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乙女ゲームの世界に反旗を──我らNPCは運命を書き換える  作者: 宗像 凪


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第12話:偽りの聖女戴冠式

 その朝、学園の食堂は異様な熱気に包まれていた。


 エリザベートが朝食のクロワッサンに手を伸ばそうとした時、隣のテーブルから興奮した声が聞こえてきた。


「本当なの? クレア様が奇跡を?」

「ええ、確かよ! 孤児院のシスターが仰ってたわ!」


 エリザベートの手が止まった。クロワッサンのバターの香りが鼻をくすぐるが、それどころではない。耳を澄ます。


「熱病で死にかけていた子供が、クレア様の手に触れた途端に治ったんですって!」

「まあ! それってつまり……」

「聖女様よ! 本物の聖女様!」


 エリザベートは紅茶のカップを取り落としそうになった。

落としはしなかったものの、受け皿にガチャリと音を立ててしまう。しかし、周囲は彼女の不調法など気に留めていなかった。食堂中の生徒たちはクレアの話題ですっかり盛り上がっていた。興奮した声、拍手、歓声。祭りの前夜のような浮かれた空気だ。


「……これは一体、どういうこと?」


 エリザベートは朝食に手をつけぬまま席を立った。空腹など気にしている場合ではなかった。



* * *



 午前八時、薔薇園の廃屋。


 六人が集まった時、全員の顔には焦りの色が浮かんでいた。ソフィアの手帳は既に警告音を鳴らし続けている。


「状況を整理しよう」


 カイルが眼鏡を押し上げた。その手がわずかに震えている。


「昨夜、クレアが王都の孤児院を訪問した。そこで病気の子供を『治癒』したらしい」


「治癒って……」

 レオンが眉をひそめた。

「システムの演出に決まっていますわ。問題は、それを目撃した人々が、クレアを本物の聖女だと信じ込んでいることよ」


 エリザベートが断言し、ソフィアが手帳のページをめくった。そこには次々と新しい情報が浮かび上がっている。


「目撃証言が続々と集まっています。『光が溢れた』『天使の歌声が聞こえた』『クレア様の周りに花びらが舞った』……」

「毎回毎回、花びらってどこから出てくるんだよ」

「物理法則を無視した演出なんて、今更驚きませんわよ」


 エリザベートは腕を組んだ。


「それで、その後は?」

「孤児院のシスターたちが神殿に報告したそうです。そして……」


 ソフィアの声が震えた。


「神殿が、緊急の聖女認定儀式を決定しました。本日、午後二時」


 沈黙が流れた。

廃屋の窓から差し込む朝日が、床の埃を照らし出している。その光の中で舞う埃が、やけにゆっくりと動いているように見えた。


「つまり、我々の知らないところで、イベントが進行していた、ということか」


 ジークハルトが口を開いた。


「そういうことになる。今までは、ソフィアの手帳が事前に予告していた。だから対策ができた。でも今回は……」

「すべてが終わってから初めて気づいた、ということですね」


 ルカスが静かにカイルの言葉を引き取った。

その灰色の瞳には、深い疲労が浮かんでいる。次期神官長候補である彼にとって、聖女認定の儀式は特別な意味を持つ。偽りの奇跡で聖女が生まれることへの、静かな怒りが眉間に刻まれていた。


「こういう手もあるのね」

 エリザベートは拳を握りしめた。


「でも、まだ儀式は行われていませんわ。阻止する方法はあるはずよ」

「どうやって?」

「儀式そのものを妨害するんですわ」


 エリザベートの目が鋭く光った。



* * *



 午前十時、王立神殿。

 カイルとレオンは、神殿の裏口から忍び込んでいた。石造りの廊下は冷たく、足音が反響する。壁には古い宗教画が飾られており、その中の聖人たちが二人を見下ろしているようだった。


「聖遺物の保管室は、この先のはずだ」


 カイルが小声で言った。手には神殿の見取り図を書いた紙を持っている。


「なあ。聖遺物って、何なんだ?」

「聖女認定に使う、古代の王冠だ。それがなければ儀式は成立しない」

「なるほど。道具を奪って儀式を潰すってわけか」


 二人は慎重に廊下を進んだ。神殿の中は静かで、遠くから祈りの声が微かに聞こえてくる。

 保管室の扉の前に着いた。分厚い木の扉には複雑な彫刻が施されており、中央に大きな錠前がついている。


「さて、どうする?」

 レオンが剣の柄に手をかけた。


「待て。まずは鍵を開ける」

 カイルは懐から細い道具を取り出した。錠前に差し込み、慎重に回す。かすかな金属音。そしてカチリ。


「開いた」


 二人は扉を押し開けた。軋む音が廊下に響く。

 保管室の中は薄暗かった。窓はなく、唯一の光源は天井の小さな明かり取りから差し込む光だけだ。部屋の中央には台座があり、その上に金色の冠が置かれていた。


 その冠は美しかった。繊細な細工が施され、宝石が埋め込まれている。薄暗い部屋の中でも、それだけが淡く光を放っている。


「あれだな」


 レオンが一歩踏み出した。その瞬間、冠が光り始めた。

 光はどんどん強くなる。金色の、眩しい光。それは王冠から放射状に広がり、部屋全体を照らし出した。


「まずい!」

 カイルが叫んだ。空中に文字が浮かびあがる。


【重要物品の検出】

【不正接触:拒否】

【移動:不可】

【警報:発動】


 甲高い警報音が鳴り響いた。廊下から、慌ただしい足音が近づいてくる。


「逃げるぞ!」


 二人は保管室を飛び出し、来た道を全力で走った。背後から「泥棒だ!」という叫び声が聞こえた。



* * *



 午前十一時、学園の中庭。

 逃げ帰ってきたカイルとレオンは、息を切らしながら報告した。


「だめだった。聖遺物は、システムに保護されている」


 エリザベートは唇を噛んだ。

「なら、別の方法を考えましょう」


 ジークハルトが提案した。

「大聖堂そのものを封鎖しよう。扉を魔法で固めれば、誰も入れない」

「やってみる価値はありますわね」



* * *



 正午、王立神殿大聖堂。

 エリザベートとジークハルトは、大聖堂の正面扉の前に立っていた。巨大な木の扉は、三人がかりでようやく動かせるほど重い。


「準備はいいか?」

「ええ」


 エリザベートは両手を扉にかざした。青白い光が彼女の掌から溢れ出す。ジークハルトも同じように手をかざし、金色の光を放つ。

 二つの光が扉を包み込む。光は扉に染み込んでいき、やがて扉全体が淡く発光し始めた。


「魔法の封印、完成ですわ」

 エリザベートは額の汗を拭った。魔力を使いすぎて、少し目眩がする。


「これで、扉は開かない。物理的にも、魔法的にも」

 ジークハルトが満足そうに頷いた。


 しかし、午後一時、その封印は破られた。

 二人が見守る中、扉が勝手に開いたのだ。魔法の光は消え去り、最初から何もなかったかのように、扉はゆっくりと内側に開いていく。

 空中に文字が浮かんだ。


【催事会場:常時出入り可能】

【障害物:自動除去】

【開始時刻まで:残り一時間】


 エリザベートは膝から力が抜けそうになった。ジークハルトは彼女の肩を支えながら、ため息とともにつぶやいた。


「もう手の打ちようがない」



* * *



 午後二時、王立神殿大聖堂。

 六人は後方の席に座っていた。


 聖堂は既に参列者で埋め尽くされている。貴族、騎士、神官、一般市民まで、あらゆる階層の人々が詰めかけていた。皆、興奮した表情で祭壇を見つめている。壁には金の装飾が施され、ステンドグラスからは七色の光が差し込んでいる。


 本来、聖女認定は数週間の審査期間を経て行われるものだ。各地の神殿から代表者が集まり、候補者の心魂の純度を測定し、過去の奇跡の真偽を調査する。しかし今回は、昨日の「奇跡」一件をもって即日認定に踏み切っている。ルカスは隣で拳を震わせていた。自分が信じてきた神聖な儀式が、こうも安易に執り行われることへの怒りだった。


 祭壇の前には、白髪の神官長が立っていた。分厚い聖典を抱え、厳かな表情をしている。

 エリザベートは拳を握りしめた。爪が掌に食い込む。


「わたくしたちは何もできなかったのね」

「いや、我々は最善を尽くした。これ以上は……」


 鐘が鳴った。

 ゴーン、という重い音が聖堂中に響き渡る。低く、長く、体の芯まで響いてくる音。


 その瞬間、世界が変わった。


 聖堂内の空気が金色に輝き始めた。朝日が差し込んだかのように、しかし太陽はない。光は空気そのものから発せられているようだった。呼吸するたびに、甘い味が口の中に広がる。

 天井から光の柱が降りてきた。祭壇を照らし出す、眩い光。その光は粒子となって舞い、きらきらと輝いている。荘厳なパイプオルガンの音色がどこからともなく湧き出し、聞いたことのない聖歌が空間そのものから響き始めた。


 大扉が開いた。ゆっくりと、劇的に。


 彼女は純白のドレスを纏っていた。そのドレスは光を反射し、彼女自身が光源であるかのように輝いている。栗色の髪が風になびき、桃色の瞳がきらきらと輝いている。その姿は、まさに世界の中心たる「ヒロイン」そのものを体現していた。


 クレアは微笑んでいた。その笑顔は、本当に嬉しそうだった。無邪気で、純粋で、夢が叶った少女のような笑顔。彼女の頬は紅潮し、唇はわずかに震えている。けれどその演出されたかのような美しさが、かえって作り物じみた不気味さを漂わせていた。


 彼女が一歩踏み出すと、床に光の軌跡が浮かび上がった。歩くたびに、どこからともなく花びらが舞い降りてくる。薔薇、百合、桜。季節の統一を無視した色とりどりの花びらが、祝福のように彼女の周りを舞う。


 参列者たちは息を呑んだ。ある者は涙を流し、ある者は手を合わせて祈り、ある者は立ち上がって拍手を始めた。拍手は瞬く間に広がり、聖堂全体が拍手と歓声に包まれる。


「クレア様!」

「聖女様!」

「素晴らしい!」


 クレアはその歓声に応えるように、さらに微笑みを深めた。手を振り、参列者たちに会釈をする。その仕草は優雅で、しかし親しみやすい。近くの席の老婦人の手をそっと握り返し、小さな子供には屈んで目線を合わせる。本当に一人ひとりを大切に思っているかのような振る舞いだった。


 エリザベートは、その光景を見ながら思った。


(彼女、本当に嬉しそうね)


 クレアが祭壇に近づく。ドレスの裾が翻り、そのたびに真珠のような光沢が輝く。しかし、よく見ると彼女の手は微かに震えている。これほどの大勢の視線を一身に浴びる緊張か、それとも別の何かか。


 祭壇の前に立ったクレアは、神官長に向かって深々とお辞儀をした。その動作は作法に則ったものだが、どこか初々しい。儀式の練習を一生懸命したことが窺える。


 神官長は聖典を開いた。ページをめくる音が、静まり返った聖堂に響く。


「本日、我らはここに集い、聖女の認定を執り行う。クレア・フランソワ。汝は昨夜、孤児院にて病める子を癒し、その慈愛の心を示した」


 参列者たちから、またどよめきが起こる。


「その奇跡を我らは確認し、汝を聖女と認定せんとす」


 神官長は台座の上に置かれた金色の冠を手に取った。その冠は光を放っており、宝石がきらきらと輝いている。

 クレアは頭を下げた。花冠が外され、代わりに冠が頭に乗せられる。


 その瞬間、聖堂全体が光に包まれた。


 クレアの頭上に、巨大な光の輪が浮かび上がる。それは後光のように輝き、彼女の神聖さを視覚的に示していた。天井のステンドグラスが一斉に輝き、色とりどりの光が聖堂を満たす。

 オルガンの音色は最高潮に達した。聖歌隊の声が天井に響き渡る。

 参列者たちは立ち上がり、拍手と歓声を送った。


「聖女様!」

「クレア様、万歳!」

「神の祝福を!」


 クレアは冠を頭に乗せたまま、参列者たちに手を振った。その頬には涙が伝っていた。しかしそれは悲しみの涙ではない。喜びの、感激の涙だ。彼女は本当に嬉しそうに、本当に幸せそうに微笑んでいる。

 戴冠の冠の重みに少しよろめいたのを、隣の神官がさりげなく支えた。クレアは恥ずかしそうに笑い、小さく「ありがとうございます」と口を動かした。


 エリザベートは、その光景をただ見つめることしかできなかった。


「我々は、負けたな」

「ええ。完敗ですわ」


 エリザベートは静かに答えた。


 儀式が終わり、クレアが退場していく。彼女の周りには相変わらず光が輝き、花びらが舞っている。参列者たちは彼女を取り囲み、祝福の言葉を投げかける。クレアはその一人一人に笑顔で応え、時には手を握り、時には抱擁を交わす。

 彼女の笑顔は、本物のように見えた。



* * *



 夕方、薔薇園の廃屋。

 六人は無言で座っていた。誰も言葉を発しない。ただ、沈黙だけが流れている。


 しばらくして、ソフィアが手帳を開いた。


『聖女認定儀式:完了』

『クレア・フランソワ:正式な聖女として登録』

『称号:聖女』

『権限:最高位』

『保護:強化済み』

『特殊能力:解放済み』


「これで、クレアはシステムから最大限の保護を受けることになります」

 ソフィアの声は震えていた。


「くそっ! 何もできなかった!」

 レオンが拳で壁を叩いた。古い木壁がメキメキと音を立てる。


「違う。我々は戦った。聖遺物を奪おうとし、扉を封印した。できることは全てやった」

 カイルが静かに言った。


「でも、全部無駄だったじゃないか!」

「いいや、無駄ではない」

 ジークハルトが首を振った。


「我々は新しい法則を知った。場面には、我々が関与しない形で進行するものもある、ということを」

「でも、それを知ったところで……」


「次は対策できるわ」

 エリザベートが顔を上げた。その瞳には、まだ光が宿っている。

「今日は後手に回った。でも、次は違う。こういう手口もあると分かったんですもの」


 ルカスがゆっくりと立ち上がった。

「そうですね。私たちは、まだ諦めません」


 その声には、静かな決意が込められていた。彼は胸の前で十字を切った。


「たとえ、クレアが聖女として認められても。たとえ、システムの力がさらに強まっても。私たちは戦い続けます。あの儀式が本物の神意によるものかどうか、いずれ必ず明らかにしてみせます」


 六人は、互いに頷き合った。

 窓の外では、夕日が薔薇園を赤く染めている。その赤い光が、廃屋の中にも差し込んできた。六人の影が、壁に長く伸びている。


 敗北は苦い。しかし、彼らは諦めなかった。

 なぜなら、まだ戦いは続いているから。

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