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第二十一話 役者が揃い


 着飾った人々の中で窮屈な礼服に身を包んでいるレットソムの姿を見つけてヘレーネが人の波を縫って近づいてきた。

 水色のドレスは華奢なウエストと肩を強調したデザインで、胸元には沢山のフリルとレースがふんわりと飾られている。夏物とは違い手の甲まで覆う袖がついてはいるが、防寒の効果などないドレスを着ている女性たちはそれでも健気に美しく微笑んで談笑しているのだから頭が下がる思いだ。


「今日は首尾よく進むといいわね」


 長い銀の髪を背中に垂らして宝石のちりばめられたカチューシャをしているヘレーネがにこりと笑って首を傾げるとさらさらと音を立てて流れる。

 紺色の瞳は濡れたように輝き、長い睫毛と小さなバラ色の唇が美しい。


「協力してもらえて助かるが……」


 声を潜めてレットソムは客人の中の顔ぶれを注意深く眺めた。予定時間を少し過ぎた辺りで、まだ目当ての人物はどちらも到着していない。


「ロビウム伯爵が探りを入れてるってのに、こんなとこに呼び出しちまって」

「いいのよ。逆に遅いぐらいだと思う」


 解っていたことだからとヘレーネは平然と笑っている。

 アルベルティーヌ第二王妃の元には年に四回大都市の富豪が贈り物を携えてご機嫌伺いに訪れる。

 春には軍港と名高いロベルト=アイフェイオン公爵の治めるアリッサムの商人ギリアム=カクタス。

 夏には王弟殿下のチェンバレン=プリムローズ公爵の治める魔法都市トラカンの魔法道具商パド・トオド。

 秋には王都ディアモンドの高級洋裁店エルティアナ・バンクス。

 冬には変り者ガルシア=ベロニカ公爵の領地、貿易都市コーチャーから貿易商ヘレーネ=セラフィスがその任に就いている。

 全ての者が同年代の少年少女で、銀色の髪に紺色の瞳をしているのは偶然ではない。


「意外と愚鈍で助かったけれど」


 アルベルティーヌは銀色の髪に海の青より更に深い紺色の瞳をした容姿で、その白い肌と輝く様な美しさで真珠の姫と持て囃されたほどの美貌をしていた。


 その第二王妃と同じ色を持つ子供達。


 隠された王子はその中にいるのではないかと疑うのは必至。

 プリムローズ公爵と繋がりのあるロビウム伯爵がその四人に目をつけて探りを入れているのも当然と言えば当然だ。


「今は私のことよりも新しい恋人たちの誕生に尽力を尽くさないとね」

「上手く行くかは、あんたの協力とレヴィーの働きにかかってるから……頼むぜぇ?」

「責任とれるか自信無いわ。でもこれ以上セシルに嫌われたら困るし。せいぜい頑張るしかないわね」


 恩を売っておかないと、と片目を瞑ってからそっと離れていく。見たことの無い少年がすっと影のようにヘレーネに身を寄せて何事か声をかける。黒い艶のある髪を後ろで結び、その先がまるで箒のようになっているので髪質は柔らかくは無い。

 こちらを振り返って会釈した茶色の瞳と口角をきゅっと持ち上げて笑う顔がどことなくライカに似ていた。


 大和屋を営む木賊とくさ家には四兄弟の息子がいる。

 長男は祖父と父の跡を継ぎ鍛冶屋として修業中で、次男は良質の鋼鉄を手に入れる為に諸国を旅し、三男にライカ、そして四男は勉強中だと聞いていた。

 今日ヘレーネの傍に居るのはライカでは無くその弟の方なのだろう。

 あどけなさは無いが溌剌とした陽気さと、足の運びが身軽なのを見ると兄同様それなり戦えるだけの力は持っているようだ。


「……本当に今日ばかりはまぐれを期待するしかないなぁ」


 かっちりとした衿に太い指を入れて少しでも呼吸がしやすい様にしながら、今回ばかりは偶々のまぐれ当たりを願う。


 全ては運任せ。


 そう簡単に人の心や運命を動かせるなど思ってはいない。


「まずは令嬢のお出ましか……」


 入口からブルースター侯爵の令嬢フローラが現れ、ヘレーネがそつなく近づき挨拶をしていた。

 フローラは年の頃は16歳でリディアのひとつ下になる。アルフォンスは今年42歳なので令嬢と26も離れている計算だ。


 貴族間の結婚は普通より早いが、最近ではより有利な縁故を築きたいと願う親が多いのか慎重に相手を選ぶ傾向があるので16歳辺りから20歳までに婚約や結婚をする者が多い。ブルースター侯爵令嬢もフォルビア侯爵令嬢も丁度駆け引きの材料として扱われる年齢に達しているということ。

 珍しいピンクブロンドの髪のフローラは色白の肌も相まってたおやかな印象が強い。濃い茶色の瞳はぱっちりとしていて、ドレスと同じ若草色のアイシャドウがよく映えていた。弱さや儚さが目立つ容姿に強さを与えているが、その上にかかる淡い桃色の輝く前髪が上手く中和させている。


「ようこそ、フローラ嬢。どうか今日は楽しんで行って欲しい」


 グロッサム家の大旦那であるオドントがカーウィグ子爵夫人を伴って笑顔で歩み寄ると、フローラはにこりと笑みを刻み「本日はお招きいただきありがとうございます」と腰を落として優雅にお辞儀をして見せた。

 彼女は小さい頃から宰相である父に連れられてパーティーには出席しており、こういった小規模の夜会は緊張ひとつしないのだろう。


「突然の招待だったのでご迷惑だったと思うが、フローラ嬢が来てくれてとても感謝しているんだ。あの小さな女の子がこんなに美しい令嬢に育ったなんて本当に驚いているよ」

「あれから10年経っております。のんびり屋と母に呆れられる私でも、それほどの月日が流れれば成長もしますから」


 扇の下でくすくすと笑い声を立てるフローラと今年50歳の半ばになるオドントは砕けた口調で楽しげに会話をする。


「それに、オドからの招待なら私どんな突然の招待でも駆けつけます」

「まだ私をオドと呼んでくれるか。フローラ嬢」

「ええ、もちろん。小さな私をパーティーで見つけるたびに退屈しないように構ってくれた大切な方ですから」

「それはよかった。可愛い女の子とは親しくなっておくことにこしたことはないようだ」

「どうかこれからも長いお付き合いができればと願っております」

「もちろんだとも。フローラ嬢」


 シャンパンを飲みながら聞き耳を立てていたレットソムに騎士隊の礼装姿でレヴィーが大股で歩み寄り「奴さんが来たぞ」と少々緊張した顔で囁く。入口を見ると招待されて出席していた騎士隊の役付きたちが一斉に背筋を伸ばして略式の礼を取った。

 すらりとした長身に身につけた近衛騎士団の礼装は漆黒。衿と袖口にのみ赤のラインが入り、金の肩章と胸につけられた数々の勲章が輝いている。出席者が帯刀するのは無粋とされるが、近衛騎士団長はどのパーティーでもその腰から愛剣を外すことは無い。


 その剣は国王に捧げ、国に忠誠を誓う物。

 

 公式の場で剣を見せるのは、彼にとって揺るぎ無い国王への親愛の証である。

 蜂蜜色の髪は緩く波打ち、短くしているが前髪だけが長くそれが頬骨にかかる姿を見て世の女性たちは素敵だと頬を染めた。エメラルドグリーンの瞳は切れ長だが鋭くは無く、それ相当の年月を持って刻まれた渋みと目を細めた時に出来る皺がこれまた色気があると若い令嬢も騒ぎ立てている。


「……あれで浮いた話が無いってんだからなぁ。あの御方の頭の中はどうなってんだろうねぇ」

「違いねえ。取敢えず役者は揃ったが……本気でやんのか?」


 気乗りしない第二大隊副隊長の肩を拳で強く殴り「当たり前だろうがぁ」と鼓舞する。それでもレヴィーはあの日フォルビア侯爵の屋敷に居なけりゃ良かったと文句を言いながら、用意された軽食をつまみにシャンパンをがぶ飲みした。


「品がねぇなぁ」


 苦笑してレットソムは騎士隊の副隊長にまで出世しても変わらず、品位の欠片も無い仕草をする昔の同期を眺める。

 レヴィーはちゃんとした礼儀作法を弁えて振る舞うことができる。騎士養成学校で貴人との付き合い方や礼儀作法、ダンスの踊り方までみっちりと教えてくれるからだ。知ってはいても必要のない時にその技術を使わないのも、周りから「やる気の無い男」だと評価される所以でもある。


「お前は昔からだらし無いが、立ち居振る舞いには品があったよなー……」


 レヴィーが空になったグラスを給仕に手渡して、親指の腹で口元を拭いながらにやりと笑って突っ込んできた。


「生まれの所為だ……」

「没落して一家離散したとはいえ元は御貴族様だもんな」

「今じゃしがない便利屋家業だ。生まれが貴族でも行きつく先がそれじゃあな。宝の持ち腐れだろー……」


 レットソムが生まれた家は子爵家だったが、財産を食い潰し経営が破綻した上に多額の借金を抱えて家族ばらばらになった。


 両親も姉も兄もどうなったのか解らない。


 探そうとも思わなかったのは自分が不幸のどん底を這いまわって苦しんだ経験が無かった所為かもしれず、そんな自分の薄情さに嫌気がさすよりも己の人間臭さに好感を持っていたからだろう。


 レットソムは幸運だった。


 まだ幼かったレットソムは下働きとしてそれなりの貴族の屋敷で住み込みで働き、給金を子供から巻き上げるような卑劣な人間も周りにいなかったこともあって必死で貯めた金を握って騎士養成学校へと入ることができたのだから。


 きっと両親や姉や兄はもっと悲惨な人生を生きている。


 貴族の生活を使用人として見ながら成長して行く中で、記憶の中に残っていた両親と兄姉の無茶苦茶な暮らしぶりを振り返ると自業自得だとも思った。

 彼らは傾いて行く身代を知りながら金を使って美味い物を食べ、着飾り、節制を進言する家令の言葉に耳を貸さなかった。それどころか罵倒して解雇し、更に金を湯水のように使ったのだから。


 愚かだったのだ。

 だから運から見放された。


 今の暮らしに不満は無い。

 それだけにうらぶれた家族の姿や実情を知りたくないと思う。

 その落ちた生活から掬い上げてやれるだけの情も、熱意も、憐みも、力もレットソムには無いのだから。


 知らない方がいいことも世の中にはある。


「別に今からその宝を利用して生きてもいいんじゃねえのかね?」

「今の方がずっと楽でのびのびと生きられてんだ。冗談じゃねえよぉ」

「楽して金儲けできりゃ苦労は無いが、そう上手く行かないのが人生だなー……」

「違いねぇ」


 失笑するとレヴィーが「そろそろ準備するわ」と手を上げて暗闇に沈む庭へと出て行く。その丸まった背中を見送ってレットソムはシャンパングラスを置いた。アルフォンスがこちらへと真っ直ぐ歩いてくるのが見えたからだ。

 淀み無く美しい動作で歩いてくる近衛騎士団長は目が合うとほんの少し目元を緩めて「珍しいな」と声をかけてくる。


「御無沙汰しております」


 胸に手を当てて頭を垂れる略式の礼を取るとアルフォンスが苦笑いする。


「お前はもう騎士隊に所属していないんだ。私に礼を取る必要は無い。それとも漸く戻ってくる決心がついたか」

「滅相も無い」


 慌てて首を振りレットソムが一歩下がると、生真面目そうな顔に一瞬だけ残念そうな表情を浮かべて近衛騎士団長は「そうか」とだけ答えた。


「相変わらずコーネリアとの腐れ縁が続いているようだが。無茶な事ばかり言って困らせているんじゃないか?」

「お気遣いありがとうございます。グラウィンド公爵にはお互い様な部分もありますので、その辺りは。腐れ縁万歳です」

「あれと上手くやれるのはレットソムぐらいだろう」

「アルフォンス殿でも上手く御すことができないと?」

「あれはじゃじゃ馬だ。しかも相当の暴れ馬。御すること等無理だな。クレティアン殿が温厚な方だから夫婦上手く行くのだろうが」


 クレティアンはコーネリアの夫だが、フィライト国出身では無く隣国ショーケイナよりも更に東にある国の貴族で人柄だけで伴侶に選ばれた経緯を持つ。

 コーネリアの気質は激しく、そして奔放である。夫には彼女の行動を咎めたり、疑問視したりする者は向かない。ただ黙って遠くから見護るぐらいの男が望ましい。男のような性質のコーネリアには、貴婦人のような奥ゆかしさと慎ましやかな男性が合っている。


 まさしくクレティアンはそんな男だった。

 野心も気迫も無い。


 そんなクレティアンにコーネリアが実は心底惚れていることを知っている人物は少ないが、レットソムは多忙な彼女が夫によって癒され救われていることを感謝している。


「アルフォンス殿の御結婚は」

「……今フォルビア侯爵の令嬢との縁談が進められている。だが自分の娘と言ってもおかしくは無い年頃の令嬢を妻に迎えるのには少々抵抗があるな」

「その年までご結婚されなかった近衛騎士団長に責があるかと」

「……しかも私がフォルビア侯爵の籍に入るというのだから、どうもなぁ」


 コーネリアを通して騎士時代に知り合ったアルフォンスとはよく食事や酒を飲みに行っていた名残から、個人的な悩みや愚痴を多少は零しやすい相手だと思われているようだ。レットソムが他言して良いことと悪いことの分別があることもアルフォンスに信頼されているのだろう。


「お前はどうなんだ?」


 自分の話が嫌なのか結婚の話を逆に振ってくる。


「稼ぎの悪い男に嫁ぎたがる奇特な女がいるとは思えませんね」

「だから騎士隊に戻れと――」


 アルフォンスの顔に緊張が走り雰囲気が一変する。眉を寄せて何かに神経を尖らせているのを見て「どうかしましたか?」とわざとらしく声をかけた。


「なにか、聞こえた気が」

「そうですか?」

「悲鳴のような――」


 ざわめき音楽の流れる会場に居ながらアルフォンスは悲鳴を聞いたという。首を傾げてレットソムは周囲に目を向けるが異変に気付いた者は他に居ないようで、みな楽しげに食事と会話と酒を堪能していた。

 騎士たちも同様で寛いだ様子だ。


「この夜会に隊長クラスで出席しているのは他に居ないのか?」

「あとでマルレーン隊長とルードが来ると聞いてますがね」

「第二大隊隊長と第三大隊隊長か」


 舌打ちしてアルフォンスは気づいていない騎士たちをサッと一瞥し「鍛え直しが必要だと言わねばならんな」と言い残して庭へと急ぎ足で出て行く。


「……あんたの耳が異常なんですよ。それを……可哀相になぁ」


 異変を察知できなかったのはたるんでいるからだと指摘され、騎士たちは明日から厳しい訓練をかせられることになるのだ。

 同情しながらもレットソムもアルフォンスの後に続いて庭へと出た。


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