必修科目その3:社交界①
正装の音楽隊が奏でる優雅な曲に合わせて、目が痛くなるほど豪奢な服を着て顎を上に突き上げ威張る殿方と、髪から服からとにかく全てをこれでもかと言うほど飾り立てたご婦人が踊る。
蔦の装飾が彫り込まれた真っ白な壁と柱のまわりでは、男たちが親しそうに笑いあいながらも目を皿のようにして相手の弱みを探っている。毛足の長い真っ赤な絨毯を敷いた床を容赦なく踏み荒らし、時に嫌いな相手の足をかかとのヒールで踏んづけながら通り過ぎていくのは、先ほどまで美しい顔立ちで周りに愛想を振りまいていた女たちだ。
ここは魔窟か。王都に到着してすぐ案内されたこの広場に抱いた第一印象はそれだった。
「いやはや、リシュリュー公爵の奥方は相変わらず美しいですなあ!」
「聞けばリシュリュー―公爵のご子息はとても聡明なのだとか」
「才色兼備とはまさにこのこと!」
「ご子息は今年7歳になられるのでしたかな?」
「そうそう、そういえば私の娘も今年で7歳なのですが……」
仲睦まじそうに腕を組んで立っている父と母にかけられる声の殆どに、公爵家とつながりを持とうとする打算的な感情が見え隠れしている。父も母も勿論それに気付いているのだろうが、慣れた様子で穏やかに会話しながらそれらをやんわりと拒絶していた。
中にはおおっぴらに自分の娘とくっつけようと俺に声をかける者もいたが、そういう輩は父が息子はパーティに慣れていないからと言って追い返してくれる。
見るからに肩を落として去っていく貴族を、父を取り巻く者たちは後ろ指を指してあざ笑う。気付かれないように気を付けている様子だったが、彼らよりも背が低い俺にはそれがよく見えた。
父が言うには今日は前夜祭なのだそうだ。本番は明日と明後日の二日にわたって行われるらしい。
……貴族のパーティとはこんなに悪意が見え隠れするものなのか。何かを探るにしろ、もう少し自分の本音を隠すことはできないのだろうか。
「マリユス陛下、ジョゼフ殿下、ご入場!」
溜息を吐きかけたその時、広間に良く通る男の声が響き渡った。踊っていた者も談笑していた者も皆動きを止めて口を閉じ、俺の後ろの方にある楽団用ステージの上の大きな扉に視線が集まった。
父に声をかけていた貴族たちも綺麗に押し黙り、緊張した面持ちで皆と同じ方向を見つめる。
「扉が開いたら片膝を折り、頭を下げなさい」
いつのまにかすぐ後ろに来ていた父が、腰をかがめて俺に耳打ちする。
俺が小さく頷くと、父は背中をぽんぽんと二回叩いてから母の横に戻って行った。
奥の扉が両側に立つ兵士の手によって重々しく開かれ、その瞬間俺を含めた広間にいた者全てが片膝をついて頭を下げる。衣擦れの音すらしない広間に、かつん、かつんと階段を下りていく二人分の足音だけが響いていた。
「顔を上げよ」
威厳に満ちた低い男の声が聞こえて、頭を下げていた者達は言われた通りに顔を上げる。俺も周りより少し遅れて顔を上げ、楽団用のステージの前に立つ足音の主を見た。
足音の主は男と少年だった。男は金色に輝くマントと作りが複雑な足元まである黒い衣服を着ていて、癖のある金色の髪の上に色とりどりの宝石で飾った金の王冠を被っている。吊り上った碧眼は鷹のようで、どこか父にも似た顔のつくりをしていた。
少年はというと、男が着ている物と似ている衣服に白いズボンを履き、所々はねた金髪の上に小さなコロネットをのせている。男と同じく碧眼だったが、その目じりは垂れており、どこかおっとりした雰囲気を醸し出している。
「……そう畏まるな。今日はまだ前夜祭だ。主役は知ってのとおり、我が息子ジョゼフである」
低い声がそう告げるが、男……マリユス・エルクリニエール陛下は臣下の礼を崩そうとしない俺達に苦笑して、隣に立つ少年、ジョゼフ殿下の肩に手を置いた。
「先ほど言ったように、今日は前夜祭だ。厳粛な式典ではない。
皆、時を忘れ、大いに楽しむといい。立ち上がり、歓談を続けよ」
マリユス陛下が後ろ手に楽団へ合図を送ると、彼らはさっと素早く楽器を手にし、ゆっくりとした穏やかな音楽を奏で始める。それを期に貴族たちも立ち上がり、見栄を張るように大げさに踊って自分をアピールしたり、自分の近くにいる貴族と談笑を始めたりして、陛下が広間へ降りてくる前の光景を取り戻した。
背の低い俺が立ち上がった時にはもう既に陛下の姿は他の貴族たちに周りを囲まれてしまっており、見えなくなっていた。
俺の周囲では相変わらず誰かが誰かの足を踏んづけたり、通り過ぎる者に陰口を叩いたりしている。陛下が来ても腹の内を隠すどころかかえってヒートアップしているような気もする売り込みや探り合いに、呆れを通り越して感心した。
「ランベール」
自分を呼ぶ声に気付いて振り返ると、貴族の塊の向こうから父が手招きしていた。小走りに近付いた俺は、父の傍に母がいないことに気付いて首を傾げる。
先ほどまで一緒にいた筈なのに、どこに行ったのだろうか。父が焦った様子がないことから、母がいないことで呼ばれたわけではないらしい。
「私の後ろについてきなさい」
父はそれだけ言って俺に背を向け、俺が質問する間もなく歓談する貴族たちの間を堂々と横断していった。貴族たちは自分たちの間を通る父の姿を見ると驚いたような顔をして、嫌な顔一つせず道を譲っている。
慌ててその後を追った俺と父は人の群れを左右に分けていった。俺たちが通る脇の貴族たちは興味津々にこちらを見ている。
しばらく歩いて急に立ち止まった父の背にぶつかりそうになり、慌てて足を止めた。
「遅かったな、コルネーユ」
父の向こうから楽しそうな気配を含んだ声が聞こえた。つい先ほども聞いた声に、慌てて父の背中から横に移動して顔を上げると、そこには不敵に笑うマリユス陛下が立っていた。
投稿が遅れた上に短いですおうふ