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ストックが無くなるまで、毎日20時更新の予定です。
在庫が無くならないよう頑張ります。
*R15は保険です。
*設定上BLを想起させる表現を用いる場合がありますが、その際には改めて注意喚起します。
「……お嬢様。アリシアお嬢様! お目覚めの時間ですよ!」
遠慮の欠片も無い力任せの揺さぶりと、騒がしい女性の声で、頭と耳がゆっくりと機能し始める。
ちょっと勘弁してよ。新年度早々の昨日だって休日出勤なのに終電帰りで、体の芯までくたくただよ。まだ目覚ましも鳴ってないじゃん。まだ寝てていいんだよ……いいはず……ぐぅ……。
「いい加減になさいませ! 来年の今ほどには学院に入学されるのですよ。いつまでも子供のようになされては皆が困ります。さあ、起きて下さいませ!お・じょ・う・さ・ま!!」
勢いよく掛布団をはぎ取られて、流石に頭にきた。
どこのどいつだ? こんな真似しやがって! 次から次へと怒りが、いや、殺意すら湧いてくる。寝てる間だけが自由なのに、何の権利があってこんな真似するんだ?
怒りの爆発力で跳ね起きると、思うまま声を上げていた。
「いい加減にすんのはてめえだ! なんの権利があってこ、ん……な……あ、あれ?」
寝起きでぼやけていた視界が次第に整っていくと、そこには見知らぬ中年の女性が立ち尽くしていた。
大きな怒声になのか発言内容になのか、とにかくはぎ取った布団を両手で持ちながら慄いているその女性は、青褪めた顔色でカチンコチンに固まっていた。
視界を左右に動かすと、いつの間にか貼られていた薄いカーテン越しにうっすらと、見た事の無い花瓶や絵画といった調度品が並ぶ部屋が見えた。
「だ、誰かー!? お嬢様が、アリシアお嬢様がご乱心! ご乱心ー!!」
中年女性が持っていた布団を放り投げて、大声で叫びながらどこかに飛び出して行った。彼女の乱暴な扱いに抗議するように、けたたましい音を立てながら勢いよくドアが閉まるのを見送りながら、誰かってあんたこそ誰よ?と思った。
てか、ここどこよ?
あれ? なんかおかしくないか?
急速に思考回路が覚醒していくと、ぶわっと冷や汗が出てきた。
え? ナニコレ? なんだこれ?
慌てて近くを見回すと、ベッドサイドのテーブルに水差し一式に呼び鈴と手鏡が見えた。急いで手鏡を掴み取って覗き込むと、そこにはまるでアニメやゲームに出てきそうな美少女が映っていた。
大きくてくりくりとした丸い目に明るい茶色の瞳、肌は透き通るような白くて繊細な肌。ぷっくりした唇は色気よりも可愛らしさを演出する健康的なピンク色。そして髪はふわふわと軽やかで、光の加減で重なり合ったところや毛先に向かってピンク色が強めに見える不思議な明るい金髪。
そんな美少女がその大きな目を瞠って大口を開いて驚いている姿が映っている。
「誰だこれぇーえーえーえー……えぇ!?」
ふぅっと気が遠くなっていくのを感じた。
あぁきっと、心の安全装置が作動したんだろうな。
重力の赴くままベッドに体を預けると、中年女性が走り出た方からガヤガヤと音が聞こえてきた。でも音は次第に小さくなっていくように感じた。
俺の名は一条静香。とある外資系商社に務める27歳会社員。
名前イジリは聞き飽きている、歴とした男だ。
次に意識を取り戻した時、俺は衝動的に目を開くのをぐっと堪えて、まず耳を研ぎ澄ませた。
衣擦れの音や方々から聞こえる会話で、すぐ側に誰か人のいる事を確認できた。それも一人や二人じゃなさそうだ。こういう状況なら、まずさっきの失敗を繰り返してはならない。
俺を起こしに来た女性は、確かお嬢様って呼び掛けてたな。
いや二十七歳の俺にお嬢様って……無いわ。いや、呼び掛けた対象が俺じゃないな。
さっき鏡で見た姿。この体に呼びかけたんだろう。見たままにザ・お嬢様って感じだったから納得だ。
だとすると現状は……どういう事だ?夢でも見ているのか?
もしかしてこれが、明晰夢ってヤツ?
そう言えばお嬢様の名前も呼び掛けてたな……アリス……いや、アリシア?とか……。
名前を思い浮かべた途端、大量の記憶と情景が頭の中に流れ込んできた。
知らない世界、知らない国、知らない街、そして人、人、人。無思慮で遠慮も無く、ただ強引に流れ込んでくる大量のそれらに違和感だけじゃなく嫌悪感がどうしようもなく膨れ上がり、耐え切れなくなって跳び起きた。
その行動に周囲は一気に動き出した。
「アリシア!? 大丈夫?どこか痛いところは無い!?」
天蓋のオーガンジーを引き破る勢いで飛び込んできた何かに、強く抱きしめられた衝撃に驚いて目を向けると、そこにはさっき手鏡で見た髪と同じ色をしつつも綺麗なウェーブのかかった金髪の美女が、心配そうな表情でこっちを見ていた。
落ち着け! パニックは更なるパニックを招くだけだ!
「ご心配をおかけして申し訳ございません。お母様。イルマも心配かけてごめんなさい。もう大丈夫よ」
なるべく丁寧に、淑やかに言うと金髪美女はそっと俺を抱きしめてきた。
どうやら最初の難局は乗り切ったらしい。
目尻に涙を浮かべて俺を抱きしめる妙齢の美女はこの身体、つまりお嬢様の母であるエリザベス・ド・リジュー。その向こうで、さっきは驚いて飛び出して、今はエプロンで目尻を押さえながら良かった良かったと微笑んでいるのがお嬢様付の侍女、イルマ。
この身体の記憶が勢いよくガーっと流れ込んできたショックは完全に治まっていないが、タイミング良くこういう流れになるのは、やっぱり明晰夢なんだろう。
アリシアを落ち着かせるようにポンポンと背中を叩くエリザベスには大変申し訳ないんだが、さっきから当たってるんですよ。お母様のお胸がぽよんとですね、ぽよんと。
まあ、欲情はしないんですけどね。母娘だし、元気になる所が無いし。
ただこれだけ密接に女性に触れたのって、大学時代の彼女くらいかなと思っただけで……。
「霍乱、だったのかしらね。イルマ、今日はお昼まで休ませてあげて頂戴。もし食欲があるようなら何か軽い物を準備してあげて。お昼の様子によっては、旦那様にもお知らせします」
そう言いながらまだ心配だと視線を送ってくるエリザベスにニコリと微笑むと、イルマに残るように指示をして、後ろ髪を引かれてますとアピールするようにゆるゆるとアリシアの部屋から出て行った。
「お嬢様、先ほどは申し訳ございませんでした。私きっと、昨日の晩か今朝に何かおかしな物を口にしたのだと思います。お嬢様にはかえってご迷惑をおかけしてしまい、侍女として情けなく存じます」
アリシアの記憶によると、この見た目ふっくらと恰幅のよいイルマは見た目の通り誰にも優しく、時に厳しい立派な侍女だ。こげ茶のつっつめ髪をメイドのキャップで包ませると、その外見は俺が見ても立派なメイド。なんならシチューやクッキーの商品アイコンになってるおばさん然とした人だ。
アリシアも厳しくも優しいイルマを大好きだと記憶している。
そんなイルマが目の前で悄然と肩を落としている。
「いいえ。イルマは何も悪くないわ。私の夢見が悪かったの。心配だけでなく迷惑をかけてしまってごめんなさい」
イルマは目を潤ませながら勿体ない事ですと言うと、アリシアにかかる布団を手直しして天蓋を閉じた。何かあればお呼び下さいと言って、ドアの近くまで下がった。
あ、室外に出る訳じゃないのね。
ゆったりとベッドに持たれるように横たわる。アリシアの記憶が俺に、バタンと倒れこむのははしたないと教えたからだ。
昼まで時間を稼ぐ事が出来たのはラッキーだと思った。この時間を利用して、いきなり流れ込んできたアリシアの記憶を整理しよう。
この体の持ち主であるアリシア・ド・リジューは十二歳。才能を認められて来年、王都にある学院に入学する女の子だ。
父親はギヨームと言い、ディアフルーレ王国でリジュー子爵領の領主にして財務系貴族として一年の大半を王都に詰めている。母親はさっき来たエリザベスで、アリシアの下にカミーユという6歳の妹がいる。
子爵ねぇ……俺が知っているままだとすると高位貴族だよな。しかも法衣貴族じゃない領地持ち。すげーお嬢様じゃん、アリシア。しかし娘二人って事はギヨーム父さん婿取りの采配難しいだろうな。
そのギヨームは領主業務の大半を准男爵位を持つ実弟のユーグに任せていて、ユーグにはジャンという九歳の一人息子がいる。
貴族社会にしては珍しく兄弟関係と親戚付き合いが極めて良好で、ギヨームも後顧の憂いなく王都で励む事が出来ている。
なんかうさんくせえな、貴族なのに。戦時や混乱期なら分かるけど、平時にそんな仲良しこよしねぇ……。
いかんいかん、何でも裏を考える仕事柄の悪癖が顔をのぞかせてきた。
今の俺は子爵令嬢アリシアなんだから、ちゃんとロールプレイしないと。
んでアリシアは、両親から深い愛情を受けつつ使用人や侍女にも恵まれて、天真爛漫な令嬢として健やかに育てられた、と。
でも記憶の中のアリシアってこれ、明らかに天真爛漫の使い方間違ってんだろ! 言っちゃアレだけど、相当おつむに困難のあるお転婆娘だろ。
なんだよカゴ一杯に虫捕まえてきて玄関ホールにぶちまけたり、小鳥が見たいと言って木登りして巣ごと卵盗んでくるって……。これを天真爛漫で片づけるなよ。自覚しろ、アリシア。
イルマ、もっと厳しく!
リジュー家にはあれだな、大型犬飼ってる家みたいなプレート貼ろう。『アリシア危険、近寄るな』ってヤツ貼ろう。
それで今、俺がいるのは王都に構えたリジュー子爵家の別宅で、数日後には子爵領に帰るってところか。記憶の子爵領は王都から馬車で東に一日半の近距離なうえ、主要街道が領地のほぼ中央を横断する好立地で、外国を含む国内各地から王都を目指す最後の宿場としても物流を支える拠点としても繁栄している。
これを子爵が領有してるってのも、なかなかエグい話だな。あちこちから狙われてるんだろうなぁ、リジュー領って。
流れ込んできた記憶を総当たり的につらつら考えていたら、ドアをココココンとノックする音が響いた。即座にイルマが反応して何かやり取りすると、音も立てずにベッドサイドに寄ってきてアリシアに声をかけた。
「お嬢様。ご不快でなければ、ご昼食の時間となりましたので小ホールへおいで下さいませ。奥様もカミーユお嬢様もご心配なされて、出来ればアリシアお嬢様のお顔を見たいとの仰せにございます」
ありゃ、考え込んでいたらいつの間にかお昼ですか。
そういやバタバタしてて朝メシも食ってないのを思い出した。お腹の辺りを触るとタイミングを合わせたように、くーっと小さく可愛い腹の虫の鳴いた。
む、今のイルマに聞かれたかなと思いながら目配せすると、イルマは微動だにせずに返答を待ってくれているようだ。
「ありがとうイルマ。出来るだけ早く伺いますと伝えて頂戴。それと身支度を整えるから、他に手隙の侍女へも声をかけて、手伝って貰って頂戴」
お嬢様と侍女のやり取りならこんなとこだろ。
そう思っていたら、イルマは目を瞠ってこちらを見ている。
あれ? 俺なんか間違った?
「どうかして? イルマ?」
ドキドキしながらさらに言うと、イルマは小さく頭を振って「直ちに」と言い残すと、素早く部屋から出て行った。
あの反応なら、多分正解だったんだろう。
俺はそう思う事にして、ベッドから立ちあがった。
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