24. 真昼の決闘 2
24. High Noon 2
どちらも、防衛戦を気取る訳には行かなかった。
両者ともに構えて、待ち受ける選択を取るのは、相手が強敵であることを認め、慎重に立ち回ることを選び合った結果として、ある種当然と言えたが。
考えてみれば、余所者は、此方の方だ。
挑戦者が、果敢に立ち向かわなければ、無作法というもの。
振り返って見れば、俺の方から、同じ狼に、こうして語り掛けるようなことが、今まであっただろうか。
遊びですら、無かったような気がしている。
俺はいつも受け身、求められて初めて、重い腰をあげるのだ。
それが、こうして一歩前に踏み出す側に回ったというのは、心境の変化として、必要なことだ。
俺はこれからも、必要と思った戦いを起こし、身を投じなければならない。
自分が、火種になるのだ。あの神様みたいに。
神様のロールモデルが、あいつというのが、気に喰わなかった。
しかし、俺が知っている…俺が認めた神様というのが、あいつしかいなかった、と言うだけだ。
いや…あいつは、神様と呼ばれるのを、激しく嫌っていたな。
神様であることを辞めるのに、必死ですらあった。
どうして、そんなことを、思い出す。
怖がっているのか?
“グルルァァァァァァァァッッッ!!”
俺には分かる。
こいつの力量は、俺に匹敵するどころか、寸分違わない。
“フシュウルルゥゥウッッッ!!”
Vojaもまた、ようやく狼らしい威嚇の顔を、見せてくれた。
毛皮がぶわりと躍動して逆立ち、鼻先には、戦で上げて来た勲章の皺が寄せられ。
目線は少しでも、俺よりも高く在ろうと、がっしりとした肩の間に据えられる。
強者の構えと言って、差し支え無かった。
心底、安心した。
俺の仕掛けに、何ら狼としての違和感が無かったということだ。
俺がボロを出すのを待っている、狼の化けの皮が剥がれるのを。
そんな邪推は潰えた。
彼は、俺を狼として認め、戦いに応じたのだ。
ザッ……
初手を拝めるというのは、待ち受ける側の特権ではあった。
ゼロ発進加速は、俺のポテンシャルをはっきりと露呈させるだろう。
尤も、彼方もそれを、文字通りに受け取る気は更々無いだろうが。
その証拠に、Vojaは、此方の飛び掛かりに対して、構えることをしなかった。
代わりに前脚をふわりと浮かせ、応戦と呼ぶには余りに間の抜けた挙動を示したのだ。
その所作が余りにも軽すぎて、俺は、彼が跳び上がったのだと気付くのが、一瞬遅れる。
図体が大きく、筋骨隆々とした獣が、どしん、ずしんと、纏った毛皮を揺らしながら、ゆったりと動くそれと誤認させられた。
“……っ!”
彼は、俺が想像した以上に、頑強な身のこなしに長けている。
そして明らかに、領空権を得ることに慣れていた。
俺よりも高い位置から大口を開くと、無理やりにでも、此方の攻撃をキャンセルさせて来たのだ。
止む終えず口を閉じ、彼の落下地点から脇に逸れると、そのまま四肢で雪を掻いて安全な距離を取る。
“本気で来い。時間の無駄だ。”
“互いに、力量を推し量るフェーズは、既に終えているはずだ。”
“……ああ。”
そうだ。日常のトロットから、狩りにおける身のこなしまで、あらゆる所作から、俺達は互いの脅威を確認してきた。
正確な認知があってこそ、お互いの間で、戦わずして序列をつけることは難しい、そう判断するに至ったのだから。
だが、俺にとって必要なやり取りだった。
明確な、優劣を、初手から、見せつけられたと言えよう。
“何だ、今の動きは…”
息が、震えた。
尾が、萎んだのだ。
この躍動感。俺は、持っていない。
多分だが、身体を操る力において、彼方の方が数段上だ。
俺が、まだ完全にこの身体に、この世界の狼としての肉体に、リンクしていない、という意味でもある。
大狼が地を蹴るような馬力は、今の脚には無い。
今の、間合いを詰める瞬歩の動きだって、そうだ。もっと、Vojaの呼吸と呼吸の間を突けるタイミングを見計らえていた筈だ。だが、半歩だけ、彼が離地するまでに、届かなかったのだ。
俺が思い描いた戦闘の感覚との乖離を修正するだけの余裕が、こいつの前では無い。
来る…!
Vojaの、雪の中に隠れた前脚の僅かな筋肉の膨らみを、俺は見逃さなかった。
前脚を広げるようにスライドし、身を低くして構える。
“……っ?”
既のところで、俺は相手の牙先を躱し、顎下に潜り込むことに成功する。
お前が、上から獲物に襲い掛かるような攻撃をして見せたのに対し、
そんな戦法を、今まで知らず知らずのうちに取って来たのだ。
卑屈に、構えていれば良い。
急所でなく、足回りから崩していくのが、狩りの定石ではある。
しかし、序盤戦を飛ばして良いと言ったのはお前だ。
俺達の戦いもまた、序列を明らかにすることが目的であるのなら、どちらかが死ぬか、群れを去ることを選ぶことでしか終われないなら。
“……!?”
何故お前は、怒りの表情をそうやって忘れる。
その一点において、お前は狼らしく無かった。
Vojaは、俺がぐいと持ち上げた鼻先から、やはり顔を持ち上げるような逃げ方をした。
また、前脚で、飛ぶ。
その隙が、欲しかったのだ。
此方も踏ん張り、その動きに追随して大口を開く。
もう身を捩るような方法で、俺の口元から、頭を遠ざけることは出来ない。
“グルルルルゥゥゥゥッ!!”
俺の方が速い。牙を此方に剥けていない。
そのことをいち早く判断したVojaは、半身になって、俺から身を退ける姿勢を取る。その間も、口元だけは、此方にきちんと向けられたままだ。
首元は、齧りつかせないぞ、と。
なるほど、真正面から取り合うだけの反応が出来ないときは、そうやって、防御する。
致命傷を避ける動きだな。覚えたぞ。
“ヴォアアアアッ!!”
…では、代わりに、一発、与えられた機会は、貰っておくことにしよう。
“ぐうぅっ…!!”
腿の毛皮に、思いきり噛みついた。
甘噛みなんて、そんな遠慮はいらないはずだ。
すぐに、腿は口から離れて行ってしまった。思ったよりも、柔らかい肉質が、牙を掠める。
“……。”
口元から離れた毛皮は、じわりと赤く染まっていた。
毛の長い獣の血肉は、あんな風に染み出すのだ。
勿論、彼の視界にそれが映ることは無かったが、それでも喰らった一撃に、怒りを、露わにしようともしない。
同じ狼に、傷をつけられたのは、初めてだとか、そんな恥辱があっても良いと思ったのに。
彼の矜持は俺なんかと比べて、十分に完成させられているらしい。
“どうした、Fenrir。”
“……?”
お、俺の番だな…
ターン制の様相を呈している。
相手の攻撃に対処できるか、それが出来たなら、カウンターを当てられるか。成就して初めて、今のような一撃を与えられる。
そうして、拮抗していた互いの力量さを、少しずつ明瞭にして行く。
“グルルルルゥゥゥゥッ!!”
今度は遠慮せず、噛み傷をつけた側と反対側から、弾丸の如く接近する。
咄嗟に出る回避の動きからして、あいつは右利きだ。左後脚が最後に地面から離れる。
“ちぃっ…!”
彼の回避のため蹴りだした一歩より、やはり俺の方が速かった。
爪でがっしりと胴体を掴み、全体重を預けてやる。
獲物に齧りつくよりも、首回りに走る重力は凄まじい。
振り落とされかけるとほぼ同時に、相手がバランスを崩した。
互いに縺れ、転がり、どちらが先に体制を立て直せるかに焦点が移る。
上を取ったぞ…!
“ガルルゥッ!!”
Vojaは四肢を突っ張り、牙を喉元に近づけさせない動きで、致命傷から死守すると、
ぶるんと、身を捩り、俺の四肢の間から抜け出した。
“くそっ…”
腹を見せるのは、一瞬だけだった。
それだけでも、十分屈辱的だったに違いない。
それでも、冷静に致命傷を避ける動き。
お前は本物だ。
今度は、俺が、逃げる側。
“はぁっ…はぁっ…”
呼吸が、追いつかない。
長距離を追う、追跡者の動きから、獲物を仕留める、狩りの動きへ、ギアがスムーズに繋がっていく感覚が無いせいだ。
口元が、ギシギシと痛む。
俺は、日常に突発する喧嘩を、したことが無い。
まずいぞ。
神様としてのボロを出すことに気を使うよりも先に、
狼としてのボロを出すことになりそうだ。
そんなこと、あって堪るか…よりにもよって、こんな時に。
“……?”
Vojaが、初めて、相手を威圧する以外の構えを取った。
鼻先をずぼりと雪中に埋めて、此方を睨んだのだ。
“なんだ……?”
それは、切先を相手の視線から隠す所作に似ていた。
俺に、次の手を読ませない為の構えか…?
違う。
ただの、プレイバウだ。
待っている、のか?
え、今は、俺の番だったろうか?
興奮で頭に血が上って、数秒前のやり取りの契機さえ曖昧。
手綱が、手元でほどけている感覚。
“あ、あ……?”
だが、それが俺に、思い出させようとする。
混濁する思考の中で、明確に諭されている。
『低く、もっと低く構えるのだ。』
『こうやってだ。』
『主よ、』
『我が、狼よ。』
何を重ね合わせようとしているのだ。
これから、そうされると明確に予言されている気分だった。
それくらい強烈に、脳天を揺さぶられた。
恐るべきことだ。
表面上の善戦を披露しながらも、
激しく動揺し続ける俺に対し、
俺に一度、押し倒されてから、
確実に集中力を増している。
こんな所に、俺が師事すべき狼がいたのだ。
俺は本当に、幸運だ。
組み手のようなものに、付き合って貰っている。そんな安心感さえ。
雪が弾け飛び、俺の鼻先数センチの視界を遮ろうとする。
そんなもの、端から予測できたことだ。
その後。
その次の動きを、見逃すな。




