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直違の紋に誓って  作者: 篠川翠
第三章 若木萌ゆ
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御船 (1)

 御船(みふね)は、熊本から四里ほど離れた東南の方向にある。街の中心を御船川が流れており、「御船台」と呼ぶ丘を背にして、浜町(現上益城郡矢部)への道を押さえる要衝だった。肥後四街道と言われる主要街道のうち、日向往還が通っており、この道を抜ければ、日向・延岡へ至ることもできる。そのため、薩軍はこの地を早くから押さえていた。初め衝背軍と対峙していた薩軍は、永山弥一郎がこれを守っていた。だが、四月十二日、別働第一・第二、第三旅団の左右両翼軍の為に破られて潰走し、その後は別働第三旅団が御船を守備していた。十四日に熊本の連絡がついたために、別働第三旅団も熊本に一旦入城させられたのである。

 大山巌はこれを聞いて驚き、「御船は決して捨ててはならない」と痛論した。そのため、熊本入城と共に別働第三旅団に振り分けられた剛介たちも、十七日、慌ただしく御船に向かって出発させられた。

 川畑隊が熊本郊外にある春竹村を出発させられたのが、正午。この日は、雨が降ったり止んだりする天候だった。途中で薩軍が再び御船に集結しているとの情報を得て、上島橋を過ぎ陣原に至ると、前方の遥か彼方に兵影がうごめいているのが、見えた。

 望遠鏡も用をなさないほどの濃霧であり、誰が命じたものか、旗を挙げて応答を求めたところ、相手方はこれに応答せず、たちまちこちら側に発火してきた。そのため、やはり偵察に出された入佐警部は右翼を上段の畑の間に配し、加藤警部もまた半隊を率いて前面の薩軍に当たった。さらに、川畑警部は自隊と合わせて入佐隊の左半隊、及び山﨑の一個小隊を指揮し、左翼の役割を果たすことに決した。

 しばらく睨み合いとなったが、官軍の右翼の背後を突撃する者があった。この部隊を受け持っていた入佐警部は、友兵の誤撃と思い、もっぱら正面を防いでいたが、入佐警部の背後に回っていた兵は、薩軍だった。

 その頃、川畑隊にいた剛介等も、薩軍と対峙していた。前面には苗を植え終えたばかりの田が広がっている。薩軍から、「隊長を倒せ」という声が聞こえてきた。

 剛介がちらりと脇を見ると、関が青ざめた顔をして震えている。振り返ってみれば、この男が前線に出てくるのは、初めてだった。

 既に、夕闇が広がり始めている。眼の前を流れる甲佐川の側には、藪が広がっていた。

「遠藤。どうすればいい」

 小声で、関が囁いた。剛介は、親指を立てて無言で目前に広がる藪を指し、その中に飛び込んでみせた。

 剛介に続いて、関も藪に飛び込んできた。ひたすら、下流を目指して潜行していくと、やがて、前方に黒服と銀の徽章を巻いた帽子を被った集団が見え始めた。友軍だ。どうやら隊旗から判断するに、綿貫警部の小隊らしかった。眼の前に見えている橋を巡って、攻防を繰り返しているらしい。

 あの戦闘の激しさからすると、官軍の方が押されている。いかんせん、所詮は斥候隊にすぎない。薩軍に対して人数が少なすぎた。薩軍は二千は下らないのではないか。

 薩軍の目を掻い潜れるか。息を潜めながら、徐々に綿貫隊に近づいていく。結局、綿貫隊の撤退に乗じて、ほうほうの体で営所に戻った。

 

 「――まさか、薩軍があんなにいるとはな」

 帰ってきた熊本の営所で、関が呟いた。その顔には、藪を為していた茅の葉で切ったものか、何本もの傷跡がうっすらとついていた。

「そういうときもあります」

「そういうものか」

「ええ」

 衆寡敵せず、の状況に剛介が陥ったのはこれが初めてではない。大壇口もそうだったし、母成峠でもそうだった。だが、戦いに慣れておらず逃げ惑った関には、まだ恥じる思いがあるのだろう。

「御船は、日向(ひゅうが)に通じる要衝だ。また出撃命令があるだろう」

 やはり、熊本に戻ってきていた窪田が断言した。恐らく、その通りだろう。

「震えているぞ」

 臆病な傾向のある関に対して、菅原がちょんちょんと小突く。

「間違えて、こちらを撃ったりしないでくれよ」

 そういう菅原は、落ち着いた様子で(たばこ)を吹かし、ふーっと関の方に向かって煙を吐き出した。その匂いから逃れようと、剛介は思わず顔を背けた。

「お前ら、何でそんなに落ち着いていられる」

 関が情けない声を上げた。その声につられて、思わず苦笑が零れた。

「そんなに情けない様子で戦えるのか」 

 一服していた菅原が、莨の灰をトントンと地面に落としながら、呆れたように言葉を発する。

「そりゃあ、これでも戊辰のときの無念を晴らしたいと思っていますから」

 ん?と窪田が小首を傾げた。臆病な関には、似つかわしくない台詞だと感じたのだろう。

 関は訥々と語り始めた。これでも戊辰の役では、仙台の洋式銃部隊である額兵隊の一員だった。三男坊である関は、刀術に自信がなかったため、自分でも簡単に扱えそうな最新鋭の武器を揃えた額兵隊に志願したのだという。その仙台藩は、九月十五日に新政府軍に降伏。だが、何故か額兵隊は出動を命じられることはなかった。

 悲惨だったのはその後である。元の恭順派が掌握した仙台藩のやり方に不満を持つ額兵隊は、既に仙台入していた榎本の艦隊に乗せてもらおうと、石巻を目指した。だが、臆病だった関は、乗船選抜から漏れた。ぐずぐずと石巻に残っていると、残された者たちを追って、新政府軍が石巻までやってきた。旧幕府軍の兵は石巻の民家の戸を叩いて回ったが、後難を恐れた石巻住民はこれを無視し、長浜において約百五十名が、関の眼の前で斬首された。関は臆病が幸いしてか、うまく隠れていたため難を逃れた……。

「――そんなわけですから、これでも同胞の仇を討ちたいと思っているんですよ」

 関はいつになく、真剣な面持ちで語っている。だが、その言葉に剛介は違和感を感じた。今、自分が戦っているのは、戊辰の怨みを晴らしたいからなのか。それとも……。

「まあ戊辰の怨みと言えば、奥州からの参戦者は、多くの者がそう考えているのではないか」

 どこか、冷めた口調で菅原が述べた。

「それに、妹が薩摩兵に凌辱されましたからね。やはりその仇も取ってやりたいと思いますよ」

 どうしたわけか、関の言葉に、宇都がふいと視線を外した。

 束の間、微妙な空気が漂った。何となく気まずい空気に、剛介はそっと息を吐き出す。ちらりと横を見ると、この空気に窪田も困惑しているようだった。

「仲間のために思う存分刀を振れるお前らが、羨ましかった」

 関は、真面目な顔で述べた。彼が言う仲間とは、戊辰の時の仲間なのか、それとも現在共に戦っている者のことなのか。その判別はつきかねた。

 少し、喋りすぎた。そう言うと、関は筵を被って寝息を立て始めた。

 その様子をじっとみていた宇都が、ぼそりと呟いた。

「やっぱい、奥羽の者は薩摩への怨みを抱えて、こん戦に参加しちょっのじゃろか」

「別に、そのような者だけではあるまい」

 答えたのは、菅原だった。

「庄内からも、この戦に参加しようとした者は多かったはずだ。あの戦の後、庄内と薩摩は親しく交わっていいたからな」

 そう言うと、菅原は再び莨の煙を吐き出した。戊辰の戦後処理を巡って、会津とは異なり、庄内藩は僅かな減石だけで済んだ。領地もさほど荒らされず、その指示をしたのは西郷だったと言われている。その後薩摩藩と庄内藩は交誼を結び、庄内藩からは榊原政治と伴兼之が私学校に留学し、そのまま西南戦争に参加している。庄内の者も敵味方に別れたという事実について、菅原はどのように考えているのか。その横顔からは、真意は伺えなかった。

「戊辰の怨み、というよりも『賊軍の汚名を(そそ)ぎたい』という方が近いかもしれんな」

 窪田が、はだけた関の筵を直してやりながら、宇都の問いに答えた。

「戦死された佐川様も、そのように考えていらっしゃったのではないか」

 剛介も、同感である。ふむ、と宇都が眉根を寄せた。

 あの頃は国を守るために戦っていたが、今度の戦は何のために戦っているのかよく分からない。

 ふと、そんな言葉が口をついて出てきそうになり、慌てて口を噤んだ。武士たるもの、愚痴をこぼしてはならぬ。だが、今の剛介の本音でもあった。



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