65.記録する宝珠
―― 地上 教会本部近くの市場 ――
~ ロフィ視点 ~
市場は、教会とはまるで別の顔をしている。祈りも秩序も、ここでは音と匂いにかき消される。商人の呼び声、鉄器のぶつかる音、香辛料と汗の混じった空気。人間が人間らしく欲をさらけ出す場所だ。
俺は紙、インク、保存食など教会の支給品だけでは足りないものを一通り買い終え、帰路につこうとしていた。
「……坊や」
声は低く、掠れていた。呼ばれたのが自分だと理解するまで、わずかに時間がかかる。声の方を見ると、市場の端、石壁に寄り添うように小さな布を広げている露店があった。売り手はローブを深くかぶった女性。顔はほとんど見えない。
「何か御用ですか?」
距離を保ったまま問い返す。教会での教育は、市場では慎重であれと繰り返し教えていた。
「……教会の子でしょう?」
「そうですが」
「なら、金に余裕はあるだろう?……少し見ていかない?珍しい物がある」
商品に視線を落とす。古い装身具、欠けた金属片、用途不明の石。そして、小さな宝珠。透明度の低い、くすんだ球体。だが、見間違えるはずがなかった。
「……これは宝珠ですね」
「え?」
「宝珠は教会管理物です。個人売買は禁止されています」
違法物。市場で売られている時点で、ほぼ確定だ。
「し、知らなかったのよ。拾った物だし……私はゼロマだから、そんな物だなんて」
マナを一切持たない人間であるゼロマ。嘘かどうかを判断する材料は少ない。だが、彼女の言葉には具体性があった。知らなかったという主張も、ゼロマであれば成立する。
「どこで拾いましたか?」
「北の街道脇……石が崩れてて」
あり得なくはない。教会の輸送中に紛失した可能性もある。俺は少し考え、宝珠を手に取った。
「ちょっと……!」
「確認します」
宝珠は冷たい。だが、内部に微かな反応がある。教会で使われる宝珠は、魔術を“起動”するための鍵だ。単体では意味を持たないはずだが……この宝珠は、何か違う。俺は周囲を確認し、人目の少ない角へ移動した。
「少しだけ、マナを流します」
「え、ちょっと待って……!」
女性の制止は遅い。俺は意識を集中し、マナを宝珠へと送った。次の瞬間に宝珠が淡く光り、空中に小さな光の板が展開された。
「……?」
見慣れない現象だ。光の板には、映像が映っていた。揺れる視界。地面。誰かの足元。音も聞こえる。風の音、金属音、人の声。
「これは……記録?」
俺は息を呑んだ。宝珠が“魔術を発動した”のではない。宝珠が“保存していた”。録音と録画をしていた。教会の公式魔術体系には存在しない機能だ。
「な、何なのそれ……」
「分かりません。ですが、非常に危険です」
証拠を保存できる魔術。それが意味するものは、あまりにも大きい。俺はすぐにマナの供給を止めた。光の板は消え、宝珠は再び沈黙する。心臓が、少し早く打っていた。これは、非常に役に立つ技術だ。
「この宝珠は、俺が預かります。正式に教会へ提出しまが、あたなの事は知らない事します。」
「私はその宝珠を知らないし、拾っていない。だれにも言わなければ捕まらないって事?」
「そうです。あなたがゼロマである以上、故意ではないし、何も知らない方があなたのためです。」
事実だ。教義上も、彼女を裁く理由はない。俺は宝珠を買い取り、大切に懐にしまう。市場の喧騒が、急に遠く感じられる。
違法宝珠で未知の魔術。記録という概念。教会がこれを知らないはずがない。だが、少なくとも表には出ていない。俺は歩き出しながら、思考を加速させた。
この宝珠は、使い方次第で世界を変える。そして、教会の秩序を、内側から揺るがす。面白くなってきた。
ローブを深く被った女性は、市場を離れると一切言葉を発さず、裏道へと足を向けた。昼の喧騒が嘘のように、石畳の細道は静まり返っている。彼女は迷いなく進み、小さな古家の前で立ち止まった。扉を開け、中へ入ると同時に、指先で空間をなぞる。淡い光が走り、音が消えた。
防音魔術。世界との接続を完全に遮断する、神域に近い結界だ。ローブを脱ぎ捨てると、現れたのは艶やかな長髪と、挑発的な微笑を浮かべる女神のセリアだった。その瞳は愉悦に満ち、唇は楽しげに弧を描いている。
「ふふ……やっぱり、面白い子」
彼女は指先で自分の髪を弄びながら、先ほどの少年の姿を思い出していた。宝珠を前にしても動揺せず、違法性を即座に理解し、迷いなくマナを流す判断力。しかも、躊躇がない。
サイコパス気質だ。だが、それは欠陥ではない。小さな家の奥、簡素な椅子に腰掛けていた存在がゆっくりと立ち上がった。白い翼を持つ、人ならざる存在。本部教会のトップに立つ天使だった。
「お疲れ様です、セリア様」
感情の揺らぎを抑えた声。だが、そこには確かな敬意があった。
「ありがとう。思った通りの反応だったわ」
「宝珠を見て、即座に使用するとは……危険性も理解していたはずです」
「ええ。でも、だからこそよ。あの子は“使わない”選択をしない」
天使は一瞬、思案するように沈黙した。
「干渉が過ぎるのでは?」
「いいえ。私は“渡した”だけ。選んだのはロフィよ。記録魔術の宝珠。あれを前にして、彼はどう動くと思う?」
「……利用するでしょう」
「でしょうね。しかも、教義に反しない形で」
天使は小さく息を吐いた。それは肯定でもあり、警戒でもあった。
「気にかけておきなさい。彼はまだ子供。でも。確実に、こちらを見上げている」
「監視を強めますか?」
「いいえ。監視されていると気づくと、あの子は一気に面倒になるわ。遠くから。さりげなく。必要なら、偶然を装って手助けする程度でいい」
「……承知しました」
天使は一礼した。セリアは窓辺に立ち、外の曇り空を見上げる。
「転生なんて、私たちの知らない理屈で起きるものなのよ」
だからこそ、面白い。世界は完全ではない。神であるツバイでさえ、すべてを把握できない。そして、その歪みの中から生まれた少年がロフィ。
「彼がどこまで登ってくるか……楽しませてくれないと、困るわ」




