第二十二話 生真面目すぎる騎士
所々に魔法の灯りが灯された手入れの行き届いた庭園にはテラスから出て正面に噴水があり、右手側に四阿と木立があった。左手側は玄関と門へと続く小道とそれに沿って花が植えられている。
アルフォンスは四阿の方へと淀み無い急ぎ足で向かう。今は聞こえていない不穏な音は、大きな音が溢れていた会場内に居たというのに近衛騎士団長はその方向すらも解っているらしい。
「敵に回したくないねぇー……」
驚くべき耳の良さである。
静まり返った庭を楽しむ余裕も無くレットソムはついて行く。遠くで犬の無く声が聞こえ、アルフォンスが芝を乱して駆け出した。
地面を一蹴りする度にどんどんと速度が増していく背中を見失わないように走るのが精一杯で、あっという間に距離が離されていく。
騎士隊の一員でなくて本当に良かったと安堵しながら途中で諦めて歩を緩めた。寒いほどの風が頬を撫でるが、走ったせいでうっすらと汗をかいていて気持ちが悪い。そのままにしていると風邪を引くなと、ぼんやり思いながらオドントの館のある方へと少しだけ早足で向かった。
夜の闇の向こうに灯りを灯した玄関とその横のテラスにあるイスとテーブルがぼんやりと浮かんで見える。
ここまで来ると夜会の音楽も聞こえなかった。
きっと多少騒いだところでこちらの音も向こうに聞こえることは無いだろう。
──ワンワン!
けたたましく吠える声が割と近くで聞こえた。音を頼りにそちらへと向かうと横から白い手が伸ばされて引き止められる。
「これ以上は」
唇に人差し指を当ててヘレーネが進むことも喋ることも止めるようにと指示した。レットソムは頷いて答え、近くの木に身を寄せてヘレーネが見つめる先へ同じように目を凝らす。
黒い影のような四足の獣が吠えながら何かを必死で追いかけている。真っ直ぐでは無く時折回り込むようにしながらどこかへと誘導しているような動きを見せていた。
「こ、こないで……!」
震える声は若い女の物。惑いながら走りにくいドレス姿で逃れようと闇雲に逃げて行く。屋敷へと戻ろうとすると犬は行く手を遮り、仕方なく身を翻して反対方向へと進むしかない。
蒼白な顔で怯える姿は気の毒だが、助けが来るまでの間もう暫く逃げ惑っていてもらわなければ。
「ああっ……!」
足を滑らせて転倒し悲鳴を上げるのを見て、レットソムの隣でヘレーネが小さく息を飲んだ。ちらりと様子を窺うと感じやすい大きな瞳を揺らして唇を前歯で押えている。犬が襲うことも、その牙で怪我することは無いと解っていても、目の前で恐怖に怯える少女を助けず黙って見ていることは承服できないものだ。
辛かろう。
だがこれからそういったことが幾らでも起こりうるのだ。
「慣れろ」
それしかない。
肩を掴んで簡潔に囁くと、ヘレーネは目を伏せて小さく頷く。
助かると信じて。
「こっちか」
少女がなんとか立ち上がり駆けて行く先から凛とした声が上がる。誰かが来てくれたとその瞳に恐怖では無い安堵の感情が広がって「助けて下さい」と涙に濡れた懇願をした。
「貴女は……ブルースター侯爵殿の」
「アルフォンス様、お願いです、どうか」
目の前の頼れる人物に少女は両手を伸ばして縋りついた。白い腕で黒い騎士服にぎゅっと抱きついて身を震わせている少女を左手で抱き寄せて庇いながら、前脚を何度も地面から上げたり下ろしたりして跳ねて吠える犬を睨む。
「一体どこから迷い込んだ」
まさか犬に詰問しているわけでは無いだろう。クソ真面目な性格だけに犬にまで律儀に問いかけているのかと思ってしまうが、単なる疑問を素直に口にしただけだ。
「フローラ殿、少し離れていてください」
「え……あ、はい」
ようやく一息つけた安息の場所から離されて、少女は再び不安そうな表情になる。今度は逞しい背中に庇われてはいるが、温もりが無いのでは安心感も段違いに減るだろう。
アルフォンスが腰の剣に手をかけたのを見てレットソムは驚愕し、ヘレーネは焦った。
「まずいっ」
あの犬は借り物だ。
アルフォンスに斬り伏せられては間違いなくレットソムが殺される。
背中を寒気と汗が流れて、身を隠していた木から飛び出す準備をした。
「アルフォンス様!おやめくださいませ!」
悲痛な声で叫び制止しようと動いたのは今まで犬に追い立てられていたフローラ。抜き放ったのと同時に白刃が伸び犬の鼻先まで達する。ヘレーネが顔を背けて、レットソムは「アルフォンス!早まるな!」と走りながら精一杯腕を伸ばして黒い犬の首元に抱きつき後ろへと引き寄せた。
──キンッ!
金属同士がぶつかる甲高い音が響く。
アルフォンスの右眉が跳ね上がり、楽しげに口元が笑みの形に変化した。
「いくら近衛騎士団長であろうと、オレのクリスティーナに手を出したらただじゃすまないですよ」
フォークとナイフを交差させて近衛騎士団長の剣を寸での所で止めたレヴィーが安堵のため息を洩らしながらも抗議する。
「私の剣を受け止めるとは流石だな」
「お褒めの言葉より謝罪が欲しい所です」
「お前の飼い犬がブルースター侯爵の令嬢を襲おうとしていたんだが」
「犬じゃありません。クリスティーナです」
そこは譲れないと下から睨み上げる第二大隊副隊長に近衛騎士団長は笑って「すまん。クリスティーナがフローラ殿に危害を与えようとしてたんだ」と言い換えた。
「クリスティーナが人を襲うなど考えられません。ただ御令嬢に遊んでもらいたかっただけです。実際尻尾を振っていたと思います」
後半はフローラに向けられたもの。
令嬢は困惑しながらも思い返し「そういえば」と認め、吠えられ、突進してきたことに動転して逃げたら更に追いかけて来たのだと説明した。
「犬は走って逃げられると遊んでもらえると誤解して追いかけてくるものだ。フローラ殿飛び掛かられなくて良かったですね」
「そうなんですか?」
アルフォンスが犬の習性を教えると口元を押えて驚き、それでは私は自業自得だったのですねと反省する。
クリスティーナは尻尾を激しく振りながら後ろから抱き締めているレットソムに首を回して暢気に顔をペロペロと舐めまわしていた。命の危険があったのだと知らずに優しげな瞳で見つめてくるのだから、レヴィーが可愛がるのも無理ないと思う。
よくよく見るとクリスティーナはふわふわとした黒い毛に覆われて、耳が垂れており獰猛さとは無縁の可愛らしい姿をしていた。
「無事で良かったな」
近衛騎士団長が剣を抜いた相手の命が助かったとは本当に奇跡のようだ。
レヴィーが真顔で「久しぶりに本気出したからな」と明言して刃こぼれしたナイフと、四本の内二本の先が折れたフォークを翳して見せた。
「私の剣をそんなもので受け止められるだけの実力を持っていて副隊長止まりとは……勿体無いな」
「そう思うなら上層部とかけあってこいつをもっと上の役職に就けてやってくださいよ」
「うえっ。止めてくれ」
本気じゃなくてまぐれです、まぐれと今更言い繕っても遅いのにレヴィーは必死で昇進を思い止まらせようとするのだから呆れてしまう。
アルフォンスも嫌がる相手を無理矢理昇進させるつもりはないのか苦笑いで「そうか」と納得したようだった。
「あなたの犬だったのね。私が何も知らなかったばかりに、危険な目に合わせてしまってごめんなさい」
レヴィーの前へと進み出てフローラが悄然と謝罪する。自分の所為だと反省している令嬢をクリスティーナが追うように仕掛けたのはこちらなので何とも微妙に申し訳ない気持ちで一杯になる。
しかしここで種明かしするわけにもいかないので第二大隊副隊長は「いや、こっちにも落ち度があったのでー……」と言葉を濁しながら顔を上げて貰える様にと頼み込む。
「そうだ。ウェザー副隊長がきっちりと管理していないのが悪いのだ。フローラ嬢が謝る必要はない」
「でも、」
「どうして繋いでおかずに放しておいたんだ」
「それはー……」
矛先がレヴィーに向き答えに窮して助けを求めるような視線をこちらへと向けてくる。仕方が無いので頭を掻きながらレットソムが立ち上がり「自分が」と手を上げて間に入った。
「こいつがあんまりこのクリスティーナを自慢するもんで、一度見てみたいから今日連れて来てくれと頼んだんですよぉ。オドント殿もカーウィグ子爵夫人も是非会いたいと言ってくださっていたので……。きっと繋いだ紐が緩かったんでしょうなー……」
「ということはグロッサム伯爵の使用人に不備があったとうことか……。これは一言」
「言わんでよろしい!自分が言っておきますから」
職務に忠実な近衛騎士団長は主催者側の不備を指摘し、その所為で招待客が怪我をするようでは名誉にかかわるからと善意で言っているのだ。だが近衛騎士団長の指摘は重く叱責に値する。今後招待客を招いてのパーティーを行うことが難しくなるのは間違いない。
無理言って今回の夜会を開催してもらった手前そんなことになっては困る。
「頼むから御自分の発言がどれくらい他人に影響を与えるか自覚してくださいよー……」
「しているつもりだが……」
釈然としない顔で首を傾げているアルフォンスに向き直り「アルフォンス様。危ない所を助けて頂いてありがとうございました」とぺこりと頭を下げるフローラ。
顔を上げる際にちらりとレットソムの方を見て微笑んだので、大の大人が微妙な雰囲気で困ったような表情をしているのに気を使ってくれたらしい。
会話を変えてくれたことに感謝して片手で拝むようにすると今度はにこりと破顔した。
「いや、怪我が無くて良かった」
「大事な陛下の為の剣を抜くことになってしまい、本当に申し訳ございませんでした」
「私の剣は陛下を御守りする為だけにあるわけでは無い。王と国に捧げたのですから。貴女も大切なフィライト国の民。護るべき人です。気にする必要はない」
「そう、ですか」
フローラは少し残念そうに俯いて、視線だけをアルフォンスの胸へと向けた。先程飛び込んだ先のその場所に未練があるようだが、近衛騎士団長は気づいていないのか、気付いていて知らぬふりをしているのか。
もどかしくて足元に座っているクリスティーナの尻を靴先で軽く蹴ると物問いたげな瞳を上げてくるので、顎でフローラの方を指してやる。心得たように尻尾がぐるりと回転するように動いて勢いよくクリスティーナは令嬢のドレスへと飛びついた。
「きゃあ!」
突然後ろから飛びつかれ、悲鳴を上げてフローラは目の前の安全な場所へと飛び込んだ。慌てたふりをしてクリスティーナを引き離して「すみません。どうもフローラ嬢がお好きなようで……レヴィーあっちへ連れて行こう」と第二大隊副隊長を促す。
「どうもすみませんねぇ。後はごゆっくり」
ぺこぺこと頭を下げながらレヴィーもクリスティーナの頭を一撫でして名前を呼びながら誘導した。
「まさか剣抜くとはなぁー……」
姿は見えるがギリギリ声の聞こえない距離まで来た所で呟くと、左隣りのレヴィーがギロリと睨んでくる。
その怒りはもっともだろう。
愛犬を殺されかけたのだから。
「思わず飛び込んじまったが、予定が狂ったからって文句言うなよ」
「言わねぇよ。あのまま目の前で犬を平然と斬り殺されたら、フローラ嬢が近衛騎士団長に恋なんかするわけねぇんだし」
ヘレーネがフローラを庭に連れだし犬を嗾けて屋敷から離した所で、レットソムがアルフォンスを外へと向かわせて異常に気付かせ、令嬢の危ない所に駆けつけ助けさせるという予定だった。
アルフォンスがまさか追い払うという選択肢では無く、令嬢の前で剣を抜き血生臭い現場を見せようとしたのだから驚きだ。
普通は流血沙汰に慣れていない婦女子の前で武器を取り抜くのは最終手段。それを躊躇いもせずに追い払う努力もせずに斬り伏せることを選んだのは、彼が王を護る者だったからかもしれない。
「悪い。甘かったわー……」
王の目の前に飛び出してきた者は子供だろうが、死にかけた老人であろうが、犬だろうが危険だと思われる場合問答無用で斬り殺すのがアルフォンスの職務。王の周りは当然多くの騎士たちに守られている。
それを抜けて乗り越えて来た者が危険であることは間違いない。
王のすぐそばに居るのはアルフォンスただ独り。
それならばとる方法はひとつしかない。
「嫌な仕事だなぁ」
もしその相手が最愛の人だったとしてもアルフォンスは顔色を変えず、私情を挟まずに務めを果たさなければならないのだ。
アルフォンス手前で押し止められれば捕えられ、意見や事情を聞いてもらえる場が与えられることもあるが、近衛騎士団長の前では言い逃れも陳情も命乞いもできずただ斬り殺されるだけ。
「だからこそ、あの堅物には必要なんだと思うぜ」
レヴィーが背中を叩く。
生真面目で融通の利かないアルフォンスは仕事に熱を入れ過ぎて、異性へ癒しを求めることができなくなってしまったのだろう。
「これからどうなるか……」
「最後まで気が抜けねぇな」
「違いない」
今頃ヘレーネが二人の間に入って上手いことやってくれていると信じよう。
窮屈な衿に指を入れて大きく息を吸い込みながら、急速に終わりかけている秋の気配を忘れないように身体に刻みつけた。




