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直違の紋に誓って  作者: 篠川翠
第三章 若木萌ゆ
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不穏 (2)

 年末になると、義兄の敬司が会津に戻ってきた。この兄と酒を共にするのも久しぶりである。

 敬司は、甥っ子の成長ぶりに目を細めて、抱き上げたままなかなか手放そうとしなかった。親馬鹿ならぬ、伯父馬鹿である。

 そんな兄に呆れて、伊都はやっとのことで息子を奪い返し、隣の部屋へ連れて行ってしまった。伊都は、男同士の難しい話には加わりたがらない。会津では、男女で受ける教育内容に大きく隔たりがあり、伊都が政局などの論を聞いてもよく理解できないからであろう。

「東京はいかがです?」

 伊都に聞こえないように気遣いながら、剛介は、敬司に訊ねた。

「九州がきな臭いと、大蔵省でも噂になっている」

 敬司が首を振る。

「私学校を掌中に収めるか。それとも火を自らの手で起こさせるか」

「……」

 剛介は、顔を顰めた。やはり、戊辰のときと同じ手口だ。戊辰でも、会津が恭順の意を示していたのにも関わらず、無下に撥ねつけて、会津を亡国に追いやったではないか。

「それよりも私が気になるのは、川路(かわじ)殿のお考えだな」

「川路様?」

 義兄の言う川路とは、警視庁を創設した川路利良(かわじとしよし)のことだろう。剛介は地方警察の所属だから直接の縁はないが、剛介にとっては遥かに上の統率者でもある。もっとも、その川路とて薩摩の人なのだが。

「佐賀の乱の経験を踏まえて、最初から武芸に通じた者を選抜して事に当たらせるつもりではないか。そのような話が聞こえてくる」

「ですが、徴兵がいるでしょう」

 剛介の疑問は、もっともだった。四年前に徴兵令が制定され、条件に適合するものは、一定期間軍隊に所属することになった。もっとも、戸主やその世嗣、官吏などは除外されているので、剛介の周りではまだ従軍したという話は聞いたことがない。

 敬司は首を横に振った。

「九州全体に反乱が広がるとすれば、徴兵の人数だけでは足りないだろう。それに、反乱を起こしているのは士族だった者たちだ。武器を手にしたことのない者等が、太刀打ちできるわけがない」

 あり得ることだった。確かに、被害が九州全土に及ぶのであれば、徴兵した兵だけで、足りるわけがない。それに、薩摩の兵の手強さは剛介自身が身を持って知っていた。

「大久保などのお偉方は、西郷がどのように動くと考えていらっしゃるのでしょう」

 ふむ、と敬司は唸った。

「一つは、船を使って東京や大阪に上陸する。二つ目は熊本と長崎の鎮台を制圧した後に、中央に進出するか。そして、三つ目は鹿児島で狼煙を上げ、密かに人心を掌握せしめ、いずれは政権を手に入れる」

 義兄は、指を折りながら説明した。

(迷惑な)

 剛介の思いを読み切ったかのように、敬司は苦り切った顔をした。

「鹿児島県令の大山綱良(つなよし)も、西郷を抑えきれぬそうだ。本当のところは、自分の利を守りたいがために、西郷にへつらっているかもしれんがね」

 敬司は、鼻を鳴らしてせせら笑った。理由がある。大山綱良は、かつて奥羽鎮撫総督府の総司令官だった。結局鎮撫という名の元に奥州を好き放題荒らし、県令としても幾つもの失策を犯した。あらゆる面で三流であったということか。

 まあ、表向きのことは我々が論じても仕方があるまい。そんな剛介の思いを汲み取ったかのように、敬司は話題を変えた。

「それはそうと、剛介。二本松に帰ってきたそうだな」

「はい」

 敬司にも、二本松への里帰りは書面で報告してあった。本当は、その事を話し合いたかったのである。義父には切り出しにくいが、半左衛門の今村家への養子の話や、水野の話も気になっていた。遠藤家の現在の戸主は、敬司が東京にいるため、未だ清尚のままだった。遠藤家の世嗣である敬司と、まずは腹を割ってみるか。

 剛介は、二本松で分家を継ぐ話があることや、水野の話を説明した。

「お主はどうしたい」

「迷っています」

「だろうな」

 敬司が頷いた。

 剛介は未だに迷っていた。義父や義兄への義理も果たしたい。だが、二本松で見た父母は老いていた。兄が当地にいるとは言え、やはり肉親の情は捨てがたいものである。

 そんな剛介の決断を、敬司はできる限り尊重するつもりだった。義理の弟は、よくやってくれていると思う。仮に二本松に戻るとなれば、伊都や貞信を二本松に連れて行くことになるかもしれないが、そのときは、自分が会津に戻れば良い。剛介は、会津への恩義は十分に返したのではないか。

「そもそも、お前自身が巡査に向いていない」

 敬司がからかうように、笑った。ムッとした剛介を嗜めるように、敬司は手を振った。

「いや、気質の問題だ」

「どのような意味でしょう」

「お前、未だに薩長を憎んでいるだろう」

 図星だった。戊辰の怨みは、ずっと抱えている。

「それは、お前だけではない。会津の人間も同じだ。だが、賊軍の汚名を晴らすためには、ときにはその薩長の官軍に従って、獅子身中の虫を退治役となることも、厭ってはならぬ。そう考えている者も、多いだろうな。佐川様などは、その筆頭だ」

 佐川官兵衛は、戊辰戦争で活躍した会津の武将だった。あの戦いから随分経ったが、未だに会津の英雄の一人である。その人気に目をつけ、政府は佐川を宥めすかして大警部の地位を与えた。郷里の士族たちの仕官の責任もある。佐川は、同郷の士族を救済する意図もあり、これを引き受けた。

「薩長は、腹黒い。我々の思惑を読み切った上で、尚も、我々の信義を逆手に取って利用しようとする者も多いだろう。だが、巡査を続ける限り、薩長の下について手足となって働かざるを得ない」

 敬司はきっぱりと言った。

 痛いところをつかれた。勤務は地元であっても、上に昇り詰めるには、必ず薩長閥の壁にぶつかる。

「お前が、汲々として薩長の手足になりたがるとは思えないがな」

 敬司は苦笑している。剛介は、悄然とうなだれた。

「だが、地元で教師をやるというのならば、巡査よりは薩長閥の影響も少なかろう。お前は賢い。朋友が助けを求めているのであれば、それに応えるのも、お前らしい選択だと私は思う」

 義兄は、そのように自分を評価していたのか。武士の子として育てられてきて、藩の為に尽くすことしか頭になかったから、教師という選択肢は考えてもみなかった。


 襖の向こうから聞こえる二人の会話に、伊都はじっと耳を傾けていた。

 夫の事はそれなりに理解しているつもりだったが、わからなくなった。

 伊都が一〇歳の時に、夫は会津へ逃れてきた。二本松では十四で銃や刀を手にして戦い、母成峠の戦いから逃れてくる際に丸山様に保護されたのだという。

 夫は優しいが、どこか茫洋として掴みどころがない。それでも口数は少ないながらも、父の清尚に礼節を尽くし、伊都や貞信を守ってくれている。夫としては家を大切にしてくれるだけ満足するべきなのだろうが、時折、もっと胸襟を開いてほしいと思うことがあった。

 その夫が、先日、二本松に帰郷してきた。それ以来、輪をかけて伊都との会話が少なくなっていた。夫は何を思っているのか。伊都も二本松の話を聞いてみたいのに、いつも蚊帳の外である。

(どうして、剛介様と距離があるのかしら……)

 貞信のことは可愛がってくれるが、夫婦でありながら、どこか自分に心を許していないところがある。いや、自分だけでなく会津の者全般に対して。 

 伊都は密かにそう感じていた。

 



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