52. 不自由な人々 4
52. Gimp 4
「神に教えを説くなど、何たる無礼かと、お想いになるやも知れません。」
彼は声音を上擦り、一度興奮したように鼻息を荒げ、身体を揉まれるように捩ったかと思うと、ふぅーっと長い溜息を吐き、再び口を開いた。
「ですが、この教えに従いながら、我らが王の脅威となりうる火種を排除し続ける。
その方法を模索していく中で得られた解釈こそが、今、貴方がご覧になっている、これなのです。」
「人間が行った悪事とは、それ本人の意思によるものでは無いと、我々は考えます。
それは、彼らの中に不条理にも巣喰ってしまった怪物による仕業…
従って、彼らを人間の内側から追い出さなければ、この罪人は人間に、即ち正しい行いしか為し得ない存在に戻ることはできないのです。」
「初めは、それは、典型的な拷問文化の醸成でございました。
しかし、どんな尋問の形式も、この解釈に沿うものとして不都合なく受容されただけのこと。」
「人間の肉体、精神ともに苦痛を与えることで、怪物を、表出させる。
それが、罪の自白に等しい真実の追求であるとともに、最終的な人間の奪還は、この怪物が与えた苦痛に耐え切れずに、宿主から出ていくまで、その痛覚を責め続けることだったのです。
それ故に、人間の命を奪うこと無く、苦痛を最大化する必要がございました。」
彼は、身を包んでいた外套から右手を滑らせると、檻の向こうを指差す。
再び湿った鈍光が、口の穴へと沈み込む。
じゃらり、と鎖金具が鳴り、喉仏が一度だけ跳ねた。
恐ろしく従順な玩具と化した奴隷は、もう一切呻き声を漏らさない。それはもう、期待に応えるよう、一生懸命だ。
「あれらは…罪人の救世主として、拷問裏とは俗世から忌み嫌われる英雄であり、その精神と技術を高度に求められたのです。怪物を追い出すこともできずに、人間諸共殺してしまうということがあってはなりませんから。」
「しかし、此処で我々は当惑させられる難題と直面することになります。」
「一つは、拷問吏に与えられる、免罪符とは何か。
いくら内側の邪悪を見出そうとも、それが救い出せる人間であると信じて尚、到底その行い自体は赦されるものではありませんでしょう。」
「もう一つは、この行いの成果そのものであります。
どのように、怪物の剥離を、確認すれば良いのか。」
「はじめ、表出させられた怪物の、一目で分かる悪のモチーフとは…」
「ええ…狼人間でした。」
「貴方様は驚くやもしれません。しかし、そうした存在は、伝説上の生き物として、森に住まう魔物として、そんなに珍しい存在ではない。」
「そして捕えられた彼らは、度々、人間の皮を巧妙に被り、罪を認め、自白しました。
しかし、その先です。狼の、人間からの追放という行為は、大抵の場合困難を極めたので御座います。」
「出ていけと訴える、いわば悪魔祓いの所業は、聖職者の領分と思われるやも知れませんが、残念ながらそれほど単純な話でありませんでした。」
「罪を認めること、自白の先に待っているものが、救済であるべきことに、異論はございません。
償うべき罪そのものさえも、神は笑ってお赦しになりたがる。」
「しかし、この地上はどうでしょう?」
「とても、神が愛した世界とは思えません。昨日、盗みをはたらいた罪を空に打ち明けた浮浪者は、今日も悪びれること無く、市場を歩き回っておこぼれに預かろうとする。神の教えを広めんと、進軍を続けたと言う騎士団も、道中で略奪の限りを尽くしては、その過程を懺悔するどころか、いつでも克明に思い描けるよう謳ったのです。」
「どれもこれも、人のする振る舞いとは思えません…ですが、それもそのはず。」
「彼らは、人の皮を被ったまま、神の目を欺いた者たちだからです。人では無い…いや、人であることを奪われたまま、のさばっている。」
「罪を認めることは、紛れもなく確実な一歩ですが、それは人間への回帰を約束するものではありません。」
「…私どもが導いた結論とは、こうでございます。」
「人間から遠ざけてしまったままにすることで、寧ろ我々は、この課題を解決し難いという意味で酷く安定したものにすることで、論争に決着をつけたのです。」
「彼らに、自白など、必要ないと思いませんか…いえ、それは些か暴論ですが、彼らに巣喰った怪物は、もうそのまま、どうすることも出来ないのだと悲しむことは、実はそんないに絶望という気が致しません。」
「罪を認めた者が、殺されることによって、元通り人間として歩く世界は、きっと輝いて見えることでしょう。克服の過程は、神の啓示にも似たようなものだと想像して、私自身が罪を犯し、そして浄化されてみたい欲求に唆されるほどです。」
「同時に私は、剥がせなかったとう結論も、大変魅力的であると気付かされました。」
「私が十を少し超える頃です。その趣向に触れてしまったのは。」
「これは…単なる個人的な嗜好に過ぎないのですが…」
「人間でないからこそ愛せるのだとも、私は常々感じております。」
「なんと申し上げれば宜しいのでしょう。ご存じでしたか、ビザンツ帝国の王侯貴族らの間では、愛玩のために犬を飼うのが流行っているらしいのです。猟犬や番犬の類のように、何かの役に立てようと言うのではありません。ただ傍に置いて、触れ合うことを楽しむのだとか。
良いですよね、ちょっと憧れてしまいます。人間意外と、心を通わせるというの。
私は、ですから、怪物を忌み嫌う存在と捉えたくないと言いたいのです。」
「少なくとも、初めて私が目にした“怪物”を、私は愛してしまったと吐露致しましょう。
「大好きだったメイドでした。しょっちゅう、ちょっかいを出しては、困らせるのも、両親からの薄愛を山車に甘えるのも、動機が尽きることは無かった。」
「しかし、ひょんなことで、彼女は罰せられてしまったのです。」
「いつか彼女も、自分自身を取り戻せる瞬間を掴み取ることが出来るやも知れません。」
「心から応援しております。立ち会えるのなら、それは神が彼らをお赦しになったことの証左。奇跡の垣間見です。」
「人間が、人間を縛る道理は、これっぽっちもありはしません。」
「…その時が、私が、マルボロ家の人間としての役目を終える時でございます。」
「ですが、それまでは、こうして手懐け、大人しくして頂けると、こちらも助かる次第でして。我々も、怪物を迎え入れる作業が、やりやすくなる。」
「彼らを人間から追い出すために、彼らを表出させる機会を与えること。
これは我々が罪を犯さずにいる精神と矛盾しません。」
「そして、彼らに、怪物に人間が打ち勝ち、彼らを自らの躯体から追い出すことができるまで、地上を歩くことのできない彼らを匿ってあげられる世界を提供することが、我々に与えられた役目であると、考えております。」
「その意味で、怪物の誘起において、彼らに親みを与えるあの剥製の頭は、大変都合が良いのです。
子供に心を開かせるのは、当然子供が良い。羊飼いは、羊を巧みに操りますが、彼らが彼の傍を離れないのは、周りに自分と同じ種がいるからです。狼とて、違いはありませんか。
そして、奴隷を育てるのは、奴隷の方が優れている。」
「これは、彼らが人間であったとして、耐え切れぬ行いへの免罪符ともなるのであれば、何も否定してやりたくは無いのです。」
「Fenrir様…これが、私が尽くす使命にございます。」
「地下へと送り込む側と、更生して地上に帰す側、それぞれが役割を担っていたのでございます。
マルボロ家の使命は、国家の存続。繁栄ではございません。」
「だからこそ、ヴァイキングとは、異物でしか無かった。必ず我々が狩らねばならぬ存在として立ち現れると知っていた。」
「交易が治安よりも優先されることを看過したつもりはありません。
寧ろ、我々の暗躍があったからこそ、どうにか此処までやって来られた。
堰き止めていた濁流が、一気に溢れ出したように見えても、
とうに罅が走っていたのを見てみぬふりをしていたのも事実です。」
「Fenrir様。どうか、貴方を説得したい。」
「もう、この国はお終いです。今日、もう一度街を歩いて、確信いたしました。もう、私に出来ることは何もありません。本来の役目に正しく則るのであれば、蔓延ったヴァイキングどもを、須く此処に迎え入れなければならないのに、私は、罰するべき者どもを、受け取れずにいる。」
「軍備は、機能しておりません。貴方もお分かりでしょう。私的な警察のような集団はあっても、国として逆賊を捕らえる仕組みが、嘗てはきちんと用意されていた。」
「捕らえる側と、罰する側。その二つを、我々は担っていた筈なのです。」
「どうにかしたくば、彼らを、この国の戦力を正しく、ヴァイキングの駆逐に向かわせるべきでした。しかし、もう遅い。この国の王は、そう決断すべき瞬間に、そうしなかった。私は、主人の意思を尊重するのです。」
「私の父は…血族の全ては、ヴァイキングに殺されたのではありません。」
「結果的に、彼らを野放しにし、港からの蹂躙を為す術もなく見過ごした責任を負わされた。」
「一族皆殺し…公開処刑です。お分かりですね?」
「付け加えておきますと、そういった風習は、この国にはございません。そんな血生臭い粛清は、すべきでは無い、それが我が君の思し召しです。我々は、そのような形の罰則を持ち合わせておりません。おかしい話でしょう?」
「完全に腐り果てるまで…私は私の責務を全うすることで、神に愛されたい。」
「Fenrir様。私は貴方様に隠し事など致しません。ですから、私は貴方の手駒となりたくないと、此処で吐露させてください。」
「私は、貴方の望む形で、貴方のお役に立てないやも知れません。しかし…」
「私が、地上で人々に持て囃されることの無いよう、引き摺り出されることの無いよう、この世界の素晴らしさを、貴方にも理解して頂きたい…そして、そうできると、確信しております。」
「ですから…あぁっ…あぁ!どうか、どうかお楽しみ頂ければ!」
「ん゛ん゛っ…これは失敬。私としたことが、取り乱してしまいました…」
「食事が、終わりました。もう、普段であれば、このまま口を閉じてしまいますが。如何いたしましょうか。」
「ぼんやりとした思考が、段々はっきりしてきたのが、お分かりになるかと思います。
半開きでだらしなかった口が、今は息を吸おうと必死だ。
いつ、何を捩じ込まれるか、分かったものではない。叫び声をいつでも挙げられるように、備えているのです。」
「ですから、Fenrir様。今が好機にございますよ。」
「このものに、尋ねたいことが御座いましたら、ご自由にどうぞ。」
彼は、身を起こし、俺に向かって−今までも、そうだったのかも知れないが、反応を求めるように声の調子を上げた。
「私に聞かせたくない内容でございましたら…そうですね、ええ、心惜しいですが、席を外すのは構いません。貴方がご覧になりさえすれば、今は、今は良い…」
「もし、うまくいかなかったとしても、落胆なさることはございません。」
「待つことが、肝要にございます。彼はその問いに答えることが必要だと、心から感じ入る時がきっと来ます。」
「そうでしたか!では、しばらくの留守をお許し頂きたく…」
「その間、お好きなようにお楽しみください。彼らに命じれば、必要な役を演じます。」
彼はその言葉で締めくくり演説を終えると、上気した表情で立ち上がり、身体を震わせる。
「決して、落胆させません。」
マントを翻すと、檻を潜り、何処かへと去ってしまった。
“……。”
その間、俺には人の言葉がこれっぽっちも分からない。
これが悔やまれることであったどころか、寧ろうんざりする人間の価値観について聞かされずに済んでよかったと胸を撫で下ろす次第だ。
閉幕らしい。
これで、俺の役目は済んだだろうか。
向かいの檻では、後片付けが着々と進められていた。
捕虜の体に、先ほど飲み込まされていた食事と、似たような粘り気のある液体を被せられている。
また、体全体を革で覆い、拘束するのだろう。
“開けてもらえるか。”
俺は鉄格子の外へ出ると、一声だけ吠えて、狼頭の拷問吏に向かって、そう呼びかけた。
間のない解釈が行われたことに、驚いている。そいつは俺の方を一瞥すると、思案するでもなく、鉄格子の引き戸へと歩み寄った。
ギィィィィッ…ガラララララララ…
空気は繋がっていたはずなのに、同じ檻の中だとは思えないほど、重苦しい臭いが鼻を覆った。
狼頭たちは、ぞろぞろと扉を潜って部屋を出る。
そして鉄格子の前に捨て置かれた、人の王のマントを拾い上げると、そいつを肩に羽織り、彼らもあの人間とは反対側の通路へと姿を消してしまった。
“……。”
何だ、こいつと、一匹だけにしてくれるのか。
“ああ、人の王よ。”
“…惨めな姿だな。お前たちは、獲物を皆、同じようにして凌辱する。”
俺は、喉元で小さく唸り声をあげ、自らの存在を、人間の特徴を全て引き剥がされたその肉塊に向かって示した。
僅かに反応があった。
“俺の声が、聞こえているな?”
お前の声が、ずっと頭の中で響いていた。
あれは、俺の中への侵入の結果であったか。
だが一つ確実なのは、お前は狼の言葉を解する。
であれば、こんな状況でも、誰にも聞かれることなく、会話は成立するはず。
今度は俺が、お前に語りかける番だ。
“聞かせてもらいたいことがある。”
“俺は、お前が貴様が何者であるかなどに、興味はない。”
“代わりに、知りたいことは…”
“Fenrirについてだ。”
お前は、あの狼と、どんな関係を持っている。




