第三章 7 リズカード・オーウェン
時は千二百年前──クインティトにジンク・ウェブが敷設されて数年が経った頃。
「……今週も何事もなし。リズカードが市政に参加したたかだかこの八年間で、クインティトは驚くほど平和で高度な都市へと発展した」
「市場の整備、利権を貪る領主退治、疫病の根絶に、周辺諸国による侵略戦争の撃退……そして、ジンク・ウェブ事業を高度な掘削魔法によってたかだか二年で終わらせたこと。そのお陰でわれわれは豊かな魔法生活を享受できている。この迅き賢さは何物にも代えがたい」
なんて言い募るのはクインティト自治評議会の面々だ。この時、既に数々の功績を立てていたリズカードは英雄視されており、社交的なご機嫌とりの対象となっていた。
そんな連中に向けて、リズカードは言う。
「お褒めに預かり光栄だが、クインティトには未だ問題が山積みだ。他の地方から殺到する移民に対する住民の不満感情は高まるばかりだし、港で採れる魚からは多量の魔力汚染が確認されていて、その原因も突き止めなければならない」
評議員たちの反応は軽い笑いだった。
「ええ、その通り。しかし、人口が増えるのは喜ばしく魚だって味が少し落ちるだけ。クインティトがこれまで乗り越えてきた困難に比べれば、なんてことはない些細な問題ばかりだ」
「もちろん、解決のためにわれわれはいくらでも協力する。その賢しさで導いてほしい」
リズカードに対する信頼の言葉が寄せられるが、逆に捉えれば、面倒ごとを彼に丸投げしているに過ぎない。
「……わかった。任せてくれ」
彼は短くそう告げると、評議会の席を立った。
「戻った」
「リズ、今日もご苦労様」
リズカードが家に戻ると、ネナが迎えてくれた。その姿を見て、帰路はずっと考え詰めだったリズカードの心がほっと和らぐ。
「ありがとう、ネナ……ん、そのイヤリング、新しく買ったのか」
「うん、気づいた? かわいかったからついね」
ネナは髪をかきあげて見せてくる。リズカードは頬を緩ませた。
「いいな、似合ってる」
「ふふ、そうでしょ。ありがと。……それで評議会はどうだったの?」
「ああ……諸問題について全権を俺に委任した。丸投げとも言うが」
「いつも通りね。その方が私たちも動きやすくて助かるけど……リズがいなくなったら、あの人たちどうするつもりなのかしら」
ネナは苦笑して言う。それはリズカードにとっても悩みの種だった。
「むしろ俺がいない方が血眼になって頑張るかも知れない。それで水質調査に進展は?」
「ボグスが調べた感じだと、ルイモンド島のどこかから強いヴィス放射があるみたいって」
ボグスは情報収集が得意なリズカードの仲間だ。他にも様々な得意分野を持つ仲間がおり、みなリズカードがスカウトして結集した実力派である。その集いは後の時代で言う「十賢晶」にあたるが、当時は特に組織化していたわけでなく、信頼関係こそあれど、一緒に暮らすネナ以外はリズカードの求めに応じて仕事をこなすくらいのものだった。
ネナの口から出た地名に、リズカードは手を口に当てて言う。
「ルイモンド島……確か、領主のクノアが行き場所のない移民を集めているとか」
「うん、そうそう。それ自体はいい話に思えるんだけどね……その誘いを断った人から話を聞いたら『人間をより高次の存在に押し上げる』とか吹聴してて不気味だったって。どう思う?」
「ふむ……あの島はもともと、クインティト本土から追放された異教徒の子孫が暮らす島だ。今もそうだとは言わないが──何か、極端な思想に憑かれてもおかしくない土壌ではある。探りを入れよう」
「わかった」
ネナはにっこりと笑った。その表情に見とれるリズカードは、まさかこの一件がこの生活へとどめを刺すことになるとは予想だにしなかった。
リズカードとネナが出会ったのは魔法工廠──魔法兵器を開発するための機関だった。
彼は度々、魔法兵器の非殺傷化が実現できないかを打診していた。人を助ける、という名分に理性を支えられた彼は、敵兵を殺すことへの呵責すら覚えていたのだ。当時、そんな道徳感覚はかなり珍しいものだったので、このオファーは無視され続けていたのだが、ある日突然、実現したとの報が入った。
雷など電撃によって引き起こされる麻痺性に着眼した広範囲非殺傷魔法。喰らった相手を長時間気絶させるその魔法は、まさにリズカードが望んだその通りのものだった。
開発したのは、ネナ・ルコンという工員の少女だった。魔法兵器は普通の魔法より効果が複雑なため、トライアンドエラーを繰り返して目的の効果に近づけていくものだが、ネナはこれを一発で再現してしまったらしい──リズカードはもしやと思い、彼女に訊ねた。
「君は何か大怪我を負って、長く療養魔法の世話になったことはないか?」
「うん、あるわ。子供の時、暴れた馬に蹴られて……」
ネナにはリズカードと同じく、肉体的な危機を乗り越えた経験があった。リズカードは脳を破損していたため思考に対する特異が残ったが、ネナの場合は骨格を大きく破壊されたために、その再生の中で「構造」に関する特異が培われた。魔法を作ったり組み立てる抜群のセンスである。
似た経験を共有し、また近しい道徳感覚を持ったふたりはすっかり意気投合し、そのうち良きパートナーとして、クインティト運営に関わる数々の難問をクリアしながら、その絆を深めていったのだった。
そうした活動の中でリズカードやネナと同じように、危ういところで命を拾い、特異的な能力を開花した人々がいることを知った。彼/女らは特別な才能を持ち、莫大な魔力を扱え、そして同じような境遇の者を求めており、リズカードの声かけに応じたのも必然といえた。そうして「十賢晶」伝説の下地が顕われていったのである。
「ルイモンド島への武力行使許可を求める」
数週間後、自治評議員たちに向けてリズカードは言い放った。
議場がざわめいたのも無理はない。ジンク・ウェブの完成以来、それが抑止力となってクインティトは戦争を行ってこなかったからだ。
「ルイモンド島──何故だ? そこはクインティトの管轄内ではないか」
「ルイモンド領主クノアによる、重大な離反計画が発覚したからだ。ことは急を要する」
「賢迅にしては性急だな。説明をしたまえ」
序列の高い議員が居丈高に言った。責任は取らないくせに説明だけは一丁前に要求する。リズカードは内心で嘆息しつつ、口を開いた。
「まず、魚の魔力汚染問題だが、水質調査をしたところルイモンド島からヴィス放射が漏れ出しているようだった」
「ヴィス放射とは何だ?」
「活性化したヴィス結晶は持続的に魔法線を放ち続けている。これをヴィス放射という。水で言う蒸発に近い現象で、魔法線は空気と結びついて大気中のヴィスとなるんだ」
実際のところ、魔法線が結びつくのは酸素であり、付近の海から酸素がヴィスに奪われた結果、魚が弱って肉質が落ちたのだった。
「そして、調査の結果、領主クノアは十数年前からヴィス結晶の塊を買い集めていたことがわかった。その総量は推定だが十一ヴィセにもなる。これは仮に無限のヴィス量を一度に扱える者がいたならば、クインティト全域を爆破魔法で吹き飛ばすことのできるだけの量だ」
一ヴィセは大きさにして一歳児程度のものであるが、通常、ほんの小さな欠片でも大きな魔力を宿すヴィス結晶に使われる単位ではない。リズカードの発言に場は騒然となった。
「そんな量を集めてルイモンド領主のクノアは何を企んでいる?」
「一度、島に住んだことのある住民に話を聞いたところ、『人間をより高次の存在に押し上げる』ということらしい」
「高次の存在……?」
リズカードはうなずく。その裏付けのために、透明化が得意な仲間に潜入してもらい、その実相を突き止めた。
「魔法的存在だ。完全に大気化したヴィスで充満した空気を吸引することで、ヴィスと一体化した高次の人間ができあがる──そんな教義が流布されていた」
「何だと? そんなわけがない! 高濃度のヴィスを吸えばただ窒息して死ぬだけだ!」
魔法学に心得のあるらしい議員から叫び声があがる。
「その通り。ただ、クノアを始め、彼に協力するルイモンド島の人々にそんな知識はないし……ありがた迷惑なことに、その『祝福』をクインティト中にばらまこうともしている」
「ばらまくだと? そんなこと、どうやって……」
「クノアたちはヴィス結晶を一挙に放射させる魔導装置『ディアノメアス』を作り上げた」
リズカードは議場のボードに、クノアの本拠地から奪ってきた設計図を貼り付ける。
「これはいわば、ヴィス結晶専用の蒸発器のようなもので──説明は難しいが、とにかく一瞬で多量のヴィス結晶を活性化させ、膨大なヴィスに変換してしまうものだ」
現代的に言えば核分裂反応がそれに近い。議場にどよめきが走る。
「仮にそれが起動して十一ヴィセものヴィスが一瞬で放出されると、どれほどの範囲に汚染は広がるんだ?」
議員からの問いに、リズカードは首を振る。
「……クインティトの半分は。そこには中央区、俺たちがいるこの場所も含まれる」
「は、半分だと……」
「しかも、これはこの装置単体での話でしかない」
「何?」
「折しも……この都市には、ヴィス濃度を均一に分配する機構が作られたばかりだ」
リズカードの言葉に議場はしんと静まりかえった。静寂の中を呆然とした声が漏れてくる。
「ジンク・ウェブ──」
「その通り。それで影響範囲は全域に広がる。試算では十一ヴィセのヴィスが放射され、ジンク・ウェブを伝ってクインティト中のスポットに共有された場合、一〇分間にわたりヴィス濃度は大気の一〇〇%を占め、その後、一時間ごとに〇・三%ずつ減少する。この環境下で正常な呼吸をできる者はいない」
「……クインティトは滅亡だ」
誰かがぼそりと呟いた。表情を強ばらせる面々にリズカードは言う。
「幸い、決行の日時は決まっていない。ゆえに、可及的速やかにルイモンド島を制圧し、その危険を排除するための武力行使許可を求める」
異論は出なかった。
この件で苦労するのは議会を納得させることで、部隊を出せればたやすく鎮圧できるとリズカードは思っていた。遠大な野望とはいえ、所詮、一領主と無知な領民による粗雑な計画でしかない。
合議の二日後、トルーナの港に結集したクインティト騎士団は三部隊に展開し、ルイモンド島の各所から上陸して制圧を行った。
リズカードは第二部隊に同行しクノアの邸宅へと踏み込んだが、どこにも彼の姿はなかった。どうやら偵察部隊の情報に誤りがあったらしい。
そこへ、とある一報が舞い込む。
「領主クノアと取り巻きは島の南部にある洞穴へと逃げ込んだ。籠城に入るようだ」
リズカードはまずい、と感じた。その洞穴の奥には地下空間があり、魔導装置「ディアノメアス」が鎮座しているのだ。傍らにいた部隊長が唸った。
「どうする。起動スイッチを握られて脅されたら、こちらに勝ち目はなくなるぞ」
「いや、もう起動している可能性が高い……」
ヴィス放出はクノアたちにとって「祝福」なのだ。彼らはそれが脅しになるとは考えず、目的の遂行を優先するはずだった。
リズカードは困惑する部隊長を置いて外へ飛び出し、適当な馬を拾って洞穴へと走らせた。
「リズ!」
途中、後方支援に携わっていたネナと合流する。
「ネナ、一緒に来てくれ。クノアたちが洞穴に逃げ込んだ」
「えっ……わ、わかったわ」
ネナは殺されかけた経験から馬が苦手だったが、それでも勇気を振り絞って同乗してくれた。背中に強く抱きついてくる彼女へリズカードは告げる。
「……このまま向かっても間に合わない。ショートカットする」
「ショートカット……」
リズカードは頭の中でルイモンド島の地図を広げつつ、ネナに方策を伝えた。
「最悪、死者が出るかも知れないが……」
「ううん、クインティトの人々を救うにはそれしかないし……リズならきっと大丈夫」
ネナの励ましに、リズカードの不安はすっと消え失せた。
「よし……やるぞ、ネナ」
「任せて!」
ほどなく目的地に辿り着く。リズカードは馬から降りてネナを抱き下ろすと、運んでくれた馬を逃がしてから周囲を見渡す。この位置で正しいはずだ。
リズカードは腕を振り上げると、精一杯の魔力を込めて叫んだ。
「空風波!」
そして、渾身の魔法が放たれる──ふたりの足下に向けて。
撃たれた空風波は地表をずたずたに引き裂き、スライスされた地面はリズカードとネナを乗せて沈下を始める。立っていられないほどの衝撃に、姿勢を崩したネナの身体をリズカードは抱き寄せた。
「目測通り……ここがディアノメアスの真上だ」
地下空間の天蓋が崩れ落ち、こちらを愕然と見上げるクノアと取り巻きの姿が見える。
そんな彼らに向けて、ネナが魔法を放つ。
「痺雷!」
バツッと鋭い電撃が地下に落ちて四方に散らばった。それはふたりが出会うきっかけとなった、広範囲非殺傷魔法だ。こちらを見上げていた人々がばたばたと倒れ伏す。
「最高だ、ネナ」
「あなたもね」
リズカードはネナを抱き上げると、落下する岩盤を飛び渡り、轟音を立てる魔導装置の方へと向かう。危惧した通り、巨大な燻製機のようなディアノメアスは稼働を始めていて、活性化したヴィス結晶が猛烈な光を放っていた。
「ふんっ……」
リズカードは最後に跳躍すると、空風波を飛ばして上部のパーツを破壊した。ジンク・ウェブとの接続部分だ。ここを断ってしまえば、放射したヴィスがクインティト中に伝播することはなくなる。大きな危機はこれで去った──はずだった。
無事に着地したリズカードは抱き抱えていたネナを降ろす。
「やった!」
「ああ……だが」
リズカードは収められたヴィス結晶に目を向ける。もう既に活性化してしまった以上、このヴィス結晶は大気中に大量のヴィスをばら撒き続ける。
「ねえ、リズ……この量」
その様子を見てネナが深刻な声音を出す。リズカードはうなずいた。
「ああ……どうも十一ヴィセ以上ある。きっと収集する以前からこの島に埋まっていたものだ。これを放置していれば結局、クインティトの大半がヴィスの海に沈むことになる」
「そんな──」
「ふはは……」
傍らから、かすかな笑い声が響いた。見ると、領主クノアが地面にのたうっていた。
「これでわれらは次の段階へ進む……そうして生まれ変わったわれらは、今までわれらを見下した全ての民に鉄槌を下すのだ!」
ルイモンド島は過去の異教徒や、行き場のない移民たちが集まった場所だった。高次存在となって、今まで迫害を加えてきた者たちへ復讐することががクノアの悲願だったというのか? しかし、その謝った情熱は自らと、その領民、領国を滅ぼすことになる。
「どうする、この量のヴィス結晶の放射を止めるには……」
リズカードは考える。考えて、考えて、考えた──。
どうすれば、この土地に暮らす全ての人々を救える。
「リズ……」
傍らのネナがリズカードを呼ぶ。
「……ネナ、何か、いい案が?」
「ううん……ヴィス放射を止めることはできないわ。でも、魔法でその速度をずっと遅らせることならできる」
リズカードは歯噛みする。確かにネナならそういう魔法を作れるだろう。だが──。
「今、相手にしてるのは結晶の欠片じゃない。ヴィス結晶の団塊だ。無害化するのに何年かかると思っている」
「私なら……ざっと一万年ってとこかしら」
「バカを言うな。肉体が朽ちてしまう」
「それなら放射されたヴィスを利用して、肉体に療養魔法を反復してかけ続ければいい」
「だとしても一万年間詠唱しっぱなしになる。精神が持つわけがない」
リズカードの反論に、ネナは首を横に振って自分の胸元に手を置いた。
「いいえ、魔法を使うのは精神じゃなくて、この身体よ。だから、〈療養魔法と放射を抑制する魔法をかけ続けさせる魔法〉をかけて、その間、意識は眠らせ続けておけばいい。肉体を機械化するのよ。そのくらいの魔法、私なら作れるわ」
「…………ネナ、何を考えている」
「人々を救う方法、でしょ」
ネナはリズカードを真っ直ぐに見据えた。その目には覚悟の光が宿っている。
つまり、彼女はこう言っている。このヴィス結晶の団塊と共に眠りに就き、眠りながら、その放射を抑制し続ける──その結晶が無害化するまでの一万年の間を。
「それは本当に、ネナにしかできないことなのか」
確かに高い魔法技術が必要になる以上、普通の人間には務まらない役目だ。だが──クインティトで最も魔法を能くする男がここにいる。
途端に、見返すネナの瞳が潤んだ。
「……どういう意味? リズ」
「一万年の間、君をひとりにしておくなんてできない。俺も共に眠りに就こう。そうすれば五千年ずつで済む」
「でも、リズがいなくなったらクインティトは──」
「いや、そろそろこの街は俺から自立するべきだと思う。だから、ネナ」
「リズ……」
ネナはふっと、柔らかく微笑んだ。
「ごめんなさい、こんな場面なのに……そう言ってもらえて、なんか嬉しくなっちゃった」
「──時間旅行も乙なものだろう」
「ええ、そうね。何千年も先の未来……どうなっているのかしら」
「今よりは相当、マシになっているはずだ」
リズカードは天蓋から差し込む光に目を細めながら言った。




