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こちら厄介事万請負所~王都に恋の嵐が吹き荒れる?~  作者: 151A
第一章 気まぐれに恋の花は咲く
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第二話 パン職人の悩み


 窓から射し込む光と事務所の扉が開く音でレットソムは微睡みながら寝返りを打つ。歓楽街が寝静まる朝日が昇るまで緊急の依頼があるかもしれないので事務所に居なくてはいけない。必然的に朝眠り昼過ぎ辺りに起きる夜型の生活となる。


 元よりそのがあった分この仕事は向いているとも言えた。

 事務として雇っているカメリアが出勤した気配を耳で捕える。彼女が事務所から応接室へと入りその奥にある仮眠室の扉を叩いてノアールを起こしている声を聞きながら眠りの残滓を手繰り寄せて枕に深く横顔を沈ませた。


「行ってきます!」


 叩き起こされたノアールが慌てたように走って行く。カメリアが名を呼んで止めて「朝ごはんです」と紙の袋を渡している音が続いたので焼き立てのパンを出勤途中で成長期に朝食を抜くことを懸念して買ってきたのだろう。


「ありがとうございます」


 あの美しい顔で起き抜けの掠れた鼻にかかった声を面と向かって出されれば、どんな女性もドキリとするだろう。

 だが今は気の毒なほど頬を腫れさせ痛々しさしか相手に感じさせないのは残念である。


「行ってらっしゃい。ノアール。また午後に」

「はい」


 起伏の少ない静かな話口調のカメリアの声に送り出されてノアールは無事に魔法学園へと登校して行った。将来有望な学生を学園に通わせなければ学園長であるグラウィンド公爵から手酷い仕打ちを受ける。


 それだけは勘弁してもらいたい。


 旧知の間柄なのでお互い無理難題を吹っ掛けることが多く、最近ではこちらからの無茶ぶりばかりで立場が弱くなっている。

 できれば対等か、少し優位に立っていたいのだが。


「ふぁああ……」


 欠伸が出て脳に酸素が送られる。こうなってしまっては惰眠を貪ることができず、レットソムはのそりと身体を起こした。坊主頭を左手で撫でてもうひとつ欠伸を噛み締める。寝台から重い腰を上げて箪笥から着替えを取ると応接室へと続く扉を開けて出た。

 カメリアは事務所の方で早速仕事をしているようで、紙を捲る音が微かに聞こえる。

 仮眠室の隣にあるトイレと風呂のある小さなドアを開けて中に入った。短く狭い通路の右がトイレ、正面が風呂だ。残念な事に脱衣所が無いのでトイレ前で服を脱いでタオルだけを持って中に入ることになる。


 トイレも風呂の入り口も横に動かして開ける引き戸になっているので、細く小さな棚を置いてそこに脱いだ服と持ってきた着替えを置く。

 勿論風呂を使用中にカメリアがトイレを使う可能性もあるのだが、彼女がここで働くようになってから三年半ほどになるがかち合ったことは一度も無い。


 きっと女性であるカメリアの方が上手く躱してくれているのだと思うが。


「別に、見ても男の裸なんて面白くもなんともないからなー……」


 しかも中年男のだらしない身体を誰が見て喜ぶと言うのか。

 仕事柄身体を張った依頼も多く、若い頃にはそれなりに危険な状況を潜り抜けた経験もある。荒っぽい環境にいた所為か同年代の男に比べれば筋肉もあり、引き締まった身体をしているが肌艶は落ちるし何よりも顔が良くない。


 坊主頭に不精髭、日のあるうちには目蓋が重く眠たげで、間延びしたやる気の無い喋り方の締まらない顔。


 魔法と科学の国の高い技術が生み出した湯と水の出るそれぞれ二つの蛇口と、紐を引くと排泄物を水で流してくれる水洗トイレは格段に生活を快適な物にしてくれた。

 これが開発されたのはレットソムがまだ小さく無邪気だった頃で、その当時不衛生が原因で流行った病を期に一気に開発が進み、王都全てに配備された。勿論例外もある。王都にあって王都と認められない地区。


 スラム街だ。


 そこは未だに悪環境で一張羅の服に満足な食べ物も無いような暮らしをしている。無論風呂もトイレも昔式の不衛生で不便な物だ。

 沢山の犯罪の温床にもなっているその場所の住環境をなんとかしようと動いている男もいるので、その内に少しずつでも改善されて行けばと思うが国が動かない以上遅々として進まないのは当然の結果である。


「原因が解っていながら対処しないのは愚か者だぞぉ」


 王城のある方向を睨みながら湯と水を合わせて出しながら桶に汲むと、頭から思い切りよくかぶった。




「ノアールのあの顔」


 朝食兼昼食を食べ終えたレットソムが頬杖をついてぼんやりと依頼者が来るのを待っていると、カメリアが紫色の美しい瞳を上げて責めるような視線を送ってきた。


「月影亭の喧嘩仲裁に失敗して殴られたんだよー……。そう怖い顔しないで欲しいなぁ」

「人には向き不向きがあると思います」

「そりゃ……そうだがなぁ」


 解ってはいるが夜間の揉め事の殆どが、管を巻いている酔っ払いを店から叩き出したり、言い合っている客の間に入ったり、金を払わない客を騎士に引き渡したりと腕力を使う物ばかり。

 時には失せ物を探して欲しいとか、しつこい客に付き纏われている女性従業員を無事に家まで送り届けるといった依頼もあるが圧倒的に少ない。

 仕事を選んでさせていてはノアールを雇っている意味が無くなってしまう。


「所長が行けばいいんです」

「おいおい……。楽したくてバイトを雇ってんのに」


 カメリアは肩から胸の方へと滑り落ちた背中の中程まで伸ばした栗色の髪を、白い手で後ろへと流してから深いため息を洩らした。

 三年半も一緒に仕事をしているカメリアのことは多少なりとも解る。


 これはかなり機嫌が悪い。


 彼女は滅多に感情を表に出さないが、それでも滲み出る雰囲気と仕草でなんとなく伝わってくる物がある。


「紅蓮がいりゃあなぁ……ノアールも痛い思いしなくてもいいんだがなぁ」

「…………今いない人のことを言っても仕方が無いでしょう」


 珍しく椅子を鳴らして立ち上がりカメリアは凍りつくような声を残して事務所の入り口へと歩いて行く。


「少し出てきます」

「……ああ」

「忘れていましたが、今朝寄った“小麦の恵み”で依頼したい事があると言っていました。お暇なようなのでご自分で行ったらどうですか?」


 扉の向こうに消える間際の言葉に悪意を感じたが、どうしようもなく「ああ」とだけ返答し下唇を突き出した。


「これこそノアール向きの仕事だろうがぁ……」


 “小麦の恵み”はパン屋だ。その平和な響きのする場所からの依頼こそ知的で真面目なノアールに向いている仕事依頼だ。

 カメリアが忘れていてレットソムに伝えていなかったのではなく、自分でもノアール向けの仕事だと解っていたので学園の授業を終えて午後からやって来る彼に行ってもらおうと思っていたに違いない。


 なんの嫌がらせか。


「もうひとり荒事向きの奴を雇っても、紅蓮が戻って来た時に辞めて貰わなきゃならんのは面倒なんだよなぁ……」


 そのことを説明した所でカメリアが納得するとも思えない。弟がいる彼女はどこか頼りないノアールに姉のような気持ではらはらと心配しているのだろう。


「自分のことだけで手一杯のはずなのに」


 ここにも難儀な奴、いや――難儀な女性がいた。


 腰を上げてレットソムは言われた通り“小麦の恵み”へと向かうために事務所を後にした。

 今の時間は静かで人通りの少ない歓楽街を南に下ると宿場街へと出る。そこは大きな街道へと続く東門が常に開けっ放しにされ、大量の人々が出入りしている場所だ。露店や小さな店舗が立ち並び賑わっている。

 “小麦の恵み”はその小さな店舗の並ぶ通りに店を構え、両隣を同じパン屋に挟まれた激戦区の中にあった。

 パンや小麦の良し悪しは解らないが、真ん中の“小麦の恵み”より左隣のパン屋の方の客が多い気がする。

 大きな窓ガラス越しに中と商品が見えるようなデザインなのは小売業の常で、逆に客足の多い少ないも見えることから心理的に誰もいない店舗より中に客がいる方が入りやすいのもまた真実で。


「相談は客の入りについてか……」


 商売繁盛に手を貸すことはなかなか難しい。助言ができるのならレットソムの厄介事万請負所はもっと大きくなっているだろう。


「こりゃノアールに任せた方がいいかもしれん」


 頭を掻きながらも取り敢えず入口に手を伸ばしたのは、カメリアの冷たい態度が背中を押したからかもしれない。

 濃い茶色の扉を引き開けると「いらっしゃいませ」と弾むような元気な声が中から聞こえてきた。焼き立てのパンの匂いとオーブンが発する熱で店内の温度は高い。壁際に並んだ三段の棚には色んな種類のパンが並べられている。

 横長の精算カウンターの上には焼き菓子の類も乗せられているので結構な手間をかけて商品を作っているようだ。


「あの、もしかして……便利屋さんですか?」


 金茶の髪を二つに分けてそれぞれ三つ編みにした若い女性が白いエプロン姿で奥からやってくる。その掌と指に白いパン生地が所々ついているのを見て彼女が職人なのだと判断した。


「依頼があると、カメリアから聞いて来たんですがー……貴女が依頼人で?」

「はい。店主のパフィオです。どうぞパフと呼んでください」


 瞳を細めてにこりと微笑むとパフィオは濡れた布巾で手を拭いながらカウンターから出てきてレットソムにぺこりと頭を下げた。

 小柄な女性だが、この若さで店を構えるとはなかなか剛毅な性格らしい。意志の強そうなしっかりとした眉の下に夕日を思わせるオレンジ色をした瞳で客のいない店内をぐるりと見渡す。


「ご覧の通り閑古鳥が鳴いている状態ですが、カメリアさんは毎朝店に来てくださるんです。それでつい甘えてしまって」

「お悩みは経営について?」


 尋ねるときょとんとした顔の後で「いいえ、違います」と少し怒ったように早口で否定する。それでは一体何の依頼なのか……と不精髭を撫でていると、パフィオが棚に歩み寄りひとつのパンを指差した。

 それは丸いデニッシュ生地の中央に丸ごとプリンを乗せた形状のパンだった。


「……甘そうだな」


 素直な感想を述べると若い店主はにこりと笑って「バターをたっぷり使ったデニッシュ生地と、卵を贅沢に使ったプリンは乙女の大好物ですから」と胸を張る。


「デザートなのか主食なのか、判断に困るな……」

「分類は主食では無く、デザートだと思います。ですがこの商品、実は隣の店も出していて……」


 話を聞くと“小麦の恵み”の客層は主婦層が多く、素朴で飽きのこない商品が良く売れている。カウンターに焼き菓子を置いているのも、子供連れの客向けを狙ってのことだった。だがそれでは売り上げが伸びず、若い女性を新規開拓しようと考えた商品がこの“乙女の大好物”。


 店先で新商品を手に道行く女性に試食をした時、左隣の店でも同じような商品が最近出ていると聞かされ驚いたらしい。


 もしや盗作かと疑い、そして疑われた。


「悔しいんです。左隣の店は無口だけど見た目の良い男が経営していて、それだけで女性客が集まって!パン作りの腕では負けないのに、顔だけで商売している人に負けるなんて職人としてのプライドが許せない!」

「んー……成程ね」


 確かに外から見た感じ、店内には若い女性が沢山いた。店名は“ロメリア”。店主の姿は見えなかったが繁盛していたのは間違いない。


「盗作疑惑をなんとかして欲しいと……そういう依頼で間違いない?」


 のんびりとした口調で確認してくる男を胡乱な瞳で見上げてパフィオは頷くと「大丈夫なんですか?」とこの道15年のレットソムの腕すら疑ってくる。


 確かにやる気が無さそうに見えるのは仕方が無い。

 実際に日中は身体が重く、思考もゆっくりだからだ。

 なるべくなら寝ていたい。


「少しお時間もらえれば……なんとか」


 ふうんとパフィオが信じがたい顔ながら呟き「よろしくお願いします」と再度頭を下げて来たので「はいはい」と適当にあしらってから“小麦の恵み”から退出した。


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