第11話 「反逆の女神」
虫の羽音のようなものが聞こえる……。
今回はもう目を開けるまでもなく一瞬で理解した。
背中に当たるゴツゴツとした感覚、木々がざわめくような環境音。
間違いない、俺は冥土に転移させられたのだろう。
俺はゆっくりと瞼を開ける。
想像していた地獄は赤いイメージだったが、予想に反して青白い景色が目に飛び込んでくる。かなり薄暗いがここは森だろうか?
俺は起き上がると、無意識に左手で頭を掻こうとし、視界に入った左手を見てハッとして動きを止めた。
「あれっ……!?」
俺は服の袖を捲ると、そこには選別テストで失ったはずの左腕が元通りに生えていた。
そう、"元通りに"生えていたのだ。
女神は狭間の世界で「失う前と同じものを再生することはできない」というようなことを言っていた気がするのだが、この腕はどう見ても以前と同じに見える。
右腕と並べてみても左右対称で変わりないし、感覚もしっかりとある。
「もしかして毛の本数とか爪の長さがちょっと違うとかそういうレベルの話だったのか……?」
なんにせよこれはありがたい。これで今までと同じように不自由なく色々とこなせるということだ。
服も血で汚れたものから新しいものに新調されている。結局前と同じようなグレーの上下スウェットになったが、これが一番動きやすくて快適なのだ。
選別テストから狭間の世界ではずっと裸足だったが、今は足に白いスニーカーが履かされている。中々サービスがいいな、女神よ。
そうだ、小春ちゃんはどんな服装になったんだろうか。
俺は近くにいるであろう彼女を探して辺りを見回した。
「……小春ちゃん?」
……いない。
彼女の姿がどこにもない。
その瞬間、最悪の事態が俺の脳裏をよぎった。
まさか転移が同じ場所じゃなかったのか……?
完全に想定外だった。目覚めるときは二人一緒が当たり前だったからだ。
狭間の世界でも、小春ちゃんがずっと俺にくっついていたためそのまま転移させられるものだと思い込んでいた。
俺が一人なのはどうでもいい。だが彼女をまた一人きりにしてしまった。
選別テストの時、俺はもうあの子を一人にはしないと新しい誓いを立てたはずなのに……!
こんなもの不可抗力ではあるが、それでも自分が許せない気持ちになる。
とにかく早く合流しなければ。
……しかしそもそも転移先は近いのか……? 連絡手段もないこの状態で、見知らぬ世界での合流なんて絶望的なのでは……
「コハルはおそらく近くにいます」
「な、なんだ!?」
急にどこからともなく声が聞こえてきた。いや、この声と喋り方……女神か?
「自称女神、まさかここに来てるのか? てっきりあの狭間の世界でお別れだと思ってたんだが」
「本来ならばそのはずでした。しかし私はルールを破ったのです。そのままでは消されてしまう運命だったでしょう」
「ルール? どういうことだ? 何かいけないことをしたのか?」
「ジン、あなたの左腕のことです」
俺の左腕は女神がルールを破って与えてくれたものってことか……?
「なんでそんなリスクを背負って違反なんてしたんだ? 別に俺たちに恩があったわけでもないだろ?」
「狭間の世界で言ったはずです。私はあなた方を気に入っているのです。そして、善の魂を持つあなた方が地獄送りになってしまうシステムに疑問を感じていました。だからあなた方に私ができる最大の加護を施すことにしたのです。サービスとは言いましたが、これは私なりの反逆なのです」
「そうか……俺たちのことをイレギュラーとか言ってたけど、アンタも大概だな」
「そうかもしれませんね」
つまり女神は女神なりに俺たちを助けようとしてくれたわけか。自称女神とかいう嫌味っぽい呼び方はもうやめなきゃな。
「私はつまり狭間の世界におけるバグのような存在です。そのままあの場所にいたら消されていたでしょう。そこでジン、あなたの左腕に潜り込むことで自身を隔離し、この冥土に一緒に逃げ込んできたのです」
「え? じゃあこの中にいるのか」
俺は左腕をペチっと叩いてみる。
「私には感覚があるわけではありませんし動かすこともできませんが、この腕に意識を宿しているのは事実です。もしあなたが命を落とせば、私も消えてなくなるでしょう」
なんだか妙なプレッシャーをかけられた気がするが、とりあえず今の最優先事項は小春ちゃんとの合流だ。
「女神、さっき小春ちゃんが近くにいるはずって言ってたよな。あれはどういうことだ?」
「本来、くっついていたあなた方二人は同じ場所に転移させられることになっていたはずです。しかし私があなたと一体になった影響で、ジンの転移位置にズレが生じたのだと思われます」
いやお前のせいかい! と言いたいところだが、ここまでの話を聞いてるとコイツを責めるのも違う気がする。
「しかしその程度で転移位置が大きくズレることはまずありません。コハルはきっと近くにいます」
なるほど、それがわかっただけでも大収穫だ。
小春ちゃんが無事であることを祈ろう。きっと大丈夫、あの子は賢いから。
「すみません、ジン。システムから切り離された私は長く意識を保っていられません。もうそろそろ……」
例えるならスリープ状態に入るみたいな感じだろうか。
短い時間であっても、この世界の仕組みをある程度知っている女神と交流できるのはありがたい話だな。
っていうか女神っていう呼び方もどうなんだろう。こういう状況になったならなんかもっと愛着が湧く名前とかあったほうがいい気もするけど。あっちも名前呼び捨てにしてくるし……。
「ジン、健闘を祈ります……」
「おう、起きたらまたよろしく頼むよ」
「左手の使いk――」
あれ、すごく大事なことを伝えてくれようとしてた気がするけど意識が落ちてしまったようだ……。
左手の使い方……? やっぱり女神が宿ってるって言ってたし普通の手とは違うのだろうか。とんでもない特殊能力が秘められてたり?
俺は左手を前に突き出し、なんとなく力を込めて叫んでみた。
「ハァッ!」
……何も起きない。
「焼却!!!」
……何も出ない。
「波動弾!!!!!」
……なんか虚しくなってきたな……。
いやこんなことをしてる場合じゃない。一刻も早く小春ちゃんと合流しなければ。
とは言え、見渡す限り奇妙な木と植物が生えているだけの同じような景色だ。どちらの方角へ進めば小春ちゃんに近づけるのかまったくわからない。
もし仮に逆方向に進んだりして距離が遠ざかってしまったら、それこそ会えなくなってしまうだろうしな……。
少し効率が悪いかもしれないが、俺は今いる場所を中心として、円を広げるように周りを探索していくことにした。
そこら中にたくさん生えている謎の花を千切り、自分の通った場所の目印として地面に落としていく。
「んー、近くって言ってもどれくらい近くなのかわからないしなぁ……」
いっそのこと全力で大声で叫んでみるか?
……いや、それは流石にリスクが大きすぎるか。何が潜んでいるかわかったもんじゃないしな。
「……ん?なんだこれ?」
しばらく歩いていると、木の幹に矢印のようなものが刻まれていることに気が付いた。
矢印が指し示す方角に目を向けると、少し先にある木にも同じように矢印が刻まれている。
「もしかして……」
小春ちゃんが自分のいる場所を記録するために刻んでいったのかもしれない。
いずれにしろ、今はこれ以外に手がかりはない。この矢印を辿って進んでみるしかないだろう。
矢印を辿ること数分、木々の奥に開けた空間があることに気が付いた。
あの先に小春ちゃんがいるのだろうか……。
俺は小走りだった足をさらに少し早め、開けた場所へ急ぐ。
「水の音か……?」
近づくにつれ、段々と水が湧き出るような音が大きくなってきている。
そして俺はようやく木々の間を抜け、開けた空間まで辿り着いた。
そこにはここが地獄とは思えないような、なんとも幻想的な泉が広がっていた。
その瞬間、ザッ……という砂利を踏むような音が聞こえた。
しまった。泉に目を奪われ、周りを確認するのが遅れた。
俺はハッとして、音が鳴った右の方向へ即座に振り向く。
「う……お……」
そこには、全身3メートルはあろうかという巨大で毛むくじゃらな二足歩行の化け物が、メイド姿の女の子を肩に抱えてこちらを見ていた。




