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23. 出遅れたソリトン

23. Delayed Soliton  


群れの踏み荒らした雪原を、ずんずんと突き進んでいく。


“Lukaはっ…Lukaは何処だっ…!”


“いるんだろうっ…?教えてくれ、返事をしてくれ…!”


狼達から注がれる、奇妙な造形の怪物でも見るような視線も、

淀んだ春の曇天が醸し出す不穏な空気も、知ったことか。


“おいっ…お前…Lukaの居場所を知らないか?”


“うーむ?…どうして儂に、聞くんじゃ…?”


寝ぼけ眼で、毛並みもぼさぼさの老狼を標的にするのは、間違いだった。

でも、そのはぐらかすような物言いにさえ、今は我慢ならなかったのだ。


“知っているんだろうっ!?Vojaと今の俺の、どっちの言うことを聞くんだ!?”


“う、うぅっ…?”


人間と違って、良心が傷んだが、血の気の多い若狼など、慣れていると信じよう。


“は、繁殖用の洞穴(Den)だ。そこで静養を取っているよ…”


“そうか…!”


見た目には雪でほとんど埋まってしまい、全貌を拝めるのはだいぶ先になりそうだが、大人の狼が一匹通れるだけの入り口を持った洞穴がある。

俺が初めて群れの狩りに参加した時、西側から攻めるルートを通った。あの時に身を潜めていた森を、更に暫く進んだところだった。


春先になれば、腹を膨らませた雌狼が、子供を産むために籠るのに使われる予定らしい。

通常の規模のパックなら、リーダーであるVojaの妻が、それにあたるのだろうが、どうやら別の番が、今春は子作りを行っているのだそうだ。

リーダー夫妻を核とした群れ形態から外れた、生存者の寄せ集めのパックならではの現象だが、俺は幾つもの家族が一カ所にまとまって生息する群れを見て来た。


要は、俺たち狼にとって、最も重要な存在が、身を潜められる、安全な場所。


“Lukaっ…!!”


そこで彼女は、悪化した容態が快方に向かうのを待っていたのだ。


入り口には、当然、侵入者を阻むため、最高の守護者がいる。


“おお、気なすったぞ。愛しの雌狼の救世主…”


“いや、真犯人のご登場だ。”


う、と思わず怯んだ。

こいつだって馬鹿では無い。既に、俺が犯した過ちに気が付いている。

見捨てたと思われても、釈明の余地は、残されていない。


“お前が、Lukaを介抱してくれたのか…?”


まず、彼女の無事を、確認させてはくれないか。

そう思っての、発言だったが、却ってVojaの反感を買ったようだ。


“夜が更けても帰ってこなければ、誰だってそうする。”


“少しでも、仲間のことを思う狼なら、当然のことだ。”




“や、やめてよVoja…”


“Lukaっ…?”


その声を耳にしただけで、俺は逆立てていた全身の毛先がしなるのを感じた。

入り口から這い出て、ふるふると毛皮を震わせたときは、思わず笑みが零れた。


“ちょっと、体調を悪くしただけじゃない…”


“ちょっと、だと?よくもまあ、若くて、回復力が高かったから、そんな口が聞けるのだ。”


“それにお前だけが、こいつの寄越した人間の喰い物を口にし、お前だけが、直後に嘔吐し、泡を吹いて倒れたのだ。”


“一体どこに、この狼に言い逃れる余地があると言うのだ…!!”


“……。”



“Luka…!口を酸っぱくして、教えた筈だ。人間の食べ物は、決して口の中に入れてはならんと…”


“狼にとっての毒が、混ざっていることがあるんだ…!”


“なん…だと…?”


毒、だって?


“それをこうして、お前は身を以て知ることになった!”


“でも、今はもう、大丈夫だから…”



“それに、Fenrirさんは、食べても平気だったじゃない…?”


“ちょっと脂っぽくて、気持ち悪くなっちゃっただけで…私の身体と合わなかっただけっていうか…”


Lukaは俯いて、窶れた表情で、ちらとだけ、此方を見つめる。

まだ、体調は、芳しくないのだ。強がっているが、一目でそうとわかった。


気が付かなかった。

俺が今まで、神様の世界で、狼たちと一緒に分け合い口にしてきた、人間の食べ物が全て、彼の配慮によって無毒化されたものであったということを。

俺の ’餌やり係’ だった、神様のお陰で。


知らなかった、では済まされない。

何がいけなかったのだ?どの食材が、狼にとっての毒になった?

何でも旨いと口の中に放り込んで来たせいで、皆目見当がつかない。


“でも貴方だって、言っていたじゃない!Fenrirさんがいれば、これからの繁殖の時期を耐えきれるかも知れないって…”


“人間の住処を自由に行き来できるFenrirさんなら…”


“そう言う意味で、言ったのではない!俺は端から人間の食糧など、宛てにしてはいなかった!”


“実際、もし今回のような事件が起きなければ、群れの全員が疫病に侵されるところだったのだぞ!?”


“こいつ一匹を除いてな…!”


俺を見る目が、怯えに満ちている。

ありったけの憎しみを込めて睨みつけてくれたら、どれほど楽に、笑って誤魔化せただろう。


“自分の身は、自分で守るしかない。そのことを覚えられて、良かったな。Luka。”


“これに懲りたら、もう人間の住処を覗きに行こうなんて、変な冒険心は捨てることだ。”


“……?”


“あそこには、何も無い。…それどころか、お前を死に至らしめる罠で犇めいている。”


“何よ…Fenrirさんみたいに、足を踏み入れたことも、無い癖に…”


“そうだな、俺は、こいつとは違う。”


“俺はお前を置いて、人間の住処へ走り去って行ったりしない。”




“違う、違うの…”


“Fenrirさんは、悪気は無かったのよってことが、言いたいだけで…”


“私を、喜ばせてくれようとして…”


“はぁー…”




“お前…まだこいつが、『普通』の狼だと、思い込んでいるのか?”



“Luka…目を醒ましてくれ。こいつは、狼じゃないっ…!!”


“え…?”


ぐさり、と、眉間から首元にかけて、貫くような古傷が疼いた。

俺は、その言葉を、鼻で笑って受け流すことが出来なかった。

虚を、突かれた。突風に春を知らされるようだった。

狼である。その確信を揺らがせずにいることさえ、結局は、他者に激しく依存し、それ故こうして俺は、枝先の蕾のように、激しく身を煽られている。



“狼の皮を被った…得体の知れない怪物だっ!!”


尾の力が、完全に抜ける、一撃だった。

こいつに対して頂いていた、一片の憎しみが、跡形も無く消し飛んでいく。


“ちょっと!Vojaっ!!”


グルルルルゥゥゥゥッ!!


対照的に燃え上がる、彼女の声。

Lukaが、初めて、雄狼に対して、上唇を捲り上げ、闘志を剥き出しにして威嚇したのだ。


虚勢であっても、ここまですることに、俺ばかりでなく、Vojaさえも正直言って面喰っているようであった。


“わ、分からないか?Luka…どう考えても、俺達と同じように生きて来ていない。”


“それは、お前も、薄々感じていた筈だ。”


“その言い方はあんまりだわっ!”


“あなたがっ…あなただって、他所の群れに加わったら、そう思われるってことよ!”


“力の強い狼が、群れの中に現われれば、誰だって、脅威かもって思うわ…”


“確かにFenrirさんは、狩りだって抜群に上手いし、人間の住処からさえ、獲物を取って来られる。凄い方よ。”


“でもそれを、異質だなんて…”


“そんなの、群れからの迫害だわ!”


“私は…そんなの違うって信じてる。”



“そんな寛大さも、持ってないなんて…”


“今の貴方に…群れのリーダーの資格ないわよっ!”


“っ……。”



“Fenrirさんは、狼ですっ!!”


“私を助けてくれた、本物の狼なんだからぁっ…!!”


“うぅっ…うぁぁっ…ぅぁぁぁぁぁ……”


言い切ったところで、緊張の糸が解れてしまったのか、Lukaはぐすぐすと泣き出してしまった。

余りの弱々しさに、二匹揃って、尾を垂らしたまま、閉口してしまう。


窶れた頬の毛皮を、涙がするすると流れていく。






“…おい、Fenrir。”


どれくらい、時間が経っただろう。気まずい沈黙を破ったのは、僅かにLukaの口から漏れた咳、続いてVojaの口から飛んだ、鋭い吠え声だった。


“こっちに来い。”


Vojaは鼻先で杓って、白樺林を抜け出る方角を指す。

場所を変えよう。Lukaの前では、話にならない。と言うのだ。





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