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58. 死体漁りの執政

58. Scavenger Regent


牢屋の立ち並ぶ廊下で、ばったりと鉢合わせしてやったところ、面喰らわされたのは俺の方だった。


「あんた…坊ちゃんが連れて来た狼だよな?」


…喋った。

籠った声だが、はっきりと、人間の言葉で。

なんで、俺が、こんな感想を吐かなくちゃならんのだ。

普通、狼の姿の俺が人間の言葉を喋って、相手が慄くものだ。



だが、此奴は、トールへの拷問の最中、一言も言葉を吐かなかった。

まるで、その被り物に、そうした役割を押し付けられているかのように。


「先週来てくれたのとは、別の子じゃないか。あいつのお友達かい?」


「あれも後ろ足酷く怪我していたが、あんたもじゃないか。誰にやられた?普通の喧嘩じゃ、牙も、ああはならんだろ?」


……。

これには、内心ぎょっとさせられた。

Sebaと違い、あのマスクの裏からVojaと俺の見分けが、ついていると言うのだ。

おまけに、一目で毛皮の上からは分かりづらい怪我を言い当てた。


あいつの右足を庇う歩き方は確かに目につくだろうが、牙の欠け方について不自然だと言えるのは、並大抵の知見では無い。年齢とか、食糧事情とか、それこそ狩りだとか、幾らでも加味できる要素はある。


狼か、野犬の習性に知悉していることが、今の発言からだけでも窺い知ることができた。

わかった、この狼頭の本職は、狩人だ。それも凄腕だと認めてやろう。


お前が自慢げに被っているそれは、お前自信で狩った戦利品(トロフィー)というのだな。

それで、そんなお前が、何故こんなところで、あの異常者が催す見せ物を取り仕切っている?


「うーん、困った。何も聞いてないんだが…こっちで預かっておけば良いのか?」


…なんだ、俺のことを、Sebaに拾われた野犬か何かだと思っているのか?

それは、俺の先の予想とは符合しなかった。

狩人たるお前が、何故俺に対して保護などという提案ができる?

それとも俺に、猟犬(ハウンド)の見込みがあるとでも踏んでいるのか?

生憎、俺もお前のご主人様から、お前について何も聞かされていないんだ。

だから、こうして直接接触を試みている訳だが。


「俺もちょっと忙しくってな。これから坊ちゃんを王城へ送り返さなきゃならない…」


狼頭は腕組みをして、暫く考える素振りを見せると、無表情の顔に埋め込まれた瞳を逸らして背を向けた。


「まあ良いや、ほら。」


彼は腰紐に結え付けていた布袋の口を開くと、傷だらけの手袋を突っ込み、中身をひとつまみ、握って俺の目の前に差し出した。


「こっちにおいで。食い物ぐらいは、すぐに用意してやれるから。」


……。


反射的に、匂いを嗅いでしまったが、なんだこれは。

お前の体臭がべっとりだが、焼き菓子か何かのようだった。


まさか、餌、のつもりか…?


「いらない?まあ、警戒するか…大変な思いしてきたんだろう。あんたも。」


「でも、此処にきたのは、幸運だと思うぜ。さっき、急に上を占領していた連中が此処へ送られて来たんだ。…きっと、エマ様の方が暗部を寄越したんだろう。これで屋敷の中も自由に行き来できるし、(うち)の食糧事情も解決しそうだ。」


そのヴァイキングを全員、お縄にした張本人が、此処にいるんだがな。

それよりこの狼頭、あの兄だけでなく、妹も知っているのか。地上での顔は、それなりに効くのか。


「まあ良いか。お腹空いたら、あいつらみたいに奪おうとするだろうしな。おいで。」


此奴が先に俺を驚かせたせいで、完全に、人間の言葉で話すタイミングを失ってしまった。

しかし、腰を落ち着ける場所があると言うのなら、そこで切り出せば良いだろう。


…って、違う違う。

何を穏便に済ませようとしているのだ。

俺は、狼を侮辱したこの造形が気に食わないんだ。

今までは、散々に囚人たちを痛めつけ、独白を促して来た身だろう。今度は俺が、必要ならお前にちょっと手荒な手段で、聞きたいことを喋って貰うだけのこと。


と、不意に彼は振り返って腰を降ろし、その剥製の顔をぐいと俺に近づけたのだ。


…!?


微かに鼻先が触れ、生命の無い剥製から、かつてそいつだった狼の臭いがする。

それで、挨拶のつもりだと言うのか。

気に食わない。喉元から、下位がする甲高い鳴き声を真似やがって。

知っている、此奴は、狼のことを。


「そんな怖い顔しなさんな!警戒せずとも、俺は君のことを傷つけたりしないよ。」


「……。」





先は見降ろすことの出来なかった最下層の回廊は、闘技場の器を裏返したような吹き抜けを囲み、その空洞を鉄柵で撫でるように続いていた。


灯りも無しに階下へと降っていく隙だらけの此奴の後ろを歩きながら出来ることと言えば、この狼頭から仄かに流れ落ちてくる臭いを咀嚼することぐらいだ。


首より下の人間の部分―といっても、全身そうなのだが―は、非常にだらしない体型をしていた。

血塗れになるのを想定しているからなのだろう、上裸に前掛けを身につけただけの格好だった。そのせいで、垂れた腹もそうだが、背中周りも本来逞しそうな筋肉を覆い隠してしまっている贅肉が丸見えだった。


そして、この距離まで来ての第一印象は、恐ろしく酒臭い。

彼の吐息は狼のマスクの内側に充満しているのだろう、口元から白い湯気として漏れ出し、漂ってくる。

誇張無く毎日浴びるように飲んでいるのでは無いかと思われるほどだ。


だがその理由が、この汚れ仕事を終えた後の消毒、そして臭い消しの為だと言うのなら、俄然納得がいく。

お前がどちらを表としているのかは知る由もないが、必ず地上での顔がある。

しかも、人前で触れ合う必要のあるそれだ。だから、狩人という先の推測は見当違いだったようだな。

それは、何だ?直に、わかることか。


「おいで、大丈夫。閉じ込めたりなんか、しないから。」


彼は喉を鳴らす真似をして、顎で俺を招き入れる。

鉄格子ばかりが続く廊下の中で、此処だけが唯一、木板の扉だった。


部屋は囚人にくれてやっても良いくらい、簡素なものだったが、一つだけ、壁にかけられている衣服に、目がいった。

地上で身につけているに違いない、煌びやかな洋服だった。

やはり、Sebaに表向きでも使えている人間だったか。


吹き抜け側に面した格子窓が嵌め込まれているかと思いきや、地下にも闘技場と同等の構造、と言っても良かった。壁一面の代わりに鉄格子で隔てて、向こうに真っ暗闇の空間が見える。


「此処が俺の部屋だ。あんまりお客さんを入れたことは無いが…」


彼は両手を自らの頬に当て、ゆっくりと、自らを覆っていた化けの皮を脱ぐ。


「ふぅー…っ…」


頭をぶるぶると振り、髪を掻き上げると、目の前には、Sirikiより十は歳を喰っていそうな、顔立ちの良い壮年が現れた。


……。


当然のことながら、面識は、無い。

しかし、Sebaと密接に関わっているのなら、いずれ地上で会うことになると強く予感した。

その時は、俺の正体を嫌でも思い知らされることになるだろう。


被っていた狼頭を、棚の上に大事そうに置くと、愛しげに頬の毛先を整えて、鍵を閉める。


「あっ…被っていたままの方が良かったかな…?警戒心強いみたいだし。」


他にも幾つか、同じような頭が並んでいたのが見えた。

先程引き連れてきたメンバーのものだろうか。

いまいち、彼らが拠り所にしている教義と、狼の関係が掴めない。

確か、Sebaが言っていたな。

囚人が被っている人間の皮から、本性を誘き出すための、友好の証だとか。


「じゃ、代わりにこれでも…」


ばさり、重たい布が翻る音と共に、彼の足元が消えた。

一発でわかった。闘技場で、あの囚人…トールが身に纏っていたマントだ。

首元を灰毛皮で遇らい、留め具を薄い菫青石(アイオライト)で飾っている。

此奴が剥いで、使っていたのか。


「やっぱりそうだ。みんな、興味示して、集まってくるんだよな。何か、狼にしか分からない、良い臭いがするんだろう?あの狼もそうだった。」


震える手で卓上の瓶を掴むと、そのまま口を付け、喉を鳴らして飲み干す。


「ぶはーっ…冬も終わんねえかな。頭無しじゃ、外は寒くて敵わねえ。」


酒だ。此奴の纏う、狼以外の臭いの大半が、それだった。

仮にこの場で顔を拝むことがなかったとしても、地上で出会えば、直ちにお前と分かるだろうと確信する。


「多分ヴァイキングも、狼とは仲良くしてたんだろうなあ。お前も、何処から来たのか知らないけど、あんまり人間の縄張りに迷い込むんじゃないぜ?最終的に、坊ちゃんに拾われたから良かったけど…」


好き勝手に知ったことを。

なるほど、俺のことを、Sebaが拾った捨て犬だと思っているのだな。

主人の代わりに、面倒を見なきゃならんとも考えているらしい。

どいつもこいつも、生憎俺は、用が済んだら、出ていくぞ。


もう我慢ならない。

俺は口を開きかけた、その時だった。


「アウーッ!ウッフ!ウッフ!」


……っ!?

突然、狼頭だった男が、奇声を発したのだ。

下手とは言い難い。ネイティブでは無いが、十分に通じるほどの。

そして、その直後、鉄格子の向こう側から、石畳を引っ掻く、チャ、チャ、チャという複数の爪の音。


「おーい、新入りだー、みんな、仲良くしてやってくれな。」


……っ!?


“なんだいー、ボス?”


“食い物なら、足りてるぜ?あんたがさっき持ってきてくれた分で、十分だ。久しぶりに、あんな旨いもの…”


“お、おい。後ろにいるの…誰だ?”


しかし、ミッドガルドは俺が思う以上に、未知の出会いに満ちている。







こんなところにも、狼の群れがいたとは。




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