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ルートモストマック  作者: うさブルー
   四章《それでも続けるということ。》
93/165

Ⅴ 常夏の夜、浜風を添えて。

【まえがき】

 自重しようと思った今回です。

 夏ではなくて秋です。

 ちょっと長めです。


 どうぞ。



 

 


 一日目。

 夜。



 昼食は、近くにあるモールで食材を買い込んでのバーベキューだった。

 あまり信じていなかったと言ったら嘘になるが、モールにはサクラの言う通り普通に人がいて驚いた。それも、外国語を話しているようだったので、尚のこと。

 原住民だろうと思われるサクラも言語を理解していないようだったが、コミュニケーション能力の塊である会長とのタッグで、無事に食材を買うことができたのだった。アレンが代金を支払っているのを見たのは確か、その時で二度目な気がするけれど、誰も何も言わなかったのは凄まじかった。また後で、何かお礼をしようと思った。

 バーベキューはうちでもよくやっていたし、ビーチだから火事の心配も無い。何より、アレンが取り仕切ってくれたので順風満帆だった。……のだが、紆余曲折あって結局、波乱となってしまった。

 事の発端は確か、サクラが唐突に水着コンテストをやると言い出した件だったか。

 飾り気のない漆黒のチューブトップのアリスは、確か「強気な性格がそのままこーでに出ているのじゃ」だとかなんとか。その近くにいたリズも、白のフレアビキニ姿を「あざといのじゃ」と難癖つけられていた。

 ポルカドットのキャミソールにショートパンツという、まさにアリスのおさがりを身に纏っていたノアはと言えば、「てーまが可愛いだったら優勝じゃが、今回は違うのじゃ」と仕分けられはてなを浮かべていた。

 ルリ会長の品評には時間がかかっていたのを覚えている。胸元に大きなリボンをあしらった黒いホルターネックと白黒ストライプのボトムで、腰にパレオを巻いていたのだが、それの一体何を選定していたのかは知らない。

 それを見て「ははは」と苦笑していた僕にも、当然お鉢は回って来た。

 無難な寒色系グラデーションのタイサイドを着ていたわけだが、たまたま羽織っていたラッシュガードがお揃いだったと言う事で、僕が優勝になったらしかった。

 僕はまた苦笑しながら、相変わらずサクラは変だと思った。

 そして最後には、全員でビーチバレーをするというカオスな事態になったのだった。

 そうやって遊び遊び作っていたおかげで、今日の昼食は夕食とほぼほぼ同義になってしまったのだった。さらに、駄弁りながら食べたり、後片付けもものぐさにしたりすれば、一日の大半が終わってしまうというのも当然のこと。

 “リゾート”という響きを、これでもかというくらいに味わっている気がする。

 暑いくらいだった気温も夜の帳とともに下ってきて、真っ暗闇になる頃には非常に過ごしやすくなる。僕たちがいるログハウスの居間の大きな窓からは、黒々とした海に浮かぶ黄色い満月が真ん中に見えた。手前にあるヤシの木の輪郭が月光に照らされて、ちょうど切り絵のように浮き出ていて、とても幻想的だ。

 例えるなら、美術館の大部屋にあるような巨大絵画か。

 リゾートがもたらすそんな独特な空気の中、僕たちは、生徒会長という権力の前にひれ伏して、教科書という無機質な白と黒に相対していた。

「眠いよー……」

「僕もさすがに眠いかも……。サクラ……教科書に涎が……」

「こらこら。ルートくんもリズちゃんもサクラちゃんも、もっと集中しないと。まだ勉強始めてから十分も経ってないじゃないか」

 先輩風もとい会長風を吹かせるルリ会長であったが、こちらから吹いた向かい風の方が圧倒的に強かった。

「な、なに……!? そんな、みんなしてワタシのことを見つめて……っ! あっ。もしかして、食べようとしてるっ!? いやぁ、やめてー!」

「あんたがサクラを煽るからでしょうが」

「あ。はい。ごめんなさい……」

 アリスは誰にでも強いなぁと思った。

「でも、今、何時なんだろ……。ノア、さっき、時計探したけど、一個も無くて……」

「そう言えば……」と辺りを見回してみると、確かに。

 これだけ広い居間なのだから、家族が集う場所であるはずなのに、卓上どころか壁掛け一つ見当たらない。時間を忘れて家族団欒するのだとか、サクラが寝て起きたらそれが一日だとか、そう言われれば納得な気もしないでもないから怖い。

 とは言え、勉強をするには不便である。

「誰か腕時計とか持ってたりしないかな」

「あ。俺、してますよ。ただ――」

 挙手したアレンの左手首に、確りとそれは巻かれていた。

 口ごもるのには理由があるのだろうけど、往々にして朗報ではないだろう。

 机の端の席で対面して座っていたアレンに、僕は恐る恐る尋ねてみる。

「ただ?」

「このビーチに来たあたりから、挙動がおかしくて……」

 手首を前に出す形で見せられた腕時計の盤面を見てみると、想像の倍以上におかしな挙動だった。停止とか時差とかいうレベルではなく、時計の針が戻ったり進んだり、もはや小規模超常現象の域。

 この場所(リゾート)の謎は深まるばかりで末恐ろしいが、遠巻きに見ていたルリ会長が「ふむふむ……」と考え出す今の展開の方が余程怖い。

 トラブルが起きないように祈りつつ、「どうしたんですか?」と聞くのは副会長としての義務だと思った。

「そう言えばさっきさ。お風呂にさ」

「はい」

 ログハウスのサイズ感からすると、浴場もそこそこの大きさがありそうだ。

 そこに、ノアさんが見落としていた時計でもあったのだろうか。

「お湯がさ」

「お湯?」

「そう。お湯。お湯が張ってあったんだけどさ。あれって、誰が沸かしたんだろうって」

「「「「…………」」」」

 全員分の沈黙と、サクラの小さな寝息が、会長の威厳をそれとなく削いでいく。微かに耳に入ってくる波の音もまた、同じ効果があったと思う。

 いつになったら真面目に考えてくれるのか、はたまたこの環境では無理難題なのか、静寂の中で考えていると、唐突に答えはやってきた。

「それ、私やったの」

「え? リズが?」

 僕の隣に座っていた妹が犯人だった。

 多分、愉快犯だ。

「うん。おっきいお風呂だー、と思って沸かしたの。全員でも入れそうだったよ」

「そ、そっか。ありがとね。沸かしてくれて」

 見え透いた私利私欲は、相応に愛くるしかった。

 僕は視線を逸らすことでできた虚空に、情状酌量の余地を作った。

 どことなく清々しい表情のルリ会長が、ちょうどその空間に入り込んでくる。

「みんなで風呂に入れって天の思し召しだね。これはもう」

「やったー! 入ろー!」

「あたしは後でいいわ」

「じゃ、ノアも……」

 アリスもノアも入る(てい)で話しているが、その点についてはいいのだろうか。

 勉強時間十分足らずで初日を終えると言うのはどうにも本末転倒、()いては目的変更になってしまっている気がするのだが。

「僕、じゃなくて俺は、一番最後に入ればいいですかね?」

「最後の人風呂掃除ねー」

「ちょっ、リズ」

 睡魔に襲われて威勢の悪かったリズも、アレンをからかって調子がよさそうだ。

「それじゃあ、風呂組はさっそく風呂へゴーだ! ルートくんも入る?」

「えっと……。後で、入ります……」

 僕も負けたな、と思った。

「そうかそうか。じゃあ、リズちゃんとワタシで入るかー」

「おー!」

 二人同時のタイミングで教科書を閉じると、早足で部屋を去っていった。

 教科書を開くのも、それと同じくらいのスピードでやって欲しいところだ。

 そうやって今溜息をついたら、〈皆と入れなくて悔しい〉のだと思われてしまいそうだったから、それはお腹に力を入れて我慢した。

 最初に社会をやると言った人が浴場へ繰り出した後、僕たちは静かに社会を勉強していた。健やかな不均一間隔で聞こえる、サクラの寝息を刻時代わりにして。

 ちょうど、深呼吸のような胎動があった時だった。


「まだ、間に合うんじゃないかしら」


 アリスの鋭い言葉の矛先は、僕の方を向いているのだと如実にわかった。

 一体何に間に合うのか。

 それは、倫理を記した社会の教科書ではなく、自分の心を綴った巻物にでも書いてありそうだった。

 ゆっくりと視線を上げて、僕はその巻物を申し訳程度に隠す。

「僕?」

「そうね」

 自然、アレンとノアの視線もあるから、隠すに隠せない。無論、アリスに隠せるとは端から思ってもいないが。

 それに、アリスのことだからきっと、僕がアレンに告白されたことも知っているはず。その上で、僕の気持ちを試そうとしているのだろう。

 アリスには勝てないだろうが、傷は浅い方が良い。

「もう少し勉強しようと思ってたから。うん。大丈夫。途中から入るのも微妙だし」

「あら? お風呂とは一言も言ってないわよ?」

「うん。でも、アリスならそのことかなと思って」

 そう言われてアリスは、一瞬目をパチリとさせたけれど、すぐに不服そうな仏頂面になって「あらそうなの」と言い捨てた。

「アリス、一緒に入る?」

 歯の浮くようなセリフとあるが、あれは心まで浮かすものなのか。背中がむず痒い。言っている自分がドキドキしてしまう。

 精一杯の反抗をしたつもりだったけれど、アリスの前では何のことはないようで。逆に「へぇ」と感心されてしまった。

「あんたがそんなこと言うなんてね。成長したわね」

「え? あ、うん。ありがとう……」

「ま、遠慮しとくわ。あたしと入浴しても、別に誰かに得があるわけでもないしね」

 呆れるアリスの隣に座っているノアこそ喜びそうなものだけれど。

 アリスは何でもできて完璧だけれど、昔から自分に対するハードルが高い。高いからこそ何でもできるようになった、とも言えそうだ。

 そんなアリスを好きになったノアの気持ちを知れたら、それこそ社会の教科書なんかよりも数段有意義に思える。まあ確かに、学校のテストには出ないかもしれない。けれど、この休暇に課された課題を紐解くヒントにはなるはずだ。

 一緒にお風呂に入れば、そういう込み入った話もできるかもしれない。

「ノアさ――」

 と、思いはしたものの、ノアの気持ちはアリスに一方通行である。

 無理矢理そこへ割って入るというのは、がめつい感が否めない。

 アリスに気取られてしまったようで、その口ぶりは含みたっぷりであった。

「そんなに誰かと入りたいなら、そこの寝てるバカとでも入ったらどうかしら」

「そ、そんな、別に僕は……」

 ここまでくると、大人しく引き下がるのが一番被害を抑えられる。

 僕が気付くのではなく、それよりも先に、アリスがそう掲示してくるのだ。

 それがアリスの常套手段だとわかっているにもかかわらず引っかかってしまうあたり、先の「成長したわね」というのも皮肉な気がしてくる。

「でも、そうすると、ちょうど部屋割りと同じになりますね」

「あ。確かに」

 アレンの言う通り、気付けばそれがかなり合理的だったりもするから、アリスは侮れない。こういうやりとりも含めて、すべてが計算された策なのだ。

 それでも勝負を挑んでしまうのは、やっぱりアリスが『親友・・』だからなのだろう。

 アリスは僕で遊ぶのが好きだし、実は僕もそうやってアリスと遊ぶのが好きだったりする。決して、いびられるのが好きというわけではない。アリスと話しているといつも、新しい発見があったり、大切なことに気付けたりするから。

 いつも、ありがとうを言い忘れてしまうけれど、ちゃんと感謝しているのだ。

 そして、そういう目でアリスを見つめると動揺するというのは、アリスの一番好きなところだったりする。

 アリスの方は一瞥するのに留めておくとして、僕はサクラの方を見る。

 気持ち良さそうに寝ている様子はどこかあどけなく、勉強をサボってはいるのだけれど憎めない。時々、何かをしゃぶる仕草をするのが、いわゆる乳幼児のそれにそっくりだ。とても愛らしいと思うのと同時に、夜泣きに似たトラブルを心配してしまうのは僕だけだろうか。

「うわっ。みんな勉強してるっ!」

「ホントだー」

 そうこうしているうちに、会長とリズが戻って来た。

 二人ともパジャマのような趣のある衣服を着ているが、まさか寝るつもりか。

「会長、うわって何ですか……。一応、勉強合宿なんですからね、これ。忘れてません?」

「ルートくん怖ーい。ルリ、困っちゃーう」

「会長?」

 これ以上は、学校の品位が下がりそうだったので、やや強めに制止した。一緒にお風呂に入ったリズは(そもそも気にしないだろうが)手遅れだとして、この場にはアレンがいるわけだし。

「ごめんごめん。冗談だよ。ただの深夜テンション。はははははっ!!」

 朗笑する声の大きさも助けて、勉強合宿はとうとう不安である。

 でも、どうやら何か策を練って来たらしく、「甘いね。ルートくん」と立てた人差し指を振っていた。

「ちゃんと考えているともさ。勉強合宿を計画したの、誰だと思っているんだい?」

 会長です、とは言わないでおきたい。

 とりあえず、視線だけ送ってみると、滞りなく話は進むようで。

「そう……。ワタシだ」

 手を広げてなにかのポーズを決めているようだけれど、パジャマだし髪の毛も半濡れで、空回りしている感は否めない。

 僕が求めているものはそれではないのにと、内心残念がっていると、一拍おいてまた。

「ずばり。合宿五日目の最終日」

 会長の口から急に意味のある言葉が出てきて、隣にいたリズも面食らっている。

 それが、浴室で考え付いた策ではないということが、そのリズの表情によって証明される。

 午前中は遊んでいたし、午後も楽しそうに食べていたし、大方今考えたのだろう。

 僕は密かに息を吐いて、また、飲んだ。


「テストをします!」


「テスト、ですか?」

「そう。テスト。シルバーウィーク明けのテスト対策テスト。リズちゃんもワタシらも、ちょうどテスト科目が五教科あるでしょ? だから、五日目の午後にテストをやればちょうど、全教科の勉強をやったことになるってわけ」

 やはり、根は頼れる生徒会長らしい。一応は、理に適っている。

 ただ、その場合、誰かのせいで社会科を捨てることになりそうだ。

「問題は誰が作るんですか? 僕、じゃなくて俺とリズはミドルですよ」

 アレンが切り込んだ。

「それはもちろん、ワタシが作るよ」

「えー……。やだー。めんどくさーい」

 確かに、リゾートまで来てテストなのかと愚痴ればそうかもしれないが、あくまでこれは勉強合宿であると主張したい。

 どこぞの誰か(ルリ会長)の動向のおかげで快諾する気にはなれないが、反駁の意は無い。

「大丈夫! そんなに難しくはしないから。リズちゃんもアレンくんも賢いから、簡単に満点とれちゃうよ! ルートくんたちのもちゃんと作るよー。もちろん、そんなに難しくないやつね。とりあえず、赤点は回避できるような感じかなー」

 学校のテストは毎回教科ごとに同じ先生が作成しているから、問題に傾向がある。一年生の時にそれを受けているルリ会長が問題を作れば、もしかしたら傾向対策に効果的なのかもしれない。

「遊んで食って風呂入って、寝るかと思えばテストだなんて、やれやれね」

「ノア、ダメかも……」

 アリスもアリスだし、ノアもノアである。それを見て、はははと傍観する僕もまた、僕なのだろうけれど。

 うんうん頷くルリ会長が、今最も胡散臭かった。

「全員合格しなくても罰ゲームとかにはしないから。できないところはできる人に聞いて、みんなで百点とろう! 勉強合宿って、そういうものなんだからさ!」

 びしっと人差し指を立てて言い回しを強調するけれど、やはり会長はパジャマであったし、ここへきてのサクラの存在が大きかったと思う。すやすやという寝息が織りなす場の雰囲気というものは素晴らしくも厄介であると、僕は一つ学ぶ。

 誰かが寝ているところでは、決め台詞を吐くべきではないだろう。

「アホらし……。お風呂空いたみたいだし、あたしたちも入りましょ」

「うん、入る」

 アリスとノアも教科書を閉じて席を立つと、せっせと部屋を出て行った。何事も無かったかのように振舞ったおかげで、ルリ会長にそこはかとない哀愁が漂いだす。

 それに関して、僕はどうすることもできない。

 しんとした空気が、数秒間続いた。

 そのせいで眠気が到来したのか、リズが大あくびをかいていた。

「ふわぁぁぁー眠いよー……。もう寝よー?」

「おっと。おねむだねリズちゃん」

 リズはそうなるともう手遅れだ。意地でも寝る。

「うぅぅぅ眠いー。寝ようよー」

「仕方ないなぁ。じゃ、寝よっか」

 リズが眠たそうに会長の袖を引っ張ると、会長も大人しく引き下がってしまう。その気持ちはわかるけれど、さっきのポーズの意味が無くなりそうだ。……それは元々無いか。

「社会全然やってないけど、ま、大丈夫でしょ」

「やったー寝よー」

 十分足らずではやってないも同然なのではないだろうか。それにやってないなら、それはリズがもともと持っているポテンシャルによるところが大きい気もする。

「それじゃ。リズちゃんがこんな感じだから、ワタシたちは先に寝るねー。君らもあんまり遅くならないうちに寝なよー。おやすみー」

 なんとも理不尽な気がするけれど、どうしようもない。時計があれば、あるいは引き留められるかもしれないが、それは無理だ。

 廊下の闇に消えていく二人の背中を、僕は見送るしかない。

 一段と静かになった居間の空気は、はじめの頃よりも幾分か薄くも涼しくもなっていて、幻想的だったあの雰囲気も無くなっていた。皆がここにいてこそ完成するのだなと、少し面白かった。

 気を取り直して勉強を再開したところに、アリスとノアが戻って来た。

「今上がったわ。あら? 生徒会長とリズがいないわね」

「ついさっき寝たよ」

 恥ずかしながら、うちの生徒会の会長はそういう人である。

 アリスが溜息をつく気持ちが少しだけわかる気がした。

「まぁ、あの生徒会長に期待しても無駄よね。あなたはかなり信頼してるみたいだけど。そうね。あたしからは特に何もないわ」

「ノア、少し……眠いかも」

「そうね。寝ましょうか。言い出しっぺもいないのに、やってられないわ」

 言われてみればその通りだが、会長の性格上、五日目のテストはきっちり決行されそうだから、気は抜けない。自主的にやるということも大事だろう。

 とは言っても、不真面目な人こそ今回の合宿メンバーの中にはいないのだが。

「そっか。じゃあ、おやすみ。二人とも。また明日」

「起きてもまだ夜、とかありそうだけどね」

「や、やめてよアリス……」

 ここから永遠に真宵なんて縁起でもないけれど、本当にあり得そうで怖い。

「ふふふっ。来るといいわね。明日」

「日沈んだんだし、大丈夫だよ、きっと……!」

 サクラが寝たまま五日間が終わる、なんてことはないだろうから。

「そうね。じゃあ、おやすみなさい」

「ルート。おやすみ」

「うん。おやすみ」

 また、二人の背中が廊下の闇に消えて行った。

 そうなる度に、辺りはどんどん静まり返り、僕はどうしようもない疎外感だとか、取り残されたような感覚を覚えた。アレンとは同じ感覚を共有しているようで、時折聞こえる小さな波の音にぴくっと反応するのがほぼ同時だった。

 恐怖で終わりそうな感覚も、アレンがいてくれるおかげで、どこか円満に解決しているように思う。勿論、サクラも。

 ただし、それにも制限時間がありそうだった。

「俺たちもそろそろ寝ますか?」

 アレンがそう切り出す頃、体感で一時間は確実に経過していたと思う。勉強の進捗的にも、そんなところだろう。

 決してそれが長い勉強時間とは言えないが、独特な環境のおかげである意味で記憶には残せたと思う。そういう意味では、合宿というものを勉強法としてカテゴライズするのがいいかもしれない。

「そうだね。そうしよう」

 現時点で眠いと言う事はまだなかったけれど、これからあと四日もあるしアレンも疲れているだろうから、このあたりで切り上げるのがいいところだ。

 僕たちは開いていた教科書とノート、それから参考書などを閉じていく。僕もアレンも教える側だったから、他の人よりも余計に多かった。

 それらを鞄にしまいつつ、アレンは言う。

「えっと……、お風呂どうしますか?」

 僕も同じく、収納がてらに口を動かす。

「あ。そうだね。アレン君が先でいいよ」

 特に急ぐわけでもないし、この外気温であればすぐに湯冷めということも無いだろうから、先輩風という追い風に靡いて譲ってみた。

「あ。それじゃあ、俺と一緒に入りますか?」

 アレンの表情はにこにこと綻んでいたけれど、口調は真剣そうだった。なんというか、確りとした覚悟を持って放たれた言葉な感じがした。

 そのせいで、言葉を失いかけた。

「あ、う、えっ、えっと、あの……」

 いや。そのせいではないのかも。

 ただ単に、選択に葛藤が生じたということもあり得た。

 一日目の僕には、それはまだ早かったのだと思う。

「ごめんっ。サクラを一人にするの可哀想だから、遠慮しておくねっ。ごめんね!」

「あ、いえ。さすがに冗談ですから。でも、入ってくれるなら、俺は嬉しいです」

「う、うん。ありがと」

「それじゃ、先にお風呂いただきますね」

「うん。どうぞ」

 アレンは「ありがとうございます」とドアのところで振り返って、一度お辞儀をしてから部屋を後にした。

 意外にも大きい背中は、暫くの間廊下の闇の上に浮いて、それからゆっくりと消えた。

 単純に確りしているなと思った。

 リズが成金野郎だと罵っていたけれど、優しいし頼りになるし真面目だし、他にも良い所がたくさんある。変に気取ったりしないところだったりとか、笑顔が素敵だったりとか、そういうところもすごく好感が持てる。

 そう思ってしまうのは、やはり、告白されたからなのだろうか。本当に、あの出来事だけが、僕にそう思わせているだけなのだろうか。仮にあの告白がなかったとして、それでも僕は、アレンのことをこんな風に見ていたのだろうか。

 その答えこそ、一緒にお風呂に入ったり一緒に寝たりすれば、自然と体が気付くものだと思う。

 でも、そんなこと、今の僕には到底できないから。

 だから今は、じっくりと、ゆっくりと、誰もいないこの一人の空間に自分を馴らすしかない。

 遠くには黒い海がどっしりと腰を落ち着けて、月は薄笑いを浮かべている。その月の明かりは海の上で刻まれて、鋭い瞳のように数多に並ぶ。幻想という評価をした絵画も、僕一人が見るとたちまち現実味を帯びてきて圧倒される。とてもではないが、勉強に集中できる環境ではない。

 僕は間違いなく試されているのだ。色々なことに。

 そう思った。

 思ったが、違った。

「んぅん……」

 まだ、サクラがいた。

 サクラは良くも悪くも、僕に選択肢をくれる。いや、選択肢をくれること、それ自体が良いようにも悪いようにも解釈できてしまうだけか。今回もまさしくそうだ。

 トラブルを蔓延させながらいつも僕たちを振り回すけれど、サクラがいなければこの合宿自体が破綻になっていたはずだから。

 ほとんどは気まぐれでやっているのだろうけど、ちゃんと皆にも楽しんでもらいたいと思う心も持っているのがサクラだ。

 そうやって気疲れしてしょっちゅう寝ているのだと思うと、途端に寝顔が愛おしくなるし、人にちょっかいを出すのも可愛く見えてくる。

 そう思うのが、もし“特別”だからなのであれば、僕は僕の気持ちを理解できるのに。

 僕は一つ席を詰めてリズの席へ――サクラの隣へ移る。

 開きっぱなしの教科書は、ちょうどカシミーヤの建国について記述されているページで、透き通った唾液らしき液体が初代国王の写真の上に池を作っていた。

「ああー……。これは乾かさないと……」

 その教科書は僕が貸したものだった。

 だけど、怒りの感情は湧いてこなかった。嫌じゃなかった。

 これがアレンだったらと考えた。

 間違いなく怒ったりはしないだろうけど、それが嫌かと言われるとそれはそうかもしれなかった。別に、アレンのことを生理的に拒否するきらいはないけれど、少し考えてしまった。

 それがつまるところの“特別”であるからなのか、僕の優しさのせいなのか、僕には区別がつけられなかった。ただ、似て非なるものなのだとはわかる。

 ヒントに気付けるかと思って、サクラの髪を撫でてみた。流れのままに、梳くように、優しく。肘をついて腕で頭を支えるようにして、机に体を預け、僕はサクラの表情を覗く。

「小さい子供みたいだ……」

 サクラは僕に、選択肢しかくれなかった。

 答えは、僕が出すしかないのだ。

 実感をもって、そう思えた。

「僕たちも寝よっか。アレンが戻ってき――」



「んっ。ねぇ……」



 猛烈な質感と圧倒的現実が、唐突に僕の唇を襲った。窓に展開された畏敬の絵画などどうでもよくなるほどに、その実感は確かな熱を持っていた。それが僕の持っていたそれと合わさって、どうにかなったのだ。

 僕の目は相当に見開かれていただろうけど、サクラの目は依然閉じていた。


「あ、えっ? ね、寝て? 僕、キス、され……えっ?」


 髪を撫でていた腕を辿ってそうなったのだけど、触れられた二の腕辺りから首筋にかけて、未だに満遍なく鳥肌が立っていた。

 夜船に揺られる彼女と違って、僕はまだ冴えていていざとい。

 唇には、まだ若干の湿り気と、教科書の池と同じ粘り気が少しあるのがわかる。

「サクラ、『ねぇ(・・)』って言って……。お姉さんの夢、見てるのかな……」

 だとすれば、僕はサクラに選択肢をあげられる。

「何も、無かったよ」

 サクラが起きていたら、一体なんと答えてくれただろうか。お姉さんがいたら、サクラになんと声をかけてあげただろうか。

 それはわからない。

 けれど、僕は覚えているしかなかった。

 今日はよく眠れない気がする。




 

【あとがき】

 冴えない主人公にモテ期到来の予感。

 前章もルート(とリズ)がメインでしたが、今回は焦点を変えています。

 前章は、サッカー、王子様、女子からの告白と、男性的なことでの悩み。

 今章は、実際に男子と付き合うということで、女性的な悩みに苦しむことになります。

 ただ、性が不一致なわけではないのです。

 たまたま好きな人が女の子で、たまたま相手のためなら自分をも変えてしまうくらい優しい。それだけなのです。

 一般に性同一性障害と言われる方も、そういう方、多いのではないかなと思います。

 私は決して、障害じゃないと思うのです。

 ただの恋の形なんじゃないかって思うのです。

 漢字も「生涯」の方がいい。

 

 性同一性生涯。

 ほら、すごい生きてる感じがする。

 

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