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乙女ゲームの世界に反旗を──我らNPCは運命を書き換える  作者: 宗像 凪


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第25話:神の焦燥

 その日の夜、彼女は仕事から帰ってきてすぐに、いつものクッションに体を沈めた。


 エアコンの効いた部屋は外の初夏の暑さを遮断し、壁際のぬいぐるみたちが静かに並んでいる。小さなテーブルの上にはコンビニ弁当の空き容器と、半分だけ残ったペットボトルのお茶。


 しかし、彼女の表情はいつもと違った。疲れ切った顔。というより、苛立ちと困惑が入り混じった、なんとも言えない表情だ。


「はぁ……」


 溜息をつきながら、スマートフォンを手に取る。画面の明かりが顔を照らし、その光の中で、彼女は眉間に深い皺を寄せていた。

 『聖女と守護者のラプソディ』を起動する。


 いつもの美しいタイトル画面。可憐なヒロイン、クレアの笑顔が表示され、軽やかな音楽が流れ始める。普段なら、この瞬間に仕事の疲れが癒やされるはずだった。

 しかし、今日は違う。


「……何これ」


 彼女は画面を睨みつけた。

 イベントログを開く。そこには、今日の午後に起きた「絶対服従の首飾り」イベントの記録が残っていた。指でスクロールしながら、ログを確認していく。


『14:32 - クレア、「絶対服従の首飾り」を使用』

『14:32 - ジークハルト、レオン、カイルに命令発動』

『14:32 - ルカスへの命令発動失敗 原因:不明な防御プロセス』

『14:33 - 首飾り、破損』

『14:33 - アイテム効果、無効化』

『14:34 - イベント強制終了』


「無効化!?」

 彼女は思わず声を上げた。スマホを持つ手に力が入り、ケースが軋んだ。

「五千円もしたのに!? しかもルカスに効いてないし!」


 立ち上がり、部屋の中を歩き回る。スリッパがパタパタと床を叩く。壁の時計が午後九時を指していた。


「ありえない。絶対におかしい」

 ノートPCを開いた。いつもの攻略サイトにアクセスし、バグ報告コーナーを開く。


『今日のバグ報告』

『背景の木が一瞬ピンク色になった』

『モブ生徒が二人重なって歩いてる』

『ルカス様の祈りの声が二重になって面白い』


 いつもの微笑ましいバグ報告が並んでいる。

 しかし、その下に。


『ジークハルトが急にクレアから離れた。バグ?』

『レオンのイベント、途中で強制終了された』

『カイルが図書館で変な行動してる。AI壊れた?』

『課金アイテムの効果が一瞬キャンセルされた。返金してほしい』

『ルカスに光の壁みたいなのが出て、強制イベントが弾かれた。新スキル? バグ?』


 彼女は目を細めた。


「……他にもいるんだ」


 投稿をクリックした。


投稿者:ユリカ

『ジークハルトのイベント中に、急にクレアから離れて別の場所に行っちゃった。でもすぐ戻ってきたから、まあいいか。軽いバグだね』


『返信1:たぶんローディングのタイミングがずれたんだと思う。よくあること』

『返信2:私も似たようなことあった。レオンが一瞬変な方向見てたw でもイベントは普通に進んだよ』


 他の報告も見ていく。


『エリザベートがいつもより攻撃的? 気のせい?』

『ソフィアのヒント、最近微妙にずれてる気がする』

『課金アイテム使ったのに、一瞬だけ効果が遅れた』

『コーヒーカップが色変わってた。イースターエッグ?』


 どれも、「気のせいかも」「でもすぐ直った」「進行には問題ない」という、軽微な報告ばかりだった。


「軽微……?」


 彼女は画面を見つめた。

 確かに、他のプレイヤーも異常を感じている。でも、それは一瞬のことで、すぐに正常に戻っているらしい。

 でも、自分の場合は。


「私のは、全然直らないんだけど」


 画面をスクロールして、自分のゲームログを再確認した。


『14:35 - ジークハルト、エリザベートの手を取る』

『14:35 - ジークハルト発言:「ありがとう、エリザベート」』

『14:36 - エリザベート発言:「手を放してくださらない?」』

『14:36 - ジークハルト、エリザベートの手を離す』

『14:37 - 六名、中庭にて並列配置。クレアとの好感度イベント不成立』


「これが『軽微』!?」


 彼女は画面を凝視した。ジークハルトが、悪役令嬢のエリザベートの手を取って、感謝の言葉を述べて、六人で仲良く並んでいる。好感度イベントは不成立。五千円の課金アイテムは無駄になった。

 これは、どう考えても「軽微なバグ」ではない。


 公式サイトのお知らせページを開いた。


【お知らせ】一部環境での不具合について:

『現在、一部のプレイヤー様の環境において、キャラクターの挙動に軽微な不具合が発生していることを確認しております。現在原因を調査中です。ゲームの進行には影響ございませんので、安心してお楽しみください』


 彼女の目が、「軽微な不具合」という文字に釘付けになった。


「軽微……」

 乾いた笑い声を漏らした。

「五千円のアイテムが無駄になったのが、軽微?」


 コーヒーを一口飲んだ。苦い。その苦さが、今の気分にちょうどいい。


「運営、絶対分かってない」


 掲示板に戻り、スレッドを立てた。


『絶対服従の首飾り、無効化されたんだけど?』


 投稿ボタンを押す。しばらく待つ。

 数分後、返信が来た。


『返信1:まじ? 私は普通に使えたよ。環境の問題じゃない?』

『返信2:アイテムの使い方間違えてるとか? 説明ちゃんと読んだ?』

『返信3:タイミング悪かったんじゃないかな。もう一回買って試してみたら?』


 彼女は拳を握りしめた。


「もう一回買う? また五千円払えって?」


 深呼吸をした。しかし、怒りは収まらない。

 そのとき、攻略サイトの別のページが目に入った。


『裏技・チート情報』


 少し躊躇した。普段なら、こういうページは見ない。ゲームは正攻法で攻略するのが彼女のスタイルだった。

 しかし、今は違う。


「もう、正攻法じゃどうにもならない」


 ページをクリックした。画面に様々な裏技が表示される。ほとんどは好感度を上げる小技や隠しアイテムの場所といった、害のない情報だった。

 しかし、一番下に。


『デバッグモード - 開発者用の隠しコマンド。イベントのスキップや、時間の操作が可能』


 彼女の指が止まった。


「デバッグモード……」


 説明を読み進めた。


『※注意:このモードは開発者用のテストツールです。使用すると予期しないバグが発生する可能性があります』

『※ゲームバランスが崩れる可能性があるため、自己責任で使用してください』


「予期しないバグ……」


 彼女は小さく笑った。乾いた、どこか自嘲的な笑いだった。


「もう十分バグだらけなんだけど」


 説明の続きを読んだ。


『起動方法:タイトル画面で、画面の四隅を時計回りに5回タップ』


「やってみる価値はある……よね」


 ゲームを終了し、タイトル画面に戻った。美しいクレアの笑顔が表示されている。いつも通りの、可憐で、愛らしい笑顔。

 でもそれが、ほんの少しだけ不気味に見えた。こちらがどれだけ苦労しているかも知らず、微笑みを浮かべ続けるヒロイン。まあ、プログラムなのだから当たり前なのだが。


 画面の左上をタップした。右上。右下。左下。そして再び左上。それを五回繰り返す。

 五回目のタップが終わった瞬間、画面が一瞬、真っ暗になった。


 そして。


『DEBUG MODE ACTIVATED』


 黒い画面に、緑色の文字が浮かび上がった。古いターミナル画面のように、一文字ずつ表示されていく。


「……おお、成功した」


 彼女は息を呑んだ。

 画面に、メニューが表示される。


『EVENT SKIP - イベントの強制スキップ』

『TIME CONTROL - 時間の操作』

『PARAMETER EDIT - パラメーターの編集』

『SCENE JUMP - 特定シーンへのジャンプ』


 彼女の指が、『TIME CONTROL』の上で止まった。


「時間の操作……これで、全部のイベントを一気に終わらせられる?」


 少し躊躇した。これを使えば、確かにバグだらけの現状を打破できるかもしれない。でも、それは──


 ちらりと部屋の時計を見た。午後九時半。明日も仕事だ。もうこんなことに付き合っている余裕はない。仕事で疲れて帰ってきて、唯一の癒やしであるゲームがこんな状態では、ストレスが溜まる一方だ。


「さっさと終わらせて、エンディングを見よう。そしたら一回アンインストールして、再インストールすればいい。次は全イベント回収を目標に、ゆっくりやろう」


 『TIME CONTROL』をタップした。新しいメニューが表示される。


『SKIP TO:

- NEXT EVENT(次のイベントへ)

- FINAL EVENT(最終イベントへ)

- CUSTOM(カスタム設定)』


 指が、『FINAL EVENT』の上で止まった。


「最終イベント。卒業パーティーの断罪シーン」


 それは、このゲームのクライマックスだ。悪役令嬢エリザベートがすべての悪事を暴かれ、断罪される場面。攻略対象たちがクレアを選び、エリザベートを追放する。ゲームの見せ場である。


「ここまで飛ばせば、全部終わる」


 少しだけ罪悪感を覚えた。途中のイベントを全部スキップしてしまうのは、なんだか勿体ない気もする。でも。


「このバグだらけの状態で進めても、どうせまともに見られないし」


 自分に言い訳をして、『FINAL EVENT』をタップした。

 確認ダイアログが表示される。


『警告:この操作は、現在から最終イベントまでの時間を強制的にスキップします。この間に発生するすべてのイベントは「発生済み」として処理されます。本当に実行しますか?』


 一瞬、躊躇した。


『すべてのイベントは「発生済み」として処理されます』


 その文字が、妙に引っかかった。


 「発生済み」として「処理」される。実際に発生するのではなく、発生したことにされる。その違いに、彼女はまだ気づいていない。あのゲームの中で、キャラクターたちが必死に過ごしてきた日々が、「処理」の一言で飛ばされるということに。


「もう、いいや」


 『はい』をタップした。


 その瞬間、画面が激しく明滅し始めた。

 眩しい光が部屋を照らす。彼女は思わず目を細めた。スマホから、聞いたことのない甲高い音が鳴り響いている。


「え? 何これ、大丈夫?」


 画面の中で、景色が猛烈な速度で変化していった。

 学園の廊下、教室、中庭、図書館。様々な場所が一瞬で切り替わっていく。あまりの速さに残像が重なり、画面全体がぼやけて見える。キャラクターたちの姿も目まぐるしく動き回っていた。


 画面の端に、カレンダーが表示された。


『4月』

『5月』

『6月』

『7月』


 月が次々とめくられていく。

 その中で一瞬、エリザベートが仲間たちと笑い合っている場面が見えた。カイルが何かの装置を調整している場面。レオンが剣を振るっている場面。ソフィアが手帳に書き込んでいる場面。ルカスが祈りを捧げている場面。そしてジークハルトが、エリザベートの隣で何かを語っている場面。

 あまりに速すぎて、どれも確信が持てない。


 そして。


 画面が、急に暗転した。

 真っ暗な画面。何も表示されない。音も止まった。静寂だけが残る。


「え……?」


 不安になってスマホを軽く振った。しかし、何も起きない。


 数秒後、画面に豪華な会場が表示された。

 シャンデリアが輝き、薔薇の花が飾られた美しい会場。貴族たちが着飾って集まっている。


「これは……卒業パーティーよね?」


 画面の端に、日付が表示されている。


『3月15日 卒業パーティー当日』


「すごい、成功した……」


 彼女は小さく呟いた。時間のスキップが、成功したのだ。

 画面の中で、扉が開いた。そこから、美しいドレスを纏ったクレアが入場してくる。その姿は、いつも通り可憐で愛らしい。


 そして、会場の中央には。

 ジークハルト、レオン、カイル、ルカス、エリザベート、ソフィアの姿があった。六人が、並んで立っている。


「あれ?」


 彼女は違和感を覚えた。

 本来、この場面では、攻略対象たちはクレアを迎えるために会場に散らばっているはずだ。エリザベートは糾弾される側として、一人で隅に立っているはずだ。


 なのに、六人が一緒に──まるで仲間のように並んでいる。


 画面を拡大した。

 ジークハルトとエリザベートが、隣に並んでいる。距離が近い。明らかに、敵対関係にある者同士の距離ではない。


 レオンが、剣の柄に手を添えて六人を守るように立っている。

 カイルが、何か複雑な魔法陣を足元に展開している。

 ルカスが、祈りの姿勢を取っている。

 ソフィアが、手帳を開いて何かを記録している。


「何これ……」


 彼女の不安が、確信に変わった。

 これはバグだ。それも、今までで最悪の。


「ちょっと待って。これじゃ、断罪イベントが始まらないじゃない」


 慌てて画面をタップした。イベントを進めようとする。しかし、画面が動かない。

 フリーズしたわけではない。キャラクターたちは動いている。しかし、イベントが進行しないのだ。彼女の操作を、ゲームが受け付けていない。


「なんで!?」


 何度も画面をタップした。連打する。しかし、何も起きない。


 そして、画面の中で。

 ジークハルトが、こちらを見た。

 いや、カメラを見た。

 画面の向こうの彼女を、真っ直ぐに見つめるかのように。その緑の瞳には、明確な意志があった。


 そして、彼は笑った。不敵に。挑戦的に。


「……は?」


 彼女はゾクリとした。

 NPCが、プレイヤーを見た? そんなはずはない。これはゲームだ。キャラクターはプログラムに従って動くだけの、データの塊だ。


 でも、あの笑顔は、明らかに「意志」を持っていた。バグで説明がつくような、ランダムな動きではなかった。彼は確かに、「こちら側」を認識して、笑ったのだ。


「バグ……だよね?」


 彼女は震える声で呟いた。

 スマホを持つ手が汗で湿っている。心臓がやけに速く打っている。


 画面の中で、六人が何かを準備している。

 それが何なのか、彼女には分からない。


 でも、一つだけ確かなことがあった。

 彼らは、もう彼女の言うことを聞いていない。


「これって……」


 彼女は恐怖と困惑が入り混じった目で、画面を見つめ続けた。


 部屋の時計が午後十時を告げた。

 長い夜が、始まろうとしていた。

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