第一話 副官の相談事
厄介事万請負所はフィライト国の王都であるディアモンドの東門に近い歓楽街の中にある。いかがわしい店が並ぶ通りから少し入った場所で、知らぬ者が訪ねて来るには不便利な所にあった。
だが毎日何かしらの仕事依頼が入り、夜には喧嘩の仲裁等で忙しくお陰で食べて行くのには困らないだけの稼ぎはある。
「痛たた……」
頬を腫らしている少年は涙目で歪んだ眼鏡を手に苦しんでいた。全体は紫色で左側の一房だけが銀色をしている不思議な長い髪を後ろでひとつに束ね、碧色の澄んだ瞳には普段は眼鏡をかけているが現在は無残な姿で掌の中。
美しい眉と通った鼻梁、薄く形の良い唇と少しだけ子供らしさを残した頬と細い顎。だが今は赤く腫れあがっていて折角の美男子も見る影もない。
「相変わらず荒事は苦手だなー?」
苦笑いして少年ノアールに冷やしたタオルを手渡した。素直に受け取って頬に当て、しゅんっと落ち込んだ姿は魔法学園の三年生に進学し17歳になるというのにまだまだ頼りない。
ノアールは現在この厄介事万請負所にて働く唯一のバイトである。
本来はもうひとり紅蓮という荒事向きの少年がいるのだが、戦乱により故郷が荒れている現状を打破すべく帰郷していて不在だ。ディアモンドを離れて一年が過ぎたが何の連絡も無く、元気にしているのか、家族とは会えたのか、故郷に戻れたのかそれすら解らない。
だが紅蓮ならば大丈夫だろう。
そのうち今までとなんら変わらない様子で戻ってくるはずだ。
根拠は何かと問われても勘だとしか答えられないが、レットソムは信じている。
「好い加減気づきなさいよ。酔っ払いに正論を述べた所で通じない。物知り顔で説教する子供に腹を立てないわけが無いだろー?」
坊主頭をわしわしと掻いて嘆息すると依頼書と報告書に目を落とす。依頼者は酔っ払い同士の口論で迷惑をこうむった月影亭の女将。喧嘩の仲裁を頼まれたが、間に入ったノアールのくどくどと説明する内容と説得に両者が苛々とストレスを溜めて再び殴り合いを始めた。
慌てたノアールが割って入り、見事な右ストレートを食らった――ということらしい。
「今回は近くを巡回中のサルビア騎士団によって上手く収めて貰ったからいいものの……。お前さんウチで働くようになってどれぐらいだよ?」
「うぅ……一年と少し」
「だろう?それならもう学習していいはず」
「すみません……」
悄然と項垂れる学生をこれ以上苛めるのはレットソムの性分ではない。一生懸命働いてくれているのは十分解っている。初めの頃に比べれば随分臨機応変に動けるようになったし、決断も早くなった。酔っ払いに絡まれてもそれなりに上手く対処もできる。
ただ殴り合いや、その延長で刃物を持ち出されると途端に怖気づく。
「フリザード魔法学園はあの有名な近衛騎士のアルフォンス=メディウム団長を世に輩出したとこだぞ?魔法も武術も教えてくれる素晴らしい学園のはずなんだが……」
健全な精神は健全な肉体に宿るとの指針を元に魔法だけでなく馬術、体術、剣術も学ぶのだ。選ばれた騎士の中の騎士のみが入る事を許される近衛騎士団の団長といえば文武両道の猛者である。
現在の団長アルフォンス=メディウムは魔法学園創立者であり、フィライト国建国時に法の整備を担った優れた魔法使いであったグラウィンド公爵の血に連なる者でもある。騎士団に入る際に権利を全て放棄し、姓を母方の物であるメディウムと改めた。
グラウィンド公爵の地位と名誉と財産を放棄したとしても、その尊い血は彼の価値を高め、騎士団長という新たな地位と名声の元に群がる邪な者も多い。
その為かクソ真面目で慎重な性格の所為か42歳になる彼は未だに独身である。
「難儀だよなー……お前さんも、あの方も」
「僕の手は戦うことに向いてないんです」
開き直ったバイトが睨むが、眼鏡が無いせいでレットソムのいる方向とは違う場所を睨んでいることに気付いていない。
そしてその視線の先に偶然居合わせた青年が困ったように微笑んでいるのにも。
「どうした?副官殿」
「一応事情聴取を兼ねて来たんですが、何故か睨まれてますね。やはり便利屋さんの縄張りに勝手に介入したサルビア騎士団を良く思ってないのかな?」
「違う、違う。見えてねぇだけだ。ノアール。お前が睨んでんのは俺じゃなく、サルビア騎士団第二大隊の副官リステル・レナード殿だぞ?」
「え!?すみません!とんだ失礼を!」
睨まれてしまい事務所の扉を開けた状態で固まっていたリステルに猛然と立ち上がって頭を下げるが、その方向も少しずれていてレットソムは頭を抱えた。
「ノアールくん。僕こっち」
入口を閉めて苦笑いしながら歩み寄り、トントンと肩を叩くと弾かれたように顔をそちらへと向け「すみませんでした!」と再度頭を下げる。
「眼鏡かけろよ」
「でも、歪んでて」
タオルを外して眼鏡をかけるが、細い金属のフレームと耳にかける部分が歪んでいてきちんと収まらない。右側は正常だが左側が大きく上に向って歪んでいるので、顔が整っている分滑稽さが際立っている。
「ああ、随分痛そうだね」
左頬が赤黒く腫れているので左目の下までも膨れている。リステルは片頬を歪めて自分が殴られたかのように痛そうな顔をした。
騎士として訓練中に似たような怪我はしょっちゅうするだろう。我がことの様に痛みを直ぐに思い出せるぐらいには優男然としたリステルも経験があるということだ。
「えっと、今回はサルビア騎士団がその場の混乱を収めたことになるので、便利屋さんには悪いんですが報酬は入りません」
「当然だな」
通常喧嘩の仲裁に入った際や揉め事に関して仲介を頼む場合、荒事ならば報酬は店側から三分の一、残り三分の二を相手側に請求する。どちらが悪いかの判断で請求額は変動するが、大体が酔った客が因縁を吹っ掛けたり、客同士で喧嘩を始めたりすることが多いので店側が負う額は三分の一が妥当である。
店側に破損した備品や商品に対しての迷惑料が相手に加算されるようになっていた。
迷惑料は勿論厄介事万請負所にも入る。これは荒事に対処する場合に鎮圧する為の武力行使を行った時に適応される。おとなしく話し合いで決着が着けば迷惑料は店側だけが請求する形となるので半額となる。
だが今回のように途中で別の第三者が介入した場合は別問題だ。
それが騎士団ならば小さな個人営業の便利屋はおとなしく引き下がり、上手く収めて貰った見返りに謝礼を払わねばならないぐらいだ。
「その代わり、ノアールくんの怪我の治療費と眼鏡修理代は酔っぱらって騒ぎを起こした相手から徴収するから安心して」
「え?いいんですか?」
明らかにほっとしてノアールがずり落ちる眼鏡を押えながら念押しするように聞き返した。リステルが「苦学生に高価な眼鏡を買い替えろなんて誰も言わないし、言えないからね」と同情的な瞳を向ける。
「ありがとうございます――っ痛い!」
現金にも微笑んでノアールはその拍子に動かした頬の痛みに悶えた。レットソムは立ち上がって温くなったタオルを持って奥の応接室の扉の向こうに入る。衝立の向こうの台所へ行き、水で洗い流して搾りそれを持って再び戻りノアールに手渡す。
「治療費出してくれるなら、今から医者に行け」
「でも」
「学園専属の医師なら今からでも診てくれるだろ。グレアムはいつでもどんな患者も受け入れるからな」
学園専属として勤めるグレアム=アイスバーグは時計塔の近くの家に住んでおり、夜間だろうが急患を受け入れ、動けない者には往診までする。親がやっている病院より、儲からない魔法学園の専属医師を選ぶ変り者だが、貧しい者でも関係なく医療を施すその姿勢は素晴らしいと思う。
「眼鏡は明日修理してもらえ。今日はもういいから」
「……すみません。行ってきます」
「ああ、行ってこい。学園の男前を台無しにしたと女子に恨まれたくないからな」
「所長、」
「うるさい。行け。早く」
弁明をしようと入口へ向かいかけた途中で立ち止まったノアールを手の甲を振り、行くように促すと渋々口を閉じて出て行く。
「アイスバーグ先生ならきっといい薬で治療してくれる。治りも早いでしょう」
「あいつにはいい薬師がついてるからな」
「そうですね」
リステルは柔和な笑顔で立ち去る気配も無く姿勢の良い立ち姿で立っている。翡翠の瞳を上げて見れば、騎士は青いマントを身に纏いサルビアの花の紋章の入った制服を着ていた。勤務中のはずなのに帰る素振りを見せないと言う事は他に用事があるのか。
「副官殿は夜勤か?」
言外に仕事を放棄していても良いのかと匂わせると、リステルが穏やかな茶色の瞳に懸念の色を滲ませて「ええ……」と曖昧に答えた。
「使えない副隊長に嫌気がさしたか?それとも男勝りの隊長に幻滅したか?」
「いえ、そんなことは」
今更ですからとくすりと笑って否定して、個人的な悩みなんですよと浮かない顔をした。
リステルは平民出の騎士だが、その容姿と類い稀な剣術のセンスに加え几帳面な性格を見込まれて副官に抜擢された出世頭だ。人当たりも良く、住民からの人気も高い。そんな男の個人的な悩みとは一体何なのか。
女絡みか。
はたまた貴族出の騎士たちからのやっかみか。
「妹が」
だがその口から出た言葉は己のことでは無く、自分の妹についてだった。
拍子抜けしているとリステルが苦笑して「兄馬鹿の自覚はあります」と告白する。
「僕が騎士になったのを見て、妹も騎士養成学校を出て今年の春から正式にデシ砦に配属されました。そこには僕の同期で若くして隊長を任されている男がいるんですが、その友人から手紙が来て」
デシ砦は隣国ショーケイナと接する国境を護る砦として重要な意味を持つ。隣国ショーケイナの王子とフィライト国の王女であるロッテローザとの結婚により近々更に親密な関係を築くことになる。
隣国ショーケイナは北にある軍国主義のナクヤ国からの侵略と難民が流れ出していることに頭を抱えている。
そしてリステルの友人と妹が配属されているデシ砦はセクト鉱山の険しい山裾を通じて時折ナクヤから南下してきた部隊が攻撃をしかけてくることもある危険な場所でもあった。
「どうも妹が同僚と上手く行っていない様子で。何度注意しても険悪な雰囲気が改善されないと」
それで兄から妹に働きかけて貰えないかと頼まれたらしい。
「僕としては危険な国境での仕事では無く、王都へ戻ってこられればいいなと思ってはいるんですが。流石に人事に関しては口出しできず」
普通なら立場や職権を利用して自分の想い通りにすることをよしとしないような男だが、自分で認めたように妹のことに関すると盲目なようで口出しできるのならばきっとそうしたに違いない。
「仲良くしろって言えばいいんじゃないか?」
「……それが、相手が男なので。それもちょっと」
「ああ、そうか」
騎士の中に女もいることはいるが、極端に数は少ない。ほとんどが男で、確かに同僚となると男である確率が高いはずだ。
男が相手だから仲良くしなさいとはいいたくないとは、かなり重症である。
「なら無理して仲良くする必要は無いんじゃないか?人間馬が合わん奴はいる」
「それもそうなんですが、友人がこれ以上改善されなければ妹を更に辺境に移動させるぞと脅してきて」
深いため息を吐いてリステルは困ったように目を伏せた。妹と友人の板挟みの状態に苦しんでいる様子。
隊長職ならば部下の左遷についての権利を持っている。一応中央に相談してからになるが、基本的にはそのまま書類に判が押され受理されることになるだろう。それが解るからこそリステルは苦悶している。
「仲間として上手くやれるくらいになりゃいいんだろ?じゃあ、二人組ませてちょっと困難な任務につかせりゃお互いに協力せざるを得なくなるんじゃないか?」
「……成程。それはいいかもしれません」
レットソムが提案すると、考えた後で頷き笑顔で賛成した。愁いの晴れた顔で「ありがとうございました」と頭を下げて出て行く後ろ姿を見送って「難儀な奴が多いなー……」と呟いた。




