第三章 11 エレカ・ヤヒメ
「うわ、ヤバ……リズ様平気か? これ……」
『エクスワードの連中、派手にやってるな』
ディスプレイに映ったトロポスの様子に、フーロとスナウが引いたような声を出した。エレカの見ているインターネット上でも大騒ぎになっている。
──エクスワードの連中が、海から大量の船でトロポスに侵入した。
ひとりふたり程度、トロポスに入り込む事例はあっても、数千人規模でなだれ込んだのは、史上初のことだという。それに加えて各ゲートでの抗議活動も激化して人手が足らず、地上経由でも数百人単位がトロポスへと侵入。ついには民間軍事会社が出動する事態となった。
彼らの目的はオルガン優生会の会合を襲撃し、トップのヤグ・ライゴーの身柄を抑えることだと、捕縛されたエクスワードのメンバーが告白した。しかし、会合の情報は会員にしか知る手立てがなく、情報がどこから漏れたかについてははっきりしていない。
この報道に対して、意外な動きを見せたのはスワードだ。インターネット上の主要フォーラムにミトラル名義の電子署名つきで、エクスワードとの関連を否定した文書を掲載した。体裁として成立当初から関与はなかったとしているが、「今回の件がエクスワードの独断専行だったために切り離されたのだ」という見解が圧倒的だった。つまり、エクスワードはスワードから破門され、独立した組織になったのだ。
襲撃されたオルガン優生会がどうなったのか、詳細はわからないが、けが人が相当数出たことと、ヤグ・ライゴーは緊急用ヘリドローンで単身脱出し、辿り着いた病院の屋上で保護されたとだけ報道されている。
「リズカードさん……」
そんな一連の情報を凝視しながら、エレカは毛布にくるまって震えていた。死んでしまうんじゃないのか、というくらい、ずっと寒気が止まらない。
「うわ、エ、エレカちゃん大丈夫? 顔、真っ白だよ!」
そんな彼女を見て、フーロは心配そうに声をかけてきた。
「だ、大丈夫です……」
虫が鳴くような、か細い声しか出なかった。フーロはますます気遣うように眉尻を下げる。
「本当に? 少し前から元気なかったし、やっぱり……遺伝子のこと、辛かったよね……?」
「っ……」
「ね、もし今日のことでショック受けちゃってさ、もうダメだー! ってなっちゃったら、仕事休んで良いからね? 部屋狭いの嫌だったら近くにホテルでもとってさ、ぱーっと遊んじゃってもいいんだぜ? お金のことなら気にしなくても、今は潤沢にあるから──」
「すみません、なんでもないですから!」
思いがけず強い声が出てしまい、自分で驚いてしまう。はっと顔をあげると、フーロは動揺したようにいつもの笑みを引きつらせていた。
「そ、そっか、ご、ごめんね、あたしガサツだからわかんなくて……」
「……」
そんなつもりじゃなかったのに。エレカは毛布にくるまると、ぎゅっと身体を縮めた。このまま小さく、小さくないっていって、そのままいなくなってしまえばいいと思いながら──。
その時、事務所のロックが開き、扉が開いた。
「戻った」
リズカードが帰ってきたのだ。その顔を見てフーロがぱっと表情を明るくする。
「うおおおお、リズ様! 無事だった!」
「ああ。ノイスから適当に情報を集めて、警察の取り調べが始まる前に抜けてきた。どうも、侵入を先導したエクスワードの幹部たちは逃げたようだが、関与したミクシアンたちはあらかた捕縛されたようだ……っと、エレカ?」
「エレカちゃん……?」
エレカは気がつくと、玄関に立つリズカードの身体に子供のようにすがりついていた。
「リズカードさん……良かった……無事で……」
「ああ、すまない。心配をかけたな」
リズカードはエレカの肩に手を添え、それから思い出したように懐から何かを取り出した。
「……エレカ。言いにくいんだが、君からもらったヴィスの小瓶が壊れてしまった」
「えっ──」
見ると、リズカードの掌の上には割れた小瓶の破片が載っていた。ヴィス粒子は一粒も残っていない。そんなに危ない目にあっていたの? エレカは愕然とリズカードの顔を見上げる。
「べ、べつに予備があるし……破片なんか、拾ってこなくても、よかったのに……」
「いや、せっかくエレカがくれたものを、あの場に置いていくのが憚られてしまってな」
優しい声音でリズカードが言うので、エレカは泣きそうになって俯いてしまう。
──その優しさが今のエレカには、とても痛かった。
「……エレカ」
改めて名前を呼ばれて顔を上げると、同じ目線の高さにしゃがんだリズカードの顔があった。
「リズカード、さん……?」
「やはり……君なんだな。エクスワードにオルガン優生会の情報を漏らしたのは」
「あ──」
心臓がひゅ、と冷えた。唇がわなないて声も出なくなる。
どうして──。
「ちょっと、リズ様、何言ってんの? エレカちゃんがそんなことするわけないじゃん!」
フーロが動揺した様子でふたりの間に割り込もうとしてくる。リズカードは目をつぶって深く呼吸すると、かがめていた腰を伸ばして言った。
「難しい話じゃない。優生会の情報を知り得るミクシアンがいるのは、クインティトを探してもこの会社だけだからだ」
「そ、そんなの言いがかりだよ! それを言ったらあたしだってそうなんですけど!」
何も知らない優しいフーロが、エレカのために食い下がってくる。
そんな彼女に、リズカードは重い口調で訊ねた。
「ボスに告発する理由はない。ボスにはまだ、トルネ・ライゴーの企みを教えていないからな」
「え……?」
フーロは目を丸くする。そう、リズカードもエレカも教えるわけがなかった──善良なミクシアンであるフーロに「あなたはこれからトルネに殺されます」だなんて。
「一方で、エレカには知識も動機もあった。騒動が落ち着いた後、本人から聞いたんだが、ノイスはエレカに、ミクシアンがトロポスに入る裏道を教えたらしい。同時にエレカがミクシアンの抗議活動に考えを持っていることも聞いた」
「う……」
「更に言うと、ミクシアンたちはヤグだけに拘っていた。他にミクシアンを弾圧している恨むべきオルガンが山ほどいたのに、そんな連中をほっぽってだ。つまり、ヤグの身柄に大きな意味があるということも漏れていた……そこまで知っているのは」
君しかいない、と言うようにリズカードはエレカを見つめた。
──怖い、怖い怖い怖い、怖い。
どうして、この人は、こんなにもわかって、こんなにも見抜いて、それなのに、こんなに優しくあろうとするのだろうか。
エレカは、彼のその大きな感情が途方もなく痛くて──怖かった。
「エレカちゃん……違うよね……?」
フーロが泣きそうな声で訊いてくる。
それで、ダメだった。エレカは泣きながら言った。
「ごめん、なさい……全部……私がバラしました……」
しん、と事務所の中が静まり返った。ここだけ時間に置き去られたように、まっさらな沈黙がとぐろを巻いていく。
嘘みたいな無音の後、フーロが恐る恐る口を開いた。
「ど……どうして、そんなことしたの? 下手すればリズ様も危なかったのに……」
「どうして……って? そんなこと──私だって知りたい」
エレカは震える声で答えた。
「わかんない、わからないの……ただ今日の会合のことを聞いた時、なんだか──ヤグのことが突然、憎くて、憎くて、しょうがなくなって……気づいたら、エクスワードに連絡をとってたの。全部、全部、めちゃくちゃになればいいって……それだけ……それだけなの……」
エレカの独白は静寂に溶けていく。自分が正しくものを言えているのかもわからない。伝わっているのかもわからない。ただただ、恐怖に打ちひしがれていた。
やがて、緊迫した空気の間を慎重に抜けるように、リズカードが言った。
「……君の気持ちはわかる」
「えっ……」
それは予想外の言葉だった。わかる? こんな私のどうしようもない気持ちまでも、この人の前ではバレてしまうの? まるで、スキャンひとつで身元がバレてしまうみたいに……。
「君は、自分の出生と、現在の状況との間に宙づりにされて、いつ崩れ落ちるかわからない不安な気持ちの中、いてもたってもいられなかったのだろう。そんな時、エクスワードとオルガン優生会の情報が結びついてしまって、破壊的な衝動に抗えなくなり、きっと──」
リズカードは果物の皮を剥くように、エレカの気持ちを暴き立てていく。それは確かに、気持ちが悪いほどに──エレカの気持ちを言い当てていた。
どうして? どうして……どうして──私にだって、わからないのに!
瞬間、頭の中が真っ赤になって、ものすごい憤怒が湧いた。
──簡単にわかられてたまるか!
「違うっ!」
エレカは耐えきれず、リズカードの身体を突き飛ばした。突然の行動にリズカードは扉に背中をぶつけ、そのままの格好で彼女を見た。
「エレカ……」
「わかって、ないです!」
エレカはまくし立てた。
「わかるわけないですよ! 頭もよくて、喧嘩も強くて、魔法も使えて、愛する人がいて、オルガンで、まだまだ生きられるリズカードさんには、魔法も使えない、愛してくれる人もいない、ミクシアンで、遺伝子を破壊されて、全てを奪われて──知らない誰かに命を握られた私の気持ちなんて、わからないですよ!」
言ってしまった。どうしようもなく、ぶつけてしまった。
意識がもうろうとするくらい頭の中がカーッと熱くなって、脚がガタガタ震えて、胸が苦しくなって、涙がとめどなく溢れた。ぼたぼたと雫が落ちて、視界が曇る。何も見えない。何も感じない。何も思えない。
「エ、エレカちゃんっ……」
でも、フーロの泣きそうな声だけは聞こえた。その呼び声にエレカの胸はむごいくらいに締め付けられる。
ちがう、ちがうのに。本当はこんなこと、したくなかったのに。
どうして、こんな、クインティト中を騒がせるような、とんでもないことになっちゃったんだろう。いや、こうなるってわかりきってたのに、どうしてやっちゃったんだろう。
ああ……私さえいなければ……私さえいなければ、誰も傷つくことなんてなかったのに。
私はここにいちゃいけない──私なんか──生まれてこなければ良かったんだ──!
そんな衝動に突き動かされて、エレカはばっとクローゼットへと引っ込むと、あまり多くない私物の詰まった鞄を掴んだ。
「エレカ、違う、君のことを責めたいわけじゃ──」
追いすがってくるリズカードに、エレカは冷淡に告げる。
「ごめんなさい、こんな私がここにいちゃいけないですよね、で、出ていきます……今まで、お世話になりました」
「エレカ!」
「エレカちゃん! エレカちゃん──!」
名前を呼ぶふたりの脇を抜け、扉を押して、外に出る。ひとつひとつの動作がスローモーションで通り過ぎていき、バタン、とドアの閉まった音が「リズカード」でエレカの過ごしてきた日々の余韻を完全に打ち消した。
ああ、短い幸せな時間だった。これからは──きちんと『産まれた罰』を受けなくちゃ。
「エレカ!」
そう決めたのに扉の開く音がする。振り向くと、リズカードが賢迅とは思えないみっともない姿で追いすがってきた。
「エレカ──行くな。君がいないと俺は……魔法を使えないんだ」
その言葉にエレカは言いようのない寂しさを覚えてしまう。
「やっぱり、リズカードさんが私といるのは……ヴィス目当て、でしかないんですね」
魔法が使いたいから、こんな私のことだって庇ってくれる。優しくしてくれる。
──そんなわけないってわかっているのに、そう考えるのをやめられなかった。
エレカの頭は真っ黒に染まった。
何も考えられない。何も信じられない。
リズカードがなおも何か言うのを無視して廊下を往き、エレベーターに乗って地上に降りる。
「エレカちゃん!」
道を往くと、まだ後ろで声がした。フーロの声。階段で追ってきたのか息が切れている。
「エレカちゃん!」
足音がついてくる。このままじゃ、きっといつまでもついてくる。やめてほしい。ひとりにしてほしかった。エレカはスマートデバイスをいじって、ボットタクシーを呼んだ。幸い近くに見つかり、すぐにやってきてエレカの傍らに止まる。
「エレカちゃん!」
「しつこい!」
ついにエレカが痺れを切らして怒鳴っても、フーロは躊躇わずに飛びついてきた。ぎゅっと鞄を掴んで離そうとしない。
「ダメだよ、ダメ、絶対に、ダメ! 行かないで!」
「もうやめて! 私に構わないでよ! 憐れみなんてかけなくていい!」
「憐れみなんかじゃない、あたし、ただエレカちゃんが──」
「わかったようなこと言わないで! フーロさんだって、結局、家族がいて、夢があって、居場所があって、何も……何も知らないくせに! そんな態度で、何もない、本当にひとりぼっちの私に寄り添えるなんて思わないでよ!」
ひどい。ひどい言葉がつらつらと出てくる。こんなこと言いたいわけじゃないのに。でも、どうしてもだめなんだ。全てを知ってから、怖くて、不安で、痛くて、嫌でたまらなくて、もう、何にも信じられないんだ──。
「エレカちゃん……」
傷ついたフーロの声がして、鞄を引っ張る力がふっと抜けてしまう。
その瞬間、エレカは死んだような気持ちになった。
「……ごめんね」
そう告げて、タクシーに乗り込む。行き先を適当に告げると、呆然とするフーロを置いて走り出す。暗い、暗い夜だった。エレカは泣いた。途方もなく、泣き続けた。




