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第二十三話 前言撤回



 なんだか妙なことになっている。


 何故こうなったのか説明しろと言われれば、なんとなくその場の流れでとしか答えようが無い。

 自分の腕に回されたケイトの指がきゅっと掴む感触に落ち着かない気分になるのは、こういった行為が頻繁に交わされる関係と随分かけ離れた生活をしているからだろう。

 勿論歓楽街の姐さんらから親しげに腕を組まれたり、柔らかな身体を押し付けられて誘われることもあるがそれとはまた別。

 ケイトは普通の若い女性で貴族の屋敷で侍女として働いている真面目で身持ちの堅い女である。

「あのなぁー……。これはちょっとやりすぎじゃねぇか?」


 ちらりと視線で掴まれている腕を指すと、ケイトは小さく微笑んで「寒いんだし、良いじゃないですか」と更に寒さを理由に身を寄せてくるがここは建物の中だ。逆に暑苦しく感じる。


「それにデートって名目なんですから、私たちが仲良い所を見せないとお二人の仲は縮まらないと思いますよ」


 店内の少し離れた場所で商品を広げながら何やら真剣に会話をしているアルフォンスとフローラを見ながらケイトが嬉しそうに燥いでみせた。


「別にべたべたしなくても――」

「これぐらい普通ですよ」

「若いもんはそうかもしれんがなぁー……」

「アルフォンス様とフローラ様の歳の差に比べれば、私たちの年齢差なんてそんなに気になりませんよ。あ、これ可愛い」


 手を伸ばして飾ってあるクマのぬいぐるみを取り上げると歓声を上げる。

 ぬいぐるみに可愛いと飛びつく時点でケイトの子供っぽい若さが露見され、それに呆れてついて行けない自分のおっさんぶりに気付かされるのだが。

 そんなレットソムの困惑などそっちのけで、この現状を楽しんでいるケイトの無邪気さが寒い。


 あの夜会の時に庭へと連れ出したヘレーネは、オドント=グロッサム伯爵の誕生日が近く何か贈り物をしようかと思っているのだとフローラから聞き出していた。それを口実にアルフォンスに一緒に付き合ってもらえばどうかと勧め、第二大隊の副隊長にもなにかお詫びの品を二人の名前で差し上げた方が良いとヘレーネが上手に提案したのだ。

 おずおずと「お願いしてもよろしいですか?」と問いかけるフローラに、アルフォンスは「私でいいのかな?」と逆に苦笑したそうだ。


 ヘレーネのお陰で無事に次の段階へと進んだが、未だにフォルビア侯爵令嬢との縁談は有効である。

 さっさとくっついてくれればいいが、あの真面目でできている男が見合いを控えている身でフローラに言い寄るとは思えない。元より女性に積極的にアプローチする姿など想像もつかないのだが。

 二人のデートが心配なのと、これも仕事なのでこっそりと後をつけていると、今日は仕事が休みなのだと何故かケイトがやってきて堂々とレットソムの腕を引いてアルフォンスとフローラのいる店へと入って行った。

 しかもそのまま「奇遇ですね」と声をかけまでしたのだから呆れてしまう。


 このままだとグロッサム家の侍女とできていると噂されてしまう。


 いや。

 こんな冴えない男と若いケイトが付き合うなど本気で信じる者などいないだろうから、放っておいても無害な噂かもしれない。


「なんで他人の逢引を覗かなきゃならんのかねぇ」

「お仕事でしょ?」


 ぬいぐるみを棚へと戻してケイトがぎゅっと腕にしがみ付く。肘に柔らかい物が当たっているが、それを注意すると意識していると思われるかもしれない。ただのエロいおっさんだと吹聴されるのは面倒だ。

 がしがしと左手で頭を掻き毟り邪念を飛ばすと、商品を探しているふりをしながら二人に少しだけ近づく。


 どうやら広げているのは膝掛のようだ。

 これから寒くなる季節なのでオドントに贈るには丁度いいかもしれない。深緑の物と温かなオレンジ色の物の二色を並べている。どちらかで迷っているのかと思ったら、両方を店員に渡した。


「フローラ様はすごいですね」


 目の前に置かれた白磁の花瓶を撫でながらぽつりとケイトが呟いた。その感心している様子に「なにがだ?」と問うと真面目で勤勉な侍女の顔に戻って「お好きなんです」と答える。


「深い緑の御色は大旦那様が。そして夕日の燃えるような御色はカーウィグ子爵夫人が」

「それじゃ、あれ」

「お二人への贈り物で間違いないかと」


 フローラはカーウィグ子爵夫人とこの前の夜会で初めて会ったはずだ。夫人は宰相閣下の令嬢を知っていたからプリムローズ公爵との結婚を嘆いていたわけではなく、自分が嫌いな相手へと嫁がされるフローラに勝手に感情移入していただけに過ぎない。

 幼い頃から見知っているオドントがフローラを可愛がっていたことも一因とはなっていたかもしれないが、直接的な原因では無かった。

 夜会での数少ない会話からカーウィグ子爵夫人の好みの色など聞き出す機会は無かったはずだ。それでもフローラは誠意を持って調べ、オドントに贈り物をするならカーウィグ子爵夫人にもと優しさを見せた。


「よくできた令嬢だなぁ」

「本当に。美人で気もきいて優しいだなんて、狡いです」

「……僻まなくても令嬢はお前ほど上手く家事をこなせねえんだから。安心しろぉ」

「私は別にフローラ様のことを言っている訳じゃ──」

「おっと出るみたいだぜ」


 商品をアルフォンスが受け取って店の入り口へと歩き出したのを見て反論しようとしたケイトを制しレットソムも動いた。

 ここでレヴィーへの詫びの品を選ばなかったので別の店に移動するようだ。

 高級品ばかりを扱うこの店の物を貰ってもレヴィーは喜ばないとアルフォンスが言ったのかもしれない。

 旧市街の服飾品や生活雑貨を取り扱う通りを過ぎ、二人は飲食店が並ぶ通りへと入って行く。時計塔は先程鐘を二つ鳴らしたばかりで昼食には遅く、お茶の時間にするには少々早い。


「いい雰囲気ですね」


 ケイトが言うように社交的な二人は会話も弾み楽しそうに見えた。内容までは聞こえないが、時折笑いながらお互いの話に頷いたり質問を返したりしているようだ。


「順調……か?」

「だといいんですけど」


 勘の鋭いアルフォンスに覚られないように尾行するのは難しく、かなりの距離を間に置かなくてはならない。遠くからでも目立つアルフォンスを見失うことはないので助かってはいるが、こう離れていては順調なのかどうか細部まで解らないので困る。


「ケーキ屋さん?」


 二人が入って行ったのは高級洋菓子店だった。流石に同じ店に二度入って行っては偶然だという言い訳は通らない。

 離れた場所から出てくるのを待つしかなかった。


「いいなぁ。あのお店人気なんですよ。タルトが絶品なんですって」

「……そうかい」


 甘い物は食べられないわけでは無いがあまり好きではないので興味は薄い。反応の鈍いレットソムを見上げてケイトは不満そうに頬を膨らませる。


「そこは今度一緒に行こうかって誘うのが男でしょ」

「悪い。他の男を当たってくれや」

「じゃあ今行きましょう。もしかしたらお二人で仲良く中で食べているかもしれませんし」


 鼻息荒くぐいぐいと腕を引かれるが、レットソムはケイトの肩を押えてその手の中から自分の腕を取り戻す。


「二度目の偶然は通らん。邪魔をするなら帰れ」


 勝手についてきた癖にケイトは裏切られたような顔で「酷い」と非難する。涙まで浮かべるものだから始末に悪い。

 こっちが意地悪して泣かせているような気分にさせるのだから、女という生き物は本当に狡猾である。


「女の涙なんざ効かねぇよ。こっちは仕事なんだ。お前の気紛れな遊びに付き合ってやれるほど暇じゃない」

「気紛れでも、遊びでも」


 ──ないのに。


 最後の声は風に飛ばされたが辛うじてレットソムの耳には届いた。だが聞こえなかったことにして「さっさと帰れ」と言い渡す。

 ケイトは目元と鼻を赤くして「言われなくても帰るわよ!」と叫んで通りを駆けて行った。

 その後ろ姿を黙って見送って大きな嘆息を洩らす。

 なんだか胸に苦い物がもやもやと広がるが、38年間も生きていれば割り切れないことや折り合いをつけられない感情を心の中に無理矢理おさめる方法を学ぶ。簡単ではないがゆっくりと鎮めて押え込むのだ。

 アルフォンスとフローラは中々店から出てこなかった。

 ケイトが言っていたように美味しいと評判のタルトを二人で賞味しているのかもしれない。


 それでもいい。


 そのほうがいい。


 ケイトの真剣な眼差しと、切なく響いた気紛れでも遊びでもないという言葉はレットソムを打ちのめした。


 完膚なきまでに。


 立ち直るのには少し時間がかかるから。


 好意を疑いも無く押し付けてくる若さに驚愕し、純粋な想いを踏み躙って傷つける行為は胸糞が悪くなる。勝手に期待して、勝手に好きになったケイトの気持ちを喜ぶよりもそれに恐怖する自分の弱さに気付いて戸惑った。


「なにが恋の伝道師だ……」


 自分で名乗っているわけでは無いが、己の恋愛ごとに畏れ萎縮しているようでは到底名前負けである。


 気付くと時計塔の鐘が鳴っていた。


 馬車が洋菓子店の前に停まり御者が中へと入って行く。その車体にブルースター侯爵の紋章が入っているので、どうやらフローラを迎えに来たらしい。

 程なくして中からフローラと荷物を持ったアルフォンスが出てきて御者が扉を開けた。乗り込む令嬢に手を貸してアルフォンスは向かい合った席の御者側に荷物を載せて何事か囁くと自身は乗らずに扉を閉めた。

 そしてその足で真っ直ぐこちらへとやって来るのだから本当に嫌になる。


「どうだ?楽しかったか?」


 人のデートを覗き見して、と言外に含めながら問われレットソムは唇を歪めて曖昧に首を振った。


「お前が尾行しやすいだろうと馬車を使わずにいたんだが、連れていた女性が全てぶち壊したな」

「でしょうね」


 ケイトの行動はあからさまで、尾行している相手の前に姿を堂々と現すなど本来は取らない方法である。

 私服のアルフォンスは仕立ての良いシャツの上に厚めの上着を羽織っているが、それでもかっちりとしたデザインの隙の無い着こなしは騎士服を着ている時と変わらない。凛としていて近づきがたい雰囲気だ。

 久しぶりに私服のアルフォンスを見るが、そこには私的な気軽さや寛いだ物などなく、フローラ嬢との買い物は仕事の延長であると報せている。


「……見込みは無いですか」


 明らかにアルフォンスに淡い恋心を抱いているフローラだが、想いを寄せられている男の方はそうではない様子にがっくりと肩を落とす。

 偶々のまぐれ当たりも今回は効果無しのようだ。


「そうでもない」


 だがアルフォンスは目尻に笑い皺を寄せて微笑むと驚くべき発言をする。


「今──なんと?」

「何を企んでいるのか知らないが、フローラ嬢と私を結ばせようとしていることは解っていた。勿論そんな思惑に乗ってやるつもりも無かったし、私にはフォルビア侯爵の令嬢との縁談がある。フローラ嬢にはプリムローズ公爵からの話もあると聞いていた」


 それなのに何故。


 実に楽しそうに笑いアルフォンスは「今までにいないタイプの女性だったからかもしれんな」と答える。


「今までにない?そんな、何処にでもいるような令嬢にしか見えませんが」

「私に意見できる女性など今までいなかった」

「意見……フローラ嬢がアルフォンス殿に?」


 慎み深く時に可愛らしい会話をしていたフローラが近衛騎士団長であるアルフォンスに意見するなど一体なにがあったのか。


「私は彼女にクリスティーナへ剣を向けた時何故止めたのか理由を聞いた」


 確かにあの時一番クリスティーナを怖がっていたフローラが剣を抜いた時に止めて欲しいと懇願した。それは血が流れる行為を畏れてだったのか、クリスティーナの命が奪われることを可哀相だと思ったからなのかは解らない。


「するとフローラは逆に『何故斬ろうとなさったのですか?』と言い、更に他にも方法はあったはずだと私を責めた」


 私服姿でもその腰には騎士剣が存在感を放っている。


「他の方法があるなど思いもつなかなかったのだ」


 しみじみと呟いてアルフォンスは己の剣を見下ろす。大抵のことはこの剣ひとつで乗り越え解決してきた。その事に強い自負があるから近衛騎士団長は何も考えずに剣を抜いたのだ。

 それをフローラは疑問に思ったのだろう。


「その事を教えてくれた彼女には感謝している」


 そして興味を持ったとも。


「流石は噂の恋の伝道師だ。コーネリアに気をつけろと言われていたのだが、まんまとその力に私は負けてしまったな」

「アルフォンス殿、その呼び名は」

「フォルビア侯爵とプリムローズ公爵には私から話して頭を下げておく」


 苦笑してアルフォンスはレットソムの肩を優しく叩く。


「それから前言撤回だ」

「は?」


 近衛騎士団長の撤回したい前言がどれなのか解らずに首を捻っていると「夜会で私が言ったことだ」歩き出したアルフォンスは立ち去りながら言葉を残した。


「自分の娘と言ってもおかしくは無い年頃の令嬢を妻に迎えるのには少々抵抗があると」


 それは。


 堅物で生真面目なアルフォンスが少々自嘲気味な冗談を言った瞬間だった。


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