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56. 崇敬の塔 2

56. Tower of Latria 2


「大丈夫?独りで、恐くなかった?」


「は、はい…ご領主、様…」


「いいよ、そんな風に畏まらなくて。」


「いつも通り、Sebaで良い。」


「……。」


二人は、旧知の仲であるようだ。

それでも、彼女は、初めて打ち明けられたこの秘密を、受け入れられずにいるらしい。


「でも、今夜は、君が、自らの使命をお果たしになるところを見たいです。シスター…」


「はい…必ず…」


そうか、火刑に処されたり、絞首の間際に、神父が神具を翳して何かを唱える絵を、見たことがある。

立ち会いが、こうした非道には必要なのだ。ある種の、免罪符か何か、形式的に求められているに違いない。

それを、どうやら不慣れな修道女に任せているのは、退っ引きならない事情があるのか。

神父は既に、ヴァイキングに殺された、とか。それとも個人的な好意が故の登用か。

或いは、元より、こんな関係を一方的に享受していたのだろうか。成立し得ない恋とか。


頬を優しく愛撫するSebaと、両手を胸元で握りしめて祈る修道女を見て、どうしてそんなどうでも良い思いを馳せる。


Sirikiを向かわせた、あのヴァイキングの建築様式を取り入れた教会の娘。

であれば、本人は接触しているはずか…?だからと言って何の利益にもならないどころか、またしても俺は巻き込んでしまった関係の無い人間の臭いを覚え、万が一に備えて監視しなくてはならない。

目隠しは、俺への配慮も含んでいるつもりだろうが、事はそれほど単純では無いのだぞ。


だが、まあ、今は良い。

それより、彼女を主人のものとへ引き渡した、この狼頭の看守だ。


こいつは…何者だ?

Vojaとの間で、既に顔合わせが済んでいるのであれば、あいつの狡猾さには脱帽する。何故、事前に説明が無かったのかと問いただしても、聞かれなかったからと悪びれまい。


この国の宗教観を熟知できている訳では無いが、街中の風景に、こんなものは無かった。

ヴァイキングの後ろに控えている神話体系にだって。


しかし、こんな地下世界でお前と出会ったからには、一つだけ確かなことがある。

狼に対する侮蔑だ。

汚れ仕事を担うものに被せられた、必要悪の象徴。


Sebaは駄目だ。やはりSirikiでなければ。

俺に対する崇拝はあっても、狼への畏敬は持ち合わせていない。


狼頭は、彼女を引き渡してから、玉座の足元で腰を降ろしている俺をじっと見つめていた。

正気のない剥製の表情ではあったが、嵌め込みの硝子の奥から、興味深そうに俺を観察している。


その首の絶妙な傾げ具合も、腹が立った。図らずとも如何にも狼らしい仕草に見えたからだ。

その上、俺の唇が痙攣したのを察知したのか、すぐさま敵意は無いと視線を礼儀正しく逸らす。


無機質に立てられた耳にもきちんと注意を払いながら、牢の扉を潜り、彼は反対側の、仕事場へと戻っていった。


ガララララ…


―始まる。

ようやく、俺は対話の機会を得るのだ。


聞きたい事は、山ほどある。

図らずとも、全ては、公的に記録される。この修道女のフィルターを通して、俺の言葉は紡がれ、決して俺の意図が彼方に伝わることは無い。


だが、それ以上に重要なことは、どのようにして吐かせるか、だ。


俺は、向かいの牢屋を注意深く観察する。

一見、何の変哲もない独房に見えた。


俺が寄越した獲物、言わば要人(VIP)に対して用意されたそれとしては、些か簡素に思えるが、囚人は、凡ゆる権利を剥奪された一点において平等であることを示唆しているのかも知れない。


だが、それでも異様に映るのは、部屋には、一切の責め具が無い事だった。

彼を虐め、辱める為の手段は、何処だ?


あるのは、壁に張り付ける為の枷と、首輪に繋がれた鎖が天井へ伸びているだけだ。鎖の編み目には返しの小さな棘が打ってあるが、それ以上の‘趣向が凝らされているようには見えない。


あの狼頭が、自らの手で、苦痛を与うのか?

何処までも、俺をおちょくろうと言うのだな。

良いだろう、とくと見物させて貰おうじゃないか。


捕虜は、狼頭が牢屋に入室して尚、一切の反応を示さない。


彼は、鎖を革手袋で握り、緩みが無いことを確かめながら、背後に回り込む。

じっと獲物を見降ろす様は、生死与奪を握る獣を思わせ、その一点において適役と言えそうだ。


「…始めろ。」






ガララ…ガラ…ガララ…


手順は思った以上に簡素だった。

狼頭は、直接捕虜に触れることはせず、ただ壁に取り付けられたハンドルで、天井の鎖を巻き取っては、元の長さに降ろしていくだけだ。


そして興味深いことは、それが思った一以上に、こいつを効果的に苦しめているようなのだ。

知覚し得ぬ力に翻弄され、儘ならない喘ぎ声を分厚い皮の内側から漏らしている。


ガチャン…


鎖がピンと張って、体を持ち上げようとするも、立ち膝さえも、できないどころか、尻を上げようとさえしない。

顎を情けなく上げられ、首がそのまま外れてしまうのを、黙って待つ…そんなことが出来ればと、内心期待しているのだろうか。


「立ち上がるのも、ままならない彼にとって、これから起きる受難は、少々酷なことです。」


「それでも、立ち膝ぐらいの姿勢は、超えられそうな困難であるように思いませんか。」


「…得てして怠惰です。人のことを言えた義理ではありませんが。」


「何もすることが許されないことを、何もしなくても良いと勘違いしていると言いますか…」


「それでも、彼には乗り越えてもらわなくてはなりません。」


そこで、彼は、小声で俺に面白そうに耳打ちをしてみせた。


「でもですな、ここだけの話、そのうち、自分で立ちあがろうとしなくなりますよ。」


「…今も、そのように見えるが?」


「逃げ出そうとするのも、四つん這いになるのです。」


「尤も、手の平があの有様なので、不恰好になるでしょうね。本来はもっとそれらしくなるのですが。

貴方様からみても、両前足を肘から付けて、恐怖に怯えて身を引こうとするように見えませんか?」


「……。」


「最終的に、此奴が経験するのは、立ち上がることへの恐怖です。」


「自分に翼がないことを知り、それどころか、四つ足を、地面から離すことを、極端に怖がるようになります。」


ジャラッ…


「おおうっ…!ぼっ…あぁ…」


…!?

愛玩動物のように、彼の足元で蹲っていた生き物が突然声を発した。


「こう言う風に、首輪にショックを与えるだけで、それなりにの成果が得られるほどには。」


Sebaは唇を湿らせ、声を半段落とす。

動物の鳴き声を期待していただけに、それは俺の毛皮を不快に逆立たせた。

女性の、がらがらの声だったような気がするが、確証が持てない。

彼の饒舌な講釈から察するに…これも、人間だったと言うのだろう。


顔は長髪に覆われて認めることができないままだったが、四肢が思うほどの長さを持たないせいで、未だにそれが、先の声の主であったと信じがたい。


寧ろ、彼の右手で棒立ちさせられている修道女が荒げた奇声と解釈したほうが、まだ自然に思えるくらいだ。


「う゛ーーっ!う゛っ…うぅぅっ…」


「…?」


突如発せられた唸り声によって、忽ち視線が鉄格子の奥へと逸れることを幸いに思う。

今のは、足元の愛玩ではなかった。しかしまるで、仲間に呼応するように。

実際、その声は、強く興味を惹いた。


僥倖だ。まだ、彼は自分の声を失っていなかったからだ。

そんなことを確かめて喜ばなくちゃならない。

くぐもった呻き声は、必死だった。

痛みに挙げる叫び声よりも、確かにお前の本質に迫る。

俺は、覚えている。

あの時、あの場で、仲良く一緒にいたのだから。


「う゛―っ…ふぅっ…ふぅぅ…う゛っ…」


ジャララララ…


無情にも、再び鎖は巻き取られていく。

これは、Sebaの裁量によって決められているのではない。

きちんと瀬戸際を見極め、休む間も与えず、次の波を淡々と起こして行く。

あの狼頭、腕は確かであるようだ。Sirikiとは大違いだな、学ばせてやりたい。


「応援したくなりますよね。なんだか。」


「いや、全く……」


先に動いたのは、股の間にだらりと垂らされた両腕だった。

首元に纏わり付く重たいそれが苦しいということだけは、理解しているようなのだ。


「あれすらも、簡単だとお思いになるでしょう?ところが、あの腕はただでさえ鉛のように重いのです。完全に寝たきりになってしまっていますから…私の経験から申し上げても、あの鉄枷は、動く気力を削ぐほどにずっしりとしていて…」


Sebaの着飾った衣装は、ただでさえ聞くに耐えぬ冗長さを伴っていたが、少しの嘘もそれらに含まれていなかったのが腹立たしかった。


地面に張り付いているのかと思われるほど、厳しい錘に繋がれた両腕を、なんとか首元へ持ち上げる様は、確かに、ひどく大それた作業であるように思われた。

しかし、これほど甲斐がなかった抵抗が、あっただろうか。


頑丈に繋がれた首輪に手を伸ばしたところで、苦しいよう、助けてようと挙げる声も持ち合わせていないのに。


ましてや、両手は、原型を留めていないほどに焼け爛れ指先の枝分かれは、俺と大差ないほどに短い。

それを、うね、うねと動かして…

掻き毟るように。といっても、鉄の手袋を嵌められた両手で、仮面を撫でるような乖離さがあった。


ずるりと剥けた指先から、膿色の液体をだらだらと擦り付け続けている。


それでも無情に、首輪を繋ぐ鎖は天井へと巻き取られていく。


ガラ、ガラ、ガララ…


最早、首輪の支えだけで、立ち膝の姿勢を強制させられているが、鎖は上昇の速度を緩めない。

顎をぐいと持ち上げられるような無力さに絶望する表情も、革の袋に潰され窺い知ることもできない。


そのまま、立ち上がれば良いじゃないか。

そう一声かけてやれるぐらいになれれば、俺も胸を張って冷酷だと言えるだろうか。

こいつに何があったか、Vojaは嗤うだけで教えてくれなかったが。

それが差別的な言葉であるとだけ、今は理解できた。


あらゆる感覚を遮断するあの全頭の覆いの下で、お前は何を考えている?


苦しい、痛い、それ以外の感情が入り込む余地があるよう、この見せ物は設計されているはずだ。

俺は聞きたいことを聞き出さなくてはならない。Sebaは、これだけ驕り高ぶり、興奮気味に解説と知見を捲し立てる中でも、実際に司会進行を務めている拷問吏は、仕事に忠実であると信じよう。


俺はもう一度、正気のない狼の剥製の頭を観察しようとする。

彼が、徹底して舞台において空気であるように務めていたせいだ。俺の視線はずっと、この捕虜に釘付けにさせられていた。


これだけ仔細に語りつく癖に、彼が何者であるのかは、Sebaにとって重要でないのだ。

修道女の紹介こそあったものの、この拷問吏に関しては、何の言及もない。

それは本当に、Vojaの訪問時に彼の唸り声を抑えるほどの申し開きが為されていたからなのか。


やはり、納得が行かない。

もしあいつが、既にこの狼頭との顔合わせが済んでいるのだとしたら、必ず俺に文句を吐くのではないか。

闘技場で、吊るされた同胞の死体に弔いの吠え声を上げたあいつが。

こんなにも尊厳を破壊した生き物の真似事を、彼が看過するだろうか?


Vojaが、狂ったような笑みを浮かべていた理由は、これじゃないのか?

あの狼頭の剥製に、痛く興味を惹かれる点は共感する。

お前の友が、目を覆いたくなるような最期を遂げたことを思い出させるからなのか?


お前の要求が、仲間の死を覆すことであると勘繰っている俺にとって、

…次に接触しなければならない相手は、こいつだ。


剥製が、また、俺の方を一瞥したかのような錯覚をもたらす。

例によって言葉を一言も発さないが、どいつもこいつも、人間の皮を剥いで別の何かを被る。



ジャラララッ…

ゴッ…


再び鎖が流れ落ち、膝から地面を打った鈍音と共に、

捕虜は、操り人形の糸が切れたように、だらりとその場に崩れ込む。

きちんと膝を崩して座れていたのは、最初だけだった。

操る側が、きちんと四肢を整えてやらないと、ただ重力に従って、不恰好に絡まるだけなのだ。


それが面倒くさくて、何度か上げたり、降ろしたりして、偶然いい子にお座りができるのを期待する。

そんな怠惰を、見る側に強要している。




―――




首輪は、徐々に、彼を本来あるべき姿への自立を補助しているように見えた。


なんと彼は、到頭、立ったのだ。


そのように見えるだけで、膝は曲がったまま、足の裏はきちんと地に付かず、とても体を支えられているとは言い難い。

それでも、驚くべき成長だ。見るものに感動を強いるような過程では到底無かったが。


両手も、多少のずるを覚え、首輪から伸びる鎖を手のひらで挟み、拠り所としようと必死でいる。

握ろうとするものを嘲笑う棘が付いていることにも、気が付いている筈だが、それよりも首輪への負担を減らすことのほうが大事なようだ。



しかし…観る者にも、明らかなことだ。

此処までが前座。ようやく人間としてのスタートラインであると。



頑丈な鎖は、彼の身体を何度も吊るしては緩むぐらい、どうということも無いだろう。


「うお゛お゛っ…お゛お゛っ…ぶぅぅっ…ふぅぅ…!」


爪先立ちも、意味を為さない高さになると、捕虜は到頭追い詰められ、膝や脇やらを、ぶるぶると引き攣らせてもがいている。


「四つ足の動物が、頑張って二足歩行で立ちあがろうとするのに似ていませんか?

ほら、腹と、股間の短い毛をだらしなく晒している…!」


恍惚とした表情でSebaは下品にはしゃぐ。

流石に失言が過ぎる、露骨に唸り声を上げた。余り調子に乗るなよ。


「貴方を侮蔑しているように聞こえたのなら、申し訳ございません。しかし、以前お伝えしました通り、これは人間が獣に堕するのを嗤っているのでは無いのです。」


「我々は、罪を償うべき存在が表出するのをお手伝いしている…そうです、彼は今も、自分の内側で、そいつと戦っている。」


玉座から立ち上がって両手を広げ、家臣らに向けて演説でも始めそうな抑揚だった。


「そしてそれは、人間では無いのです。だからこそ、こうした手続きは辛抱強く、彼らに相応しい言動を促すものでなければならない。」


「果たして彼らも、人間を取り戻させるに値するでしょうか。」


「きっとします。それが、この国の統治を乱さぬ善良な市民として彼らを迎える懐の深さを意味するからです。」


「……。」


何を言っているんだ、こいつは。

そう笑い飛ばしたかった。


「正体は、人間では無い、か…」


しかし翻って、俺は果たして、神様だっただろうか。


彼が醸し出す臭いと気迫は、まさに愚者の驕りであると言うことができた。

Vojaの前でも同じように、彼が受け継いできた教義を自慢げに行なっていたことは容易に想像できる。


だがその中に、確かに真に迫るものがあったと、悟ったのだ。


「ああ…」


これだ。

これは、使える。


「お前の観察は、とても的を射ているよ。」


「…!」


「そのお言葉を、お待ちしておりました!」


「共感して頂けた…!…よかった…本当に…!」


肘掛けに身を傾け、頬杖を付いていたSebaは、一度放心したような表情を見せた。が、すぐさま破顔して、玉座から身を乗り出した。

そのせいで、お前が侍らせている鎖の繋ぎ先がどれだけ怯えるか、お前にはわからないのか。

それとも、そうしたちょっかいに対する反応も愛おしいのか。


「神様…ああ…私は間違っていなかった…!」


感極まり、涙などを滲ませ、天井を拝んでいる。


「是非、私にこの務めを全うさせて下さい!どうか私に、そのために必要な地位をお与え下さいませんか、Fenrir様!」


「俺の名をこいつの前で軽々しく口にするな!」


「っ…申し訳ございません。軽率な言動を、お赦し下さい…」


「ったく…」


まあ、それどころでは無いだろうから、聞こえていないとは思うが。


「うふっ…ぐふふっうぅ…ふっ…ふっ…」


息を吸う穴は空いているのだろうか。彼は笑うように咳き込み、いよいよ残っていたかもわからない理性を失いつつあった。

余裕、と言っても良いかも知れない。耐えることに集中できるだけの環境がマスクの裏にあった。

それは、飢餓に晒され続けた自分を襲う病魔と向き合っているだけで良い安心感を剥奪される恐怖として俺に迫った。

助かるまで、ぎゃあぎゃあと痛い、苦しいと喚いているだけで良かった、それは本当に、幸せなことなのだ。


両腕を持ち上げることも、もうしない。

手枷で閉じられた両手で、股間のあたりで掻くばかりで。


「……。」


何かと思えば、この臭い。漏らしている。


「肛門は、予定の通り、縫って塞いでありますので、これくらいの粗相は、お許しになって下さい。」


目を凝らしてみれば、下腹部が、異様なまでに膨らんでいる。

消化しきれないほどに餌付け(Feed)されているのか、将又。


「何を喰わせているんだ?相当な数、飼育しているのだろう?」


(にかわ)ですね。沢山獲れるので。」


「…?あんなもの、接着剤だろう?」


確かに、元は動物の骨や皮から作られるとはいえ、やはりまともなものは口にはさせないか。


「水と一緒に与えてやると、何倍にも膨らむのです。飢えは感じていないと思いますよ。」


膨満感で、寧ろ苦しそうだ。その上、排出を許されないとなると、不快感は凄まじい。


「うごぅ…うふふっ…ぐふふふぅっ…うぅっ…」





「では、そろそろ、でしょうかね。」


Sirikiは、すくっと立ち上がると、幸せそうな溜息を吐き、満ち足りた笑顔を振り撒く。

先までとは違い、身に纏う立派なマントは使命感を帯びているように映った。

それだけは、Sirikiには無い自惚の才能であるように思う。


「さあ、アーデリン…頑張っておいで。期待しているよ。」


脇に立たされ、拷問の一部始終を耳だけで聞かされていた立会人を包み込み、熱く抱擁する。


「…しっかり、勤めを果たして来なさい。」



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