三、漢中の戦い
両国共に軍編成が終わり四ヶ月が経った頃、蜀(劉備がいる益州)の成都に急報がもたらされた。
「き、急報!日本軍が柴田勝家を総大将に漢中に向かって侵攻してきます!その数、およそ二十五万!」
劉備は慌てて
「二十五万!?さっそく大軍を挙げよったな…。孔明、どうする?」
と聞くと孔明は慌てるわけでもなく、冷静に答えた。
「二十五万であれば十分に対処できましょう。しかも、昨夜天文を見たところ南の将星は盛んに輝き、北の将星は勢いを失っております。つまり、この戦、絶対に勝てます。私であれば、十五万で対処できましょう。」
「おぉ、孔明よく言った。では、孔明を柴田軍迎撃の大都督に任命し、兵十五万を与える。」
「承知いたしました。では、出陣する武将を言わせていただきます。大将軍関羽。驃騎将軍趙雲、撫軍大将軍馬超。征西大将軍魏延。車騎将軍黄忠。平東将軍姜維。漢中太守法正。梓潼太守黄権。平安将軍鄧芝。武威将軍車冑。平北将軍向寵。偏将軍呉蘭。虎威将軍呉懿。牙門将軍王平。征東大将軍馬岱。以上の武将とその部下は出陣の準備をお願いします。」
孔明は柴田軍を迎撃するため出陣した。兵力十五万。夏のことであった。
柴田軍は斜谷に布陣し、蜀軍を迎撃する構えを見せた。
「蜀の兵は十五万か。はっはっはっ、我が軍と十万も違うではないか。勝ったも同然だな。して、敵将は誰だ?」
「はっ、諸葛亮孔明でございます!」
すると周りにいた者、柴田勝家は驚くどころではなかった。
「あ、あの諸葛亮か…。」
「知ってるのでございますか?」
兵士がそう言うと、勝家は大きい声でこういったのだ。
「知ってるも何も、兵法を読んだことのあるやつなら誰でも知っている。徳川殿が武田との戦いで使った空城の計も最初に使ったのは諸葛亮だと聞く。奴は相当な知恵者だぞ。」
勝家は孔明を警戒し、斜谷の手前の基谷の後方の両端に五千ずつ兵を伏せた。
一方蜀軍。孔明ら蜀軍は陽平関に入り、軍議を行っていた。
「敵軍の将帥の柴田勝家は信長の右腕と聞く。知恵も回るらしいが、黒田官兵衛や竹中半兵衛、豊臣秀吉ほどではないと見える。」
「では丞相。一気に攻めまするのでございますか?」
「確かに、日本にはこの益州ほどの険山はあるまい。二千メートル級の山が連なっているのだ。ここでの戦いはなれないだろう。しかも、敵軍の柴田勝家は二十五万という大軍だが、日本にはそんな大軍を指揮した奴はいない。徳川家康が二十万の軍勢を一度指揮したくらいだ。一突きすれば、すぐ総崩れとなろう。だが…」
孔明は漢中と雍州が載っている地図を取り出し、机の上に広げた。
「おそらく敵は基谷か斜谷に伏兵を置いているだろう。王平、そちには五千の兵と共に基谷に行きわざと敵の策にはまってもらいたい。」
王平は少し驚きながらも、北伐の際何度も孔明の計略を見てきたので、笑顔で承諾し、五千の兵を連れ、基谷に向かった。
「次に魏延、黄忠。そち達は二万ずつ兵を率い、王平が敵の策にかかっている時に、谷の上にいる敵軍を攻撃してもらいたい。攻撃すると、もう一つの敵の伏兵と、勝家自ら大軍を率いて来るだろう。死ぬかもしれないが、この役、買ってくれるか?」
「丞相のためなら死をも辞さない覚悟でございます。もちろん、やらせていただきましょう。」
「頼む。」
「今までありがとうございました。」
黄忠と魏延は死を覚悟した顔で幕舎を出ていった。
「関羽、趙雲、馬超。そち達は兵三万ずつ率いて基谷から少し離れたところで、戦況を見極め、味方が窮地に陥った際、この巾着袋を開けて紙に書いてある通りに動いて欲しい。」
「必ずや命を果たして参ります。」
流石は蜀の五虎大将軍のうちの三人である。堂々とした姿で去っていった。
「他の者達は万が一の時にそなえておれ」
「「はっ!」」
その頃、柴田軍。
「勝家様、急報です!敵軍五千が、基谷にさしかかりました!」
「何!…諸葛亮なら伏兵も気付くかもしれんと思っていたが…。それも五千の兵で…。」
勝家は必死に考えた。
「わかったぞ。諸葛亮は五千の兵をおとりにし、我が軍の伏兵が気を取られているうちに伏兵を叩き、一気に攻めてくる気だな…。そっちがその気なら…。佐久間、徳山。そなたらは三万ずつの兵で、我が伏兵が敵軍に攻撃される時まで潜み、程々で一気に敵軍に攻めかかれ。それと同時に俺自ら大軍を率いて向かう。数で勝っている我が軍が勝つのがさらに容易くなる。」
「「はっ!」」
一方基谷では、柴田軍の伏兵が王平軍を上から弓で一方的に攻めていた。
隊長は上機嫌で、
「皆のもの!後もう一息で蜀軍は全滅だ!打ち続けろ!」
と言った。そんな隊長のもとに、1人の報告兵が慌ててやってきた。
「こちら側と向こう側に蜀軍が二万ずつやってきます!」
「な、何だと…。よ、よし。谷の下の蜀軍への攻撃は一旦中止し、迎撃体勢をとれ!そしてこのことを勝家様に報告するのだ!」