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第三章 4 リズカード・オーウェン

「嫌な仕事だった」


 日が落ちた後、リゾート地らしく開放的なデザインをしたホテルのロビーで落ち合ったノイスは、リズカードの顔を見るなりそう告げた。


「あんたがそんなことを言うとは珍しい……というか、生まれて初めてじゃないのか」


 リズカードは意外に思いつつ、差し出されたホテルのパスを受け取る。もともと日帰りのつもりだったが、厚意で一泊することになっていたのだ。

 ノイスはアンニュイな目線を一瞬、脇に逸らすと、何事もなかったかのように向き直り、うなずいてみせる。


「私もそう思う。もうとっくにそんな情は捨てたと思ったんだが」

「エレカに何を話したんだ」

「望み通りのことを望み通りに、しょうもない真実をな。まあ、詳しくは本人に聞け」

「……わかった。今日のことは感謝する」


 ノイスがいなければ、ルイモンド島に到達することも、エレカがダルタインに近づくこともできなかった。その礼を伝えるとノイスは「本当にな」といつもの意地の悪い表情に戻った。


「で、君は君で一日中島をぷらついていたらしいが、目的を果たせたのか?」

「ああ、出向いてきた意味はあったといえる」

「そうか。なら良かったな」


 ノイスはそれだけ告げると、踵を返し去って行った。


 ノイスと別れた後、あてがわれた部屋に入ったリズカードは窓辺に佇み、考えていた。


「ネナ……」


 約束の場所に二百年遅れで辿り着いた後、リズカードは日が暮れるまで、記憶と照合するようにルイモンド島を歩き回っていた。ネナが今、どこにいるのか。そして、何を思っているのだろうか──と思いを馳せながら。


 そうして、島の中である事実を発見した瞬間、彼の頭の中でひとつの像が形を結び始める。

 それは、ノイスからヤグ・ライゴーの進めるプロジェクトを聞いた時から、意識の表面に張った膜のように取り憑かれていた考えだった。


 オルガンとミクシアン、敷設されたジンク・ウェブ、トルネ=ライゴー──。


 リズカードは考える。部屋の中を歩き、考えて、ベッドに寝転がり、考えて、椅子に座り、考えて、立ち上がり、考えて、考えて、考え詰める。

 そうして、ひとまずの結論が出た。そうとしか思えない、という袋小路のような結論が──。


 リズカードはくたびれたように窓辺に立つと、暗がりの中でさざめく海を見つめる。


「ネナ……俺のせいなのか」


 波の音に紛れ込むほど、小さな声でそう呟いた時。

 ぱんぽーん、と部屋のベルが鳴った。リズカードは振り返ると、ドアの方へ歩み寄り誰何もせずにノブに手をかける。ドアの向こうにはエレカが立っていた。シャワーを浴びたばかりなのだろう、アメニティのネグリジェに身を包んでいる。


「あ、リズカードさん、その……」

「ああ、入りな」


 リズカードは何も聞かずにエレカを部屋に入れた。エレカも遠慮せずに入ってくる。傷心の者同士、言葉は必要なかった。


「……すごい部屋ですよね」


 エレカは内装を見渡しながら言う。考え事に意識を支配されていたリズカードは、そこでようやく趣向の凝らされたインテリアに目が向いた。


「そうだな。もうあの事務所には戻れない」

「あはは、ですね……なんだかこうして同じ部屋にいると、初めて会った日を思い出します」

「ああ……あの時は心労をかけたな」

「いえ、とんでもないです……」


 エレカは小さく答えるだけで、言葉が続かない。

 ふたりの間にぎこちない空気が流れる。リズカードは窓際の椅子に腰を下ろしながら、彼女の心が決まるのを待った。エレカは落ち着かないように部屋の中を歩き回っていたが、やがてリズカードへ背を向けるようにベッドの縁に座って、話を切り出した。


「ノイスさんに話を聞きました……私が知らない間に、私の身に起こっていたことを」


 そうして、訥々とノイスとの対談で知ったことを語り出した。

 腹違いの兄から聞かされた皮肉な事実──遺伝子情報の破壊。それはオルガンには通用しない、エレカがミクシアンだからこそなされたことである。

 ただミクシアンだというだけで、エレカは人として根源的に大事な何かを失っていた。

 ただミクシアンだというだけで、積み上げたものも掴もうとしたものも、全てを奪われてしまった。

 そんな彼女にまつわる事実がリズカードの心に深く、強く、のしかかる。


「……私、ばあちゃんが言った通り、どこまでもひとりぼっちなんです」


 エレカはベッドの上で身をよじって、リズカードの方を振り返った。その顔を見て、リズカードは息を飲む。彼女の表情は、言いようもないほど深い悲愴に染まっていた。


「遺伝子的にも、社会的にも、経済的にも……ひとりぼっちです。それがこんなに寂しくて心細いことだなんて、全然知らなかった。もう、自分が何だかわからなくなるくらい、狂おしくて、辛くて、憎くて、とても……寒いんです」

「エレカ……」

「でも、それはリズカードさんも一緒ですよね。ルイモンド島にやっと来ることができて、約束の場所に行って……確かめたはずですもん。もう誰も、待ってなんかいないって」


 リズカードは押し黙る。脳裏にはルイモンド島の虚ろな景色が蘇ってきた。

 その沈黙にエレカは「意地悪言って、ごめんなさい」と謝ってくる。


「でも、許してください。今の私には、リズカードさんしかいないんです。古い時代からやってきた、同じ孤独を抱えて──同じようにひとりぼっちな、あなたしか……そして、リズカードさんにとっての私もそうであってほしい。あなたにも、この世界に私だけしかいないと思ってほしいんです。だから……お願いします」


 エレカは目に涙を浮かべながら言うと、リズカードの方へと両腕を伸ばした。

 愛を求めるように。


「私に──慰めを……ください」

「……」


 リズカードは静かに目を閉じる。彼女の失望がこうまで大きくなってしまうとは思わなかった。やはり、知らせない方が良かったのだろうか。だが──知ってしまった以上、もうどうすることもできない。


「リズカードさん、お願い……」


 彼女の切ない懇願の声が聞こえる。その声音はリズカードの一番弱いところ──困った者を捨て置けない、という琴線に触れた。

 リズカードは椅子から腰を上げると、彼女の傍らに座った。

 エレカの涙と、ヴィス粒子の混じり合った匂いが鼻の奥を突く。


「リズカードさん……」


 距離が近づいたことでエレカの表情が期待に緩む。

 ただ、リズカードはどうしても言わなければならなかった。


「エレカ、それはできない」

「えっ──」

「確かにネナは約束の地にいなかったし、俺に向けたメッセージも残っていなかった。だが間違いなく、彼女はこの街のどこかで生きている。出会うという約束を果たす余地がある以上、彼女を裏切る真似はできない」

「あっ……」


 エレカは何かに気づいたように、呆然と口を開いた。

 リズカードとネナの間に、どういう絆が存在するのか察したように。

 リズカードは続けて言う。


「ただ、そうでなくとも応じることはしない。それは決して、君が魅力的ではないからとか、嫌だからとかいう小さい理由じゃない。そういうやり方で痛みを誤魔化せると知ってしまえば、きっと君はこの先、一生、その痛みを慰めるために誰かを求めるようになる。人を愛すること、人から愛される営みの中に……打算が混じってしまうんだ。それでは……いつまで経っても、君の心はひとりきりのままだろう」

「──っ」

「君にはその孤独を慰めるためじゃない、乗り越えるような何かが必要なんだ。それを見つけることができる日が来るまで、君をひとりにしないことは俺が約束する。君の涙を受け止めることもする。だから……どうか、自分を傷つけるような真似はよしてくれ」


 この想いがどれだけ伝わるかわからない。ただ、それが今のリズカードの精一杯だった。

 エレカは何を言われているのかわからないという風に固まった後、唐突にくしゃっと顔を歪めるとワァッと大声で泣き始めた。


「わあああああ、どうして……なんで……なんで……あああああああ……」

「……」


 リズカードは崩れ落ちるエレカの肩を抱いてやる。ただ、寄り添うだけ。それがこの少女に対してできる唯一のことだった。

 時が流れ、時代は変わり、世界は複雑になった。けれども、人の心の弱さは変わらない。

 彼女にとっての夜が、一刻も早く明けることをリズカードは強く願った。

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