番外編 一:神獣フェンリルの日常
我の名はフェンリル。この聖域の守護者である。
永い眠りから我を目覚めさせたのは、レイナという不思議な人間の女だった。彼女は土地を慈しみ、その手で荒れ地を緑に変えた。我は彼女の純粋な魂に惹かれ、契約を結んだ。以来、彼女の隣が、我が定位置である。
レイナとの日々は、穏やかで満ち足りていた。彼女が耕す土の匂い、作物が育つ生命の息吹、そして時折、我がもふもふの毛皮に顔をうずめてくる彼女の温もり。それが、我が世界の全てだった。
その平穏を乱したのが、カイルと名乗る人間の男だ。
奴は、かつてレイナを捨てた男だという。だというのに、今更どの面を下げて来たのか。最初は見知らぬ客人のふりをしていたが、奴からレイナに向けられる粘着質な視線は、我の気に障った。
案の定、奴は正体を現し、レイナに許しを請い、あろうことかこの聖域に居座り始めた。我はレイナ以外の人間を背に乗せる気はないが、この男に限っては、背中に乗せて空高く舞い上がり、そのまま王都の城の屋根にでも放り投げてやりたいと、常々思っている。
しかし、レイナは奴を追い出そうとはしなかった。それどころか、呆れた顔をしながらも、奴の世話を焼いている。
魔物の襲撃があった夜、奴が身を挺してレイナを庇った時は、正直、少しだけ見直した。レイナを守るという一点においてのみ、奴の存在価値を認めてやってもいい。
だが、奴が重傷を負ったことで、レイナは我も知らぬほどの力を解放した。彼女を守りたいという我が願いと、彼女が奴を守りたいという願いが重なり、この地は真の聖域となった。皮肉なものだ。
最近、二人は「パートナー」という、よく分からぬ関係に落ち着いたらしい。復縁はしない、とレイナは言った。それは良いことだ。レイナの隣に立つ夫という存在は、一人で、いや一匹で十分である。我こそが、彼女の最初の、そして永遠のパートナーなのだから。
今日も今日とて、奴はレイナの隣で、彼女が作ったハーブティーを飲んでいる。そして、我の方をちらりと見て、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。気に食わん。
我は立ち上がり、二人の間にわざと割り込むようにして、ドサリと体を横たえた。レイナが「もう、フェンリルったら」と笑いながら、我が顎の下を優しく撫でてくれる。
どうだ、見たか、カイル。レイナの一番は、我なのだ。
我は満足して目を閉じる。レイナの温もりと、カイルの悔しそうな気配を感じながら、聖域の午後は、今日も平和に過ぎていく。




