29. 夜の衝突
29. Bump in the Night
咄嗟に出来ることなんて、何も無かった。
冷静に、これはまずい、と察知できただけで、
次の瞬間、僕の身体は戸板もろ共、部屋の中央へ吹っ飛ばされていた。
一瞬の気のゆるみ。ベッドの上に置きっぱなしだった包丁が脳裏にちらついた。
新しい武器を、市場で買おう。
携行できるように、鞘と結わえ付けるベルトが無いと。いざという時に、どうしようもない。
この場を生き残れたら、の話だけど。
顔面を覆っていた片方の木板を胸元に除けると、侵入者が、まさに飛び込もうと言うところだった。
ぶわりと広がった外套の裾が、月夜を遮る。
素性も何も、分からない。与えられた光の量では、影、としか形容しようが無かった。
しかし、暗殺者の風貌を一言で表すのなら、それで十分だと思った。
まだ、見張りがいたんだ。
さっきの訪問者が、留まらせておいた部隊に、窓を閉めようとする所を見つかってしまった。
油断したでは済まされない。寒さを凌ぎたいからと、なんて間抜けなことを。
いや…それなら、リーダーの女性が下した結論は何だ?
汚れ仕事が済んだなら、痕跡も残さず去りたいはず。
こいつら、さっきのとは別の集団なのか?
訳が分からない。何で僕が、こんな大層な集団に狙われているんだ?
明らかに、僕が犯した罪以上のものを、担わせようとしている。
もしかして、僕はとんでもない神様と、契約を交わしちゃったのかな?
信者は、弾圧され、根絶やしにされるぐらいに異端の。
考えるのは後だ。きっと答えは教えてくれない。
こいつらも、僕の命さえ奪えれば良いといった態度だ。
マントを尻に敷いてしまっている。脱ぎ捨てる為に首元の留め具に手をかけるも、震えて外れない。
ちらりと武器までの距離を測る。ベッドの足側にさえ、手を伸ばす暇も無いことは明白だった。
文字通り、尻餅をついて、襲われるだけの格好。
黒ずくめの暗殺者は、着地の勢いそのままに、手の先端辺りから突き出した針状の刃物を、喉元に向かって伸ばしている。
「……!」
避ける余裕が無いことぐらい、分かっていた。
やるしかない…!
藁にも縋る思いで戸板を再び握りしめ、盾のつもりで、両腕を突っ張って胸から上を防御する。
トンッ
その仔気味良い音で、どうにか木板の厚みが勝ってくれたらしいことを察知する。
暗器、と言う奴だろうか。
大ぶりな刃物じゃなくて助かった。
「ぐっ…!?」
けれどもその直後に押し寄せた全体重を受け止める用意は、全くできていなかった。
相手側としては、馬乗りになる形で僕を押し倒し、喉元に手が宛がわれている予定だったのだろう。
それが着地の姿勢がやや崩れ、縺れ合う状態になってしまった。
そして、どうやら手際が悪い。
戸板に、細長い刃が刺さったままだ!
…暗殺に特化しているせいで、大して強度が無いのか?
此方からは見えないが、僕が命拾いしているのは、きっと、そういう事情に違いない。
とはいえ、まさか手持ちの武器があれだけな訳ない。逆の手から、別の武器を引っ張り出される前に、一か八かだ。
僕は思い切り戸板を捩じって脇に除け、目の前の暗殺者に向けて蹴りを入れる。
「……っ!!」
運よく、それは機能した。
固い防具に阻まれた感触があったが、蹴飛ばした衝撃で、僕が起き上れるだけの体勢を作ることは出来た。
既にそいつは、左手に刃と芯部だけで出来た、骨組みだけのような歪な形状のナイフを掲げ、僕に突き立てようと言うところだった。
突っ張った足が作ってくれた距離のおかげで、目の前を刃先が霞める。
マントの裾を足で踏み、首元が締まる。体勢を崩しながらもナイフを刃の方で掴み、部屋の隅まで走った。
どんっ…
角に体当たりして、すぐに振り返る。
「はぁっ…はぁっ…あっ…ぁっ…!」
戦場だって、こんな揉み合うような近接戦闘は見たこと無い。
アドレナリンだけで動いているような僕が、数秒生き延びているだけ奇跡だ。
相手は距離を取ったままだ。
間合いを図っているのであれば、僕に臨戦の意欲があると見ているのか。
実際は、逃げることだけ、考えていた。
専門職に敵うわけない。
角に逃げ込んだのは、失敗だった。じりじりと間合いを詰められ、どうしようも出来なくなる。
隣人がいてくれたら、大声を出して、様子を見に来てもらうような悪あがきも出来たかもしれないけれど。いや、寧ろ助けを呼べば、逆に追っ手を増やしてしまうことにはならないか?
初めの訪問者と、こいつらが、潰し合ってくれるような展開になれば、時間を稼げるかも知れないけれど。そんな都合良く行ったところで、僕は死ぬ。
必死で暗がりに目を凝らし、ようやく自分のいる部屋の間取りが掴めて来る。
外に逃げれば、まだ、助かる…!
人の目に晒されるようになれば、殺しに集中できなくなるはずだ!生き残る術はある!
根拠のない希望に全力で縋る。さっき心配したようなことは、きっと起こらない。
「ぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!」
奇声を発し、動揺を誘う様は、動物の威嚇より間抜けなことだっただろう。
マントの留め具に手をやり、暗殺者に対して此方から間合いを詰める。
「っ…!!」
脱ぎ捨てる際に翻し、ぶわりと目の前に広げて、互いの間の視界を一瞬だけ断つ。
見え透いていただろうが、構うものか。
必死で扉の無い入り口に向かってダッシュした。
バシュ…
僕の数秒を稼いでくれた、マントが切り裂かれる音が、風通しの良い屋内に、存外に大きく響く。
安物とはいえ、一夜を生き延びるのに大金を払ったなあ。
だが、そんなことはすぐにどうでも良くなった。
その切っ先に目を奪われていた。
あれは…
爪?
獣のような毛先の長い指先が、水平に切り開いていたような。
武器ではなく、体の一部のようだった。
その本質は、暗器として失われていなかったけれども。
この一撃は、僕に強烈な違和感を植え付けたのだった。
きっと反芻する時間はある。
ベッドを踏み台に飛び越え、着地するまでの時間で、追いつかれなければ。
怖い、怖い、怖い。
オオカミにだって、こんなに脅かされなかった。
「ヴゥゥゥッ!!」
「……!?」
今のは、唸り声?
獣が!?
その直後に、何かが後ろ髪をかすったような感触があった。
後ろにも、誰かいる!
ベッドの反対側に、潜んでいたんだ。
飛び越えた刹那の差で、僕は致命の一撃を免れた。
僕のことを扉ごと蹴とばした際に、最初に侵入した奴がいたんだ。
合点が行ったのは良いが、それなら初めから予測して動けよ。
でも皆、戦場で見たような、身体以上の距離を与える、がっしりとした武器は、まるで使って来ない。
急所を刺して仕留めるような戦術に、特化しているのだろう。
でも、さっきのは、やっぱり手に直接装備しているようには…
着地の瞬間に、躓いて体制を崩す。
空回りの足を必死で回して、扉のあった枠に手をかけた。
「……っ!?」
その時だった。
ごっ……っ
顔面に衝撃が走り、世界を2度は回しながら、吹っ飛ばされる。
僕は、運が良い。狙いは明確だった。首元一点。
体勢を崩していなければ、すっぱりと喉笛を切り裂かれていただろう。
ベッドの向こう側へ、逆戻りだ。
何処だからわからない壁に叩きつけられ、ついでに頭も強く打ち、呼吸が止まった。
今の、ばき、という音は、僕の骨の音じゃないことを願おう。
バキキッ…
「あ、う゛……?」
入り口に顔を覗かせた視界の端に、僅かに見えた。
窓側からの侵入は、陽動に過ぎなかったのだ。
廊下からも、当然暗殺者は迫っていた。
「……。」
もうだめだ。
今の衝撃で、完全に身体が竦んでしまった。
何処を切り付けられたのか分からないが、ショックで痛みを全く感じない。
当たり前だ。
傭兵さえ、一人前にこなせない僕が、誰かの助けも無しに、生き延びられる訳が無い。
瞼の上に、流血が被る。
今の僕に出来ることと言えば、喉元に両手をやって、鍵爪が掠らないように命乞いをするぐらい。
間抜けなこと、この上なかった。
僕が皆にしてきたことの報いを受けるのさえ、嫌がっているようじゃないか。
彼らも、僕に戦闘能力が無いことを見切り、早々にこの暗殺劇を畳もうとしている。
間合いを詰めることに、何の躊躇いも、警戒も無かった。
「……。」
さっきまで、必死で逃げ切ろうと運を燃やしていたのに。
今までで、一番冷静だった。
降参しても、命は助けて貰え無さそうだ。
だったら、一思いに、楽に殺してくれるよう、無抵抗の方が良いんじゃないか?
ドゴゴゴゴゴンンッッ…!!
「……っ?」
「きゃぅっ?」
誰か、人影であることだけ、わかった。
それが、もの凄い勢いで、目の前の暗殺者に突進したのだ。
ガッシャーン…!!
その後に訪れた沈黙。何者だ、とか。唸り声らしい声すら、誰も発さない。
相手も、呆気に取られているのか…?
いや、任務に忠実ならば、一人やられたくらいで、遂行を躊躇うことは無いはず。
じゃあ……
廊下の向こうの部屋で埃煙が舞っていた。あんな遠くまで吹っ飛ばされている。
誰だ……?
誰が、獣らに、序列を…?
穴のあくほど、扉の無い入り口を見つめ、そこから現れる人影を待つ。
しかし、いつまでたっても、彼は現れない。
「よう、Siriki。元気そうだな。」
救世主の声は、窓辺の方から響いていた。
「探したぞ。こんなところにいたのか。」
「Fenrir…様っ…!?」
第一声から、貴方の眉間に克明に現わされるほどの怒りを買うことをする自分が、ほとほと情けない。




