62.家族と食事(イラストなし)
―― 地上 ロフィ邸 ――
~ ロフィ視点 ~
夕食の時間は、いつも静かだ。長いオーク材のテーブルに並ぶ料理は、香草を使った煮込みと焼き立てのパン。前世で病床に縛られていた俺からすれば、匂いだけで幸福を覚えるほど贅沢な光景だ。だが、その感動すら、もう薄れつつある。人間は慣れる生き物だ。自分がそうであることを、俺は冷静に理解している。
「ロフィ、体調はもう大丈夫か?」
父がそう尋ねる。この家の当主であり、大貴族としての威厳を纏った男だ。声には本物の心配が滲んでいる。嘘ではない。だからこそ、扱いが難しい。
「はい、父上。もう問題ありません」
即答しながら声の調子も整える。人は安心したい生き物だ。求められている答えを返せば、それ以上は踏み込まれない。母は胸の前で手を組み、微笑んだ。
「教会の治療魔術が効かなかった時は、どうなることかと思いましたけれど……本当に、神と女神のご加護ですわね」
その言葉に、長男である兄が深く頷く。
「神は常に我々を見ておられる。ロフィが助かったのも、信仰の証だ」
この家特有の、いや、この世界特有の空気。俺はスープを一口飲みながら、表情を崩さないよう注意する。内心では、別のことを考えていた。
(効かなかった治療魔術を、なぜ“ご加護”と解釈できる?)
矛盾だが、この世界では矛盾は信仰で塗り潰される。合理性よりも、物語が優先される。前世の俺なら苛立ったかもしれないが、今は違う。ただ観察するだけだ。食事が半ばに差し掛かった頃、俺は話題を切り出した。
「父上。少し、ご相談があります」
全員の視線が集まる。計算どおりのタイミングだ。
「ほう、珍しいな。申してみよ」
「……僕は、将来、教会に仕えたいと考えています」
「教会に?理由を聞かせなさい」
来ると思っていた質問だ。俺は事前に用意していた“安全な回答”を選択する。
「学びのためです。魔術、秩序、神と女神の教え。貴族として、それらを深く理解することは無駄にならないと思います」
嘘ではない。ただし、真実の一割にも満たない。
父は顎に手を当て、少し考える素振りを見せた。母はすでに感極まった表情をしている。感情が先行するタイプだ。扱いやすい。
「……素晴らしい心がけだ。神と女神に仕える道を志すとは、我が家の誇りだな」
「まあ、ロフィ……きっと神様もお喜びになりますわ!」
母は胸の前で手を組み、涙ぐんでいる。内心、少し引いた。感情の振れ幅が大きすぎる。前世の俺なら、この手の反応を見て距離を取っただろう。兄も微笑みながら言う。
「教会入りか。立派だよ、ロフィ。僕は家を継ぐ身だから無理だけど、弟が神に仕えるなら心強い」
兄は善人だからこそ、少し眩しい。この世界では、長男が家を継ぎ、婚約者を迎え、家名を守る。次男以下は教会、軍、あるいは他家への養子。秩序としては合理的だ。家族全員が喜んでいる。
「貴族の次男として生まれ、神に仕える道を選ぶとは……ロフィ、お前は本当に敬虔だ」
敬虔。その言葉に、俺は心の中で首を傾げる。
(俺のどこを見て、そう判断した?)
だが、口に出すことはない。
「はい。教会で学び、神と女神に尽くすことが、この世界にとって最善だと思いまして」
当たり障りのない言葉。内容は空虚だが、彼らが求める“正解”ではある。母は感動したように、胸元の聖印に手を当てた。
「神よ、ありがとうございます……この子を導いてくださって」
正直に言おう。この瞬間、俺は少しだけ引いた。目の前の家族が、同じ言葉を、同じ表情で、同じ方向に祈っている。その光景は、温かいはずなのに、どこか不気味だった。
(思考が揃いすぎている)
それは恐怖ではない。ただの事実認識だ。だが、彼らは喜んでいる。家族が幸福なら、それでいい。僕にとって重要なのは、感情の共有ではなく、摩擦を起こさないことだ。
「教会に入るための手続きは、父が責任を持って進めよう」
「ありがとうございます」
深く頭を下げる。礼儀正しく、従順な次男の仮面を、完璧に被る。罪悪感ではない。達成感でもない。ただ、予定通りに進んだ”という事実の確認。家族は信仰深い。それは美徳とされ、この世界では正しい。だが、盲信は思考停止と紙一重だ。
信仰を語る時の家族の声は、どこか陶酔している。疑問が挟まる余地はない。疑うという概念そのものが、不敬なのだ。前世の俺なら、こういう空気に息苦しさを覚えた。だが今は違う。
この世界は、観察に値する。支配構造が明確で、情報が集約され、頂点が存在する。教会はその中心にある。なら、そこへ行くだけだ。
食事が終わり、家族は神への感謝の祈りを捧げた。俺も同じ動作をなぞる。完璧に。違和感を一切表に出さずに。心の中で何を考えていようと、誰にも分からない。
部屋へ戻る廊下を歩きながら、俺は静かに思考を整理する。教会に入る道が開けた。次の段階へ進める。
この世界は、僕の知る地球とは違う。だが違うからこそ、調べる価値がある。真実は、まだ遠い。だが、確実に近づいている。




