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64. 隠遁した剥製師

64. Reclusive Taxidermist 


停車したのを感じ取った僕は、再び馭者が鞭を振るう前に席を立って声を張り上げた。


「ご苦労…!!」


恐る恐る扉を開いて、安堵の溜息を吐く。


迎えの類の姿は無かった。王城の膝下へ舞い戻ってきたのでは無い。まずは第一関門突破と言ったところか。


まるで媚びへつらう態度を示さなかったが、少なくとも、領主の命令を聞く耳は持っているようだ。


「すぐ戻る。此処で待て…」



降り際に盛大に水溜りに足を突っ込んだ僕は、苛立ちに溜息を吐きながら、建物の間からのぞかせる明るい雲空を見上げる。外套の裾は、既に濡れていた。


「それで、此処は、何処なんだ…?」


体感、結構な時間を、馬車は走っていたような気がする。少なくとも、商業管区を抜け出たあたりだろうと目測はついた。

実際、人気はめっきり減り、僕が不用意に出歩くことが、益々躊躇われるような気がしてならなかった。

景色には、全くもって見覚えがない。しかし微かに未だ香る潮の匂い。

もし此処が北部なら、まだ僕が料理店を営んでいた頃の地理感がはたらきそうなものだから。差し詰め、ヴェリフェラート南西部と言ったところか。



こんなところに、何の用事が…?

彼と同類の人物、爵位を有した者たちとの面会があると言うのなら、この寂れた裏通りに豪邸があるべきだ。

Sebaが足繁く通っている場所が、教会以外にもあるとしたら、それは何処だろう。


まず此処は…僕の領地か?

正直、侯爵様の手の届くところというのが、何処までなのか、皆目見当も付くところではない。

実のところこれも職務の範疇であるのかも知れないが、僕が今まさにそうしているように、彼は退屈しきった屋敷での生活から抜け出しているのだ。それは少なくとも庭先でなければならない。


お忍びのご遊覧に、統治下であるかどうかは、さして問題無いのかも知れない。

だが、彼の足元には、それこそ何でも転がっているのでは無いか。


あの第7、8管区の市場で手に入らないものなど、無いはずだ。

店前に陳列されていないようなものでも、それこそ何だって。


市井に密会したい人物がいるのなら、文字通り取り寄せれば良い。アーデリンのように。



此処にしか手に入らないような何かが、きっとある。


「それで…、それが此処に?」




寂れた、というより、既に廃業している。一目見てそう思った。


窓ガラス、などというものは無い。ただ、塗装も剥げて、判読も許さない、黄銅に燻んだ看板が扉の上の針からぶら下がっている。

そう、それだけが、この場所が商いをしていたことを示す唯一の目印だったのだ。


胸が痛んだ。リフィアもずっと、僕が帰ってくるまで、そうしてくれていたんだ。

そして、それを下げることを選ばなかった、というのは、ある種の矜持のようなもの。その営みを続けることが実質的に不可能だったとしても、生業に縋ることは、それまで生きてきた自分を否定しないことでもあるのだ。今は、そう身に染みてわかる。


もし、此処が、食事処だったらどうしよう。

酷く同情を誘われ、店主の話を聞きたがるような、面倒な客になってしまう自分が、容易に想像できた。



カランカラン…


入店を告げる鐘の音。家で使っていたものと同じだ。


開いた途端に、締め切られた部屋から漏れ出すツンとした刺激臭が鼻を突いた。

マントで思わず鼻を覆うも、しかし、それを超えて漂う、強烈な獣脂の臭い。


薄暗い店内の梁からは、いくつもの影が垂れ下がっていた。



だがそれらは生き物の姿というより、

途中で時間を止められた残骸のようだった。


棚には大小の球体のガラス細工が、並んでいる。


琥珀色。

煤けた黒。

淡く濁った灰色。


それらはまだ、

誰の顔にも嵌められていない視線だった。

それが、日の光を遮られて蔓延る者たちの正体だった。


鹿の頭部、

熊の前脚、

翼を広げた鷲。


これは…



「……?」


いいや、一つの組みだけ、生きた視線が混ざっている。

本能的に、視線を店の奥へと飛ばす。


音もなく奥から現れた男は、

年齢の判断がつかない顔をしていた。


頬はこけ、目の周囲だけが妙に濁った光を宿している。


だが一番目を引いたのは手だった。


指は節くれ立ち、

爪の縁は瘡蓋のように黒く染まっている。

そして細かな針穴の跡が、

古い革のように手の甲へ点々と残っていた。


長年、皮を縫い続けてきた手だ。


「……。」


いらっしゃいませ、挨拶のその一言も無かった。

暗がりの中で代わりに差し向けられた、余りに下手くそな笑顔に、ぞっとさせられる。


余り、人のことを言えたものでは無いか。僕の不自然な愛想も、王城の者たちの不信感を募らせているのに違いないのだから。


「ええ、ええ。こちらです。どうぞ…」


エプロンに染みついた黒いシミ。あれは血か?だとしたら何の?

今更、そんな痕に一々過剰に反応などしてもしょうがないのだが。僕はSebaが抱えている猟奇的な趣味への妄想をひたすら掻き立てられていたのだ。


自分でも、何を言っているのかわからない。しかし…

人間の血。そうだったら、一番腑に落ちるじゃないか。

彼と言う人物を描写する挿入話に、これほど相応しいものはない。


人間の意匠(Design)を作らせている、という発想が、自らのうちから流れ出たのでは無い。彼の無害そうな言動、そして地下世界で僕が見たものが、そうさせたのだ。

あの、全身に艶のある黒革を巻かれた囚人は、きっと保存状態が良くなるのに違いない。


彼が気に入ってしまった人間は、永遠にあの殻の中で生かされるだけでは(とど)まらないというのはどうだろう。真の外皮を傷つけられることなく、それでいて終ぞ全ての感覚を奪われたまま動かなくなった身体は、内側から造り変えられる。


ある種、人間が、人間でなくなる工程の半分を、この偏屈そうな老人は担っているのだ。

もう半分を、僕の目の前でそれを披露した、あの狼頭が。


ふと、興味が湧いた。Sebaは、どんな人間が好みなのだろう。

どんな人間の外見を保ちたいと思い、またどんな風に作り変えたいのだろう。


真っ先に浮かんだ、彼女の顔。もしかしたら、アーデリンは、この世界に深く踏み込み過ぎてしまったのでは無いだろうか。

彼女が危ない。先ゆく妄想が頭を擡げたときだった。


「申し訳ありやせん。まだ、一匹しか完成しておりませんで。」


店主は、曲がった腰から更に頭を下げ、また笑うような仕草をした。

歯の抜けた声。聞き取りづらいが、人間を、一匹、二匹と数える。それもまた、けっこうな善がり方じゃないか。


「どうぞ、散らかってますが。」


しかし、僕の卑屈な妄想は、良い意味で裏切られ、想像を超えていた。


「っ…」


顔の下半分を覆っていたマントの中で、摘んでいた鼻に流れ込む。

ぐわりと、薬品と獣脂の混ざった甘ったるい匂いが眼底を揺るがす。


奥の作業場は、店内よりも一段と暗かった。それでも、牢獄のそれに比べれば、昼間のように明るい。


店内に反し、作業台の上だけは、職人に似つかわしく無い几帳面さがみて取れる。

研ぎ減った解体ナイフ、骨を削る小型の鉋、そして防腐薬の瓶が整然と並べられている。


足元の桶には腹から転び出たであろう肉片と腑が艶やかに沈んでいた。


そして、作業台で四肢をだらりと伸ばして横たわっている、獣。



そう、解体途中の屍体が、横たえられていた。

安堵すべきだろう、少なくともそれは、人間では無かったと。


その腹部は胸元から後脚まで真っ直ぐに裂かれ、

皮だけが慎重に剥がされている。


肉はすでに削ぎ落とされ、

内側の皮には白い脂の筋がまだ残っていた。


痛ましい傷だらけの毛皮の中で、取り分け目を引くものがあった。



…右後脚だ。


何かをきつく巻きつけられていたかのように、毛皮が擦り切れている。


眼球が、ぶるぶる、ぐるりと回転したような錯覚に襲われ、押さえつけていた光景が、脳裏を掠める。


これは…

僕が戦った、狼の英雄。それと並んで闘技場で、景品のように吊るされていた、


いや、きっと思い違いだ。

だが、もし…そうだとしたら。


「……。」


違和感は、実にシンプルな結論だった。


これでは、剥製に使えない。

資料として保管するような、高尚な目的を除けば、その本質が、見て、愛でるものだとするならば、その毛皮は、衣装に使えるほど、美しくなければならないのではないか。


もし、この戦死者の姿にも、ある種の芸術があるというのなら、それも良いが、だとしてもこの傷が、剥製として長持ちする個体とは、とても思えない。


「此方はもう出来てます。我ながら、素晴らしい出来ですよ。保証します。」


…?

店主がそう言って恭しく差し出したのは、僕が腹に抱えられそうな大きさの、手提げ袋だった。


「さ、さ…これだけも、お渡しいたしますんで。」


僕の鼻先を覆っていな方のそれをマントの中から掻き出し、人間のそれとは思えないほど硬い手のひらで覆い、無理やり持たせる。


「1/3とは言いません、前金だけでも…」


両手を揉むように擦り合わせ、下品な笑みらしきものをまた浮かべる。


「あ、ああ…」


「分かった。預かっておこう。」


僕は、オモニエールを腰元から外すと、袋を開かずに、そのまま机に置いた。


「今後とも、ご贔屓にお願い致しやすよ、へっへっへ…」


下げた袋から、何か硬い突起が腿に当たる。


ようやく繋がった。


必要なのは、首から上だけ、なのだと。


「また来る。なるべく、早く頼むぞ。」


僕はマントの中に袋が隠れるように身を包むと、それらしい言葉を吐いて、扉に手をかけた。


「ええ、ええ。勿論でございやす、旦那様…」


最後まで怪しまれずに済んだなら、後のことはもう良い。




あの狼頭を目にしておられるはずだ。

Fenrir様がこれを見れば、どんなに怒り狂うだろうか。



でも…

これが、マルボロ家の抱える拷問吏が嵌める仮面の正体であるのだ。


袋の革紐をきつく手の甲に巻きつけ、恐る恐る中身の頬に両手を添える。




これがあれば、僕は。



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