0話 プロローグ
「……ねぇ、僕を知った気になるなよ」
小学校の卒業式。
親友だった黒羽湊は、何かを堪えるような顔で俺を突き放した。
ほんの一時前、俺は“何か”を言った。
励まして、気を遣った……つもりで。
でも湊には、別の温度で届いたのだろう。
眉がわずかに上がり、呼吸が止まったように見えた。
沈黙が一拍。
その間に、湊の目の奥から光がすっと消えた。
「……君は、本当に何も分かってないよ」
震えた声でそう言うと、湊は歩き去った。
言い返そうとしても、喉が潰れたみたいに音が出なかった。
『違う』とひと言言えればよかったのに。
幼馴染で、唯一の親友だったのに。
何も言えないまま、謝れないまま。
今もなお、俺は自分の過ちすら直視できずに、逃げ続けている。
*
蝉が死にかけのアンプみたいに鳴き続ける、夏の放課後。
むわっとした熱気の昇降口で、俺──久瀬直人は人生最大級の意味不明を突きつけられた。
『黒羽湊の元カノ三人に、同時に呼び出された』
……いや、意味がわからない。
そもそも俺、あいつらとほとんど喋ったことないだろ。
黒羽湊。誰にでも優しいイケメンで、聞き上手で、困ってるやつは放っとけないタイプ。喧嘩の仲裁とか平然とやる、そういうやつ。
今となっては偶然高校まで同じだけの、元親友だが。
恋愛事情なんて知るよしもない。
元カノ三人てよくよく思えばなんだよ。いつの間にそんな青春フルコースしてたんだ。
「……よし、気のせいだ。帰ろう」
脱兎の如く、と行きたかった。
生暖かい風が通り抜け、階段から降りる足音がまばらに響く。
そして──俺の進路を塞ぐ淡い影。
「あ、あー……ま、こうなるよな」
白咲楓。
轟木明加里。
青海みなも(おおみ)。
学校で“可愛い”と名前を挙げれば確実にこの三人が出てくる。
そんで、全員が湊の元カノ。
白咲が一歩前に出る。
黒髪の先っぽが落ち着かずに揺れ、凛とした雰囲気ではあるが。
「久瀬くん……話があるの」
いつもより声が硬かった。
緊張すると癖で髪を触ってしまうようだ。
普段の優等生スマイルよりずっと女の子らしい。
小柄なスポーツ少女、轟木は腕を組んで不器用に睨んでくる。
「お前、黒羽の友達だよな。……ちょっとでいい、力貸してくれ」
強気なくせに、目が合った瞬間だけ部活焼けした頬が赤くなる。
そのギャップは反則的だ。
青海はスマホのストラップを弄びながら、上目遣いで。
「くぜ先輩〜……私、このままだと前に進めないんです……っ」
普段は計算高いくせに、語尾が弱い。
幾多の男を落としてきた小悪魔が、今日は影を潜めていた。
三人それぞれ雰囲気は全然違うのに、漂っている気配は同じだった。
……未練。
「黒羽くんと、ちゃんと話がしたいの」
白咲が最初に切り出す。
その声音には――“本当に仲直りしたい”という真面目な気持ちが滲んでいた。
「最後……言えなかったことがあるの」
あれは『言葉を残し損ねた後悔』。
轟木も視線を逸らしながら言う。
「あたしも、プライドだけで振り回して……ずっとそれが刺さったまんまなんなだ」
これは『意地を張った自分への後悔』。
青海は心細げに袖を握る。
「私……素直になれなくて。本当は誤魔化したくなかったけど、でも……」
それは『自信のなさが生んだ後悔』。
三者三様の“湊への心の残り物"が伝わってきた。
「で、なんで俺なんだ?」
三人は少しずつ違う理由を挙げる。
「久瀬くんなら、誰の気持ちも否定しないから」
「変に騒がないし、信用できる」
「頼りがい、あるし?」
そんな評価された覚えはないぞ。
俺はただ、人の目やヒエラルキーを気にしがちなだけで。
むしろ──逃げ癖がある。
競争も、衝突も、できれば面倒ごとは全部避けたい。
……なのに。頼られると断れないのも、また俺の悪い癖で。
「……ごめん。ちょっと考えさせてくれ」
視線を落とした瞬間、胸の奥がずきっと痛んだ。
湊の最近の様子が頭に浮かぶ。
返事がワンテンポ遅い。笑顔が完璧すぎる。一年生を助けた直後、ふっと“無”に戻った表情。
まるで、誰かを演じているみたいだった。
もし──あの時、俺が湊の何かを傷つけていたとしたら。
(……また、誰かを分かったつもりで逃げるのか?)
胸が熱くなる。数年間、蓋をしてきたものが軋む。
三人の後悔。そして、俺の後悔。
その重さがじわりと重なっていく。
「……わかった。力になるよ」
ようやく絞り出すと、三人はほっと息をついた。
白咲は小さく微笑んで、轟木は肩を落とし、青海はぱっと明るくなった。
こうして俺は『三人の元カノの仲直り係』になってしまったわけだが。
未練があるのは、三人だけじゃない。もしかしたら、俺もだ。
湊の変化の理由を確かめたい。そして、謝れなかったあの日にケリをつけたい。
「この機会に、俺も向き合わないとな」
そう思ったこの時の俺はまだ知らない。
三人の語る『元カノとしての思い出』が、微妙に全部違うことを。
『あの夏』の出来事が鍵になっていることを。
そして湊本人は、はっきりとこう言うことを。
『誰とも付き合っていない』
この夏、俺は“嘘だらけの恋”の中心に立つことになる。




