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30. 渡り鳥の経路 2 

30. Migratory Parcours 2


行く先は、僕とFenrir様の間で、割れる筈も無かった。

と言うより、この国で僕が姿を晦ますことのできる管区は、もう消去法で、二つしか無かった。


第6、並びに第7管区

コンスタンツァ港を二分して区域に入れている、2大商業地区だ。


そこまで辿り着けば、その先は、もう無法地帯。

僕が安全である保証は、何も無いが。追手が介入できる機会も限られて来る。


少なくとも、大量の虐殺を伴う大胆な捜査が出来るのは、揉み消し(Stifle)ができるから。彼らがその管区を実質的に支配しているからに違いない。そういった狼藉は、起こりえない。


何故なら、この区画を支配しているのは…


ヴァイキング、だからだ。


潜伏先に、これ以上の混沌は無い。


「悪人を隠すには、悪人の中、という訳だな。」


「あ、悪人…」


Fenrir様は、僕のことをそのように詰った。


「不服そうだな?」


「い、いえ…」


「では、何故そのような、不満げな顔をする。」


「とんでもっ…無いです。でも、僕は、Fenrirの意志に合わせて動いている訳ですから、悪いことをしていると言うのはちょっと…」


「お前の善悪の価値観の拠り所をどうしようと勝手だが、世間一般の人間様から見て、お前は殺されるべきだ。違うか?」


「それは、否定しませんが…」


「頼むぞSiriki。益々、お前は夜の(よごれ)仕事に専念してもらわなくてはならないのだ。」


「…わかってます。全て、貴方の仰せのままに致します。」




「それで、お前、運動神経は良いのか?」


「え…?」


「さっきご覧になったでしょう?お世辞にも、残念ながら。」


「人間でも、人並み以下。狼の足元にも及びません。今もこうして…」


「ふうん。ならば、頑張らなくてはならないな。」


「頑張るって…?勿論、そのつもりですけど…」


Fenrir様の目つきが険しくなる前に、胸の前で両手を広げて弁明し、そのまま肩を摩る。


「ただ、その前に、部屋に…マント取りに戻っても良いですか?やっぱり、このままじゃ…」


火照った身体に纏わりついた汗が引き、遅れて寒さを感じ始めていたのだった。

あ、でも切り裂かれちゃってるか…忘れていた、やっぱり駄目だ。


「その必要は無い。嫌でも、その鈍い身体を駆使することになるだろう。直に温まるさ。」


「それに、その長たらしいマントとかいう奴が俺は嫌いだ。動きを制限するようなものを常日頃から纏うなど…」


「い、一応有事の時に脱ぎ捨てられる防寒具ってことで…」


「だったなら、尚更、いま羽織ろうとするなっ!」


「も、申し訳ありませんっ…」




「全く…少しでも追いつけないなどと弱音を吐けば、置いて行くからな。」



「それと…!叫び声を上げるな!」


「うぁっ…!」


僕から顔を逸らしかけて、言い忘れていたぞと言わんばかりに、ぐるりと振り向いて忠告したりするので、情けない声が出てしまった。


「一般市民が数人、目覚めている。」


「明日は我が身と身に染みているのだろう。事なかれ主義で助かっているが…これ以上、いたずらに巻き込むようなことはするなよ。」


「すみません…Fenrir…」


そうだ、目撃者は、少ない方が良い。たとえそれが、市井の人だったとしても。

Fenrir様の姿が目に留まるようなことは、無いに越したことはないに決まっている。




――――――――――――――――――――――




「あの…一つだけ良いですか?Fenrir…」


「うん?休憩は、無しだぞ。今度は、何が不満だ。」


「いえ…どちらかと言うと、不満じゃないんですけど、逃亡経路って、これじゃないと、だめ、ですか…」


「今こうして、お前のことを気遣いながら先導してやっている。それの何が気に喰わない。」


「正直、思っていたのと違うっていうか…」


「何がだ。」


「羽でも、生やされるのかと思っていました。」


「は?お前がか…?」


その、ご機嫌に掲げられた尻尾の力を、ふわりと抜くのを止めて下さい。

怖いです、お怒りになられている証拠だ。


「いや、空路と仰るものですから…」


「いつから自分が神の遣いに相応しいと思い上がることを覚えたのだ。」


「私じゃないです。Fenrir…が。そういうこと出来るのかなって。」


「ふうん。狼が、翼を授かったのを、お前は見たことがあるのか?」


「ご、ごめんなさい。そんなこと、ある訳ないですよね…」


でも、先ほどの巨体な貴方の背中に乗せて貰えて、ヴェリフェラートの街を雪まじりの風が如く疾走するような空想、あっても良いじゃありませんか。


「はぁ…お前は、変わった趣向の本をよく読むのだな。」


「いえ、文字なんて、生活にかかわる単語ぐらいしか、読めません。」




「一匹…いや、二匹しか出会ったことが無い。」


「え……?」


「俺でさえ、そんな狼は。」



「…貴方の群れ仲間には、そんな素敵な狼が、いらっしゃるのですか。」


いつもの調子で冗談めかしているにしては、僕を嗤わない。


「……まあな。」


Fenrir様は、じっと空を見ている。


ああ。その群れは、この世界には、いないのですね。


どうして、貴方は元居た場所、元居た群れから、袂を分かったのでしょう。

聞くのは、無粋でしょうが。

勿論いつか、聞かせて貰えるとも思っていません。


「休憩の交渉は、それで終わりか?」


「えっと…そんな、ところです。」


「言っておくが、俺が屋根から突き落として、地上で腹を空かせている追っ手に喰わせてやるのは、簡単だぞ。」



まるで、天井の開いた、猛獣がいる槽の上に吊るされ、間もなく突き落とされようとする罪人。

ちょっとでも、機嫌を損ねれば、縄を切られて、真っ逆さまだ。


「この家の下に、二人。通りの向こうの路地裏から、此方にやって来ているのが、3人だ。合流する予定だろう。」


「そして、此処に置いて行くのは、もっと簡単だ。」


尻尾を翻して顔を背けると、彼は何でもない調子で、隣の屋根へ飛び移る。


「うぅっ…待ってください…」


早くしないと、Fenrir様の言う通りなら、反対側の屋根に隠れないと。落っこちなくても見つかってしまう。


「……。」


庇の淵まで辿り着くと、僕は恐る恐る顔を覗かせ、下の通りの様子を確認する。

本当に、昨日歩いた裏通り?どうしてこんな、深い谷底のように真っ暗なんだ。


精々、3階よりちょっと高いぐらい。落ちても、死にはしないだろう。

足を負傷したまま、彼らに見つかって始末されるという意味では、帰結は同じか。

でも今は、それよりももっと恐ろしい怪物が、口を開いて待っているように思えて来る。


この静けさが、穴の深さだ。


意を決して2歩下がり、何度も足元と目の前の屋根を交互に確認し、到頭踏み切った。


「っ……!!」


ドンッ……


「へたくそ。」


「はぁっ……はぁっ…」


左足が、屋根にかからず、腿から激突した。

痛みに呻くも、思った以上に着地音を響かせたことに驚き、それどころではない。


「早くしろ。次はこっちの屋根からだ。さっきよりも遠いぞ?飛べるだろうな?」


「なんで…そんな、楽しそうなんですか…」


一言で言えば、パルクールと言う奴だろうか。

Fenrir様が此処までやって来るのに、同じことをしていたと言うのなら、それは驚くに値しない。


軽々と屋根の上を飛び移り、次なる屋根を探して、颯爽と大棟に登る。

僕は勝手に、次なる獲物を見据えて高台に駆け上がる狼の日常的な行動なのだろうと想像した。


当たり前のように、やってのけているけれど、人間には、まず四つん這いになるところから始めなくては、話にならない。

屋根の傾斜が、余りにも急すぎる。張り付いたら、殆ど立っているのと同じじゃないか。


古い家屋は、モミの木の板を瓦として積み重ねた、屋根を使っている。僕の持ち家も木造だったけど、今はだいぶ置き換えられ、第3管区は半分ぐらいが、赤みがかった屋根をした、

それが、南部では黒っぽい屋根に置き換わっている。

確か、製法か何かの違いで、黒瓦の方が高価だと聞いたことがある。耐寒性がちがうとか。

商館の屋根は黒かった。いつかは自分の家も、黒瓦の屋根にしてみたいものだと思っていた。

けれど、あれは何十年も経ったせいで黒ずんでいるだけだと聞いたときは、ガラス窓に大枚を使い果たした自分には到底無理な話だと思い知らされたっけ。


高級住宅街、とでも言えば良いか。

経済的に賑わっていまいと、所有物に示される地位というか、ステータスは、別格だった。


例外なく、どれも画一的ではあったが、夜空の下では、そんなことどうだって良い。

足回りとしては、天と地の差があった。


湿った雪が、瓦の表面に微かな苔と霜を作っていて、一歩踏み出すたび、靴底がぬめるようにめちゃくちゃ滑る。

まだ木の瓦の方が、吸湿性も良く、グリップもあって楽だったろう。ナイフだって、突き立てて、ピッケルのように使えた。Fenrir様も、爪を喰いこませ易かったに違いない。


二階の窓下になだらかな屋根があったから良かったけれど、何も考えずに飛び出して良いはずが無かった。さっきの宿屋のような、潤沢に部屋を備えた故の庇はまれだ。

それ以外は、大抵煙突替わりに設けられた小さな屋根付きの小窓が突き出ているだけ。そこだけが平らな安全地帯。


高さの異なる屋根が垂直に組み合わさった家屋も、僕が低い方の屋根の頂点に足を置き、座り込めるので楽だ。

しかし、そこから山の峰のように続く一本の平均台を、両手でバランスを取りながら進む度胸は無い。

大棟を挟むように座り込み、荒れた呼吸を整える。


「ふぅーっ…」


少しも気を緩める余地が無かった。


「お前を襲った奴らが、俺たちと同じ経路を使用していない保証は、何処にもないんだ。見つかる前に、少なくとも下の奴らは撒かないと、後々面倒だぞ。」


確かに、獣のような挙動を見せた、あの暗殺者らが、屋根の上から2階窓へ侵入してきたらしいことを考えれば、彼らとの遭遇を免れているのは、寧ろ不自然だった。


「バックアップを用意していなかったことを考えると、お前に殺す価値をそこまで見出していないのだろうな。その最初の奴らと比べての話だが。」


「互いに異なる目的で、僕を追っている、ということですか…?」


「どう利用しようとしているかを調べるのは、お前の仕事だ。それより…」


Fenrir様が口を噤み、目を細める。


「集まってきているようだな…多分、標的を確認できなかった路地裏から進路を先読みして、潜伏しているのだろう。相当に知悉している。…尤も、地上での話だがな。」


「ほら、こっちだ。」


「っ……」


先端の尖った円錐の屋根を持つ塔で接続された、L字型の間取り。これは飛び移るのに勇気がいる。

Fenrir様は、壁に向かって景気よく駆け、跳び上がったところで壁を蹴り、90度進路を変えて着地する。

それでさえ、着地時には、脚を滑らせて、バランスを崩しかけているのだから。僕に真似など出来るはずも無い。

円筒の壁を伝い、ゆっくりと方向転換しながら、最後は飛び移る側に体重を預けなくてはならない。


「うわ゛っ…!?」


しかし、足元は全く以て安定しない。

身体をびたんと屋根に打ち付け、そのまま急勾配を滑っていく。


ザザザザッ…ガガッ…


まずいまずいまずいっ…!!


軒の淵で、なんとか踏みとどまり、しばらくそのまま張り付く。

耳傍を立てているみたいだ。実際、屋根の下で眠っている人が目を醒まさないことを願っている。

それどころか、今のは、地上にも、聞こえたんじゃないか…?


「大丈夫か?Siriki。」


「足、ぐぎって…挫いたかも…です。」


支障は無いと思いたい。どうせ、まともに全力疾走しなくてはならないシチュエーションにはならない。屋根に飛び移る時は、右足で踏み切って、あとは這って歩くような動きなら、何とかなるだろう。そう信じるしかない。


「どうしよう、Fenrir…今の音で、気付かれ…」


「しっ、静かに…」


「……。」


心臓が、ずきりと傷んだ。


「そのまま、動くなよ。」


「上に注意を向けられたら面倒だ。俺は一度降りる。」


「そんなっ…」


「注意を引いて、此処から退かせるだけだ。」


「でも、Fenrir様の姿を見られたら…!」


「たかが、狼の一匹…何の問題も無かろう?」


「いや、そんなんじゃなくって…」



「姿を現すつもりは無い。」


「あいつらは、人間の声を伴わないコンタクトを取り入れている。お前には聞こえているかは知らないが、野犬の吠え声…その真似事で、集合と待機ぐらいの情報を伝達している。攪乱は容易だ。」


「そう…なんですか?」


「言っておくが、お前の部屋にいた奴らが、その声を利用しているのかは、定かではない。…しかし、此処から引き剥がさなくてはな。」




「必ず、合流する。お前の視界に入る様に、地上からアシストしてやるから。」


「頑張れ、半分くらいまでは、来ているぞ。」


鼻先で、頭を優しく小突かれた。


どうしてだろう。

初めから、そんな風に手を差し伸べてくれたら。

なんて考えただけで、ちょっと泣きそうになる。


「…励ましなんて、いりません。」


「今だって、少しでも気を緩めていたら、屋根の下に落っこちてた。」


「着いて来られているかだけ、気になさって下されば、大丈夫です。」


「そうか。」



Fenrir様は、屋根の淵から下を覗き込むと、そこから勢い無く、ふわりと飛び降り、姿を消した。





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