第39話:(前編) 聖域の選抜、風の里への片道切符
帝都を襲った地盤沈下の傷跡が、リアムの手によって一本の狂いもない石畳へとリフォームされ、活気を取り戻した日の翌朝。
宿舎のリビングには、これから始まる世界規模の巡回メンテナンスを前に、かつてないほどの緊張感が漂っていた。
中央の円卓を囲むのは、リアムを支える最強のパーツたち。だが、その瞳には共通して「誰が最初にリアムの隣を独占するか」という、職人の設計図にはない熾烈な所有欲が渦巻いていた。
リアムは愛用の作業着の袖を捲り、広げられた世界地図の上に、いくつかの赤色灯(魔導マーカー)を配置した。
彼の【魔導設計図】が指し示しているのは、帝都から遥か北方に位置する「精霊の目詰まり」を起こしたエルフの隠れ里である。
「みんな、聞いてほしい。帝都の建付けはニーナとエカテリーナさんに任せたけれど、外の世界の劣化は想像以上に深刻だ。特にエルナさんの故郷、エルフの森は、地脈の循環が滞り、大樹が内側から悲鳴を上げている。……職人として、最初に着手すべき現場はここだと判断した」
リアムの断言に、即座に反応したのは聖女セレスティアであった。
彼女は慈愛に満ちた、けれど一歩も引かぬ鋭い眼差しでエルナを見据える。
「リアム様。最初の大仕事に、この聖女が同行しないなどという選択肢がありますの。精霊の乱れを鎮めるのは、私の浄化の祈りが最も適した建材のはずですわ」
「あらぁ。セレスティア、あんたの祈りは丁寧すぎて時間がかかるのよ。私なら、魔族の荒っぽい魔力伝導で、詰まった導管を一気に貫通させて(リフォームして)あげられるわ。リアム、私を連れて行きなさいな」
ベアトリスが艶然とした笑みを浮かべ、リアムの腕に自らの指先を這わせる。
騎士カミラもまた、重厚な鎧の音を鳴らして一歩前へ出た。
「主殿、未知の領域への巡回には、外壁たる私の盾が不可欠だ。エルフの森に潜む原生生物の攻撃から、閣下のハンマーを守る義務が私にはある」
一触即発の、全員同行という名の「過剰積載」が始まろうとしたその時、ソファで静かにページをめくっていたルナマリアが、不機嫌そうな声を上げて割って入った。
「……いい加減にしなさいよ。全員でゾロゾロと移動するなんて、輸送効率が悪すぎて設計ミスもいいところだわ。帝都の防衛システムを維持しつつ、世界樹の繊細な外科手術を行うには、リアムと、その土地の構造を知り尽くしたエルナの二人だけで行くのが、魔導演算上の最適解よ」
ルナマリアの冷徹な正論がリビングに響き渡る。
彼女は眼鏡の奥の瞳を僅かに動かし、ベアトリスやセレスティアたちの「独占欲という名のノイズ」を数値化して突きつけた。
「あんたたちが付いていけば、リアムは護衛や喧嘩の仲裁にリソースを割かれ、肝心の大樹のリフォームに集中できなくなる。……今回はエルナに譲りなさい。その代わり、次の現場の優先順位はあんたたちの資材価値(貢献度)で決めてあげるわ」
ルナマリアの「貸し借り」を前提としたリフォーム提案に、ヒロインたちは沈黙した。
ベアトリスが最初に、エルナの静かな、けれど故郷を想う切実な瞳を見て、小さく肩を竦めた。
「ふん、よかろう。今回はエルナに譲るわ。その代わり、私の魔界の時は一週間、リアムを貸し切りにする権利(リフォーム優先券)をもらうわよ。……エルナ、あんた、もしリアムに一ミリでも怪我をさせたら、その綺麗な耳を削ぎ落としてあげるからね」
「……ええ、望むところだわ。……セレスティア、貴女の浄化魔法、少しだけ借りていくわね。……リアムの健康管理、精霊の風に誓って完璧にこなしてみせるわ」
エルナが静かに頭を下げ、仲間たちの「信頼という名の独占権の譲渡」を真正面から受け止めた。
宿舎を包む空気は、かつてないほど強固な、けれど切ない連帯感へとリフォームされていた。
出発の準備が整った裏庭には、リアムが徹夜でリフォームを施した、かつてない機能美を誇る特製馬車が待機していた。
外見は重厚な木造りの馬車だが、その内部は次元跳躍用の魔導エンジンと、リアムが「移動中の安眠」のために設計した最高級のクッション材が敷き詰められた、走る聖域へと作り変えられている。
リアムは御者席に腰を下ろし、隣に座るエルナに向かって、職人の力強い視線を送った。
見送りに集まったヒロインたちの視線が、去りゆく二人の背中に突き刺さる。
「……行こう、エルナさん。君の森が、僕たちの到着を待っている。千年の沈黙を破る、最高のリフォームを見せてあげるよ」
リアムが手綱を引くと、馬車は次元の壁を滑らかに滑り出し、帝都の喧騒を離れて北方の未踏領域へと加速していった。
二人きりになった車内。エルナは、これまで宿舎の全員で共有していたリアムの体温を、今は自分一人だけが独占している事実に、心臓の建付けが乱れるのを感じていた。
「……リアム。……私の手を、握っていて。……森に近づくにつれて、精霊たちの悲鳴が大きくなって、……少しだけ、怖いの」
エルナの震える指先に、リアムは一切の迷いなく、自らの大きく無骨な掌を重ねた。
職人の熱い魔力が、エルナの冷え切った指先から体内の芯へと伝わり、彼女の乱れていた魔力回路を最適な比率へと叩き直していく。
「大丈夫だよ、エルナさん。君の故郷は、僕が必ず直してみせる。……そのための、事前メンテナンスだ。着くまでの間、ゆっくり僕の魔力に身を委ねていて」
二人の距離が、物理的にも魔導的にも、宿舎にいた頃とは比べ物にならないほど密接にリフォームされていく。
次元の霧を抜けた先には、かつてないほど「呼吸の重い」エルフの森が、死を予感させる静寂の中で、たった一人の職人の訪れを待っていた。
リアムは工具カバンの重みを確かめ、大樹の根元へと一歩を踏み出す。
それは、世界そのものの寿命を延ばすための、かつてない規模の外科手術リフォームの幕開けであった。




