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58. 死体漁りの執政 2

58. Scavenger Regent 2


血のつながった家族では無い。毛皮の色も、体格も違う狼達たちが、全部で八匹。

群れの規模としては、大したものでは無かったが、そんなことは今の俺にとって、些細なことだった。


それなりに散策した地上で、野犬のマーキングの痕跡など見つから無かった。

それは寧ろ、奇異に映るべきものであった、この国で、狼の造形に何らかの迫害の重ね合わせがない限り。

つまるところ、彼らの根城はそこには無い。此処だ。この地下なのだ。


“良く来たね!歓迎するぜ!”


“此処は地上と違って、安全さ。安心して過ごすと良い。”


そして、彼らはVojaの群れとは対照的に、こちらがどん引くほど友好的であったのだ。


“なっ…違う!俺は…!”


理由は、否応無しに理解することができた。

俺は、前にもこういう群れに出会ったことがあるから、経験がある。

いや、その群れの一員だったこともあると言うのは、些か烏滸がましいことだろうが。

理由は、この群れに、リーダーがいないからだ。

もっと正確に言えば、この群れに、狼の、リーダーはいない。


「おうおう、そんな押し寄せるんじゃない。まだ餌の時間じゃ無いぞ。」


こいつが、この群れを率いているのだ。


言い方を変えるなら、この群れのメンバー達は、彼を長と認めている。

…この、侮辱的な姿をした、狼頭をだ。


忽ち俺は、菫腺(すみれせん)の臭いを嗅ごうとする、礼儀を弁えぬ徒党に囲まれてしまう。

別に彼らに他意は無い。初対面同士の、極めて自然な挨拶だ。

こちら側に、全くその気がないことを除けば。


“何処から来たんだい?君。とっても、不思議な臭いがするけど…”


“グルル…気安く寄るなっ!”


「そう怯えなさんな。まだ引き合わせるべきじゃなかったかな…警戒心強いな、やっぱ。」


“お、俺は怯えてなど…!”


「でも、そろそろ、俺も行かなくちゃならないし…困ったな。」


違う、俺が用があるのは、お前の方なんだ。

他の誰にも俺が喋るのを聞かれたく無かったから、用心してタイミングを見計らっていたけれども、それも、もう限界だ。


「アウッ!ん゛ん゛っ…ウオォォォーーー…」


またも、喉に引っかかりを覚えながらも、的外れとまでは行かない呼びかけの吠え声。

お陰で完全には無視できない分、却って不愉快だった。信号的意味を解釈させようとする意味で。


そして、その返答を寄越したのが、同じ人間(どうほう)、いや、狼頭だというのも、吐き気がする。

独自体系の言語、とでも言うべきだろうか。


「……。」


先程俺たちがいた小間使い部屋にひっそりと現れたのは、見たところ、先ほどの神の名を語った捕虜を拘束していたもの達とは異なる、女性の曲線。

一つ、更なる苛立ちを覚えさせられることがあるとすれば、その狼の剥製もまた、生前は雌の狼であったことだった。

どうして、そこまでする必要がある。宗教と呼ぶには、余りにも野蛮で、部族的だ。

そして、何らかの信奉があったとして、神の像が、少なくとも俺には見えてこない。

その発見が先行して、彼女が仲間にしては受けている不当な拘束は対して興味を引かなかった。

両腕だ。緩い手枷を嵌められている。よく見れば、素足にも。


「馬車を一台、屋敷の前に付けておいてくれ。坊ちゃんが教会から戻る前にだ。」


「…もし、乗車を拒まれたなら、その時は、そのままお屋敷に通して良い。後は俺がどうにかする。」


狼頭は、頷いたのか、被り物から読み取るのは難しかったが、口を開かぬまま、狭い歩幅で暗闇の向こうに姿を消した。


「俺が怒られる分には構わないが、どう報告したもんかねえ…」


彼女を見送る狼頭は、手応えの無いように首を傾げたが、すぐに狼達の熱烈な歓迎に注意を逸らされ、俺の処遇を決め倦ねて溜息を吐く。


「一応、ちょっと見てくか…駄目そうなら、一旦空いてる牢屋に待機で。段階的に、慣らしていこう。」


“ふっ、ふざけるなっ!俺を誰だと思ってる!!”


完全に動揺しきってしまっていた俺は、この瞬間だけ、人間の言葉で喋るだけで、容易くこの状況を脱することができる事実を失念する。まるで、こうして虚仮にされ、あの(Skyline)が覚えていたであろうもどかしさを享受するかのように。


「おっ…俺の方に来るのかい?珍しい狼だな君は…」


嬉しそうにしやがって、噛み殺すぞ。


「まあ、でないと坊ちゃんの隣で、あんな犬みたいに大人しくしないか。きっと前も、人間に飼われてたんだろう?」


“きっ、貴様…!!言わせておけばっ…!!”


「こっち来な。ちょっと興奮しすぎだよ。落ち着いたら、もっかい皆と挨拶しておいで。」


彼は、一度小間使い部屋の鉄格子を開き、切り株をそのまま持ってきたような、簡素な椅子を引き摺って来た。


ガタン…


腰掛けると、また腰の布袋から餌を取り出し、俺に餌を差し出そうと試みる。


“いやっほう!!”


そして、さっと手を掲げ、見せかけの唸り声を発して、お前達にはやらんと警告するところまで一連の寸劇だった。


“下らない…”


しかし、住民は、意外と至る所に潜んでいることが分かった。人間の言葉は、この世界では少数派(Minority)。この狼頭以外の話し声が、殊更奇妙に映ることは、間違いない。どうしたものか…


何度も俺に接近を試みようとする狼達を尻目に、ちゃっかり一緒に持って来ていた酒瓶を携え、ぐいと傾ける。


「…にしても、坊ちゃんも、どうして急に、狼に興味を持つようになったんだかな。」


仕事着が無口を強要していたのか、先までが嘘のようだ。隣の俺に向かって、独り言を垂れ流す。

こいつもあれか、人間の言葉を相手が解していると一方的に想定して、心の蟠りを濁そうとする人間か。


「いやさ?地下では、こんな格好してるから、それが影響しているんだろと言われたら、その通りなんだけどさ。」


「…でも、ここ最近になって、急なんだよ。」


しかも、無性に喋りたくなる質だ。面倒臭い。


「あんたと…あの…お友達かい?を連れてくる前に、坊ちゃんが、街の用水路で倒れている所を偶然見つけたんだ。」


俺の居ぬ間に、そんなことが?

あいつは、そんなことは一言も俺には喋らなかったが。


「きっとヴァイキングから、まだ目をつけられていたに違い無いんだ…あいつら、このままじゃ面子が保てないって思ってるんだろう。敵討じゃあるまいし…」


というか、一人で出歩くのは、流石に馬鹿だろう。

俺と接触できる術を求めて、というのは一つ有り得るが、らしくない。


「だから、悪かったとは思ってるんだぜ?こうやって夜中に連れ出したのは。」


「ただ、坊ちゃんが、この場所に強い思い入れがあるのは知っていたから。

エマ様には申し訳ないけれど、坊ちゃんはきっと、王城で過ごすのは退屈すると思って…」


……?

さっきの独り言もそうだが、話が、噛み合わないな。

Sebaが、王城に?

妹と会うためにか?

あいつの話では、顔も合わせたく無いという口ぶりだったが。

それとも、感動の再会もそこまでに、因縁のことで嫌気がさしたのか。

いずれにせよ、ここが恋しくなって、というのは事実なのだろうが。


「その時も、坊ちゃんが、抱えていたんだよ。」


…?


「おーい、アドルフ。」


最悪だ、狼に、名前を付けていやがる。

吹き抜けの中央から離れ、俺たちとは距離を置いていた雌狼が、その呼びかけに反応した。

暗闇に溶けそうな、艶やかな黒毛だった。

番を、設けている。速やかに俺から興味を失った雄狼が、彼女の耳に齧り付き、丹念に毛繕いを続けていた。長を除けば、彼らが、この群れの中心と言えるだろうか。世話焼きなこいつらは、この二匹の懐の広さによって、受け入れられた孤児、という訳だ。

彼女は、ぐったりとしているように見えたが、頭を擡げ、すぐさま、何かを口元に咥えて、長の元へとやって来た。


携えていたのは。


「この仔…なんだが…」


「えっ…」


俺はようやく、反射的に、人間の声を取り戻す。

今までの、生理的な不快からくる反応からは出てこなかった、人間の言葉での、感嘆。

それが、同胞の生命によって齎されるというのは、なんとも皮肉な話である。


実際、此処最近は、こういう小柄な軍勢に翻弄されっぱなしで、だいぶ疲弊させられていたのだ。神経質になる、というよりは、最早トラウマを植え付けられているに等しかったが。

一匹だけとなれば、話は別だ。


「元気してるかい?良かった、大丈夫そうだな…」


仔狼だった。

毛色での判別には、まだ早かったが、確かに、母狼に首元からぶら下げられていて、この仔の白毛はとりわけ奇異に映った。


「奇跡的に、息を吹き返してね。」


「う゛っ…ちょっと失礼…ん゛っ…ぉごっ…」


一瞬、また狼語の真似事をするのかと思ったが、そうではなかった。

見れば、自分の喉元に太い指を革手袋の上から突っ込み、弄っている。

ちょうど、囚人らに向かって、躊躇なくそうしたように。反応までそっくりだった。


「うぐっ…ぇぇっ…げぇぇーっ…お゛お゛っぅ…」


は、吐きやがった…

ま、まさかこいつ…?


酒混じりだろう。一度消化してアルコールも抜けているってか。

いや違う。今、飲んだばかりだ。大丈夫か、これ。


それでも仔狼は、よたよたとした足取りで、その吐瀉の上に腰を下ろし、夢中でそれを貪る。

燻んだ白毛だけが、汚れた食卓の上で、やけに目立った。


…?

見れば、この仔狼の目…


「後遺症だろう。この仔、目が見えていないっぽいんだよな…」


そう、白濁しているのだ。中央に、なんとなく、黒い円が浮かんでいるが、それが動く様子は無い。


「まあ、俺もあんまり、人のこと言えた口じゃないんだけど。」


「飲み過ぎで体もボロボロだし。地下では暗闇で過ごしっぱなしでさ、ははは…」


「おまけにあんな被り物しているからな、地下では、ほとんど目の前のものが見えていない。」


「それでも、あんたが、大変な思いをしてきたってのは、わかるんだ。」


手を耳の間に伸ばそうとするのを素早く察知した俺は、早々に腰を上げる。


「此処を、新しい縄張りだと思ってくれれば、とても嬉しい。悪いようにはしない。人間に怯える必要もないから。」





……。


「此奴を、何処で拾った。」


群れの爪音が止み、一拍置いて現れた静けさは、俺がまさにこの世界で期待していた平穏だった。




「……!?」


「しゃ、喋っ…た…?」




「不味いな、ちょっと飲みすぎたか。だいぶ頭が…」


「お前が仕えている主人を、お前は何処で見つけた。」





「……あ、あ…」


彼はあんぐりと口を開いたまま、現実と酒に塗れた妄想の区別をつけられずにいる。



「言っておくが、お前が狼の言葉を解し始めたなどと、思い上がらないことだ。」


「……。」




「…ってことは、あんたが、坊ちゃんのことを助けてくれたんだな?」




「…俺が?何の見返りがあって?」


「こんな所に連れて来られることが、見返りだって言うのか?」




「何となく、そんな気がしたんだ。」


「でなきゃ、坊ちゃんが、あんな風に心を許すはずがない。」


「きっと、あんたのこと、神様だと思ってるよ。」




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