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想いの価値は  作者: スミス・ヴァルター
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第8話

物語のクライマックス部分となります。いつもより、少々文面が長いですがお付き合い頂けましたら幸いです。

 ドアを開けた先は、もともと何かの加工場所だったのだろうか。体育館の半分ほどの広さの部屋だった。和美と創平は屈んだ姿勢のまま、壁に身を隠して様子を伺った。奥には一と椅子に縛られた蒼空がいるのが確認できた。

「翔吾さん。どうしてこんなことをするんです?」

 蒼空が口を開く。黒いギャザースリーブシャツに、下は細いデニムを履いている。

「愛ゆえに」

「愛?」

 蒼空が眉間に皺を寄せる。

「愛にも色々と種類がある。純粋に可愛がるものもあれば、奴隷のように酷使すること、痛めつけること、その逆も。愛情の反対はね憎しみなんかじゃない。無関心なんだ。愛するからこそ、酷い仕打ちをする場合もある」

 一は蒼空を中心に円を描くように歩き、蒼空の背後に立った。

「その中から翔吾さんは、私をこのような目に遭わせるという選択をしたわけですか」

「ある選択は、他の選択肢が無い状況の証左しょうさでもある。限られた選択肢しかない人間にとっては、この世の中の掲げる自由というものは、それほど自由ではないんだよ」

 一は優しく、蒼空の両肩に手を添えて目を閉じる。そしてゆっくりと、目をあけると和美たちが隠れている正面に顔を向けて叫んだ。

「そうだろう?梶 和美。僕らは愛という病に蝕まれている!傍に君の愛する彼もいるんだろう?聞かせてやるといい。君の想いを」

 工場内に一の声が吸い込まれ、静寂が戻る。壁からゆらりと、和美が姿をあらわす。

「それをしたら、私は私でなくなってしまう。私は創くんが悲しむのを望まない。そして、創くんが大切な人を助けたいというのなら、それを手助けするのが私の役目」

 その為なら、何度だって私は心を殺してみせる!そう念じると和美は一を睨みつけた。

「怖い顔だ。愛に殉教しようとでも言うのかい?今君の心にある感情を教えよう。怒りだ」

「姉貴!挑発に乗っちゃだめだ!」

 後ろから創平が叫ぶ。

「創くん、私のことは良いから。蒼空ちゃんのところに行ってあげて。彼は、私が食い止める」

「でも・・・」

「良いから行って!」

 創平が駆け出すのに合わせて、和美も間合いを詰める。一の横を創平が抜けたところで、和美は停止し左構えの姿勢をとり一に向き合う。横目で創平が蒼空の拘束を解いているのを確認すると、一に視線を戻した。

「大したものだね。この状況ですら、本性を隠して良き姉の皮を被るとは」

「どういうつもり?てっきり、何かするものだと考えたのだけど?」

 お互いに笑みを浮かべて対峙する。以前会った時に一の瞳にあった空虚はもうない。青い炎を彷彿させる、強い意志が宿った瞳だった。

「君がここに来た時から、僕の終わりは始まっていた。いや、正確には僕自身がこの方法をとったときからか」

 楽しそうに一が言った。和美の瞳が揺れる。理解が及ばなかったからだ。

「そこまで分かっていながらどうして?」

 和美の問いに、微笑みを崩さずに一が答える。

「それほどまでにどうしようもないんだよ。僕は。僕の想いは届かない。そんな事は百も承知さ。だけど、それじゃダメなんだ。届かないのなら、せめて届かなかったなりに何らかの意味が欲しいのさ。ただ綺麗にさっぱりと諦めたくはないんだよ。それほどまでに、どろどろと僕の想いが僕自身にまとわりつくのさ。怨念のように」


 言い終わると同時に一が駆け出して左前蹴りを繰り出した。


 和美はそれを右手でさばく。


 予期していたように余裕の表情で一は、左足が接地したタイミングでジャブを放つ。


 和美はそれをフットワークで回避し、自分も右拳で突いた。手応えは無い。一が間合いを切ったのだ。


「それで、最後は破れかぶれの誘拐とは、飛んだ破滅思想だ」

 和美は吐き捨てた。自分に腹が立っているような気持ちだった。


「君だってそうだろう?心の底では怒りの炎がくすぶっているはずだ。彼は君の気持ちに気がつかなかった。ただ、大切だという空疎な言葉を吐くだけで、君が渇望して止まない言葉を言わなかった。君の無垢な希求は踏みにじられた。だから、君はたった一つ自分に残された理性という殻に籠もった。そんな君が僕を愚かと笑うのか?」

 和美はハッとなった。心を見透かされたように感じた。


「愛しているわ!」


 拘束から解かれた蒼空が、叫んだ。一は目を見開いた。しかし・・・・・・。


「家族だもの!」


 続く言葉を聞き、鬼ような形相で蒼空を見た。まずい!


 和美は切れた間合いを推進して詰めると、一の右手を自分の左手で引き寄せた。


 そのまま今度は自分の右手を下から突き上げ、一の顎を掴み左足を一歩前に出す。一のバランスが崩れた。


 すかさず、自分の右足を一の右足にかけ、右手に力と体重を込めて真下に下ろした。一の体が倒れ後頭部が床に叩きつけられる。


 静寂が訪れる。和美はゆっくりと上体を起こす。一の顔からは鼻血が出ていた。


「大丈夫。脳を揺さぶられて、失神しているだけだから」

 声が掠れた。やる事は変わらない。和美は結束バンドを出して、一の両手を拘束しようと試みた。

 手が震えた。

「あれ、何でだろう。上手くいかないや」

 何度やってもバンドの端が穴に上手く入らなかった。声も無意識に涙声になっている。潤んで視界がぼやける。

 まだだめだ。頭の中で、いつもの粛々と為すべきを成す自分をイメージする。胸に込み上げる何かを、必死に奥に押し込む。大きく息を吐き出す。見ると、手の震えは治まっていた。今度はすんなりと、結束バンドの穴に端が通った。

「姉貴・・・」

 創平が駆け寄ろうとする。

「来ないで!」

 和美は怒鳴った。創平が立ち止まる。それは和美の中の最後の矜持だった。和美はゆっくりと視線を変え、蒼空の瞳を見つめる。濁りのない、綺麗な瞳だと思った。

「蒼空ちゃん。貴女に託すね」

 精一杯微笑みを作り、優しい声音で和美は言った。

「そんな、翔吾さんの話だとお姉さんも!?」

 蒼空が声を荒げる。

「創くん。蒼空ちゃんを、守ってあげて。男の子なんだから」

「待ってくれ、俺も姉貴に聞きたいことがっ」

 自分にかけられる言葉をを遮って、和美は続ける。鼻の奥がつんとする。もう幾ばくも耐えられそうに無かった。

「ちょっと、先に車に戻って警察と救急車呼んでくるから」

 そう言うと、和美は全速力で駆け出して工場を出た。走って敷地を抜け、息を切らしながら車に向かった。内臓と足が悲鳴をあげたが構わず走り続けた。




 アクアのドアを閉めた時、「演じ切った」と和美は安堵した。最後の仕事をするべく、スマートフォンを取り出す。

 そして警察と救急に電話をかけ終わると、助手席に自分のスマートフォンを投げつけた。液晶が割れる。和美は掌底でハンドルを叩いた。

「あぁ・・・ああああああああああああ!!」

 決壊だった。胸の奥に押し込んでいたものが、とめどなく溢れてきた。涙が。感情が。次から次へと叫びと共に吐き出されていく。落ちた涙がチノパンに染み込んでいく。嗚咽が止まらず、過呼吸気味になる。このまま自分が壊れてしまおうが構わないと和美は思い、泣き続けた。

次回以降、後日談的な形になっていきます。

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