第6話
2017.6.14 文章修正しました。
水族館の中は人で溢れかえっていて、一メートル前に進むのも苦労する有様だった。とはいえ、展示箇所に長く留まれるかというとそうではない。和美が水槽に気を取られでもすれば、人の波に流され創平と離れてしまいそうで落ち着いて見ていられる状態ではなかった。そのため和美と創平は、水槽の前は小さい子どもに譲ってやるなどしながら混雑箇所を避けて見て回るという方針に変更した。
「いやぁ、休日だけあって人が多いね」
屋外展示場に出てすぐに創平が言った。
「本当。気を抜いたらはぐれちゃいそう」
久しぶりに人混みに足を踏み入れたせいか、和美は僅かな頭痛を感じていた。額に手をやった時、視界の端にカップルが仲睦まじく手を繋いで歩いているのが映った。無意識に目で追ってしまいそうになったため、和美は目を瞑った。
羨ましいと思ってしまう自分に嫌悪感を覚えた。
「大丈夫?少し休もうか?」
創平が声をかけてくる。
「うん。大丈夫。それよりも、カワウソ見にいこうよ!」
「そういえば、姉貴すごく好きだったもんね」
気を入れ直して、和美は歩き出した。
水族館を出て、買い物を済ませると、夕方になっていた。創平の提案で和美はレストランに入った。以前創平がここでディナーを食べて美味しかったという。
ーーー誰と?
という言葉が胸に込み上げて来たが、和美は水と一緒に飲み込んだ。聞くまでもない。蒼空に決まっている。近頃の気の配りようといい、蒼空と付き合ったことで創平は成長したと和美は思った。以前であれば、外出の際は創平から何かをしたいと言うことは少なかった。ところが、今日は創平の方から色々な提案をされ、和美にとってこれまでにない一日の過ごし方となった。
今日は今まで言えなかったことが言えて満足だったはずだった。そのことは間違いないと、パンをちぎりながら和美は思った。にもかかわらず、後ろ向きな感情が先程から漏れ出てくる。
ーーー何かを得たら、その次が欲しくなる。
際限の無い自身の欲望を和美は必死に胸の奥に押し込んだ。自分が心から求めてやまないものは手に入らない。何を今更。かねてより分かっていたことではないか。
ーーー愛する人の成長を素直に喜ぼう。
それが、自分が今すべきことだと和美は思った。
「立派になったね」
祝福の言葉に、寂しさが混じる。
「え?どうしたんだい急に?」
「創くんは、自分で思っている以上に色んなことができるんだよ」
そのうち、和美の助けも必要となくなる日がくるだろう。いや、もしかしたら既に。
その時、創平のスマートフォンが鳴った。画面を見た創平の目が驚愕で見開いた。
心配になった和美が問うより早く、創平がスマートフォンの画面を見せた。
どこかの室内に椅子が一脚だけあり、そこには座った状態で縛られている蒼空の姿があった。膝の上にはナイフが乗せられている。
もう一度スマートフォンが鳴る。通話だった。画面には三笠蒼空という文字。
和美は創平からスマートフォンを奪い取ると、通話のボタンをタップして耳に当てた。
〈僕だ。一だ〉
「ご自分が何をなさっているのかお分かりですか?」
事務的な声を作り出して静かに和美は言った。
〈ああ、分かっているさ。僕はいつだって正気だ〉
「なら、その行為がどのような結果をもたらすかは?」
〈もちろん。これから起こることは、全て僕の意思で起こすことだ〉
「今ならまだ間に合います。彼女の拘束を解いて、戻りなさい」
ゆっくりと、しかし語気を強めて和美は言った。
〈あるただ一人を愛して生きてきた。だけど、結果が自らが望むものとは反対であると気がついた時、それは何を意味すると思う?アリストテレスの言葉だよ〉
電話越しに電車の音が聞こえたため、音声を聞き漏らすまいと和美はスマートフォンを持つ手と反対の手で片耳をふさいだ。
「『悲劇は逆転と認知によって恐れと憐れみを作り出す』とでも?ふざけないで!愛の行く末で破滅するのなら、自分だけにしなさい!」
突然の怒声に周囲が静まり、周囲の目線が和美に集まる。
〈止めたければ、来るがいい。明日の夜明けまで待とう〉
その言葉を最後に電話は切れた。




