5話
「無理だって!こんなもん、どうにかなんてできる訳がねえ!しかも抜粋ってことは全容は更にひどいってことだろ!?逃げるぞ、ルイーズ。このままこの国にいたら死んだ方がマシな目に合う」
「失礼致します。陪臣の身が出しゃばる無作法、お許し下さい。こちらの資料、臣も拝見させて頂きます」
「ええ、マザラン猊下。ヴィクトール様が御尽力するにあたって、貴方様の活躍がとても重要だと考えています。是非ともご確認ください」
ヴィクトールから資料を引っ手繰り、ピエールが吟味する。彼の判断ならば間違いないだろう。
「成程、これは一大事。我が主の嘆き振り、分からぬでもありません」
「だろ!?」
「それはそうとご報告しなければならぬことが御座います。実は拙僧前々より、今一度信仰の道を歩むつもりはないかと教皇聖下にお声がけ頂いておりました。リシュリュー家に御奉公するため、お断り申し上げたのですが、そのことがつい先程、急に頭の中に浮かび上がりました。これは主の思し召しなので御座いましょう。勝手では御座いますが、お暇を頂きたくお願い申し上げます」
「させるか!絶対逃がさねえぞ、クソ坊主!!」
ピエールも逃げ出したくなる程か。
取っ組み合いを始めた二人の手から落ちた資料に目をやるが、政治はからっきしな私が見ても分かるほどの有様だ。こんな惨状に関わったりしたら、例え解決できたとしても確実に精神を病む。再出発の為の禊で再起不能になってたら本末転倒だ。
何とか償って穏便に結婚したかったが、無理そうだな。しょうがない、切り替えていこう。
◆
「服を脱ぎなさい、ヴィクトール」
「はい?」
「アンタとこの場で婚姻を交わすためにここに来たって言ったでしょ。マザラン枢機卿が執り行い、オルレアン家の立ち会った婚姻の儀。宗教と世俗の世界において、権威有る両者が成立させたという事実を押し出して既成事実にするつもりだったの」
なるほど、それと俺が脱ぐことに何の関係が?
「ただし、条件がそれの解決って訳」
床に散らばった資料を顎でしゃくりながら、服のボタンに指をかけるルイーズ。
「条件を達成できない以上、報酬ももらえない。だから違う方法で既成事実を作るわよ」
「正気かお前!?やめろ、それ以上ボタンを外すな!!人がいるんだぞ!?!」
「誰か見てなきゃ意味ないでしょうが。お腹が膨らむのを待つ暇はないのよ」
脚を払われ、床に倒される。誰でもいい、誰か助けてくれ。
「やめなさいルイーズ。こんなの子供の癇癪と同じよ、真に受けないの」
見かねたジョゼット嬢が後ろから羽交い絞めにして、ルイーズの蛮行を強制終了させる。
「例えどれほど辛くても、あなたと結婚するための試練からヴィクトール様が逃げ出すわけないでしょ」
「じゃあ、なんでコイツは泣き言言ったのよ。やる気があるんなら黙ってやればいいでしょ」
「敢えて大騒ぎして一度精神をリセットしたのよ。人間はみんなあなたみたいに鋼の精神じゃないの。そうですよね、ヴィクトール様?」
ジョゼット嬢がこちらに水を向けるので、全力で首肯する。通じたようで向こうも軽く頷き、ルイーズに「ほらね」と言わんばかりに目を向ける。
「ジョゼット。その目を見るだけで通じ合ってるみたいなのやめて、不愉快だわ」
「こっちは傷心してるにも関わらず世話してあげたのにこの女は。私を睨んでないで、とっとと服を整えなさい」
ルイーズの方が終わり、今度はこちらに目を向ける。
「ヴィクトール様。大方いつもみたいにルイーズが励ましてくれると思っていたんでしょうけど、婚姻がかかった状態で女性が動揺しないわけがないでしょう、こんな時くらい男気を見せて下さい」
「はい。大変申し訳ありませんでした」
◆
もううんざり。
いともたやすく自分の非を認め、明確な謝罪の意を示したヴィクトール様を見ながら内心そう吐き捨てる。
私の婚約者ジョゼフ様とヴィクトール様は全くタイプの違う人間なので同じようには語れないが、ジョゼフ様がそんなことをしたことは一度もなかった。そもそもジョゼフ様が人に謝罪をしなければならないようなミスをしたところなど私は見たことがない。人間である以上のノーミスで生きてきたなんてことはありえないだろう。私が婚約者であるにもかかわらず、それに直面しない程度の付き合いしかなかっただけのことだ。子供のころは今よりも触れ合う機会は多かったが、大人になるにつれ形式的になり、アンヌに誑かされて以降は憎しみすら向けられる程。
だから、このお互い良いところも悪いところも知り尽くしているであろう二人に嫉妬する自分が惨めで仕方ない。
何故カトリーヌ様は手ひどい裏切りを受けたその日の夜に二人の仲を取り持とうなどと思えるのか。殿下に何の未練もないから?貴族の縁談などほとんどが政争の具であり、この二人程互いに愛情を抱くことは稀。そんな相手にほだされた私が馬鹿なだけ?
そんな私の心の内などお見通しの様子のカトリーヌ様は疑問にお答え下さるようだ。
「勿論、これから困難に立ち向かうに際して有能かつ従順な味方を欲しての事です、というのは建前で結ばれる定めにある二人が不条理に引き裂かれようとしているからですわ。そのような悲劇、断じて認められません」
何と自分の醜いことか。私は想像以上に此度の事件で参っていたらしい。友達のルイーズにこんな暗い感情を抱くとは。
「そんなにお気になさらないで、ジョゼットさん。貴方の感情は至極当然のことです」
一体、どこまで気高い御方なのだろう。
こんな私を慰めて下さるとは。これが公爵家に連なり、国母となるべく生きてきた御方か。逃がした魚は随分大きいようですわよ、シャルル殿下。
「それよりも、立会人として婚姻を結ばれる御二人についてきちんと知っておかなければなりませんわ。行きますわよジョゼットさん、ルイーズさんとヴィクトール様に馴れ初めからじっくりと教えて頂かないと」
そう言って、さっきまでの気高さから一転して年頃の娘に変貌したカトリーヌ様は私の手を引き、二人の方へ向かっていくのだった。




