1-3
体はアリシア・ド・リジュー十二歳、心は一条静香二十七歳。
どうも。そうです、俺です。
謎は深まるばかりです。
狂乱の朝を迎えたリジュー子爵家王都別邸の騒ぎは辛うじて別邸内に収められたものの、領地へ戻る予定は1日前倒しとなった。というよりも、僅かな時間でも俺を王都別邸に置いておく方がリスクが高いという判断で、一刻も早く領地に戻る事になった。
午後イチにはリジュー子爵家の紋章が付いた豪華な馬車に放り込まれて、監視員のエリザベスとイルマと共に強制ドナドナされました。
それでも仕事で鍛えられたメンタル二十七歳。しばらくして混乱が落ち着いてくると、周囲の会話に耳を澄ませていた。
「ねぇイルマ!? 霍乱よね? 霍乱なのよね!?」
「落ち着いてくださいませ奥様。お嬢様は昨日の朝と一緒で、ほんの少し混乱されているだけです。昨日と一緒ですぐに落ち着かれて、昨日のように子爵家令嬢として立派に淑女のお振舞いをなされましょう。ああ、奥様。落ち着いてくださいませ」
「信じたい……いえ、信じるわ! 昨日のアリシアはまるで生まれ変わったように立派な淑女でした。挨拶の一挙手一投足も優雅で、家族との会話も軽妙洒脱。夕食の席で旦那様とのやり取りは、あと少し学べばすぐにもデビュタントを迎える事が出来る程でした。わたくし本当に嬉しかったのです。アリシアがようやく心を入れ替えてくれたと。そして皆でそれを心から喜んでいたと言うのに、一夜明けたらまた霍乱を起こして、もしや以前のアリシアに戻るのではないかと、母として情けない限りですが、わたくし不安で不安で……」
すすり泣くエリザベスをイルマが慰めているんですが、その内容を整理すると、あれ? あれれ? おい!
アリシア! ほんと! お前ほんと、どんなアリシアだったんだよ!?
声にならない叫びを胸中でぶっ放したらそのせいか、す―――――んと精神が落ち着いた。落ちたんじゃなくて落ち着いた。
まず前提を変えよう。
これは明晰夢じゃない。
まだ飲み込み切れてないが、おそらく現実だ。超次元的な何か、あるいは超自然的な何かの作用で、今の状態があると仮定しよう。
だとするとどういう行動がベストだ?
貴族令嬢として行動出来なければ、この世界の予備知識の無い俺は即アウトだろう。次女のカミーユがいる以上、使い物にならない長女に固執する可能性は低い。運が良ければ修道院、悪ければ追放されて野垂れ死にというところか。
服飾文化的にはルネッサンス後期、すなわち十六世紀辺りか? でも別邸の装飾や使っているカトラリーや出てきた食事は一気に十九世紀末から二十世紀頭らへん? 下手すりゃ二十一世紀も含まれてたな。
……わからん、ぜんっぜんわからん!
アリシアの記憶を探ってもさっぱり分からない。それはアリシアがアレだからじゃなくて、アリシアにとっては常識でしかないから、俺が確認したい事が絞れないからだ。
焦っても仕方ない。短兵急に動く必要も無いか。むしろどっしり構えて行こう。
戻る方法を探しつつ、アリシアとして貴族令嬢として、しっかり行動していくのが当面の行動指標にするか。
そうとなったら、この縄でぐるぐる巻きにされた上にブランケットか何かを被せられて、席に無理矢理座らされてる現状から何とかしよう。てゆーか、娘であり主人であるアリシアの扱いとして、これってどーなん?
ではどんなアプローチをするべきか。ぎゃあぎゃあ騒ぐのは悪手だ。だとしたら、取れる手段は一つ!
「お母様!? イルマ!? 側にいるの? 私、一体? ねえ、何も見えないわ! 誰か、誰かぁ!」
気が付いたら正気に戻ってたアプローチ!
お、早速空気が変わったぞ。さあ、どうだ!?
よし、さらにプッシュだ!
「ねぇ! 体が動かないわ! どうして? どうしてこんな事に? お母様!? イルマ!? 側にいるの!? いるなら教えて頂戴!」
「ああ、アリシア!」
泣きながらエリザベスが、頭に被せられていたブランケットをもどかしそうに開いた。どっちが来てもいいように、とりあえず涙を流しておいたし、息も荒くなった。必ずしも演技だけじゃない。実際苦しくて涙目だったし、大声出したから息も荒くなった。
はぁはぁと息を調えながら二人を見やると、二人とも泣きながら安堵とも警戒とも取れる微妙な表情をしていた。
「お母様ぁ……」
ぼろぼろと流れ出した涙には俺が一番驚いた。
それ以上に何度も詫びながら抱きしめるエリザベスと、同じく詫びながら俺の拘束を解こうとするイルマを見て驚くよりも、さすがに良心の呵責を感じた。
多分俺、二重三重に騙していると自覚はしてるんだ。
三人で泣いていると流石に御者も気付いたのか、開けた街道沿いで一度馬車を止めると皆が落ち着くまで小休止となった。
さて、落ち着いて馬車の旅を続けている間、いくら女三人寄ればかしましいとは言え、世代も立場も違えば流石に延々と話し続ける事も出来ない。
ましてや一人は中身が男となれば仔細を述べるまでもない。
風景を眺めてトークの種を拾ったら少しお喋りしてまた風景を見るの繰り返しの中で、俺はアリシアの記憶から来年の進路を確認していた。
アリシアが住んでいるディアフルーレ王国の貴族は、十三歳になると学院か学園か学校に通う事が義務付けられている。子爵家の家柄なら普通は王立エクセルション学園で、稀に本人が残念過ぎると国立オーフィキム学校に通うのだという。
ただし、これでは家柄で全ての進路が決まるので、王国では貴族の子供が十一歳になると『魔法適正検査』を受けさせる。検査結果によって進路を調整し、三つの教育機関の風通しや血の入れ替えを促進する決まりがある。
魔法?
ああ、魔法あるんだ。名前とかフランス語圏っぽいの多いから油断してたけど、剣と魔法の世界なのかな。
問題はその『魔法適正検査』において、去年アリシアは万人に一人と言われる珍しい光の魔法適正を持っている事が判明した。だから来年、ディアフルーレ王国最高学府である王立フォルミニス学院へ特待生として入学する事が決定している……と。
ふむふむ……うんうん、ううん?
特待生? アリシアが?
いやまぁ、才能は大事だよな。まさか異世界に一芸やAOがあるとは思わなかったけど。
魔法には火・水、風・土、雷・氷の六属性に加えて光と闇があり、相対する属性は反発して隣り合う属性は相性が良い。ただし光と闇はその埒外で例えば光は闇と強く反発するが、他の属性との相性は良いと言っていいらしい。闇もほぼ同じだと。現状ではふーんとしか言えないな。
光の魔法ねぇ、ゲームとかだとゾンビによく効くとか絶対の護りとか癒しとかそういう系だよな。単に光の魔法って聞いてたら、部屋のライトくらいしか思いつかないけど。
しかし国内最高学府に進学ねぇ……記憶と周囲の反応を見た限りだと、進捗ヤバいんじゃね?アリシアって。
国文学、算術、礼儀作法、マナー、ダンス、詩文、刺繍、古語でそれぞれ家庭教師付けられて、みっちり指導を受けているのに、どれもほとんど身についてない。
ホントに貴族令嬢なのかアリシア。
記憶に残っている家庭教師の面々の怒り顔はまだしも、諦め顔や呆れ顔に気付いてない? 気付いてないんだろうな……。
うわー、ないわー。アリシア無いわー。
大学時代に家庭教師のバイト先にいた口ばっかりの子並みに無いわー。
いや、あの子何だかんだ言って志望校受かってたな。アリシアマジ無いわー。
あ、ヤバい。アリシアをディスるって、完全にブーメランだ。ダメなアリシアをアゲるのは俺の仕事か……マジかよ。
さらに俺、昨日の昼食時に、迂闊にもエリザベスにみっちり勉強したいって言ったな。今となると壮絶な自爆になったな。
ある程度は俺の知識も通用するみたいだから、焦らずじっくり予習復習するか。
ああ、勉強時代リターンとは……泣けるぜぇ。
子爵領に戻った俺達は、すぐに家庭教師陣を招集した。これまでの態度を謝罪し、全力で勉学に励むのでこれまで以上に厳しくともしっかり指導して欲しいとお願いした。これは俺も初めて知ったんだけど、礼儀作法やマナーって現役の貴族夫人が指導するんだ。ちなみに、以前指導してくれていたのはとある子爵夫人だったんだけど完全にアリシアを見放していて、けんもほろろに断られた。
ところがこうなると、エリザベスは独身時代からのコネをフル活用した。
その結果、なんと家格上位の伯爵家から、ラ・ロングヴィル伯爵夫人が手を差し伸べてくれた。夫人は伯爵位を持つ実家がありながら、中央で内務系官僚として頭角を現していた当時子爵位にあった現夫君に惚れ込んで結婚し、夫を公私ともに支えて遂に陞爵を受けるに至らしめた才女だと言う。
なにそれ、やだ怖い。
えー?、憂鬱だよ。そんな女傑の指導を仰ぐなんて……。
それから数日を経たとある昼下がり、イルマに先導されて領主館の中庭に出向くと、日よけの大きなパラソルの下に誂えたガーデンテーブルで、二人の淑女がお茶と共に楽し気に会話を交わしていた。
その光景に驚いたが、声に出さなかった俺、偉い。
あぁ、礼儀作法とマナーの講義、今日からか……。
先に言ってくれればいいのに、サプライズって本当に迷惑だ。
一人はエリザベスだから、当然もう一人がラ・ロングヴィル伯爵夫人だろう。
見当をつけて歩み寄る。当然背筋を伸ばして手の先足の先まで神経を行き渡らせる。こういう時だけは、大学時代にボールルームダンスやったり、就活前後にマナー教室通っておいて良かったと思う。仕事以外に、というよりも異世界で役立っているのに心底驚いている。
まずは下位からの声掛けは厳禁だ。声掛けをして貰えるけど近すぎない距離で、軽く会釈をする。
歓談がピタリと止まって俺を値踏みするような視線を受ける。この合間も下卑たり阿るような笑顔はダメだ。自然とにこやかにほんの少し微笑んで待つ。
「あら、失礼致しましたわね。ご令嬢。よろしければこちらへどうぞ」
この場の最上位である伯爵夫人がそう言ったからと、ほいほい近づいてはいけない。ちゃんと聞こえてますと会釈で答えながら、近づき過ぎず遠慮し過ぎていない距離で止まる。ここでも微笑みは忘れない。
それでも近づいて見たら、伯爵夫人は桁違いの美人だった。
濃い赤ワイン色の髪はくるくると巻上げられていて、ちょこんと乗せたレースの付いたドレスと合わせた鶯色の帽子が気高い気品を醸し出している。
痩せぎすじゃない均整のとれた細面にやや鋭いアーモンド形の目に緑がかった黒い瞳が妖艶な印象を与えてくる。
すげー。エリザベスは一見ほんわか美人さんだけど、伯爵夫人は聡明なデキる美人さんというところだろうか。口元のほくろも、サロンの貴族男性をメロメロにしていそうだ。俺もあるいは、と思わざるを得ない。
ま、アリシアの体では思いようが無いんで、心は凪いでますけどね。
反応を待ちながらアホな事を考えていたら、ようやく伯爵夫人が挨拶してくれた。
「わたくしはラ・ロングヴィル伯爵夫人です。よろしけばお名前を聞かせて頂けます?」
よし。ここまで来たらカーテシーだ。親族じゃない文字通り上位者への挨拶だから、腰も曲げる。
「ご高名なラ・ロングヴィル伯爵夫人にご挨拶させていただく栄誉を賜りまして感謝に堪えません。私はリジュー子爵家の娘、アリシアと申します。どうぞ、よろしくお願い申し上げます」
急がず、でも遅すぎないテンポで挨拶を終えて姿勢を正し、少しだけ歳相応の笑みを浮かべて伯爵夫人の顔を見ると、微笑ましいものを見ているという瞳の奥に僅かばかり驚きの色が浮かんでいた。
伯爵夫人は俺に席を進めながらふぅと小さく息を吐くと、エリザベスに向かってこう言った。
「ねぇ、エリザベス? わたくしはアリシア嬢に、何を手ほどきすればよろしいのかしら?」
エリザベスが隠し切れない嬉しさに頬を緩めながら、こくりと頷いて俺を見た。
とりあえず、伯爵夫人の弟子入りは認めて貰えたようで一安心だ。
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