第二話 (二)
「デートの付添いかぁ」
六畳の部屋へと響いたのは、ぼやくような言葉。
おそらく冷静な第三者が聞いたならば、どこか心が籠っていないというのか、他人事のようにも聞こえるだろうか。
しかし、せっかくの休日にデートの付添いをするというのだから、ついついぼやいてしまった紅咲の気持ちも理解出来るだろう。いや、もしかすれば紅咲のような温厚な人間でなければ無下に断っていたのかもしれない。
(でも……友人と遊ぶと思えばいいのか)
今さら言うのも問題はあると思うが気分は乗らない。
しかし、桜とステラの二人を友人だと思うならば、別に気にはならないかもしれない。むしろ、気分さえ切り替えれば楽しめる要素もあるような気がする。ただ休日を無為に過ごすよりかは格段に良いのは言うまでもない。
「前向きに考えよ」
そう思った紅咲はあえて言葉を吐き出して、内にあるネガティブな思考を吹き飛ばそうとする。
だが、それは上手くはいかなかったらしく、頭に浮かんできたのは自分自身の事だった。もっと正確に言うならば、世話師の女性に協力をする理由の一つである。
つまりは、紅咲自身が異性を好きになれない理由についてだ。よくよく考えれば、五歳も年下の愛らしい少女と、大人な雰囲気を醸し出す年上の女性と遊びに行くのだ。一般的な高校性男子ならば今夜は眠れないくらいに騒いでしまう事だろう。
むしろ、先日ステラが「自分」を賭けて勝負を挑んだ時点で、飛び付いてしまうのではないだろうか。さすがにステラが美人である事は紅咲でも分かる。それくらいの事は心が動かずとも分かるのである。
しかし、紅咲は何も感じない。むしろぼやいてしまう始末だ。
(……やはりおかしいのだろうか)
年上にも年下にも心が動かない自分。
と言っても桜のように同性に対して心が動く事もない。もしかすれば、紅咲は「他人」を好きになれない欠陥品なのかもしれない。
そう思った瞬間。
言いようのない寒気が襲ってきた。自身に欠落した部分があると思うのが、これほどまでに不気味だと思った事は今までになかった。もしかしたら自身はとんでもない部分に足を踏み入れてしまったのかもしれない。
だが、今さら戻る事は出来ない。約束を破る気もないし、それに自分自身の事を知りたいという気持ちを止める事が出来なかったのだ。
「まあ、なるようになるかな」
結局はこの場で考えても結論は出ないと悟った紅咲は一つ息を吐いて、今度こそ思考を切り替える。
現在の時刻は午後十時。
本日が休日前の金曜日という事を思えば、まだまだ時間にはゆとりがあるだろう。そう思った紅咲が選んだ余暇の過ごし方は、一時でもいいから現実の世界から離れる事だった。
そうは言うが、ただ読みかけの文庫本を読むだけなのだけど。
しかし、空想の世界が好きな者にとっては何事にも変えられない楽しみだった。特に日頃は武道場で竹刀を振り回している自身にとっては、心を休ませる憩いの時間だと言ってもいいだろう。
そんな至福に満ちた時間を過ごすために紅咲は、そっと左手側に見えるデスクライトに向けて手を伸ばす。すると、今の今までは薄暗かった机は白い光に照らされて、くっきりと姿を現した。だが、日頃から整理整頓に気をつけている紅咲の机上には勉強用の参考書が二冊ほどと、先ほどスイッチを押したデスクライトが置いてあるだけなのだが。
しかし、今から趣味を満喫するには適した場所である事は言うまでもないだろう。どこか綺麗好き過ぎる所はある気がするけれど、今はこの整った空間を提供してくれた過去の自分に感謝したいと紅咲は思う。
そして、その感謝を最大限に自身へと活かすために、ゆっくりと立ち上がり。
右手側の壁に寄り添うようにして立つ本棚へと向けて、軽やかに歩き出した。
*
早朝の柔らかな日差しが照らし出すのは雨月市。
一番街から五番街という、数字によって街の名前が割り振られた市である。人によっては、どこか機械的で味気ないと思えてしまうのかもしれない。
しかし、人が効率的に住むにはどうしたらいいのか、という事を常に頭に置いて設計された街は一度住んでしまえば他の市に住む事が出来ないと言われる程に住みやすい。
それをまず説明するには街を空から見下ろせばすぐに分かる。まるで碁盤の目を思わせるように建物が等間隔で立ち並び、そして、その建物に沿って道路が整備されているために迷う事はない。それだけでなく市の中央にある一番街には狙ったかのように商業用のビルが立ち並んでいる事もあって昼は市の中心に働く者が集まり、定時後は一番街の東と西に隣接する二番街、三番街という名を冠した住宅街に戻っていくのだ。
では、他の街はどうなっているのかと言えば。
南は生産工場が立ち並ぶ四番街。そして、最後は北にはショッピングモールが集合した五番街がある。
取り分け休日には大いに盛り上がり、学生にとっては一番馴染み安いのが五番街だろう。そんな活気溢れる場所にて。
「どうして……尾行するのですか?」
小首を傾げると共に目印の三つ編みを揺らしたのは杉本文だ。
昨日の夜十時にいきなり情報端末が鳴ったと思ったら、五番街に来てくれと言った友人。さすがに何かが起こったと不審に思った文は詳しい訳を聞かずに来てみたのだが。
やっている事と言えば、前を歩く三人を尾行するという事だった。
三人というのは、いつもと変わらない漆黒のスーツに同色のネクタイを巻いたステラ、どこかゆったりとした白いセーターに白と薄茶色を基調としたチェック柄のロングスカート姿の桜、そして最後は深緑のダッフルコートに、ベージュ色のチノパンを履いた双海紅咲だった。
桜とステラがいつも一緒にいる事は当然の事だが、なぜその中に「彼」が加わっているのだろうか。クラスメイトである事を考えれば何の不思議もないのだが、わざわざ休日に遊びに行く程に親しかったようには見えなかった。それも不思議には思うのだが、そんな彼らを尾行する理由の方が気になって仕方がない。
「えっと……ごめん。後で絶対に話すから」
しかし、文の疑問には友人は答えてはくれない。
不動美咲は、ただ顔の前で両手を合わせて同じ言葉を繰り返すだけだったからだ。これでは埒が明かない。
もう帰ってしまおうかと思うが、さすがに友人を見捨てて帰るのは良心が許してはくれなかった。ならば、最後まで付き合うしかないだろう。
「後でお茶に付き合って下さい。当然、美咲の奢りでお願いします」
しかし、せっかくの休日を潰されるのだ。
何か要求しても罰は当たらないだろう。それに、これくらいならば友人同士の関係ならば自然だとも思える。
どうやら文の予想は正しかったようで。
「分かった。それくらいはするよ。理由もその時に話す……からさ」
美咲は嫌な顔をせずに一つ頷いた。
だが、やはり彼女の言葉はどこか歯切れが悪いように見える。髪を短く切り揃え、服装にしてもダメージが入ったジーンズに、カーキ色をした軍服を思わせる上着を身に纏う彼女は一目見た瞬間には男の子のように見えてしまう。だが、今日の美咲はどこか乙女に見えてしまうから不思議だ。
今すぐにでも「守ってあげたい!」と思ってしまう程に、か弱く見えてしまうのだ。
(――絶対に聞き出す!)
ただの高校生から、か弱きヒロインを守るヒーローへと自身を昇華させた文は心中で決意する。お得意の妄想癖が全開になっているような気もするが、そんな些細な事は気にしないでおきたい。今は自身の脳内を埋め尽くす夢の世界に身を投じていたいのだ。
だが、それは急ぐ友人に通じる事はなくて――
「もう少し早く歩こう。離れすぎると分からなくなるから」
美咲は文の手を掴むと共に、その足を忙しなく動かしていく。
そんなに焦ると気づかれるような気がするのだけど、今の彼女に何を言っても仕方がないだろう。
ここは黙って手を引かれる方がいいと思った文はカーキ色の背中に優しい瞳を向ける。そして、彼女の視線がどこに向いているのかを探っていく。
現在尾行している三人が歩いているのは、南から北に隣の市に至るまで一寸の狂いもなく真っ直ぐに伸びた通り。五番街のメイン通りだ。
メイン通りという名前を冠しているだけあって、その左右には目を回しそうな程に数多くの店が連なっている。と言っても、文が行く店と言えば、市で一番巨大な本屋、日の光を吸って煌めくアクセサリーがショーウィンドウ越しに並べられた馴染みのショップ、そして、好みの衣服を買う店くらいだろうか。
それらを視界に収めつつも、文は手を引かれて歩いていく。時折、視界に入る誘惑に抗うのは大変な労力を必要だけど、さすがに空気くらいは読もうと思う。そう思ってしまうのは、美咲が文の手を必要以上に強く握り締めているからだ。おそらく意図して握っている訳ではないと思う。ただ必死なだけなのだ。
そんな彼女が見つめているのは。
(……双海くんだね)
一人の男性だった。
普段と変わらず柔らかい笑みを浮かべて、桜とステラの会話に相槌をしている彼をずっと見つめていたのだ。もはや美咲から話を聞かなくても全てが分かってしまった。
美咲は双海紅咲に好意を持っているのだろう。しかし、このデートを妨害出来ない理由があるのではないだろうか。
(……可愛い)
そんな彼女の小さくなった背を見つめた文は心中で囁く。
しかし、その瞬間。
囁いた言葉は不思議と心へと沁み込んでいったように思う。これはいつもの妄想ではなくて、確かな気持ちが文の心に溢れたのだ。
その気持ちを伝えてしまうのもいいかと思う。でも、この気持ちは、もしかしたら今日限定の気持ちかもしれない。それとも、友人として大切にしたいという想いなのかもしれない。
答えが分からない事を口にする訳にはいかない文は彼女の視線を追う。
だが、不思議と文の視線は鋭くなっているような気がする。柔らかい彼に対して、こんな態度を取ってしまう自身に戸惑いはしたが、文は繋がれた手だけを心の支えにして歩き続けたのだった。




