回想 ~春の人事異動 1~
一年前のこと。
「配属、動いたんだって? 今度はどこ?」
「書部令だってさ」
ひらっ と辞令書をかざす。政治に関する文書一切を扱う場所で、あまり表舞台に立つ機会はないものの、妙に忙しい部署だと聞く。
王族記から始まり、学舎管理もまた書部令の仕事だ。
「佑奈は?」
「現状維持で~す」
「……まぁ、引き取り手はないかもねぇ」
宮仕えをはじめてから、問題が絶えない事件体質とでもいえばいいのだろうか。小さいことも大きいことも、とりあえず統べからく問題を呼び込んできた。
朱藍にも話せないような事もあるらしい。一体何をやらかしたのか気になるところだ。
「失礼なっ」
「あながち嘘じゃない気がするんだけどねぇ」
「そっちこそ、追い出されたんじゃないの。その我儘体質のせいで」
「嫌ね、ちゃんと言う相手は選んでるわよ」
何か弊害が出るような相手に対しては、絶対に面と向かって言うことはない。後々面倒になるのはごめんだ。逆をいえば、そうではない相手に対しては容赦がないとは言えるだろうが。
「選ばれた相手が気の毒だわ」
「無関係な人間を無尽蔵に巻き込むよりよほど害がないと思うけど」
「……」
朱藍も、実はその口の一人だった。巻き込まれたのが運のつき。それが縁になってこの関係が続いていた。
「どっちもどっちではありませんか?」
「藤佳っ」
「藤佳は、移動した?」
「はい。戸部令に動きました。希望を出していたので」
国の人口把握のために整備が始まったばかりで、一番忙しい部署だ。
藤佳としては自ら官吏になって戸部令に入りたかったそうだ。だが、女性が官吏になったのはごく稀だ。移動希望が通っただけ良かったかもしれない。
「雰囲気はどうだった?」
「やりがいがありそうです」
酷く楽しげなところをみると、大分気に入ったらしい。
のんびりと言うよりはひっきりなしに仕事が舞い込むような場所のほうが、性にあっているのだろう。今までいた場所には、大分不満を覗かせていたわけだし、藤佳としては適正な人事移動だった。
「朱藍は書部令だと聞きましたが」
「ええ、どういうわけかね」
朱藍は残念ながら、書部令に合う性格はしていない。
忙しいのは決して苦にはならないが、各部署を飛び回るにはいささか人見知りの気がある。事務的な事以外はしない可能性が高い。
一度知り合ってしまえばまた話は別になるのだが。
「今から憂鬱だわ」
広大な宮城を支える官吏の数は千人を越える。出仕をはじめてから4年の朱藍でさえ、まだ全ての官吏を把握しているわけではない。
ましてや、書令部には今まで縁はなかった。知り合いはいないに等しい。
「はぁ……」
「しはらくは我慢ね。大丈夫よ、あそこは人懐っこいのが多いから」
「犬や猫じゃないんですから、その言い方はよくありませんよ」
社交的な佑奈や記憶力のいい藤佳なら、どこに動いてもやっていけるだろう。
だが、一度や二度では顔と名前が一致しない朱藍は、新しい環境になるのを嫌がっていた。
「畜生の方がまだましよ」
そのほうが見分けがつかなくても言い訳がたつ。
それに間違えても失礼にならない。
「そこまで嫌がるような連中じゃないって。行ってみればわかるよ」
「問題は相手じゃないの。あたしなのよ」
「なら、気の持ちようだって。平気だって思えば案外平気なもんだよ」
「だといいんだけど」
深々と溜め息をついた朱藍は、がしがしと髪をかきまわした。
移動の度にこれでは先が思いやられる。だが、こればっかりはしかたがない。
慣れるしかないのか、諦めるしかないのか。
どちらにとっても朱藍には不本意だ。
宮仕えに決まったときから分かっていたこととはいえ、移動がなければいいな、とか思っていたのも事実で。
「まだ、顔出ししてないんでしょ。とりあえず行ってみなよ」
「そうですよ、案外気が合うかもしれません」
気軽に言ってくれるものだ。
人見知りが激しいくせに宮仕えになっているなんて、奇特なのは自覚している。まわりに理解を求めるのがおかしい。わかっていても、友人たちの言葉は恨めしい。
やれやれと溜め息をついて、ひらりと手を降ってきびをかえした。
確に二人が言うように、正式配属前に一度行ってみるのもいいかもしれない。
さて、書令部は一体どこだったか。
城内の地図を頭の中に広げて、道筋を考える。
背後では、無責任のような応援がかけられていた。