緑が、遠ざかるにつれて淡い光の中に溶けていく。リアムは一度も振り返ることなく、ただ真っ直ぐに前方の地平線を見据えていた。


 森を抜け、平原へと差し掛かった頃、馬車内には完璧な遮音リフォームが施されたがゆえの、極限の静寂が満ちていた。リアムはふと、視線を左側の助手席へと走らせた。そこには数日前まで、エルナが公女としての虚飾を捨て、一人の助手として座っていたはずの場所がある。


 リアムの鋭い眼は、シートのクッション材に残された、彼女の体温と重みが作り出した僅かな「沈み込み」を捉えた。まだ完全には戻りきっていないその窪みこそが、彼女がそこに存在したという、消しようのない物理的な記録であった。


「……おかしいな。サスペンションのスプリング係数は、左右均等に調整してあるはずなのに。……右側が、どうにも軽すぎる」


 リアムは無意識にハンドルの握りを強め、走行ラインの微かなブレを修正しようとした。物理的な数値の上では、馬車の重心は完全に中心に位置している。だが、彼の職人としての鋭敏すぎる感覚は、隣に座るべき「一人の人間」という名の重要なパーツが欠落したことで、車体全体が左に傾いているような、耐え難い違和感を訴え続けていた。


 これまではエルナの小言や、精霊と対話する彼女の微かな呟きが、馬車を走らせるための心地よい「環境音」として機能していた。それが消え去った一人の車内に響くのは、自分が整備した完璧すぎる魔導エンジンの一定の駆動音と、自らの胸の奥で刻まれる、規則正しすぎてどこか空虚な心拍のリズムだけだった。


「……静かすぎるな。防音材を入れすぎて、車内のデッドスペースが広がりすぎたか。これじゃあ、自分の思考のノイズまで、金属音みたいに耳障りに聞こえてくるじゃないか」


 リアムは孤独という名の不具合を埋めるように、膝の上に次なる現場であるセレスティアの故郷、聖教国の構造図面を広げた。だが、いつもなら瞬時に読み取れるはずの条文や配管図の文字が、なぜか滑って頭に入らない。図面の余白に、エルナがよく書き込んでいた「精霊の通り道」のメモがないことが、これほどまでに情報の解像度を下げるものだとは、彼は自覚すらしていなかった。


 彼はそこで初めて、自分がどれほどエルナという助手に、精神的なメンテナンスを委ねていたのかを、職人らしい冷徹な分析によって突き止めてしまった。彼女は守られるべき住人であると同時に、自分の未熟な心の隙間を埋めてくれる、最高に建付けの良い鎹であったのだ。


 平原を走り続けるうちに、遠くの地平線に、帝都の巨大な城門とその背後にそびえる尖塔の影が見えてきた。そこにはルナマリアの毒舌や、ベアトリスの強引な誘い、そしてセレスティアの温かな祈りが、騒がしく自分の帰還を待ち構えているはずだ。


 リアムは助手席の空虚な空間を一度だけ見つめ、それから自分自身の内面にある欠落感を、静かに、けれど力強く「遠く離れた盟友との信頼」という名の新しい構造体へとリフォームした。寂しさは消えない。だが、その寂しさは、エルナが自分の代わりに一つの現場を守り抜いているという、強固な契約の証でもあった。


「……さて、寂しがっている暇はないね。次の現場の扉が、僕のハンマーを待っているんだから」


 リアムは助手席に置いていた工具カバンを引き寄せ、彼女の重みの名残があった場所に、そっと定位置として据え直した。帝都の灯りが見え始め、馬車の速度が上がる。一人の帰路は、孤独を噛み締めるための工程ではなく、次なる巨大なリフォームへと向かうための、重要な基礎工事へと書き換えられていった。


 エルフの森編、完全完工。

 馬車は夕闇迫る帝都へと滑り込み、次なる物語の扉を、職人の力強い手で叩こうとしていた。


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