第1章:追放された悪役令嬢、荒れ地を耕す
登場人物紹介
◆レイナ・フォン・ヴァインベルク
本作の主人公。公爵令嬢で元皇太子妃。「悪役令嬢」の濡れ衣を着せられ、辺境に追放される。前世は現代日本の農家の娘で、豊富な農業知識を持つ。芯が強く、逆境にもめげない精神力で自らの道を切り拓く。
◆カイル・フォン・エルミート
エルミート王国の皇太子。レイナの元夫。政治的陰謀からレイナを守るため、非情な仮面を被って彼女を追放した。不器用でプライドが高いが、根は一途で誠実。レイナを失って初めて自分の本心に気づき、彼女を追いかける。
◆フェンリル
辺境の地を守護する伝説の神獣。巨大な黒狼の姿をしている。長らく眠りについていたが、土地を慈しむレイナの純粋な心に惹かれて目覚め、彼女と契約を結ぶ。普段はクールだがレイナにだけは心を許し、時に可愛らしい一面も見せる。
◆宰相ゲルハルト
エルミート王国の宰相。穏やかな笑みの下に、冷酷な野心を隠し持つ物語の黒幕。神獣の強大な力を我が物にしようと、レイナとカイルの前に立ちはだかる。
玉座の間に響く声は、氷のように冷たかった。
「レイナ・フォン・ヴァインベルク。貴様との婚約を破棄し、皇太子妃の座を剥奪する。本日をもって貴様を辺境の地へ追放処分とする」
かつて私の夫だった人、皇太子カイル・フォン・エルミートが、何の感情も浮かべない顔でそう宣告した。周囲の貴族たちからは、ひそひそと嘲笑う声が聞こえてくる。「傲慢な悪女の末路だ」「身から出た錆よ」――。
悪女、ね。私がいつ、そんなことをしたというのだろう。皇太子妃としての務めは完璧にこなし、国の発展のために尽くしてきたつもりだったのに。
けれど、今ここで何を言っても無駄なのだろう。カイルの瞳は、私という存在を映してさえいなかった。
「……謹んで、お受けいたします」
私は静かに頭を下げ、それ以上の言葉を飲み込んだ。これが「政治的理由」とやらで下された決定なら、私に抗う術はない。
こうして私は、豪華なドレスを粗末な旅装束に着替えさせられ、一台の揺れる馬車に押し込められた。行き先は、魔物がうろつき、作物もろくに育たないと言われる最果ての辺境。王都から馬車で十日もかかる、見捨てられた土地だ。
馬車の窓から遠ざかる華やかな王都の景色を眺めながら、私は不思議と晴れやかな気持ちになっている自分に気づいた。
そう、これで自由なのだ。
皇太子妃という息苦しい役割からも、いつの間にか冷え切ってしまったカイルとの関係からも、全てから。
……そして何より、この状況は私にとって、絶望の終わりではなく、希望の始まりだった。
私、レイナ・フォン・ヴァインベルクには秘密がある。それは、この世界の人間ではない、別の世界の記憶を持っているということ。
前世の私は、現代日本で農業を営む家の娘だった。土に触れ、種を蒔き、作物を育て、収穫の喜びを知っている。土壌改良の知識も、効率的な農法も、全て頭に入っている。
皇太子妃だった頃は、何の役にも立たない無用の知識だと思っていた。けれど、今この瞬間、それは何よりも強力な武器になる。
荒れ地?見捨てられた土地?上等じゃない。
私の知識で、その土地を楽園に変えてみせる。
辺境の村に着いた私は、与えられた小さな小屋と、その裏に広がる広大な荒れ地を前にして、むしろ武者震いした。石ころだらけで、雑草が生い茂る痩せた土地。村人たちの視線は冷たく、よそ者である私を明らかに警戒していた。誰も助けてはくれないだろう。
それでいい。私は誰にも頼るつもりはない。
次の日、私は小屋にあった一本の古い鍬を手に取った。慣れない手つきだが、前世の記憶が体を動かしてくれる。ザクリ、と乾いた土に鍬が突き刺さる。固い。けれど、不可能ではない。
「まずは土作りからね」
私は独り言を呟き、額の汗を拭った。周囲の農民たちが「どうせすぐに音を上げるだろう」と遠巻きに見ているのが分かったが、気にしなかった。
黙って鍬を握り、来る日も来る日も荒れ地を耕した。石を取り除き、雑草を抜き、土地を深く掘り返す。手のひらの皮がむけ、血が滲んでも、私は作業をやめなかった。
ここは私の土地。私が生きる場所。
嘲笑も、憐れみも、もう私には届かない。私の心は、目の前の土と、これから育つであろう命のことで、いっぱいでだったから。
離婚して、本当によかった。心からそう思った。




