終章 1 リズカード・オーウェン
強い風の吹く中、リズカードは目下に広がる景色を見つめていた。
そこはルイモンド島で最も標高の高い地点、かつてネナと再会を約束した場所だった。
「ここに来るのもずいぶん久しぶり」
隣に立ったネナも同じ景色を見下ろしてそう告げる。
「二百年前、約束通りに君はここに来たんだな」
「当たり前よ。それしかあてがなかったんだから……まあ、あなたは来なかったけど」
「……すまない。そのせいで今を生きる人たちにとてつもない迷惑をかけてしまった」
「ううん、それは全部、ヤグの計画に加担した私のせいよ……」
「いや、二百年の孤独とはそれだけのものだ。とにかく、止めることができて良かった」
「全部、あの子のおかげね」
ネナの言葉に「ああ」とリズカードは心の底から同意した。
──例の件は「ミクシアン集団失調事件」として世間に取り沙汰された。クインティトに住まう全てのミクシアンが突如として酸欠に似た激しい苦痛を訴えたものとなれば、全世界が注目するニュースとなる。事態を重く見た国際機関の調査委員会が結成されて、じきに本格的な調査が開始される。プロジェクトの責任者であるヤグを中心に調査が進められ、いずれベイハーの発見やディアノメアスの存在などが明るみに出て、魔法技術に対する見直しとミクシアンに対する理解と差別の解消も大幅に進むだろうことが予想される。
ライゴー側のスポークスマンとなったノイスによると、「リズカード」たちの存在が表沙汰になることはないだろう、ということだった。同時に多額の報酬を提示されたが実質的には口止め料である。彼らは世間に説明するのに最も落ち着きの良いシナリオ作りに必死なのだろう。謎に満ちた一般人少女と中世の英雄はノイズにしかならない。
結果として、全てライゴーが引き起こした不祥事をライゴー自身が処理する形になり、世界からはその堅固な体制の見直しが要求されることになるだろう。また、トロポス侵入を始めとした事件も俎上に上げられ、クインティトの在り方も問われ始めている。少なくとも、ヤグが関与する関係調整法は成立が見送られ、ミクシアンたちの間ではお祭りムードが漂った。
それは全て、エレカという少女が人知れず掴み取った勝利だった。とても人に説明できる話ではないが、それがリズカードにはなんだか誇らしい。
現在はノイスに慰労という名分で「リズカード」のメンバーでルイモンド島を訪れている。有り体に言えば、事態がある程度落ち着くまでの広義の軟禁、ということになるのだろうか。衣食住とあらゆる娯楽を与えられているので文句はない。
「……エレカからもらったこの命、君はどう使う」
リズカードの問いに、ネナは首を傾げてみせる。
「さあ……わからないわ。お日様のもとに出たのも久々だから何も思いつかなくて……ひとまず、あなたと一緒に過ごせればそれで十分、かしら」
「ああ……そうか。それで、どうして君はライゴーにあんなに肩入れしていたんだ」
リズカードはネナがヤグ側にいると気づいたショックを思い出しながら訊く。するとネナは溜め息を吐き、遠くへ目を向けて語り出す。
「それはもう、いろいろとあったの。ちょうど私が目覚めた時、二百年前ってちょうど、ミクシアンの存在が確認された時期だったわ。それで、違法ミクシアを抱える犯罪組織スワードは、彼らの感情機能を操作して傀儡にする研究を進めて実用化まで進めてしまっていた」
「ふん、人間をボット化するテクノロジーか……」
「そんな中、私はルイモンド島で一年ほどあなたを待っていた。その間にスレきってしまった私は、ライゴー社のとある人に保護されたの。リズにとってのエレカさんと同じように、私はその人から当時の情勢を聞いて理解を進めた。信じられないかも知れないけど、当時のライゴーは頼りない国家機関に代わってスワードと対決するような企業で、私もミクシアン対策に手を貸したわ。正義のためと思ってね」
「それは知識として知っていたが、ライゴーのプロパガンダだと思っていた」
リズカードが言うと「今から見たらそうなっちゃうのが哀しいけど」とネナは苦笑する。
「二百年前は私ひとりが使う程度のヴィスはあったから、それを駆使してミクシアの研究を進めて、貢献していったの。コントラ・ディアノメアスもその一環ね、ミクシアの活動にはヴィスが必要ってわかってから、買い上げたルイモンド島から運び込んであの場所に据えた。当時はインフラが今ほど屈強じゃなかったから結果的に使うことはなかったけど」
「その名残がこのライゴー専用リゾートなのか」
「そうね。それから頑張って戦いを続けて、スワードの首脳部を押さえることに成功した。でも安易にスワードを解散したところで、大量に残された元構成員が新たな後継組織を作るのは目に見えていた。そこで担ぎ上げたのが新たなフィクサーAI『ミトラル』よ」
「ミトラルは二百年前からいたのか」
「ええ。その処理能力でミクシアンを制御することで、一応、スワード問題に決着はついた。その頃の私は人前に出ると怪しまれるくらいの年月が経っていたから隠居に入って……そして、ヤグと出会った。ヤグは私にこの世界のことを教えてくれた人の子孫なのよ」
つまり、リズカードにとってのエレカの子孫ということになる。想像はとてもつかないが──それでも確かに、どんな思想を持っていようと無下にすることはできないように思う。
「それで情が移ったと」
「小さい頃から接していたからなおさらね」
「接してた? 君の存在はトルネ=ライゴーの中でオープンだったのか」
「いいえ。私は百年くらい前からはコントラ・ディアノメアスの所に引きこもっていたから、トルネ当主くらいしか知らなくって、いつの間にか女神扱いされてたわ。ただ、ある時、幼少のヤグが制御不能になった自動運転車に撥ねられて重体になった。その時、トルネが私に助けを求めてきたの。それを療養魔法で助けたのが彼女との交流のきっかけ」
「自分と似たような境遇だからか」
ネナは暴れ馬に撥ねられ、その治癒過程で卓越した魔法制作のセンスを得たのだった。リズカードの言葉にネナは懐かしむように目を細める。
「そうかもね。それに久々に会った外の子だから可愛がっていたらずいぶん懐いてくれて……ヴァスラインのことがあるまでは、とっても真っ直ぐな良い子だったんだけど」
「トルネがミクシアンに敗北した件か」
「ええ。それ以来、彼女はミクシアンを激しく憎悪をするようになって──十年くらい前から、コントラ・ディアノメアスを使えないかって頻繁に相談されるようになったの」
「いつしかそれに折れて、君は……」
ネナは強く首を振る。
「ええ……魔が差してしまったの。あなたなら、この騒ぎの元凶である私の存在に気がついてくれるんじゃないかって」
「希望を賭けるにしてはか細い道を選んだな」
「本当にね。でも、そうでなくても……私が協力すると言って、ヤグが笑ってくれるだけでもいいって思ってしまった。あなたの言う通り、孤独に侵され過ぎていたみたい」
疲れたような笑みを浮かべるネナを見て、リズカードは複雑な感情でいっぱいになった。
「ネナ……」
リズカードは彼女を抱き寄せる。ネナは驚いたようにびくっと肩を震わせたが、すぐにリズカードに身体を委ねてくれる。
「リズ……」
「すまなかった。君にそれだけ寂しい思いをさせて──」
「……正直、あなたを恨んだ夜もあったわ。ミクシアンの人たちにとって最悪な結果になっても、全部あなたのせいだって……私の心細さはそれくらいのものよ」
その言葉にリズカードはきゅっと胃を締め付けられたような気分になる。
しかし、「でも……」と見上げるネナの顔は穏やかに笑っていた。
「やっぱり、私の信じた通りにあなたは来てくれた。私がもたらしかけた最悪の破滅を打ち破ってくれた。その嬉しさだけで、私、この二百年の寂しさなんてどうでもよくなっちゃった」
その甘い落差には、リズカードの強靱な理性でも太刀打ちできなかった。
「ネナ……」
「リズ……」
リズカードは彼女を強く抱きしめると、口づけをした。ずっと求めていた相手の匂いに全てが支配される。その愛おしさを余さぬように、ふたりはしばらく唇を重ね合った。
「ねえ……どうしてここを約束の場所にしたの?」
ふと、上気した顔でネナは問うた。
リズカードは一瞬、正直に言うかどうか躊躇ったが、腹を決めて口を開く。
「それは……何千年後でも変わらない場所だと思ったからだ」
「どういうこと……?」
「ああ……見てもらった方が早い」
そう言うと、リズカードは調味料の小瓶を取り出した。さっと一振り、エレカから受け取ったヴィス粒子を撒いてから、名もなき魔法を発動する。
──しかし、何も起こらなかった。ネナが不思議そうな顔でリズカードを見上げる。
「なぁに? サプライズでも仕込んでたの?」
「ああ……そうなんだが、もう、この場所も変わってしまったみたいだな」
そう笑って誤魔化しかけたその時、付近の地面がボコッと音を立てて隆起した。ネナは目を見開いてリズカードを見る。
「な、何?」
リズカードは急いでその盛り上がった土を掘り返す。中からは小さな箱が出てきた。
「……これ、リズがここに埋めたの?」
「ああ。再会した君に渡すつもりでいたんだ」
そう言って、リズカードはネナにその箱を差し出て、開いてみせる。
中身を見て、ネナは絶句した。
「──えっ」
そこに入っていたのは──リズカードが千二百年前に用意した婚約指輪だった。
リズカードは自分の心臓が激しく脈打つのを感じながら、ずっと言いたかった台詞を告げた。
「ネナ、必ず君を幸せにする。だから……俺と結婚してくれ」
「リズ──っ!」
ネナはその目にたくさんの涙を浮かべると、強くリズカードに抱きついた。リズカードはまっすぐにその身体を受け止めると、再びキスを交わす──。
こうして誰にも語られぬ賢迅伝説のページがまた一つ、増えたのだった。




