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直違の紋に誓って  作者: 篠川翠
第三章 若木萌ゆ
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不穏 (1)

の墓参りをしてきたからかもしれない。

 一〇日ほど家を空けただけだというのに、案の定、早くも会津には雪が積り始めていた。やはり、二本松より雪が早い。

「お帰りなさいませ」

 伊都が、いつものように手をついて出迎えてくれた。戊辰の役が終わったときはわずか一〇歳だったが、このようなところが、やはり武家の娘だと思う。

「ご家族の方々にはお会いできましたかな」

 清尚が、笑いかける。だが、清尚には剛介の様子から答えはとうに分かりきっていた。

「ご心痛をおかけしました。皆息災で、下長折で暮らしておりました」

 伊都は、やや目を見開いた。夫の心からの笑顔は、滅多に見たことがない。よほど二本松への帰郷が嬉しかったのだろう。

「それは良かった」

「父が、礼を述べたいと申しておりました」

 剛介は、深々と頭を下げた。

「私も、いつか武谷様にお目にかかりたいものですな」

 義理の息子に対して、清尚は非常に丁寧な喋り方をする。一緒に暮らして八年になるが、未だにどこか「二本松からの預かり物」という意識があるらしかった。

 ふぇぇと、小さな泣き声が上がった。貞信が起きたようだ。

「どれ」

 剛介は、貞信を抱き上げた。小さな手が、剛介の頭に伸ばされた。貞信が、剛介の短い髪を掴んで引っ張る。

 こらこら、痛いじゃないか。

 そう言いながらも、剛介は上機嫌で息子をあやし続けた。


 ***


 貞信を寝かしつけるために、伊都が隣の部屋へ息子を連れていってしまうと、清尚は剛介を手招きした。

「永岡殿のことを聞いたか」

 永岡久茂(ながおかひさしげ)は、先ごろまで斗南藩の会津藩士の殖産のために、小参事として駆け回っていた人物である。どうやら、剛介が二本松に帰郷している間に、変事があったようだ。

「萩の前原一誠(まえばらいっせい)と、共謀していたらしい」

 義父の言葉に、剛介は愕然とした。

「そんな馬鹿な」

「静かに。貞信が起きる」

 清尚が剛介をたしなめた。

 永岡は維新の後、前原一誠と知り合いその人物に感服し、意気投合して肝胆相照らす仲になったという。

 一〇月二十八日、元参議の前原一誠が約三〇〇名を集めて殉国軍を結成し、山口県庁を襲撃しようとした。その際、前原の一味は永岡に「ニシキノミセビラキ」(錦の店開き)という電報を送った。この電報を受け取った永岡は、同志十八名と共に東京新富座で合流。前原と東西で呼応するべく、千葉県庁を襲撃しようとした。だが、永岡は千葉に乗り込む前に、密偵を放っていた警視局に一連の動きを察知されていた。当時、既に危険人物として監視の対象になっていたのである。

 二十九日払暁、永岡は東京思案橋(しあんばし)から千葉に向かおうとしたところ、その場にいた警吏が永岡に気付いた。そのため、乱闘となり、永岡は傷を負って捕縛された。千葉で事を起こそうとしたのは、ここに会津出身者の知己が多かったからである。後に、十年一月に、永岡は獄中で病死した。

 永岡は、斗南藩運営の代表者の一人だった。その斗南藩も結局は廃藩置県で消滅してしまい、「何のために北の地で辛苦を舐めてきたのか」と、恨む者もいた。会津の者同士でも内紛があったとも言える。

「これで、また会津の傷が一つ増えたな」

 清尚は、ため息をついた。その通りである。世間では、「これだから会津の者は」と見る向きも出てくるだろう。

「ですが元を正せば、薩摩や長州の私闘ではございませんか」

 剛介の口調がきつくなる。

 確かに、二本松の半左衛門がいみじくも言ったように、戊辰の時と似ている。薩長の力に物を言わせて鎮圧させようというやり方は、あの頃から変わっていない。御一新を掲げたは良いが、強引な手法も随分と目につく。特に士族は割りを食った。藩が廃止され、俸禄もなくなった。知行地も、強制的に国に取り上げられ、苦労している者も多い。おかしなもので、そうした不満は、特に西南の地で渦巻いているようだった。

 もっとも士族の生活が苦しいのは、会津も同じだ。それどころか、会津は不平を言うことすら許されていない。剛介から見れば、所詮、元官軍同士の内輪揉めで何をしているのかと言いたいところである。

「だが、そういう考えではいつか、また身を滅ぼすと私は思う」

 そういう清尚も、実は薩長嫌いである。上の息子は鶴ヶ城の籠城戦に加わり、下の息子は白虎隊として熊倉の戦いで命を落とした。薩長への憎悪は、少なからず清尚も持っていた。会津では、ごく一般的な感情である。

「私も、薩長は嫌いだ。だが、好き嫌いのみで大局を見失っては、身を滅ぼす元であろう」

「大局を見失うとは?」

「武士は、確かに生活の糧を奪われた。だが、その不満を述べて乱を起こしては、外の諸国に後れを取るばかりであろう」

 会津は、開国直前は蝦夷地防衛の任務にも当たっていた。多くの藩士を極寒の蝦夷地に送り、ロシアの侵略に備えたのである。 

「木戸や大久保は外の国々の恐ろしさを知っているから、家名に囚われずに優秀な人材を登用したい。だからこそ、大局の見えぬ戦好きの者から距離を取っているのであろう」

 そう言うと、清尚はため息をついた。

「では、義父上は此度の永岡様の挙動は無謀だったとお考えなのですか?」

 剛介の言葉に、清尚が渋々といった体で頷く。

「永岡殿の気持ちも分かるがな……」


 翌日、署へ出勤して上司や同僚に長期休暇の礼を言いに行くと、やはり話題は萩の乱と思案橋の件だった。

 だが、剛介はそれを冷ややかに受け流した。どこかで今さら、という思いがある。二本松に帰郷し、かつての同胞

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