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乙女ゲームの世界に反旗を──我らNPCは運命を書き換える  作者: 宗像 凪


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第4話:最初の「イベント」発生

 翌朝、エリザベートは侍女のマリエンヌが運んできた紅茶を飲みながら、手元の作戦書に目を通していた。


 昨夜、薔薇園での密談の後にカイルが魔導知識を駆使して作成した、几帳面な文字でびっしりと書かれた分析報告である。表紙には、カイルの丁寧な筆跡でメモが添えられていた。


『ジークハルト殿下は本日、隣国大使との懇親会のため参加不可。万一、システムを積極的に妨害した際に発生する事故リスクを避けるため、今回は我々五名で実行する。殿下からは「君たちの無事を祈る」との伝言』


「そうよね……ジークハルト様は王太子だものね。あまり危険なことに巻き込むわけにはいかないわ」

 エリザベートは少し寂しそうに呟いたが、すぐに気を取り直して作戦書の内容に目を移した。


『「曲がり角衝突イベント」対策案』


 小さく読み上げながら、その内容を確認していく。


『予想発生時刻:午後二時十五分頃』

『発生場所:東棟三階、図書館前廊下』

『対象:レオン・バートリ』

『想定シナリオ:クレアが図書館から出てきた際、曲がり角でレオンと衝突。レオンがクレアを抱きとめ、甘い会話が発生』


「うーん、やっぱりベタベタな展開ね」

 ため息をつきながら、対策案の部分に目を移した。


『対策一:物理的遮断(担当:レオン、エリザベート)』

『対策二:魔力場観測・分析(担当:カイル)』

『対策三:神聖結界による進路阻害(担当:ルカス)』

『対策四:状況記録・データ収集(担当:ソフィア)』


「よし、完璧な作戦ね。システムの鼻を明かしてやりましょう」



* * *



 午後一時半。作戦開始の四十五分前。

 エリザベートは使用人から調達した油の入った小さな壷を持って、東棟三階の廊下に向かった。その後ろには、明らかに緊張した面持ちのレオンが続いている。


「本当にこんなことで大丈夫なのか? 油なんて撒いて、もし他の生徒が怪我をしたら……」

「大丈夫ですわ。この油は滑りやすいけれど、転んでも怪我をしないように魔法がかけてある。カイル様が調合してくださったのよ」


 エリザベートの言葉に、レオンは少し安心したような顔をした。


「そうか。でも、俺が油で滑って転ぶところを他の生徒に見られるのは……騎士として、ちょっと情けない気もするぞ」

「それでクレアとの衝突が避けられるなら、安いものでしょう? それに、転んだ時の声、意外と可愛いかもしれませんわよ?」


 エリザベートがくすりと笑ってからかうと、レオンは真っ赤になって抗議した。


「可愛いって……俺は騎士だぞ!」


 この女は昔からこうだ。常に正論で論破されるか揶揄われ、そのたびに優雅に扇子を開いて高笑いをされる。だが、不思議と彼女の前では背筋が伸びるのも事実である。それは苦手意識と呼ぶには、少し複雑な感情だった。


 図書館前の廊下に到着すると、エリザベートは慎重に周囲を見回した。他に生徒の姿がないのを確認してから、壷の蓋を開ける。


「さあ、作戦開始よ。レオン、見張りをお願いするわ」

「了解だ!」


 レオンは廊下の両端を警戒しながら立った。その真剣な表情は、重要な軍事作戦を遂行する騎士さながらだった。

 エリザベートは曲がり角の床に、慎重に油を撒き始めた。透明で粘度の高い液体が石の床に薄く広がっていく。


「これで完璧……ってあら?」

 撒いた油が、なぜかキラキラと虹色に光っている。


「なんで光ってるのかしら? カイル様、一体何を混ぜたのよ……」

「おい、これ本当に大丈夫か? なんだか魔法の陣みたいに見えるぞ」


 レオンも振り返って、光る床を見て困惑した。


「ま、まあ、カイル様の魔法がかかっているから光るのかもしれないわね。きっと大丈夫ですわ」

 エリザベートは楽観的に答えたが、内心では少し不安になっていた。



* * *



 午後一時四十五分。

 廊下の隅で、カイルが奇妙な装置を組み立てていた。水晶でできた球体に複雑な魔法陣が刻まれており、時々青い光を放っている。


「魔力濃度測定器、準備完了」

 カイルが眼鏡を光らせながら装置を調整した。水晶球の表面に数字が浮かび上がっている。


『現在の魔力濃度:2.3ムーア』

『異常値検出:なし』


「今のところ異常はない。しかし、イベント発生時刻が近づけば、必ずこの数値に変化が現れるはずだ」

「すごいですね、カイル様。そんな装置まで作れるなんて」

隣で装置を覗き込んでいたソフィアが、興味深そうに声を上げた。


「私が作ったものではない。既存の魔導具に多少手を加えただけだ。本来は魔力の流れを調べるためのものだが、システムの干渉も魔力の一種なら検出できるはずだという仮説で改造してみた」


 ソフィアは手帳を開いて、装置の様子を記録し始めた。手帳からは光だけでなく、時折奇妙な高い音が漏れている。


「あの、カイル様……もし仮に、この装置でシステムの正体が分かったら、どうなるんでしょうか?」

 カイルは眼鏡を押し上げながら考え込んだ。

「それは正直なところ、分からない。だが、知らないよりは知っていた方がいいはずだ。敵の正体が分からなければ、対策の立てようもないからな」



* * *



 午後二時。

 図書館の入り口近くで、ルカスが静かに祈りを捧げていた。しかし、その祈りはいつもの神への祈りではない。


「どうか、この場に聖なる結界を。レオンの意志を守り給え」


 ルカスの周りに、うっすらと白い光の輪が現れた。目に見えるか見えないかの微かな光だったが、確実に神聖な力が宿っているのが感じ取れた。


「結界展開……成功」


 ルカスは額の汗を拭いながら、満足そうに頷いた。この結界は、システムの強制力を弱める効果があるはずだった。神の加護が、悪しき力から仲間を守ってくれるだろう。


 しかし、結界を張っている最中、ルカスの脳裏に奇妙な映像が鮮やかによみがえった。

 クレアの笑顔。その笑顔を見つめる自分。そして、自分の口から出る「聖女クレア様」という言葉。


「うっ……また……」


 ルカスは頭を押さえた。結界を張っている間も、システムの影響は完全には消えていない。むしろ、神聖な力を使えば使うほど、クレアへの崇拝の念が強くなっているような気がする。

 この世界が定める「聖女」と、本来の信仰の「聖女」が混線しているかのような、不快な感覚だった。神への祈りが、どこかで別のものにすり替わっている。


「なぜだ。神への信仰と、あの少女への崇拝は全くの別物のはず。なのに、なぜ区別がつかなくなる……?」



* * *



 午後二時十分。

 全員が配置についた。エリザベートとレオンは油を撒いた曲がり角の近くで待機し、カイルは測定器を注視し、ルカスは結界を維持し、ソフィアは全てを記録する準備を整えていた。

ソフィアの手帳から、先ほどより急かすような甲高い音が響いた。


「来ます、あと五分です」


 手帳のページには新しい文字が浮かんできた。


『イベント発生まであと五分』

『対象:レオン・バートリ』

『シチュエーション:曲がり角衝突』

『効果音:ドンッ』

『台詞:「怪我はないか、可憐な君」』


「やっぱり『可憐な君』って言わされるのか……」

 レオンは顔を青くした。

「『可憐な君』って……俺、そんな気障な言葉使わないぞ。普段は『おい』とか『お前』とかしか……」

「大丈夫ですわ。わたくしたちの作戦が成功すれば、そんな恥ずかしい台詞を言わずに済みます」


 エリザベートは励ますように肩を叩いた。

 その瞬間、カイルの測定器が突然激しく光り始めた。


「異常値検出! 魔力濃度が急上昇している!」


 水晶球に表示される数値が、見る見るうちに上がっていく。


「これは予想以上だ。システムの影響力が想像を超えている」

「結界に……結界に、何かが衝突している!」


 ルカスの結界も突然激しく光り始め、白い光の輪が嵐に煽られるように揺らめいている。目に見えない巨大な力が、結界を破ろうとしているのが分かった。


 ソフィアの手帳からは、早鐘のような連続した警告音が響いた。


『警告:大型イベント接近中』

『システム強制力:最大出力』

『対象固定:レオン・バートリ』


「まずいです! システムが全力で来ています!」

 ソフィアが手帳を抱えて身を竦めた。


 そのとき、図書館の扉が静かに開いた。

 栗色の髪をした少女、クレアが本を抱えて出てきた。その瞬間、世界の空気が変わった。


 カイルの測定器の数値が一気に跳ね上がる。


「これはもう魔力というレベルではない! 何か根本的に違う力だ!」

「結界が……神の加護でも防げないとは!」


 ルカスの結界が、ガラスの砕けるような音を立てて完全に崩壊した。

 そして、床に撒かれた油が突然消失した。文字通り、消えたのだ。


「消えた!?」


 エリザベートは絶句した。さっきまでキラキラ光っていた油が、最初からなかったかのように跡形もなく消えている。


「どういうことよ!? 油はどこ行ったのよ!?」

「おい! 俺たちが撒いた油は!? あれだけ撒いたのに!」


 レオンも慌てて床を確認したが、油は一滴も残っていない。


「恐らく……システムが物理的な障害物を『修正』したのだろう。油という『想定外の要素』を世界から削除したんだ」

 カイルが冷や汗をかきながら分析する。

「削除って……そんなことができるのですか!?」


 しかし、それで終わりではなかった。

 突然、レオンの体が宙に浮いた。


「おい! 俺の体が浮いてる!」


 レオンは腕を振り回しながら、重力を完全に無視して空中に留まっている。その体は、見えない巨大な磁石に引かれるように、クレアの方向へ移動し始めた。


「重力まで無視するの!? ありえない!」

「神の理すら捻じ曲げるとは……何という冒涜的な力……!」


 エリザベートが叫び、ルカスも愕然とする。


「やめろ! やめてくれ! 俺は自分の足で歩く!」


 空中を漂いながらクレアに向かうレオンは、必死に抵抗しようとした。しかし、レオンの体は彼の意志とは無関係に、線路の上を滑るように一直線にクレアのもとへ向かっていく。しかも移動速度まで調整されており、クレアが曲がり角に差し掛かるタイミングにぴったり合うよう計算されていた。


「レオン様が空中を移動しています! これもシステムの仕様なのでしょうか……」

 ソフィアが恐怖に声を震わせながら記録を続ける。


「システムの影響力が測定限界を超えた。こんなことがあり得るのか」

 カイルの測定器はもはや数値を表示することを諦めたかのように、文字化けした記号だけを点滅させていた。


 そして運命の瞬間が訪れた。

 クレアが曲がり角を曲がろうとした、まさにその瞬間、空中を移動していたレオンが完璧なタイミングで彼女の前に降下した。


 ドンッ!


 効果音まで、手帳に予告されていた通りの音が鳴り響いた。しかも、その音は空気中から響いてきており、音源がどこにもない。


「効果音!? 効果音まで用意されているの!?」

 エリザベートは絶句した。


 レオンはクレアを抱きとめる形で着地したが、その表情は明らかに困惑と屈辱に満ちていた。しかし、次の瞬間、彼の顔つきが変わった。別人が乗り移ったかのように、その厳しい表情が穏やかな微笑みに変わったのだ。


「だめ……だめだ……口が……口が勝手に……」


 レオンは必死に口を押さえようとしたが、その手は途中で止まった。見えない力が彼の手を拘束しているかのように。

 そして、レオンの口から、彼らしからぬ甘い声が漏れた。


「怪我はないか、可憐な君」


 その声は確かにレオンのものだったが、普段の硬派な話し方とはまったく違う、貴公子のような上品な響きを持っていた。


(うわああああああ! 俺の声じゃない! これ俺の声じゃないぞ!!)

 レオンは心の中で絶叫していたが、口からは引き続き甘い言葉が溢れ出す。

(やめろ……! 『可憐な君』って、俺はそんなこと絶対に言わない!)


「ありがとうございます……レオン様はとてもお優しいのですね」


 クレアは微笑みながら答えた。その微笑みには、小さな驚きが混じっている。ぶつかった衝撃で少し乱れた前髪を気にして、慌てて手で直す仕草は確かに可憐だった。


 レオンの背後には、なぜかピンクの薔薇の花びらが舞い始めた。

 さらに、甘美な旋律の音楽が、どこからともなく流れ始めた。空気そのものが弦となって音を奏でているかのようだ。


「音楽まで!?」


 周囲の生徒たちは、この光景を見て感嘆の声を上げている。


「レオン様、なんてロマンチックなの!」

「あの薔薇の演出、どうやってるんでしょう!」


 しかし、エリザベートたちには、レオンが明らかに苦しんでいるのが見えていた。彼の額には脂汗が浮かび、歯を食いしばって何かと戦っている。


「レオン様、十四時十五分、予定通りクレア様と衝突。台詞強制実行中。薔薇と音楽も自動発生……。しかも次の展開まで勝手に決められてる!」


 ソフィアが手を震わせながら記録を取り続ける。

 手帳には次々と新しい情報が浮かんでいく。


『イベント成功!』

『好感度上昇:レオン→クレア +25』

『ロマンチック度:最大』

『次回予告:礼拝堂での聖女イベント!』


 ソフィアが手帳を振り回すが、文字は消えない。

 ついにレオンは限界に達した。強制的に甘い台詞を言わされ続け、薔薇と音楽に囲まれ、挙句の果てには次の展開まで勝手に決められている。


「もう勘弁してくれ……!」


 レオンの切実な声と共に、ようやくイベントが終了した。薔薇の花びらは消え去り、どこからともなく響いていた音楽も途絶えた。レオンの表情も、元の厳しい顔つきに戻っている。


「はあ、はあ……やっと……やっと終わった……」


 レオンはその場にへたり込みそうになったが、周囲の視線を意識してなんとか踏ん張った。

 一方のクレアは満足そうに微笑んで、図書館の方向へ歩いて行った。今の出来事が、彼女にとっては日常の一コマでしかないかのように。


「イベント終了と共に、異常な魔力反応も消失した。やはり、これは自然現象ではない。何者かが意図的に引き起こしているものだ」

 カイルの測定器の数値が、急速に正常値まで下がっていく。


「神の加護でも防げないとは……私たちが相手にしているのは、一体何なのでしょうか?」

 ルカスは砕けた結界の残滓を見つめながら呟いた。


「油を消し、重力を無視させ、効果音と音楽まで用意して……これじゃあ、わたくしたちの作戦なんて子供の遊びじゃない……」

 エリザベートは愕然としてその場に立ち尽くしていた。


「すまん……俺は自分の意志で話すことすらできなかった……」

 レオンがふらつきながら彼らの元に戻ってきた。その顔は青白く、まだ衝撃から立ち直れずにいる。


「いえ、レオンのせいではありませんわ。わたくしたちが甘く見ていたのよ。システムの力を」

 エリザベートは慌ててレオンを支えた。


「どうしましょう……私たちの作戦、全部無駄でした。物理的な妨害も、魔法的な防御も、全部無効にされちゃいました……」

 ソフィアも手帳を見つめながら涙目になっていた。


「いや、収穫もあった。今回の観測で、システムの干渉の仕組みがある程度分かった」

 カイルは眼鏡を外して拭きながら、冷静に状況を分析した。ふと足元を見て、眉をひそめる。


「それと、一つ報告がある。あの油だが、消えたのではなく、別の場所に転移されていた。今、廊下の突き当りの壁に虹色の染みが広がっているのが見える」


「虹色って、さっきのキラキラ光っていたあれ?」

 エリザベートは、自身が廊下に撒いたはずの油の不思議な光沢を思い出した。


「ああ。あの光は私が追跡用の魔力標識を混ぜたためだ。滑り止め効果が本来の目的だが、万一消された場合の追跡手段も仕込んでおいた。結果的に、システムが物理的な障害物を『消す』のではなく『移動させる』ことが分かった。完全な消去ではないのだ」


「つまり、システムにも力の限界がある、ということ?」


 エリザベートの目が光った。


「少なくとも、存在そのものを消す力ではなく、場所を変える力だということだ。これは重要な知見だ」


 カイルは眼鏡をかけ直して、レオンを見つめた。


「それともう一つ。レオン、君は最後まで自分の意識を保っていた。台詞は強制されたが、心まで支配されたわけではない。これも重要な発見だ」

「そうか……確かに、あの間抜けな台詞を言ってる間も、心の中では『やめろ』って叫んでたからな」


 レオンは少し元気を取り戻したような顔をした。


「そうよ! 完全に操られたわけじゃない。まだ反撃の余地はある!」

 エリザベートも希望の光を見出した。


「私の結界は破られましたが、一瞬だけでも効果がありました。完全に無力ではありません」

「それに、わたくしの手帳、今回の出来事を全部記録してます。次はもっと上手くやれるかもしれません」

 ルカスが静かに頷き、ソフィアも手帳を見つめながら言葉を添えた。


 五人は改めて決意を固めた。今回の作戦は失敗したが、敵の正体と力の一端を知ることができた。そして何より、彼らの結束はさらに強くなった。


「今度こそ、必ず成功させましょう。システムが物理法則まで曲げるなら、わたくしたちはその上を行く作戦を立てるまでです」


 エリザベートが不敵に微笑む。


「ああ! 次は絶対に『可憐な君』なんて言わされてたまるか!」


 レオンも拳を握る。

 午後の日差しが廊下に長い影を作る中、五人の反逆者たちは次なる戦いに向けて、静かに歩き始めた。

 彼らの戦いは、まだ始まったばかりだった。


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