プロローグ
「ユウマ、また道間違えてるじゃん」
「だってお前が変な話するからだろ」
「はいはい、人のせいにしない」
カナが呆れたように笑った。
『ピピピ!』
聞き慣れた音がする。枕元に手を伸ばし、アラームを止める。そのまま顔の近くまでスマホを引き寄せ電源を入れた。
画面には真っ黒な背景に『5:30』の文字が表示されている。
「もう朝か」
ため息とともに、ユウマはもう一度、枕へ顔を沈めた。
どこを歩いていたのかも、何を話していたのかも、もうほとんど覚えていない。ただ、道を間違えた自分をカナが笑っていたことだけは妙にはっきりと残っている。
「……なんで出てくんだよ」
そんな言葉が続いて漏れてしまう。
ユウマには、大学生の頃から付き合っていた彼女カナがいた。少し世間知らずだが、笑顔が似合うそんな彼女だった。
付き合い始めたのは大学二年生の中頃だった。学部もゼミも同じで、卒業までほぼ毎日顔を合わせていたが、それでも大きな喧嘩は一度もなかった。
しかし大学卒業を機に、その関係性に変化が生じた。
社会人になったユウマと、就活に失敗して学生を続けたカナ。ユウマはブラック気味の会社に勤め、カナはバーでアルバイトを始めた。生活は少しずつすれ違い、会う時間も減っていった。
そんな中でも精一杯カナのことを大事にしていたつもりだった。しかしつい先月。
「ごめん。別れよっか」
突然、カナからの死刑宣告がなされた。理由を聞いてもなんとも曖昧な返答が返ってきた……気がする。
もう記憶がない。まだまだカナにぞっこんだったユウマにとって、その言葉は記憶を吹っ飛ばすには充分な破壊力を持っていた。
そんなことが直近にあり、ユウマは絶賛傷心中だった。
「いつまでも引きずってらんないよなぁ」
自分に言い聞かせるように呟き、今度こそ体を起こす。
洗面台に向かい、鏡に映る顔を見る。寝起きのせいで多少ひどいものだったが、顔立ち自体はそこまで悪いわけではない。
寝癖のついた髪を軽く整え、動きやすい服装に着替え、ユウマは外へ出た。
早起きをして、朝の散歩に出る。それはユウマが、物心ついた頃から続けている習慣だった。加えて、今は帰宅してシャワーを浴び、身支度を整えて会社に向かうまでが、朝のルーティンとなっていた。
いつも通り都会の喧騒から離れた緑豊かな道をゆっくりと散歩するのだが、今朝はいつもと違う点が一つあった。
「こんな神社あったか?」
見慣れない神社があった。
今のマンションには就職を機に引っ越してきた。だがよく散歩をすることもあり、ある程度、周辺の地理は理解している自負があった。
そんなユウマだったが、目の前の光景には全く身に覚えがなかった。
どことなく不思議な感覚に襲われながらも足は自然と神社へと向かっていた。
入口の鳥居はまだ鮮やかな朱色をしており、奥に見える本殿は小さいながらも不思議な風格がある。
参道をそのまま進むと、気づけば本殿のお賽銭箱の前まできてしまっていた。
「まぁ、ここまで来てお参りしないのもな」
手持ちの十円玉を投げ入れ、鈴を鳴らす。
「えっとー。二礼二拍手一礼だったかな」
誰もが知っているであろう作法に従う。というか身を清めるとかもあった気がするが、まぁそれは一旦忘れることにする。
手を合わせながらギュッと目を瞑り、神への日頃の感謝と願いを込める……と思ったが、そのまま固まってしまう。
——何を願おう。
真っ先に、カナの顔がよぎったが、別れを告げられた時の顔を思い出すと、何となく違う気がする。
仕事が辛いかと言われると、傷心中の俺からすると激務だが金払いは良い、今の会社で忙殺されている方が、気が紛れている気がする。
じゃあどうする⋯⋯?
いっそのこと世界平和でも願おうかとも思ったが、今は世界より俺という一個人の幸せの実現に尽力して欲しいのが正直なところである。
もう考えんのめんどくさいな。
俺は願った。
『おっぱいが大きくて、超絶可愛いお嫁さんが欲しいっっ!』
「フッ」
吹き出すような笑い声に、思わずユウマは振り返るのだった。
◇
振り返ったユウマは思わず息をのんでいた。そこには少女が立っていた。
肩ほどまでしかない銀色の髪、真っ直ぐこちらを見つめる大きな銀色の瞳は、後光のように差す朝の光の中でも輝いて見える。
端正な面差しには、幼さを感じるが不思議と大人びた印象が同居していた。
纏っている巫女装束が彼女の透き通るような白い肌を際立たせ、服の上からでも分かるほどの豊かな胸元がひときわ目を引いた。
「そんなに熱い視線を送られるとさすがに少し照れるね」
どこか現実離れした、透き通るような声だった。
「あ、えっと。見とれちゃって⋯⋯すみません」
ぎこちない笑顔と一緒についそんな本音が口から出てしまう。
彼女は少し驚いたような顔をしたが、すぐにいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ふーん。いきなりそんなこと言っちゃうんだね」
そう言いながら、彼女はこちらに少しずつ歩み寄ってくる。
「こんな綺麗な人、初めて見たので不可抗力と言いますか……」
「えー口説かれたんだと思ったんだけどな」
「いやいや、違いますよ! それにそういうのはもっとお互いのことを知ってからにしたいというか……」
彼女からの思わぬ攻撃に、しどろもどろのユウマに対して、いつの間にか真横まで来ていた彼女が、こちらに身体を向けて言った。
「ふふっ。ごめんごめん。口説かれることなんて滅多にないからさ、ちょっとからかってみたくなってね。許してくれるかい?」
「大丈夫です。全然!」
そう言いながら、ユウマは、最大限の同調の意を込め、何度も頷いた。優しく微笑んだ彼女の様子を見るに、どうやら意図は伝わったようだ。
「さっきの願いといい、君は素直で可愛いね」
「あ⋯⋯ありがとうございます」
美人に至近距離でそんなことを言われるとなんとも照れくさい。
落ち着かない気持ちを紛らわすため、改めて本殿の方に向き直った。
「例えばさ。世界征服とか、大金持ちとかそんなのはどうだい?」
不意にそんな問いが、彼女から投げかけられた。
「願いとしてってことですよね?欲しくないと言っちゃうと嘘になりますけど、正直そんな大きいものじゃなくて、手が届く範囲の幸せで十分ですかね……」
「なんとも殊勝な心がけだね。お姉さん、君のことが存外好きになってきたよ」
ケラケラと笑う彼女。そしてまた言葉を続けた。
「君は今、大切にしたい人はいないのかい?」
「いないですね。最近いなくなったというか……」
力なく、ユウマが笑う。
「そんな様子だとご両親が心配しちゃうよ?」
「そんな感じじゃないですよ。うちは」
「ふーん」
少しの気まずい沈黙が流れたが、彼女が口を開く。
「そうだったね。君は超絶可愛いお嫁さんが欲しいんだもんね。あと胸がね……?」
チラリと彼女に目をやると胸の前で大きな二つの円を書くようなジェスチャーをしながら、こちらを見ていた。
「ちょっと、あの、ほんとに勘弁してください」
続く言葉を遮るように言葉を重ねるユウマに、彼女は楽しそうに笑った。
その笑顔がふっと消える。
「……何よりも最愛の人をご所望なんだねぇ」
そうつぶやいた彼女の銀色の瞳が不自然なほど澄んで見えた。まるで俺の心の奥底まで見透かしているようで、思わず視線を逸らした。
「見つかりそうかい?」
「なかなか厳しい……ですね」
本殿に視線を向けたまま答える。
学生に比べ、社会人になると、出会いの場は限られてくる。会社の激務に忙殺されている合間をぬって、出会いを求めて出かけるような気力も度胸もユウマは、持ち合わせていなかった。
ふと視線を感じ、隣に目をやると彼女と目が合った。
「じゃあさ、いっそのこと、ここじゃないもっと自由で広い世界に、全てを捨ててお嫁さん探しの旅に出る!って言うのはどうだい?」
また繰り出された突拍子のない質問に若干の戸惑いを覚えつつ、ユウマは答える。
「悪くないですね。魔法とか使えたら最高ですね」
やや自暴自棄に答えてしまっている感が否めないが、今の本音はだいたいそんな所である。
「そっかそっか」
そう呟いた彼女の声色には、どこか満足げな響きが含まれている気がした。
「じゃあさ、もう一度、僕と一緒に願ってみようよ」
真っ直ぐこちらを見つめたまま、彼女が提案する。
「それって意味あるんですか?」
「いやいや二人で願えば願いは二倍でしょ? 神様も重い腰を上げてくれるかもよ?」
ユウマの言葉に、彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべながら答える。
よく分からない理論ではあるが、確かに彼女ほどの見事な巫女からの願いとあらば、神のお眼鏡にかなうかもしれない。
「まぁやってみる価値はあるかもですね」
「でしょー? じゃあやってみよー」
ふふん、と少し得意げな顔をしたあと、ジャラジャラと鈴を鳴らす彼女。
ユウマも続いて、縄へ手を伸ばした。
鈴を鳴らし、一連の動作の後に、ギュッと目をつぶる。
願うことは、もう決まっている。
日々平和に過ごせていることへの感謝とともに、もう一度。
『たとえこの世界でなくてもいいから——』
さっきよりほんの少しだけ、力を込めて。
『心から好きになれる、そんな人と出会えますように』
ユウマは願った。
「その願い、確かに聞き届けたよ」
透き通るような声が耳元でつぶやいた。
その瞬間。
世界が傾くような感覚に襲われ、ユウマは後ろに倒れ込むのだった。




