22 勇気の印(1)
ぞぞーって、今更だけど足も震え出した。
怖い、怖いよー、白いお爺さん!
そんな、急に現れないで、小学校で木登りしてなさいよー。
「今頃怖気つくな。あの時俺がどれだけ必死だったとーーーー」
私を庇って身を護る以外手段は無かった、と言い、とにかく何事も無く立ち去って下さい、と心の中で念じていたのだそう。
「そのー、冷たい所? に入ったかもしれないっていうのは・・・?」
「あのまま近付いて来られていたら、触れられればこちらが、その、冷たい所? に引き摺り込まれて、喰われる。そうなる前に俺は、冷たい所? の俺の檻の中に入らなければならなかっただろうーーー萩野さんを道連れに」
「するとどうなるんですか?」と訊くと、倉吉は身震いして頸を振り、「考えたくも無い」と呟いた。
その答えは教えて貰えそうに無かった。
きっと、聞くに耐えないものなのだろう。
怖すぎる。
「でも、白いお爺さん? は悪いモノではなくて良いモノなんじやないんですか?」
「あれら人では無い存在に、良いも悪いも無いーーー怖いモノだと覚えてくれ」
ふっ、と息を吐き出して倉吉は続けた。「昔から人智を超えた恐ろしいモノに、人は勝手に名前を付けたーーーーあるいは『神さま』またあるいは『鬼』『悪霊』とーーーー自分たちを安心させるためにね。でもどちらも元は同じ存在だ。俺たち人の常識や価値観は全く通じない。だからどちらも正しく恐れなければならない」
「・・・・」
「白いお爺さん? もそうだ。子供好きだからって「良い人』だなんて思うなよ。怖がれ。そうやって身を守って」
「倉吉さんも・・・・怖いですか?」
「ーーー怖いさ、勿論」
私はじっと倉吉の目を見つめていた。
その瞳が恐れに揺らぐ。
がーーーー。
「怖いからこそ、何もしない訳にはいかない。正しく恐れるために、俺は動く」
「ーーー!」
はっと胸を突かれる思いがした。
「それにーーー必ず萩野さんを護る。何があっても」
その瞳は揺るぎないものだった。
ーーーー見たって、証拠はあるの? 証明出来る?
ーーーーこれは名誉毀損だ
ーーーー手塚君が万引きなんてするはずが無いでしょう!
ーーーー・・・気味が悪い
ああ、胸が痛い。
ずっと痛いまま、高校生のあの時のまま。
痛いけどーーーーずっとこのまま、痛いままで良いの?
『怖いからこそ、何もしない訳にはいかない』
『子供が大好きなーーー』
『今も銀杏の樹の上に』
『横槍が入らなければ』
ーーーー。
きっと、あの何分か、何十秒かの間、倉吉は全身全霊で私を護ろうとしてくれていたのだろう。
あの、力を込めて強張った手足や、終始小刻みに震えていた掌を思い出す。
自分だってどうなるか分からないし、怖かった筈だ。
それでも、あの倉吉が、弱さを見せてしまう程に、必死になって護ろうとしてくれたのだーーーー。
「倉吉さん、一つ報告したい事がありますーーーー」
駅のロータリーまで戻って来た。
あんなに暇そうにしていたタクシーが、今はあいにく出払っているようで、乗り場は空だった。
「ちょっと、こちらに来て貰えますか?」
倉吉を誘ってタクシー乗り場から少し前に歩いて行くと、テナントビルの屋上に設置されているLEDビジョンが見えてきた。
今は天気予報の番組が映し出されている。
ーーー明日の最高気温は、二十五度の夏日となるでしょう・・・ーーー
胸が痛いーーーううん、怖い。私も怖いのだ。
でも、怖いからこそーーー動く。
「あの・・・ビジョンで定期的に流されているCMの中に、『横槍』が入っているんですーーーー」
私は震える指で真っ直ぐにLEDビジョンを指差した。
サブリミナル効果ーーー視覚、聴覚などから潜在意識下に作用する効果を利用して、広告、デザインなどに広く利用されている手法ののことだと心理学の講義で聞いた。
視覚で言えば、騙し絵のようなもの、二つの意味にとれるものなど、有名企業のロゴなどに用いられ、見た人に強く印象付けることで知られている。
日本では、潜在意識に作用する悪影響を危惧して、映像にこの手法を用いることは禁止されていた。
過去にはそれにより頭痛などの健康被害が見受けられた例もあったという。
それが、あのCMに使用されている。
朝から何回か見た私が数回に一回確認できる程度だから、一般の人は殆ど気付いていないだろう。
パチンコ屋の賑やかなCM映像の中に、全く関係の無い露天風呂の映像がパッと現れてすぐに消えたのだ。
けれど私も、最初は何だろう? くらいで気にしていなかった。
でもお昼に中華屋さんで温泉施設の話を聞いて、コレの意味がわかった。
そして、これがその『横槍』ーーーー『白翁さん』や『白翁さん』を大切にして来た人達の思いを踏み躙るものじゃないか、ということが。
「ーーーその、パチンコ屋のCMの中に、温泉をイメージさせる画像が差し込まれているって言うんだな?」
「はい・・・・」
私は見たとしか言えない。
それの何と心細いことか。
でもーーー。
倉吉がスマホを取り出す。
週間天気が流れているビジョンに目を遣りながら「そのCMが出たら合図して」と操作し構えるーーーー録画しようとしているのだ。
「信じて・・・くれるんですか?」
「萩野さんの目だからな」
「・・・・」
不覚にも鼻がつーんとなった。
天気予報が終わり、CMに切り替わる。
♫貴方と私のアミューズメント・ワールド・・・・・
「これか」
「いえ、もう少し待って下さい」
♫ーーーー『キス♡パラダイス』へ行こう!・・・・・
「ここからです!」
♫ーーーー♪♪♪〜、♪♪♪〜、
音楽に乗ってチア・ガールの女性たちがダンスしたり飛び跳ねたりしている数秒間に、明らかに違う画像が入り込んだ。
♫ーーーーさあ、『キス♡パラ』でワクワクが始まるよ〜♫
ビジョンでは続いて次のCMが流れている。
私が今回確認出来たのは一回だけだった。
「露天風呂に入っている女性の後ろ姿のような画像でした」
「うーん・・・・」
倉吉がスマホで再生して見せるが、チアガール以外のものは何も映っていなかった。
「スロー再生でも無理だな・・・・」
やっぱりすごいな、萩野さんの目ーーーとか呟きながらあれこれ操作していた倉吉は、やがて諦めた。
空っぽだったロータリーにようやくタクシーが戻って来た。
駅の入口の前で客を降ろしている間に乗り場まで戻る。
「それでーーー萩野さんは、これをどうしたい?」
「・・・・!」
倉吉に尋ねられて、初めて私はこの後のことを何も考えていなかったことに気付かされた。
ああ、また考え無しにやってしまったーーー?




